瀬山葉子の肩書きは、マルチメディア・アーティストとセノグラファー(舞台美術家)。自分自身の作品も作れば、他者の為に劇場の舞台も作る。相反するような立場を行き来しながら、ヨーロッパを拠点にキャリアを重ね、その仕事は高い評価を受けてきた。個人で制作するアートと、コラボレーションを前提とするセノグラフィー、その両方を手掛けること、また、ヨーロッパで活動し、生活すること。それらから見えてくるのは何か、話を伺った。
セノグラファーという仕事
━まず、舞台美術について、実際どういうプロセスで出来上がるものなのか、具体的に説明していただけますか。
基本的に制作が決まって、全く新しい作品になるのか、元々ある作品を新作として発表するのかにもよるんですが、だいたい舞台美術は作るのに時間がかかるので、制作が決まった段階から私は作業を始めます。それからコンセプトを決めて、模型を作ってプレゼンをして、プレゼンが通れば、そのまま制作部とのミーティングが始まり、工場がある場合は何回か行ったりして、だいたい十日から二週間くらい前に作ってきたものすべてを劇場に持って行きます。そこでセット・マウンティングって言うんですけど、すべて組み立てていって、組み立てができたら照明を作り始めて、その段階くらいから演者の人たちが入ってきます。その人たちは何か月も前からリハーサル室で練習してきたことを舞台でやり始めて、その時に照明、音響も含めてリハーサルを始めて、初日までのだいたい一週間くらい、とにかく毎日、朝から晩までリハーサルをやるという感じです。
━かなり長い期間かかるものなんですね。
その時々にもよりますけど、今やっているのはいろんな事情があって、二年間くらいかかってますね。最短で二、三ヶ月の時もあって、その場合は最初のコンセプトを練る段階からものすごく忙しくて、二週間くらいで全部詰めていかないと作るのが間に合わなかったりします。その時々、国によっても、ちょっとずつ違いますね。
━今、まさに舞台美術の準備の為にロシアに滞在されていますが、その舞台は今まで手掛けてきた中でも規模が大きいものなのでしょうか?
そうですね。私にとっては特徴的なプロジェクトで、ミュージカルをやるのが初めてで、『ミス・サイゴン』という昔から有名な作品をやるのも初めてです。これまではコンテンポラリー・ダンス等全く新しいものか、せいぜいオペラやバレエの昔から作られてきたものを私のアイデアで作っていくというのが多かったですけど、今回の場合ライセンス、つまりストーリーがあるのでそれを必ず守っていかなくてはならないんです。最初にデザインを提案した段階では劇場側にとても喜んでいただいたのですが、ライセンスの問題で、ロンドンのプロデューサーのところで何か月かストップしてしまって、ロシアの劇場のディレクターがロンドンに行って説得して、全部はやり直さなかったんですけど、去年の年末の段階で二週間で新しい提案をしてほしいということで、そこからまたやり始めましたね。年末ぎりぎりのクリスマスにライセンスが取れたんです。それで喜んでいた最中にコロナで、5月に予定していたのは中止になってしまいました。実は今もヨーロッパでは劇場が閉まっていて、新しい作品はほとんどやっていないんですけど、二年もかけてやってきたことなので終わらせたいというのもあり、本当は外国人はロシアに入国できないところを特別に入国書類を取ったんです。
作品制作と舞台美術とのバランスとキャリア
━瀬山さんの作品『Plane Scape』をTodaysArt.JPで見ました。ご自分の作品を作っていくことと、舞台美術をやることは、どう両立されているのでしょうか?
私の中では両方できれば嬉しいと思っていて、片方になってしまうと結構辛くなってしまう。いろんな制限があって、例えば舞台の場合はアーティストや音楽、ディレクター、振り付けが関わってたり、制限がある中でサディスティックに自分をどういう風に表現しようかなっていうのを試行錯誤してます。自分はそういうのが好きで、舞台上で私一人だと作れないような大きなものが完成していくプロセスが好きなんですけど、自分の自由度は限られていきますし、本当だったらこうしたいなっていうのを自分の作品の中では表現していますね。
Plane Scape 2015 from Yoko Seyama on Vimeo.
━元々、舞台美術には関心があったのでしょうか?
