世界を巡るツアーを行う多くのアーティストにとって、日本公演は特に心が躍るひとときであると言われている。東京では渋谷や新宿といった主要エリアはもちろんのこと、都内のほぼ全域にレコードショップが点在し、そこはレコードやカセット、CDが並ぶ音楽の宝庫である。そして情熱的で知識豊かな音楽ファンの存在ーー音楽に対する独自のリスペクトを持つ日本に来ることは、各国を巡るアーティストにとって特別なことだという。
特にジャズミュージシャンにとっては1960年代初頭以来、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)やジョン・コルトレーン(John Coltrane)、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)らが来日した際には日本文化の精神性や、彼ら自身が創り上げた音楽に捧げられた「ジャズ喫茶」という独自性に触れ、深い感銘を受けたそうだ。この文化的な背景は、次世代のジャズアーティストにも強い影響を与えている。
新世代のジャズの先駆者の一人であるユセフ・デイズ(Yussef Dayes)も、日本を特別な場所と感じているミュージシャンの一人。2023年の来日にオーディオテクニカは帯同し、富士山を背景にしたライブパフォーマンスを収録した。
彼が幼少期から影響を受けてきた日本文化を体験する貴重な数日間を一緒に過ごした旅の様子を、前後編にわたってお届けする。後編で巡ったのは東京都調布市の深大寺、ジャズ喫茶、そしてオーディオテクニカの工場。
前編はこちら
「息をして、気が流れている限り、新しい1日が、人生が始まる」
ソニー・ロリンズしかり、ジョン・コルトレーンしかり、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)しかり、多くのジャズミュージシャンが東洋の思想に大きな影響を受けていると聞きます。これまでに心に響くものはありましたか?
東洋の思想とは深いつながりを感じています。僕の母は素晴らしいヨガインストラクターで、何度もインドを訪れてはアイアンガー師から教えを受けていますし、父もアイアンガーヨガ*を教えており、僕の家には子どもの頃から自然と東洋の思想が根付いていました。
祖母も非常に個性的で、多くの思想を持つ人でした。仏教徒を家に招いて泊めることもあり、そうした影響の中で家族全体がそのエネルギーに包まれていたのだと思います。振り返ると、子どもの頃はそれが当たり前すぎて深く考えることはありませんでしたが、成長するにつれてだんだん興味が湧いてきました。今では瞑想や気功を行い、「気」の流れを意識するようにしています。どこが滞りやすいのか、どこが巡りやすいのかを感じ取ることが、自分にとってとても大切なことだと感じています。
西洋では、不快なことがあってもその感情に蓋をすることが多いように思います。でも、状況を理解して、それを改善するテクニックがあるんです。もし、自分を苦しめたり苛立たせたりするものがあれば、それを和らげる手段がある。僕はそうした方法をできる限り身につけたいと考えています。特に日本にはさまざまな生活の知恵やスタイルがあると感じているし、それにとてもインスパイアされています。
アイアンガーヨガ:アイアンガー師(Yogacharaya Sri B.K.S.Iyengar)によって編み出されたヨガのメソッド。肉体と精神の柔軟性やリラクセーションを得ることに加えて、強靭さとスタミナを増進させ体の歪みを正していくことに重きをおいている。
滞在中にどうしてもやりたかったことの一つが、円相の体験だと伺っています。円相を知ったきっかけと、それがユセフさんにとってどんな意味を持つのか、ぜひ教えてください。
以前、僧侶が一筆書きで円相を描く動画を見たのがきっかけです。気功を通じて禅や円相の背後にある哲学に触れ始めていたタイミングだったので、とても興味を惹かれました。
ドラムを演奏していると、すべてを忘れ、その瞬間だけに完全に集中することがあります。それは、純粋な “今” に気付く感覚です。一筆書きの円相も同じで、心を空っぽにして、ただ一思いに筆を動かす。その「ワンテイク」のような感覚が、僕に深く響きました。
現代では、何度もやり直したり、必要以上に完璧を求めたりすることが多いですよね。でも、円相はその瞬間だけの一発勝負。一度きりの心を表現するものです。その考え方が、自分の音楽スタイルと完璧にリンクしていると感じています。
これまでに多くのことに関心を向け、現在の自分に到達するまでには、相当な自制心が必要だったのではないでしょうか。その点について、どのようにお考えですか?
