クラシック音楽を聴いていると、「なぜ同じ曲ばかり演奏されるの?」と疑問に思ったことはありませんか?ポップスやロックのように新曲が次々と生まれるわけではなく、ベートーヴェンやモーツァルトの名曲が何度も演奏され続けています。

実はクラシック音楽では 「同じ曲でも、演奏するたびに違う魅力が生まれる」 のが大きな特徴です。指揮者や演奏者の解釈、楽器の違い、時代の変化によって、同じ曲でも聴こえ方が変わります。今回はクラシック音楽が繰り返し演奏される理由とその魅力について、音楽家、録音エンジニア、オーディオ評論家の生形三郎さんに解説していただきました。

クラシックの名曲は何世紀にもわたって愛され、演奏され続けている

クラシック音楽の世界は、ある意味で不思議な世界と言えるかもしれません。なぜならば、世界中で皆が皆、同じ曲ばかりを演奏するからです。名曲をアレンジしたりカバーするならまだしも、全く同じ楽譜、つまりは全く同じバージョンを演奏するから不思議です。

とはいえクラシックも、昔は、今のポップスなどと同じく、作曲者の自演が主流という時代がありました。それは、現代の定番とも言えるベートーヴェンやショパンなどが存命だった時代です。その後、クラシック音楽は、名曲と呼ばれるものが業界全体で選ばれていったり、遥か昔に作曲され埋もれていた、過去の作品の中から名作を探し出されたりして、現代のレパートリーとして語り継がれていくことになります。

従って、その殿堂に加わらんとして作曲されたこれまでの曲の数々が凄すぎることや、数百年という長い時間をかけ詳細な吟味を経てレパートリー化されてきたという経緯があるため、それを超えるものが出てくるのが難しいという理由があります。


クラシック音楽は、西洋ならではの合理的な発展思考のもと、時代を追うごとに次々と新しいアプローチが生み出されて新たな曲が作られてきました。その結果、「一般の聴衆」というと語弊があるかもしれませんが、例えばドビュッシーのピアノ曲のように、特にクラシックに親しんでいなくとも「美しい」とか「名曲」と感じるような曲調で作られた曲は、20世紀に入るくらいで出し尽くされたと言えます。

なぜなら、さらに新しいアプローチを用いようとすれば、理論を駆使した、自ずと前衛的な作品にならざるを得ず、「一般の聴衆」にとっては難解になっていき、多くの人に親しまれ得るレパートリーとしては成立しずらくなるからです。

加えて、厳密な審美的な観点から言えば、過去に、既に誰かが実践したアプローチで似たような音楽を作っても、先行して作られたものよりも価値が出にくいことも理由の一つです。

同じだからこそ、違いを楽しむ

以上の理由によって、結局、同じ曲をひたすら演奏することになってしまうのでしょう。

もちろん、新しく作られた曲も演奏される機会は沢山あります。ですが、やはりそれがメインストリームになることは難しいので、やはりクラシックは、「古典=クラシック」としての名作を演奏することになります。

しかしながら、逆にそれこそがクラシックの醍醐味のひとつです。数百年受け継がれてきた楽曲の完成度が極めて高いため、演奏の違い、すなわち演奏する人がそれをどう解釈するのかという違いだけでも、強度のある多彩な広がりが生まれるのです。

また、どの演奏家やオーケストラ、指揮者が演奏するのかによって、違いが出てきます。さらには、使っている楽器や楽器編成が異なるという違いからも、曲の聴こえ方が変わってきます。


例えば、「パッヘルベルのカノン」という有名な曲があります。

この曲は、もともとは「バロック時代」と呼ばれる、三百年ほど前の時代に作曲されたものです。その間、時代に伴って楽器や楽器編成も大きく進化してきました。よく知られた演奏では、現代の楽器を使った大きなオーケストラ編成で演奏されるものが一般的です。一方で、バロック時代に使われていたであろう楽器を復元して演奏に用いたり、さらに当時に想定されていたもっと小規模な楽器編成で演奏したものもあります。

このように、時代に伴って進化してきた楽器や編成の違いによって、楽曲の雰囲気がガラリと変わる楽しさもあります。

加えて、時代によって奏法も異なってきます。「ピリオド奏法」と呼ばれる作曲当時の演奏スタイルでは、現代の奏法では一般的である、音を伸ばすときに細かく音程を揺らす「ヴィブラート」をかけないで演奏したり、一音一音を滑らかに繋げずに切って演奏したりと、奏法自体が異なります。

すると、同じ曲でも全く別モノに聴こえる場合もあり、今までその曲に持っていた印象がガラリと変わってしまうのです。その結果、自分にとってしっくりくる録音や演奏が見つかったりします。その時の喜びもまた格別なのです。


さらには、録音物として残っているこの100年くらいの音源の中でも、蓄音機の時代の演奏解釈と、現代の演奏解釈では、根本的な演奏解釈自体が全く異なってきます。

このように、同じ曲を演奏するのにも、きちんとした楽譜がありながら、ほぼ無限のバリエーションが出てくるのが、クラシックの楽しいところなのです。

個人的には、例えば、日本で生まれ育った邦人演奏家による演奏は、どこか親近感のある間のとり方やフレージング、強弱の付け方などがあり、作品の魅力を解釈しやすく、その作品の作曲家の入門に好適と私は感じます。逆もまた然りで、自分の感覚と全く異なる解釈の演奏によって、忘れがたい強烈なインパクトを受けることもあります。

ぜひ、一度、同じ曲の様々な演奏の違いを聴いてみると面白いですよ。今はサブスクで瞬時に比較ができますので、ぜひ試してみてください。

Words:Saburo Ubukata

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