月並みですが、小さいときにバレエを始めて、何となく違うなって思い始めたときに、モーリス・ベジャールという振付家の舞台を14歳くらいの時に日本で見たんです。赤い円卓のところに一人のダンサーが立ってエネルギッシュに踊っていて、それまでやっていたのは綺麗なバレエだったんですけど、ベジャールを見たときにショックを受けました。円卓と照明で確立してしまうんだと。私が今まで知らなかったコンテンポラリーというものが世界にはきっとあるんじゃないかと感じて、舞台そのものは好きなんですけど、自分は外から俯瞰して見る方がいいなって思ったんです。全体像を見ながら、それがどういう風になるんだろうって、そういうことの方が自分は合ってるんじゃないかって思い始めたんですね。何となく気がついたら、美大の建築科に行き着いて、インスタレーションを作っていて、このまま続けていても建築家になってうまくいかないだろうと思い、とりあえずヨーロッパに飛び出てしまったんです。
━建築を専攻しようと思ったのも、全体を俯瞰して見るという興味からですか?
俯瞰して、模型や素材、造形を構築していくこととか、必要なものは何だろうっていうのを考えるのが好きで、そこは共通してるし、今もその当時勉強してきたことはそのままにあると思いますね。
━海外に行くというのは、ハードルの高い、大変なことではなかったのですか?
やっちゃったって感じです(笑)。アルバイトでお世話になった建築事務所があって、そこから卒業したら来ないかというお話をいただいて、ありがたかったんですけど、このまま続けていたら駄目なんじゃないかと思って、卒業制作でパフォーマンスを作ったんですが、教授にこれは評価できませんと言われてしまって。建築とは違ったっていうのもあるんですけど、そう言われつつも、自分の中では自信を持ってやり切った感覚があって、そのパフォーマンスに両親を呼んだら何か感じ取ってくれたものがあったようで、卒業旅行じゃないですけどお金を出してくれて、それで海外旅行みたいな感覚で行ったら、それ以来帰ってこなくて(笑)。
━その時以来、基本的にはヨーロッパにいることが多い暮らしだったのですか?
最初は旅行者として行って、それで移り住むことになって、学校を受けて、その時は英語が話せなくって、ちゃんとできなきゃだめだっていうことで今度は語学留学っていうことで、いろんな理由を作ってたので、日本に帰っているのは数か月に一度でしたね。最終的に初めのアムステルダムのリートフェルト・アカデミーの舞台美術科に入るまでは、ヨーロッパには行っては帰ってきてという生活をしていました。
━ヨーロッパは彼方此方行かれたのですか?
一番初めはコンテンポラリー・ダンスが盛んなオランダやベルギーですね。今の旦那になるんですけど、ウィリアム・フォーサイスとかイリ・キリアンとか、当時のコンテンポラリー・ダンスの振付家に関わっていた作曲家がオランダを中心に活動していたので、とりあえずオランダに行って、点々といろいろなものを見て決めようと思って、イギリス、オランダ、ベルギー、その辺りが中心です。
━舞台美術の学校から、すんなりとセノグラファーになったのですか?
最初に舞台美術をやろうと思って、それが理由で舞台美術の学校に行ったんですけど、面白くなくて辞めて、そのあとに子どもができたりして、自分の活動をどうしようか迷っていた時に、アート・サイエンスっていうオランダのデンハーグにある王立アカデミーにマスターコースがあって、デザイナーじゃなくてアーティストを育てる学校だったので、そこで少しずつリサーチしていく中で作品を作ることをやり始めて、気が付いたら自分のものを作り始めてました。アート・サイエンスに入ってからは水を得た魚じゃないですけど、ちゃんとした作品を作る活動を始めたのはその頃からですね。それで『Plane Scape』も含めて、今やっていることにも繋がっていきます。
創作、アイデアとユニークなポジション
━アート・サイエンスで、特に印象に残ったことはありますか?
建築もデザインも、その場でどういうデザインが必要なんだろうってことを私が提案していくっていうやり方だったんですけど、アートは違うんだということをある先生から言われて、はっと気づいて。美大だったのでアートのことは考えていたつもりなんですけど、「綺麗なものを作るんじゃない、綺麗じゃなくていいんだよ」と言われたことは今でも時々考えますね。
━瀬山さんのサイトに、「私のアイデアは、多くの場合、自然または工業的な素材から生まれます」と書かれてますが、それはどの制作でも基本にあるのでしょうか?
そうですね。舞台美術で使われるような素材はできれば使いたくないというよりは、今まで見なかったようなものをそこで見たら新鮮なんじゃないかっていうことを常に考えてます。建築の事務所で働いているとしたら工業廃棄物とか、いろんな素材に常に触れていたいというか、新しいものもそうですけど、もうちょっと自分が素材に触れられる環境にいたいかなって最近思ってます。
━セノグラファーと呼ばれている他の方々と、自分が違うというところはありますか?
