この広い地球には、旅好きしか知らない、ならぬ、音好きしか知らないローカルな場所がある。そこからは、その都市や街の有り様と現在地が独特なビートとともに見えてくる。
音好きたちの仕事、生活、ライフスタイルに根ざす地元スポットから、地球のもうひとつのリアルないまと歩き方を探っていこう。今回は、中国の香港へ。
ドリーミーなサウンドに溶け込む、バターみたいにとろける歌声。香港出身のシンガーソングライター兼プロデューサー、Cehrylが自分の部屋で作るDIYベッドルーム・ポップは耳に心地良い。
ボストンとロサンゼルスでの暮らしを経て、 香港に戻ったのは3年前。
「香港での生活に慣れるまでは数ヶ月かかった。でも住みはじめて2年がたったいま、戻ってきて本当によかったって思うの」。地元の街と彼女の音楽生活から、香港のリアルな歩き方を覗こう。
夜分遅くにこんばんは。
やっほー。作業してたから部屋がグチャグチャ。
ベッドルームアーティストの部屋を見られるなんてラッキーです。Cehrylの楽曲は全部そこで作られているんですね?
ぜ~んぶここから。作業は部屋でできちゃうから、わざわざ高いお金を払ってスタジオに行かなくてもいいかなって。それに、香港にはスタジオが少ない。私は夜遅くに詩を書くことも多いし、自分の部屋の方が都合がよくって。
そんなお部屋をバックグラウンドに。今日はよろしくお願いします。
よろしくね。実はもう10年くらいオーディオテクニカのヘッドホンATH-M50xを愛用してる。もう手放せないくらい、好き。
オーテクユーザーだったとは! 光栄です。では早速いろいろ聞いていきましょう。Cehrylは香港で生まれ育ち、2014年にバークリー音楽大学に進学。その後ロサンゼルスでスタジオ・エンジニアをしながらアーティストのキャリアを積んで、2019年に香港に戻ります。以来、香港を拠点に活動中。米国で暮らしてからの香港、どう感じましたか。
最初は、米国を離れるのが悲しかった。米国には約7年住んでいたから、仲の良い友だちはみんなロサンゼルスにいたし。だから、香港は「ただ家族が住んでいる」というだけで、自分が居るべき場所ではないのでは? とすら感じていた。だから、香港での生活に慣れるまでは数ヶ月かかった。住みはじめて2年がたったいま、戻ってきて本当によかったって思う。
香港といえば、2019年-2020年香港民主化デモが記憶に新しい。まだ不定の印象がありますが、Cehrylから見たいまの香港ってどんな感じなんだろう。
最近こういう質問をされると、間違ったことは言いたくないから公で多くを話すことは躊躇してしまう…これって自己検閲だよね、悲しい気持ちになってしまうよ。香港は、過去と比べてすごく変わった。過去3年でたくさんのものを失ったし、新しいポリシーもたくさんできた。そして、パンデミックが発生した。自分が育った頃の自分の知っている香港はもう二度と戻ってこないと思う。暗い話になっちゃうけど、これが現実。
香港の若者カルチャーについても教えてください。
イケてると思うよ。正直ね、ロサンゼルスに住んでいた頃は「香港には何もない。商業的志向が強く、全然クリエイティブじゃない」って過小評価してた。でも戻ってきて自分が間違ってたことに気づいたんだ。目を凝らせば、確かにクリエイティブシーンは息づいてる。
生まれ育った街と、いま住んでいる街は同じ?
同じ。すっごく静かで平和なエリア。近くに競馬場がある(笑)。観光客や地元の若者で賑わう中心エリア、銅鑼湾(どらわん)にもかなり近い。銅鑼湾は日本でいう原宿みたいなエリアかな? ちなみに祖父も昔からずーっと同じ通りに住んでる。香港はすっごく小さいから。
香港の面積は北海道の札幌市とほぼ同じ。ぎゅっとなっていそうなインディーミュージックシーン、気になります。
ザッと25から35人くらいのインディーバンドやインディーアーティストがいるんだけど、みんなイケてる。他にも(私の知らない)若いベッドルームアーティストはいるんじゃないかな?
