レコードの電気吹き込みの実用化から10年と少したった1930年代頃、世界には世界恐慌よりも暗い影が覆い始めます。 第二次世界大戦です。 おびただしい人命が失われた悲惨な時代でしたが、戦争は同時に文明を大きく進歩させる原動力にもなるものです。 今回はオーディオライターの炭山アキラさんによる、レコードの歴史のお話です。
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第二次世界大戦が発展させた技術
当時のドイツでは、磁性を持った微粉末、具体的には酸化鉄の粉を糊でテープへ塗布し、それに音声の電気信号を磁気に変えて当ててやることで、画期的に周波数特性が広くノイズの少ない録音再生装置の開発が進んでいました。 AEG社が開発したマグネトフォン、後にいうテープレコーダーの原型です。
それまでの録音機というと、SP盤の収録を簡略化した円盤録音機と、鉄線に磁気で音を収めるワイヤーレコーダーくらいしか存在せず、どちらもノイズが多く収められる情報量が少ないものでした。 それらと比べて磁気テープによる録音は、劇的に情報量が多い画期的な発明でした。 戦争中の音楽録音も残されていますが、オリジナルのテープから起こしたLPやCDを聴いてみると、現代の録音より高音は少し聴こえづらいものの、現代録音とそれほど変わらない情報量が収められていてびっくりします。
録音機の技術はドイツで磨かれていましたが、同時期にアメリカでは高分子科学技術が大きな発展を遂げていました。 そこで生み出されたポリ塩化ビニール(塩化ビニル)は、戦後にレコード業界へ大変な変革を生み出します。 LPとシングル盤です。
「アルバム」レコードの発祥
「LP(Long Play)」は1948年にアメリカのコロムビア社から初めて発売されました。 直径30cmで基本的に33 1/3回転で回るレコード盤です。 一方、「シングル盤」は同じアメリカのRCAビクター社から1949年に発売開始されました。 直径17cmで45回転で回り、中心の穴が約4cmと大きい外観から「ドーナツ盤」とも呼ばれます。 なぜ、2種類のレコードが誕生したのでしょうか?
LPは最大で片面30分程度、シングル盤は5~8分程度の音楽を収めることができます。 それに対して、すでに流通していたSP盤の収録可能時間は、10インチ(25cm)のものでは3分、12インチ(30cm)のものは5分程度でした。 SPでもクラシックのシンフォニーなどは発売されていましたが、片面5分ということは、例えば演奏時間30分の楽曲なら、どんなに効率良く収めることができたとしても、3枚セットにしないと入らないことになります。
そのような多数の盤をまとめるのに、写真のアルバムとよく似た本型のジャケットが採用されたことから、これらは「アルバム」と呼ばれるようになりました。 今もLPレコードへ収められたアーティストの曲集をアルバムと呼びますが、これはその当時の名残です。
つまり、SP盤の収録時間をほぼそのままに小型化と高音質化を達成したのがシングル、長大なアルバム作品を1枚へ収めるために開発されたLPということになりますね。
時代はSP盤から、シングル盤とLP盤へ
LPとシングル盤は登場した当初、お互いの優位性を巡って激しく対立しましたが、共通の針先で再生できたことから、やがて共存の道が開けていきます。 レコードプレーヤーはSPの78回転に加えて、45回転と33 1/3回転が回せる製品が主流となり、ドーナツ盤の大きな穴にはアダプターが用意されました。 SPは針先に互換性がなく、アームの先端にあるツマミをくるりと回してSP用とLP/シングル用の針を替えられるプレーヤーが多く生産されました。
シングル盤の大きな穴は、レコードを何枚もまとめて聴くオートチェンジャー式のプレーヤーで活用されました。 収録曲数の少なさを、この方式で補おうとしたのですね。 ただしこのオートチェンジャー、日本ではあまり流行らなかったようです。
SP盤はシェラックという天然樹脂が主成分です。 これはラックカイガラムシという虫の分泌物で、高分子化学が発展するまではもっとも一般的な樹脂製品のひとつでした。
SP盤の音溝の幅は約0.1mm、LP盤やシングル盤はその半分の0.05mmほどです。 この音溝の細さは長時間収録に大きな役割を果たしています。 なぜLP/シングルの方が細い音溝にできたかといえば、やはり塩化ビニルという材質によるものです。
シェラック製のSP盤は柔軟性がないので割れやすく、あまり薄くできませんでした。 一方、塩化ビニル製のLP盤やEP盤は柔軟性があるので、落としても割れません。 (でも、落とすと傷だらけになる確率が高いので、取り扱いには気を付けて下さいね。 )引っくり返せば、固くてもろいシェラックではこの音溝幅がギリギリだったともいえますね。
こうして、レコードの主流はSPから急速にシングル盤とLPへ交代していきます。 LP発売から10年と少し、1960年代の初頭にほぼSPは生産を終了しました。
進化していく録音技術
現在の音楽ソフトは、ほぼ100%がまずは録音機でレコーディングをし、複雑な編集工程を経た後にパッケージ・ソフトや配信という形で世の中に出ます。 しかし戦前のSPレコードは、電気吹き込みでもその場の一発収録で音溝を刻んでいました。
歌謡曲の大歌手が新曲を吹き込む時には、今でいうスタジオ・ミュージシャンたちは「自分が失敗したら先生の録音がやり直しになる」と、スタジオ全体に大変な緊張が走ったそうです。 少ない回数でOKが出た際には、歌手から伴奏陣へご祝儀袋が渡されることもあったとか。
第二次大戦後、敗戦国のドイツからはさまざまな技術が戦勝国側へ流出しました。 世界初の弾道ミサイルを開発したフォン・ブラウンがアメリカへ渡り、アポロを月へ送り届けたサターンV型ロケットを設計したのは有名ですね。
録音機の技術もそうで、戦後アメリカへ持ち込まれ、そこで飛躍的に普及します。 特にレコード会社はどんどんテープレコーダーを購入し、失敗した演奏を消して録音し直すことが飛躍的に簡単となり、これで「一発録り」の苦労は解消されました。 楽器1本ずつ録音できるようになるマルチトラックのレコーダーや、収録されたトラック1本ずつを独立して調整できるマスター・コンソールなども続々開発され、音楽録音はどんどん進歩を続けていきます。
レコードの歴史#4に続く
Words:Akira Sumiyama