第二次世界大戦以降の技術発展により、音の再生はモノラルからステレオへと移行。 それに伴い、レコード盤への録音もステレオで刻まれるようになりました。 今回はオーディオライターの炭山アキラさんによる、レコードの歴史のお話です。

大戦がもたらした技術発展についてのお話はこちらから

偶然の発見により、音の再生はモノラルからステレオへ

1940年代の終わり頃に一般化した、LP盤とシングル盤といういわゆるヴァイナルのレコードと、テープ録音による収録の効率化によって、レコード産業は大きな発展を遂げます。 そこからさらに飛躍を遂げるには、1950年代の後半を待たなければなりませんでした。

今でこそ2本のスピーカーや両耳へあてがうヘッドホン/イヤホンによるステレオ再生は当たり前のことですが、SP時代にステレオの盤は(ごく実験的な試作品を除いて)ありませんでした。 しかし、ステレオの実験自体はずっと前から始められています。

世界で初めてのステレオ実験は1881年、パリで開催された電気博覧会の会場へ、2系統*の電話を使ってオペラ座で演奏された音楽を送信し、2系統の受話器を両耳に当てて聴く、というものでした。 世界初のステレオはヘッドホンだった、というのは驚きですね。

この「タイムマシンでもあったのか!?」と驚くくらい先駆的な実験は、全くの偶然から生まれました。 当時ようやく実用化され始めたばかりの電話というものを多くの人に知ってもらおうと、電気博覧会の出品者が多数の電話回線をオペラ座と会場の間に備え付けました。 準備中にちゃんと音声が聴こえているかを確認していた出品者が、時間節約のため両耳に受話器を当てた瞬間、魔法が起こったのです。 主催者は即座にそれを博覧会の目玉にすることを決定しました。

そんな極めて原始的なステレオでも、音を聴いた人の評価は大変好意的なものが多かったそうです。 今の電話でもいわゆるオーディオ用のスピーカーやヘッドホンに比べれば、ごくささやかな性能でしかありません。 まして電話そのものも実用化されたばかり。 今よりもかなり貧相な音質だったのは疑いようがありません。 それでも「何というイリュージョンだ!」と聴く人を感動させたというのですから、ステレオという方式自体の高い可能性は、早くも19世紀に予見されていた、といっても過言ではないでしょう。

*2系統というのは、 1本ずつ独立した線を通ってきた信号が 2本あることです。 ステレオなら 2系統、 4チャンネル・ステレオなら 4系統のラインを使用するということですね。

重なるステレオ再生実験の試行錯誤

本格的なステレオが実験されるようになったのは1930年代です。 当時の人気指揮者レオポルド・ストコフスキーが協力し、まずホールの演奏を2本のマイクで収録、そのままケーブルを延ばして別室の2本のスピーカーで聴く実験が行われました。 結果は非常に目覚ましいもので、スピーカー2本からまるでコンサートホールで聴くオーケストラそのままのような音楽が響き渡ったといいます。

オーケストラのイメージ

その後、マイクとスピーカーの数をどんどん増やす実験も行われ、最大で80本ものマイクとスピーカーを使った実験もなされますが、最後に残ったのは一般的な2チャンネルとその中央にもう1本のスピーカーを加えた格好の3チャンネルでした。 最終的には2チャンネルに集約していくのですが、ステレオ初期のマスター原盤には3チャンネル収録されたものが結構残っています。

その当時、SPのシェラック盤でもステレオを何とか商品化できないかと、幾つかの方式が試行錯誤されています。 そのひとつは、Y字型に先端が分かれたトーンアームと2つの針先で、盤面の外側と内側に刻まれた音溝から音楽を再生するというものでした。 しかしこの方式では、最大限効率的に盤面を使っても収録時間はモノラルの半分になる、外側に比べて内側の溝の音質が相対的に悪くなる、そしてアームを上手く下ろさないと隣接する音溝へ針先が下りてしまってまともに再生できなくなる、といったさまざまな問題が解決できず、試作で終わったようです。