ロサンゼルスと比べてどう?
ロサンゼルスは人口が多いから、ミュージシャン人口も香港より圧倒的に多い。真剣に音楽に向き合う人もいれば、なかには「有名になりたいから」や「クールだから」という理由でやってる人も多かった。一方で、香港で出会ったアーティストは、純粋に音楽を愛し本気で取り組んでいる人が多い印象。
デモがインディーシーンにあたえた影響ってあるんでしょうか。
ある。自分のプラットフォームを通して政治的なことについて話すミュージシャンたちが逮捕されている。勇気があるミュージシャンたちは公に声をあげ続けているけど、私たちの多くは、身の安全を守るために自己検閲している状態。
ミュージックシーンのなかにも厳しい取り締まりがあるんだ。いま、行きつけのライブハウスやクラブはある?
「Chez Trente」。多分フランス語かな? ここはベニューというかクラブというか、なんていうか、ミステリアスなところ。ピアノを弾いたりドラムを叩いたりと、大音量で音楽を演奏できる。もちろんお酒も飲めるよ。小さい場所だけど、友だちの家みたいで居心地が良い。
音楽好きが集う秘密基地みたいな?
そうだね! 遊びに来る人はみんな、音楽とお喋りが大好きないい人ばかり。
あと、これは「Soho House」。私が立っているステージ、実はプールなの! カバーを敷いたプールの上でライブしたんだ。
それは貴重な体験。観客との距離も近いし、アドレナリンがガンガンでそう。
私、実はシャイなんだ(照)。だから大きなベニューでライブする方が好き。その方が観客との距離が遠いし、表情も見えないから。
パフォーマンスはシャイネスを一切感じさせませんよ。そういえば昨年、東京のインディレーベルTYP!CALから初のアナログ盤がでましたね。アートワークは80年代の邦楽レコードジャケットを思わせるような、ノスタルジックでレトロなデザイン。いい味だしてます。
ありがとう。デザインは私が自分で。せっかく東京のレーベルから出すんだし、タイトルを日本語で表記するといいんじゃないかなって。
シンガーだけでなく、ソングライターやプロデューサー業もこなすシェリル。多忙な日々を送ってると思うけど、疲れたときに行きたくなる癒しスポットとかはある?
「Victoria Park」内を歩くのが好き。私の家とボーイフレンドの家の中間に位置するから、丁度いいんだ。
海沿いで友達とチルするのも心が癒されそうです。
みて、これ。「West Kowloon Art Park」。2019年にオープンした新しい公園。海沿いだから気持ちがいいんだ。すぐ近くにはM+という美術館もあって、私は行ったことがないけど「香港でいま一番ホットな美術館」って言われてるよ。
行きつけのレストランも知りたいな。
友達に「海外の友だちが香港に遊びに来たらどのレストランに連れて行く?」って聞くでしょう。そしたらみんな口を揃えて「日本食レストラン」って言うよ(笑)
おぉ、日本食は人気なんですね。Cehrylの好きな日本食レストランは?
焼き鳥屋「Nantei Yakitori」!ここの焼き鳥は最高。財布に優しい寿司のチェーン店といえば「Genki Sushi」。安いのに美味しいから大好き。
日本食以外だったら?
2つある。ひとつはタイ人の家族が経営するタイ料理屋「The Spice House」。でも1月に閉店しちゃったんだ。どのメニューも美味しかったから、悲しい。もうひとつは、マクドナルド。
えっ(笑)
香港のマクドナルドは美味しいよ〜。米国のとは新鮮さがね、もう全然違う。材料が違うせいか質もいいし味もグッド。ライブの後って荷物も多くていつも疲れ切ってるから、マクドナルドで済ませることが多いかも。なんといっても香港限定メニューのフライドチキンMcWingsが最高なんだ。
日本にも限定メニュー、月見バーガーやグラコロ、てりたまなんかがあります。
米国のメニューはいつも同じだけど、アジアではその国限定のスペシャルメニューがあるのがいいよね。
ね。ザ・香港っぽいレストランも、知りたいなあ。
香港B級グルメ代表の焼味飯が食べられる「Cloud View Chinese BBQ Congee Needle Restaurant」だね。ご飯の上にタレを絡めた焼豚をのせたもの。私が通ってた高校の近くにある。
あとは「Chop Chop」の焼味飯と「Yung’s Roast Goose Restaurant」のブラックペッパー焼豚も絶品。
自炊する際に食材を買いに行く、行きつけのスーパーはありますか?