「どんなに才能があっても、努力をしなければ意味がない。才能だけに頼っていては成功できない」という意見がありますが、僕もなんとなくその通りだと思います。リズムやグルーヴ感、バイブスといったものは、後から身につけるものではなく、自分の内から自然に生まれるもの、自己表現そのものです。ただし、それを形にするためには、多くの練習や時間を必要とします。特にドラムの演奏では、テクニックや細かな要素が非常に重要で、それらにどれだけの時間を費やしたかが結果に表れます。
僕が幼いころから音楽を作りたい、演奏したいという強い情熱を持っていたことは、本当によかったと思います。その情熱があったからこそ、何時間でもドラムを叩き続けることができたんです。もちろん、初歩的な練習や地道なトレーニングの時間は必ずしも楽しいものではありませんでしたが、それが自己表現のための “語彙” を築くプロセスだったと今ではわかります。
訓練は武道や音楽、どんなことにも共通して必要なもので、自分自身の力で積み上げていくものです。ただ、訓練はとても重要なことだけれども、知っておかなければならないのは、それをしていたからといってすべてがうまくいくわけではないということです。
僕もこれまでにいろいろな困難や乗り越えなければならないことがありました。時には足をすくわれるようなこともあります。それでも僕にとって大切なのは、立ち上がってまた新しい1日を始めることです。
これは家族からの影響が大きくて、「息をしている限り、また立ち向かっていく新しい一日が始まる」という考え方が自然と自分の中に染み付いています。辛い出来事を無視したり避けたりするということではなく、それも人生の一部として受け入れるということですね。人生には必ず浮き沈みがあります。その波を受け入れ、慌てずに乗りこなすことが大切だと思います。
日本のジャズ喫茶で感じた、他の場所とは違う愛
この1週間でさまざまな音楽の冒険を経験される中、「ジャズ喫茶」という日本独自の文化との出会いがあったようですね。初めて訪れたジャズ喫茶で感じたことや、その特別な体験をぜひ教えてください。
横浜のジャズ喫茶「ダウンビート」を訪れたとき、まず感じたのは音楽に対する深いリスペクトでした。お店に入った瞬間、壁や天井を埋め尽くす数々の絵や装飾が目に飛び込んできて、そこに歴史が息づいているのを強く感じました。多くのジャズのレジェンドたちがこの場所を訪れたという話も聞き、その空間そのものに特別な雰囲気が漂っているのが伝わってきました。
特に印象的だったのは、まるで手品師のような店主の存在です。マックス・ローチ(Max Roach)のレコードが聴きたいと伝えたら、すぐにそれをかけてくれる。店には名盤がずらりと揃い、音楽やジャズそのものに対する細やかなこだわりと深い愛情を感じました。ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズのような偉大なジャズミュージシャンたちがこの場所を訪れたくなる理由もわかる気がします。他では味わえない独特の愛と情熱が、この空間を特別なものにしているのだと思います。
日本の皆さんは感性が鋭く、ダウンビートはまさにジャズ喫茶文化の真髄を体験できる場所だと感じました。本当に素晴らしい空間で、ロンドンのどの場所とも違う、ここにしかない魅力があります。単なるバーではなく、音楽と空間そのものが特別な価値を提供しているのが印象的でした。
店内には充実したレコードのライブラリーがあり、客は小さく区切られた座席に座って、無駄なおしゃべりはせず、ただひたすら音楽に耳を傾ける。レコードの音を楽しむために訪れるというそのシンプルさと純粋さが本当に素晴らしいと思いました。
ジャズ喫茶のオーナーたちは、音楽の癒やしの力や感情への影響を深く理解しているんでしょうね。その日がうまくいかなかったとしても、ダウンビートに行けばジョン・コルトレーンやエルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)の音楽が流れていて、また力をもらえる。こうした空間は、ただ音楽を聴く以上の体験を提供してくれる、特別な場所だと思います。
父も心からダウンビートを楽しんでいました。彼もまたレコードファンですし、ジュークボックスや7インチシングルをコレクションしてきたほどの音楽好きなので、この体験は父にとっても衝撃的だったようです。この素晴らしい文化をロンドンに持ち帰ってもっと多くの人たちと共有したいという思いが湧いてきたようで、今はロンドンにジャズ喫茶を作りたいと話しています。将来何が起きるかなんて誰にもわからないですよね(笑)。
音楽を楽しむための最高の環境が街のあちこちに広がっていることを体験していただけたと思います。下北沢の「tonlist」にも訪れていましたね。
tonlistは最高で素晴らしい場所でした。僕は朝の早い時間に行ったんですが、わけがわからなかった。建物の中には全体を貫くほどに成長した木がありました。そして小さな席に座ると、オーナーの宇野さんは私たちのためにホットドッグや紅茶、コーヒーを作ってくれました。
店内ではハービー・ハンコックの「Head Hunters」が流れていて、僕たちは座ってそれを楽しみました。正直言って、あんなに温かみのあるクリアな音質のオーディオシステムは初めて体験しました。そしてベジタリアンメニューを用意してくれて、ブロッコリーとトマトが入ったホットドッグが出てきたんです。「ホットドッグにブロッコリー?…美味しい!焼き加減も完璧だ!」と、驚きながらも楽しんでしまいました。
宇野さんのセットアップからは、彼の音楽に対する深い愛情が感じられました。全ての機材が最高級で、温かみがあって細部までクリアに音が聴こえる。
彼の最高のオーディオシステムで「Black Classical Music」を再生すると、素晴らしいスピーカーからロッコ(Rocco Palladino)のベースの深い音が響き渡り、ドラムのビートがしっかりと伝わってきます。僕は音楽をテープに録音するんだけど、テープからレコードにして、それを優れたサウンドシステムで再生すると、細部が本当に見えてくると実感する。そんなふうに自分の音楽を素晴らしいサウンドシステムで聴けるなんて、日本に来て夢が叶ったような気分だよ。
レコードショップに行く時間もありましたね。高円寺の「Universounds」は、世界中のジャズファンやレコード収集家から評判のお店ですが、どうだったでしょうか?
