宇宙にロケットを飛ばし、月面の探索をする。 今から約80年前、人類は宇宙を目指していました。 それに伴いデジタル技術は飛躍的に進歩し、その影響は音楽再生の技術にももたらされます。 今回はオーディオライターの炭山アキラさんによる、レコードの歴史のお話です。

音のステレオ化によって大衆に広がっていったレコードについてのお話はこちら

宇宙とデジタル送受信システムの開発

1960年代は、アメリカと当時のソビエト連邦による、自由主義陣営と共産主義陣営の威信をかけた宇宙開発の時代でもありました。

1961年の4月12日、ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンは、宇宙船ボストーク1号で人類初の有人宇宙飛行を成し遂げます。 後れを取ったアメリカは、ジョン・F・ケネディ大統領が5月25日の演説で「1960年代のうちに人類を月へ着陸させる」とぶち上げ、それで前年から始動していた人類を月へ送るアポロ計画へ、膨大な予算が注ぎ込まれることになったのです。

宇宙飛行のイメージ

地球と月の距離は約38万km。 この距離を隔てて障害なく通信するためには、これまでの通信設備ではとても間に合いません。 そこで実用化されたのが、デジタル送受信システムです。 デジタル通信は微弱な信号で欠落が生じてもある程度訂正が効き、また同じ箇所を何度も重ねることで欠落を補うことができるため、データの正確性が飛躍的に増すのです。

これを可能としたのは、トランジスタの発明以来飛躍的な進歩を遂げていたコンピュータの力です。 アポロ以前はロケットの軌道を手で計算していたそうですが、コンピュータを導入したことでケタ外れに効率が上がったとか。 そりゃそうですよね。

デジタル技術はレコードへ

勃興するコンピュータ/デジタル技術は、レコード業界にも大変な革命をもたらします。 NHK技術研究所と日本コロムビアが共同開発したPCM(Pulse Code Modulationの略。 デジタル音声変調方式の一つ)録音です。 現在はよほどの例外を除いてすべてデジタル録音ですが、その元祖がこれということになります。

1972年、初めて開発されたデジタル録音機は大ぶりな冷蔵庫を横に3台ほども並べたくらいの大きさでした。 仕様はサンプリング周波数(*1)が47.25kHz、量子化ビット数(*2)が13ビットでした。

このデータからすると、収録できる高域の限界は23.625kHz、収録できる最も大きな音と小さな音の比(ダイナミックレンジ)は78dB=8,192倍ということになります。 レコードは頑張っても60dBといわれていましたから、少なくとも当時は、18dB=8倍の余裕は十分なものとみなされたでしょう。

*1 デジタルのマス目を時間軸(横)方向にどれほど細かく区切るかを表す値。 その数値の約半分の周波数まで記録できる
*2 デジタルのマス目を音量の大小(縦)方向にどれほど細かく区切るかを表す値。 1ビット増えるごとに収録できる幅が2倍になる

冒頭に長々とアポロについて書いたのは、PCM録音を用いた初期のレコードに、「いま宇宙と地球を結んでいるのはPCMです!!」というアオリ文句を記した帯がかけられていたからです。 初のPCMレコードが発売されたのは1972年、まさにアポロ計画が絶頂から終焉を迎えようとしていた頃でした。

宇宙飛行のイメージ
日本コロムビア「PCM録音へのお誘い」
宇宙飛行のイメージ
ライナーノーツにはPCM録音についての記載があります

その言葉は、単なる宣伝文句ではありません。 アポロで役立ったPCMのデータの正確さや誤り訂正能力は、音楽収録にも大きな力を発揮していましたし、後のCDや現代のiPod、SONYのウォークマンといったDAP(デジタル・オーディオ・プレイヤー)などでも全く同じ恩恵を私たちは受け続けているのです。

高音質なデジタル録音

それでは、初期のデジタル(PCM)録音によるレコードは、それまでのアナログ録音とどう違ったのでしょうか。 はっきり申し上げると、周波数特性は大差ありません。 アナログのテープレコーダーでも、20Hz~20kHzの可聴範囲を超える帯域を既に録音できるようになっていました。 ダイナミックレンジはPCMの方が上でしたが、アナログ録音でもレコードと大差ないくらいには音のクオリティは確保されていました。

一番違ったのは「ワウフラッター」というデータです。 アナログのテープレコーダーは、どれほど精度を詰めてもごく微弱な音揺れが残ってしまいます。 ”ワウ” というのは文字通りワウワウいうような周期の大きな音揺れ、”フラッター” というのは周期の短い揺れで、これが大きいとビリビリ耳障りな音になります。

デジタル録音は基本的にこのワウフラッターが起こりません。 亡くなられたオーディオ評論家の高城重躬氏は、この極めて安定したデジタルによるレコードの音を初めて聴いた時、シューマンが初めてショパンを紹介した時の言葉になぞらえて、「諸君、脱帽したまえ。 天才が現れた」と、レコードを持参したコロムビアの広報担当者へ伝えられたそうです。

日本コロムビアがPCMを実用化して以来、他社も続々とデジタル録音に参入していきました。 「DIGITAL RECORDING」と誇らしげに記されたレコードがどんどん増えていったものです。 そしてそれは「高音質」というイメージを消費者へ与える、何だかとても夢のある未来技術の象徴でした。

レコードの歴史#7に続く

Words:Akira Sumiyama

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