スーパーではなく、ストリートによくある市場(香港ではこれらを「Wet markets」と呼ぶ)に行く。ここで売られる果物や野菜はスーパーのより安いし新鮮。プラスチック包装されてないのもいいよね。カラフルだしいつも活気に溢れているから、人間観察がてら歩き回るのが好きなんだ。
へえ〜。Cehrylが思う香港特有のカルチャーとは?
香港は英国の植民地だったこともあって、食べ物と建築がユニーク。個人的には公用語の広東語を話す人が減っているのが悲しい。難しい言語だから謙遜されがちだけど、広東語にはたくさんのユーモアがあるから私は大好き。あとは、ネオンサイン!
ネオンサインといえば、これ、CehrylのInstagramでよく見ます。
これは質屋の看板。湾仔(わんし)という地区にあるんだ。いい感じでしょう?
香港シネマを彷彿させるノスタルジックなサイン。
香港の日常的な光景が大好きなんだ。人が密集していて、忙しなくて、いろんなことがいろんなところで起こっている感じ。思わずシャッターを切りたくなるような情景が、毎日目に入ってくる。写真としては美しくないかもしれないけど、それぞれにちゃんとストーリーがある。
Cehrylは香港映画界の鬼才ウォン・カーウァイ監督の大ファンだと耳にしました。Cehrylがのせているのも、『ブエノスアイレス』や『恋する惑星』の世界っぽいね。
ありがとう、光栄だなぁ。香港はどこをとってもフォトジェニックな街。私は、薄暗くなってから撮るのが趣があって好き。ベストは日没直前の午後5時くらい。少し青みがかって、真っ暗ではない時間帯。
覚えておきます。最後に、観光地ではないけど「香港を感じられるローカルスポット」、教えてください。
商工業地区の深水埗(しんすいほ)。昔から問屋工場が軒を連ねていて、いまも激安問屋が並ぶ、香港の歴史が詰まった下町エリア。でもジェントリフィケーションが進んでいるから、いまどきのカフェもたくさん増えてきた。観光客に人気のエリアといえばお洒落な店が溢れるソーホー地区だけど、もし海外の友だちが遊びに来たら、私は絶対に深水埗に連れて行く。
「昔ながら」を感じる香港のエリア。行ってみたい。
深水埗といえば、品揃えがいいレコ屋「White Noise Records」があるよ。私はレコードプレーヤーを持っていないけど、猫がいるからよく行く。
猫に会えるレコ屋、いいですね。部屋には機材がたくさんあると思うけど、よく行く音楽機材屋さんを、最後に教えて。
家の近所の「Tom Lee Music」には結構立ち寄る。香港で一番大きい機材屋なんだ。でも行く度に機材をいろいろいじくってるから、店員によく思われてない気がする…っていうのはここだけの話ね。
Cehryl/シェリル
1996年香港生まれ、シンガー、ソングライター、プロデューサーをこなすベッドルームアーティスト。2014年にバークリー音楽大学に進学。その後ロサンゼルスでスタジオ・エンジニアをしながらアーティストのキャリアをスタート。2019年から香港を拠点に活動中。2021年には東京のインディレーベルTYP!CALから初のアナログ盤をリリース。ノスタルジックでチルアウトなサウンドが癖になる『Moon Eyes』と、キャッチーなハンドクラップと透き通った美声の融合が心地良い『Hide n Seek』の2曲を収録。
All Images via Cehryl
Words: Yu Takamichi(HEAPS)