本当に素晴らしかったです!僕はたくさんのレコードショップに行ったことがあるけど、たとえ大きな店でもUniversoundsのような場所はなかった。
店内にはミルフォード・グレイヴス(Milford Graves)やシリル(Andrew Cyrille)のレコードが並んでいて、店に入って最初にその壁が目に入ったのがすごく良かった。まるで僕がそこに行くことをあらかじめ知っていたかのように感じましたね。
レアなライブ録音や日本盤レコードも豊富に取り揃えられていて、マイルス・デイヴィスやアイアート・モレイラ(Airto Moreira)のレコードもありました。アイアートとはちょうどリオで一緒にいたばかりだったから、小さなショップで、こんなに素晴らしいセレクションを見たときは本当に驚いたよ!大きなショップにはもっとたくさんのレコードがあるかもしれないけど、Universoundsは別格!本当に素晴らしい場所だった!!
最終日はオーディオテクニカの本社を訪れましたが、その印象はいかがでしたか?
これまで音楽やレコードプレーヤーについては何度も話したことがありましたが、今回その背後にある科学を実際に知る機会に巡り会えたことは非常に興味深かったです。無響室に入ると、自分の血が沸き立つ音や心臓の鼓動まで聞こえました。音を緻密に整えるためのマイクやサブのテスト方法も見ることができ、非常に貴重な体験でした。音響機器がどのように作られているのかを知ることができてよかったです。
機器を購入して再生するときは、そこにどんな科学が隠れているのか深く考えることはないけれども、実際に音がどのように作られ、針がレコード盤にどのように触れ、そこにどんな科学が存在しているのかを理解できたことは、非常に特別な体験でした。
レコードプレーヤーの歴史を遡ると、本当にすごいことですよね。最初の蝋管蓄音機では、
レコード盤ではなく、音を再生するのは蝋管だったんです。針がその蝋管に触れることで音が鳴るという仕組みには、ただただ驚かされます。音の仕組みの裏側に隠れた科学を知ると、本当に面白いものです。
また、オーディオテクニカの建物内で行われているすべての活動が、企業のあり方や物事を前進させる力、そして自分たちのルーツと歴史に対する敬意の表れだと感じました。何百年もの間続いてきたものがあって、その中で僕たちも何らかの形でその一部になっているんだよね。だから、そういう所蔵品を見られたのは本当に素晴らしい体験だったよ。正直言って、ここでそんなものがあるなんて思っていなかったから驚いたけど、すごく良い経験だったね。
Yussef Dayes
南ロンドン出身のドラマー、プロデューサー、作曲家。卓越した技術とエネルギー、感情が融合した圧巻のパフォーマンスで知られる。初のソロアルバム『Black Classical Music』(2023年)はマセーゴ(Masego)、クロニクス(Chronixx)、ジャミラ・バリー(Jamilah Barry)、トム・ミッシュ(Tom Misch)などとの豪華なコラボレーションが話題となった。同アルバムはイギリスの最も有名な音楽賞であるアイヴァー・ノヴェロ賞で最優秀アルバム賞を受賞し、ブリット・アワードにもノミネートされ、SpotifyやNPR Music、BBC Radio 6 Musicなど多くのメディアでは年間ベストリストに選ばれた。
英ロイヤル・アルバート・ホールを含む世界ツアーを成功させたほか、2024年初頭に公開したライブセッション動画『Live from Malibu』やBBCの人気番組『Later with Jools Holland』などでのパフォーマンスも話題に。2024年夏には、故郷ロンドンで自身が主催するフェス『Summer Dayes』を開催した。
出演アーティスト
万美 / MAMIMOZI (書道家)
訪れた場所
tonlist (下北沢)
ダウンビート (横浜)
UNIVERSOUNDS (高円寺)
Words: Nick Dwyer
Translation: Ayaka Arimura
Edit: May Mochizuki
Photos: Steve Gaudin