イギリスやドイツではセノグラファーの団体みたいなのがあると思うんですけど、私は所属もしてないし、舞台美術の学校も行ったけど終わらせたわけでもない。ドイツだったら大学に行って、教授がいて、その繋がりから業界に入っていく美術家が多いと思うんですけど、私はそういうやり方をしてきてないし、だから、他の人と違う位置にいるっていうのは何となく気付いてはいて、私みたいなアジア人の女性でこの位置にいるっていうのは珍しいとは思いますね。
━セノグラフィーをやっていて、アーティストでもある人は割といるのですか?
どうなんでしょう。アーティストでたまに舞台をするヤン・ファーブルとか、あとマリーナ・アブラモヴィッチ。そういうたまに舞台を作る人はいます。だけど逆に舞台美術家でアート作品を作るっていうのはもしかしたらそんなには多くないかもしれないですね。私も自分がどっちの位置にいるのかは、分からなかったりします。
ヨーロッパで活動すること
━ヨーロッパの舞台の仕事は、規模も予算も、日本と比べものにならないくらいの大きいものですか?
それは100%そうだと言えますね。ヨーロッパは舞台芸術というものは歴史的にもそうですし、文化として国からのサポートというところでも、もう全然違います。
━瀬山さんは今は基本的にベルリン在住ですよね?
はい、アパートに住んでいて、子どもがいます。
━ドイツの音楽家から、国からの補助を受けたりできるという話をよく聞きますが、アーティストに対しての国やベルリンという都市からのサポートに関してお話を伺いたいです。
ベルリンもそうですし、ドイツ自体が芸術に対しての意識が政治の中でも絶対語られることなので、例えばいい例を挙げるとすれば、このコロナの状況の中で舞台芸術をやっている劇場は閉じてしまっているけど、働いている人たちには給与は100%支払われるんです。これは政府が出しているので、制作側は文句を言わずに、再開したらどうしようかなということも試行錯誤しながら、生活はそれほど支障なくやれています。いろんなサポートがあるんですけど、ロックダウンした三月になった段階で、フリーランス、個人でやっているアーティストは申請すればすぐに5000€もらえる。自分は経済的に苦しいですとか言わなくてもいい。メルケル首相はとにかく配るのが大事っていう考えを持っているので、芸術を絶やしてはいけないという危機感が国自体にありますね。
━それは、外国からドイツに来た人に対しても、アーティストであれば同じように手厚くサポートしてくれるのですか?
そうですね。基本的に平等で、ドイツを基盤にして活動している人には一律にという感じです。
━瀬山さんは、海外から来たアーティスト、セノグラファーとして、ヨーロッパの社会に入っていくので苦労したことはありましたか?
多分苦労するのはどこに行っても一緒かなっていう感覚はありますし、アートは競争する世界ですけど、セノグラファーって正直競争する相手がいなくて、お仕事いただく際も私の立ち位置を分かって呼んでくださる方が多いので、そこはありがたいですね。他のセノグラファーじゃなくて、あえて私を呼んでくださるっていうのはありがたいと思いながらやってます。ただアートに関しては、国とか関係なく面白いことをやっていれば呼ばれますね。
“音”を捉える
━瀬山さんの作品にとって、音も大切な要素だと思います。『Plane Scape』ではサラウンドで鳴っているサウンドが印象的でしたが、音、音楽に関してはどう考えていますか?
私は元々すごく音楽音痴で、音楽を聴くということをしてこなくて、好きな音楽のジャンルとか訊かれるのが怖くて、だから訊かないでください(笑)。何もない音、つまり無音ですね、そういう状況が好きです。作品を制作するにあたって、私はどうしても視覚的なものから入っていくので、最終的にできたものが音が出てしまうもの、例えばモーターを使ったり、何か動かしたときに出る音とか、私は音を構成することができないから、そのままそういった音を使えばいいんじゃないのか、そういうのが自分のモチべーションにあって制作をしていますね。サウンド・アーティストがそれを見て、「面白いね」って言ってくれる時にコラボレーションが成立すると思っていて、私の音に新しい音を乗せてくれた時に、ああ面白いなっていう感覚になりますね。動くものとか動かすものを作ることが多いので、それに対して音を作る人はそこを見ながらどの音を乗せるというのを考えるから、コラボレーションとしてサウンドアートができるというのはあります。
━先ほど言っていた素材に対する興味にも通じる、素材そのものがあるから出る音、動きから出てくる音で十分ということでしょうか?