ちなみにこの方式、LP盤とシングル盤が誕生した後の1952年代初頭に「バイノーラル盤」という名で発売されたことがありますが、かつてと全く同じ理由でヒットしませんでした。

SPのシェラック盤でもステレオを何とか商品化できないかと、幾つかの方式が試行錯誤された

もうひとつのアイデアは、1本の音溝にステレオの音声を収めるため、45度ずつの斜面を持つ音溝の左右それぞれに1チャンネルずつの信号を刻む方式です。 イギリスEMI社のエンジニア、アラン・ブラムレインが開発したもので、何とこれは現在のステレオレコードとほぼ同じ方式です。 開発されたのは1933年というから、もう90年も前に特許が取得されています。

しかし時代はまだSPの全盛期であり、シェラックの盤に繊細なステレオのカッティングができなかったのか、このブラムレインのステレオレコードは当時発売されませんでした。 残念ながら彼はステレオレコードの大発展を見ることなく、1942年に38歳の若さで飛行機事故によりこの世を去っています。

レコードのステレオ化

そういった試行錯誤の蓄積を最初に商品として開花させたのは、映画界でした。 1940年のディズニー映画「ファンタジア」が、世界初のステレオ音声を持つ映画として歴史に残っています。 その音声収録は、専用に開発された9トラックの録音システムで行われました。 映写用フィルムにサウンドトラックと同じ光学式の録音トラックを9本取れるようにして、9トラックをリアルタイムで収録していったようですね。 上映館では3チャンネルに編集された音声を流したそうですが、映像用のフィルムと音声のフィルムを同期させるのに難儀したという話が残っています。

クラシックの名曲にディズニーがアニメーション映像をつけた作品ですが、指揮を務めたのはまたしてもストコフスキーです。 彼は3年前の映画「オーケストラの少女」に本人役で出演していますし、本当に人気指揮者だったようですね。 また、前述のステレオ実験に参加していることからも分かりますが、新し物好きの人だったようでもあります。

そうやって着々とステレオの技術が蓄積されていき、戦後にはレコードもヴァイナル化されてシェラック製のSP盤よりも大幅に情報量がアップしました。 こうなると、レコードのステレオ化も当然求められてきます。

今も採用されている記録方式「45-45方式」、淘汰された「V-L方式」

ブラムレインが発明した、1本の音溝にステレオの音声を刻む方式は、実は2種類あります。 左右の斜面にそれぞれステレオの信号を刻む「45-45方式」と、横方向に和信号、縦方向に差信号を刻む「V-L方式」です。

V-L方式についてはちょっと説明が必要かもしれません。 ステレオの音声は、左(L)と右(R)の信号でできています。 それをモノラル化するなら、左右の信号を足し合わせればいいのですから、L+Rということになりますね。 これを「和信号」といいます。
それでは、モノラルとステレオの違いとはどういうものでしょうか。 それは「左右で違った音が入っている」部分ですね。 つまりL-Rが左側、R-Lが右側の”違い”の部分ということになります。 これを「差信号」といいます。

さて、和信号(L+R)にL-Rの差信号を足し合わせるとどうなるでしょう。 L+R+L-R=2L。 はい、左(L)の音声信号になります。 同様に和信号へR-Lを足すと右(R)の音声信号になるということです。 L-RとR-Lは互いにプラスとマイナスが違っているだけですから、同じ信号と見なせます。 それで、和信号を横方向、差信号を縦方向に刻む方式がV-L方式というわけです。

レコードのステレオ化にあたっては、アメリカのウェストレックス社が45-45方式を、イギリスの名門デッカ・レーベルがV-L方式を推し、紛糾します。 しかしこの両者、刻まれる音溝の形はほとんど変わらず、再生システムには完全な互換性がありました。

デッカやドイツのテレフンケンなどは当初V-L方式でステレオレコードを発売しましたが、世界で最も影響力の大きな全米レコード協会(RIAA)が45-45方式を採用したため、結果、V-L方式を採用した社は45-45方式に切り替えることとなりました。

レコードの歴史#5に続く

Words:Akira Sumiyama

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