個人的にですけど、自分が音楽を聴く際、強制的な感覚を身体が覚えてしまって、なのでいわゆる環境音楽が良いのかなって。そこで起きているハプニング的な、そういったものから音楽として成立させていくアーティストは素晴らしいなと感じますね。それこそジョン・ケージとか、そういうアーティストは共感できると言ったらおこがましいですけど、素晴らしいし憧れですね。
━では、好きな音楽は伺いませんが(笑)、サウンドアートとして、音の使い方が良かったと思えるものはありますか?
ローリー・アンダーソンを、家で夫がかけていて、あ、これ嫌じゃないって思ったのが最初なんですけど、それで彼女がパフォーマンスでオランダに来ていたこともあって、その時も嫌じゃないなって思った一人ですね。
━音に関して、瀬山さんから希望を出すことはありますか?
私の中で負い目ではないですけど、音ができる人じゃないっていう感覚があるので、言うこと自体おこがましいというか、評価することもおこがましいんです。だから我慢することが多くて、例えば今ミュージカルをやっているんですけど、最初ちょっと耐えられないと思ったんです。
━どこが耐えられないと思ったのですか?
とにかく言葉を音にして歌うっていうことが気持ち悪すぎて(笑)、舞台美術をやっているのに矛盾してるんですけど、小さいときからミュージカルとか宝塚がとにかく嫌だっていう感じで。オペラも嫌ですね。オペラはそこで何が行われてるのかわからなくて、バレエやダンスはしゃべらないのでありがたいっていうのがあって、私の中では言葉っていうのが音楽になるっていうことが割と苦手っていうのがありますね。ここで銃の音が鳴ったり、電話が鳴ったりします!っていうのがダメで(笑)。
日本的、ミニマリズムと作家性
━しかし、そういう舞台の仕事のオファーが、どんどん瀬山さんのところに来ているのは、どういう部分が評価されてると思いますか?
皆さん言うんですけど、Yokoが作るものはミニマルだと。そぎ落とすじゃないですけど、余計なものは置きたくないっていう感覚は無感覚でもやっていて、私の中ではアディング(adding)っていうんでしょうか、それはやっているつもりではあるんですけど、周りからはこんなミニマルなもの見たことないと。私はフォルムとか構造体で遊ぶのが好きなので、そういう部分で日本っぽいと評価されているのかなと思います。
━音楽の世界だと、ここ数年、日本の音楽を遡って再評価する動きが海外でありますが、アートの世界、あるいは舞台美術の世界で、日本に関して関心が寄せられるようなことはありますか?
非常にあります。評価されている日本人アーティストの先駆者から、恩恵を授かっているなっていうのはありますね。ファインアートの日本人と、他で活動している日本人と線を引けるんじゃないかという話を、この前知り合いのアーティストとして、日本のファインアートの人はアウトサイダー的な感じで、ちょっと評価の路線がズレているのは感じましたね。
━日本の音楽も、前まで西洋の基準に合わない、エクストリームな音楽がまず評価されていたのが、西洋のメソッドに則っている音楽も評価されるようになってきたのかもしれません。
それは嬉しいですよね。ヨーロッパはヨーロッパの文化がありますから、それに日本人が関わっていくときに生まれる違和感があると思うんですけど、それが自然になってきているというか、日本が西洋化して、日本だけじゃなく、ヨーロッパ自体も独自の持っている文化から離れていってる感じもあると思いますし、それが融合していってるというのはもしかしたらあるかもしれないですね。
━今ロシアでやられている仕事の次に予定されていることは?
コロナの影響で、夏前のものがキャンセルになって、二つ初日を迎えられなかったものがあって、一つはドイツで、もう一つはカナダなんですが、それを来年できたらいいなとは思ってます。あと今、ウズベキスタンの話が来ていて、来年の9月になるかもしれないですけど、それも舞台です。
━このインタビュー・シリーズは、「超越」という共通したテーマがあります。瀬山さんの表現にとって、「超越」ということはどんな意味を持っているのか訊かせてください。
今の段階では超越してるとはとても思えないんですけど、私みたいな位置付けでセノグラファーやアーティストをやっている人ってあんまりいないなとは感じていて、多分このままずっと活動し続けていたら、どこかの段階で他の人が経験してこなかったことを私が経験するようになるんじゃないかと、最近感じ始めてます。修行じゃないですけど、とにかく続けていくこと、どこかのタイミングで、例えば日本に行くときに、日本で経験できなかったことをこっちで経験できているので、何か自分としてできる役割があるんじゃないかとか、あるいはヨーロッパで、他のセノグラファーやアーティストとは違うものを見てくれて評価してくれる場合もあるので、とにかく続けることが大事なのかなと。超越できたらいいですね!(笑)
Words:Masaaki Hara