中古VHSに収められた音や映像をサンプリングしながらメロウでエキゾチックな音楽を生み出してきたVIDEOTAPEMUSIC(ビデオテープミュージック)。 近年、彼は各地域に一定期間滞在し、地域の歴史や物語を音に変換する滞在制作を各地で繰り返している。 新作『Revisit』は、2019年以降のそうした試みをまとめた作品集だ。
群馬県館林市、長崎県長崎市野母崎、高知県須崎市、長野県塩尻市、佐賀県嬉野市、そしてVIDEOTAPEMUSICの出身地からも近い多摩湖(東京都東大和市)。 本作は各地で録音されたフィールドレコーディング音源や現地で採集したさまざまな音素材、それらからインスパイアされたメロディーとリズムが渾然一体となりながら、アンビエント的な音世界が淡く広がっている。
本作はまた、160ページものブックレットとカセットテープからなるカセットブックという形態でもリリースされる。 80年代の一時期、こうしたカセットブックは各社から発表されていたが、忘れ去られつつあったそのフォーマットをオマージュしたリリース形態には、現在の聴取環境に対するVIDEOTAPEMUSICの意識も反映されている。
地域や風土をキーワードとするVIDEOTAPEMUSICの新たな試み。 その背景にあるものについて話を聞いた。
希薄だった「地域」への意識が変化していくきっかけ
滞在制作を始める前の話から始めたいんですが、VIDEOさんは活動初期、地域や風土に対してどのような意識を持っていたのでしょうか。
ライヴで全国へ行くようになるまでは、旅行すらほとんどしたことがなくて。 旅行はお金持ちのやることだと思ってました(笑)。 僕は東京の郊外に一生暮らして、ここで仕事を見つけ、死んでいくんだろうと。 地域に対する意識も希薄だったし、他の土地のことは映画や本、音楽で知るものだったんですよ。
フィールドレコーディング音源を素材とした作品制作は活動初期からやっていましたが、2017年のアルバム『ON THE AIR』以降、音の背景や文脈も強く意識するようになりましたよね。
そうですね。 『世界各国の夜』(2015年)から『ON THE AIR』の間ぐらいの時期、自分が使っている音素材がどのような文脈の上で成り立っているのか、以前よりも意識するようになりました。 明確なきっかけがあったわけではなくて、徐々に意識せざるを得なくなってきた感じではあるんですが。
滞在制作という方法に取り組むようになったのは、ライヴで各地を訪れるようになったことがきっかけだったそうですね。
ある時期からいろんな土地でライヴをやらせてもらうようになったんですけど、直行直帰みたいな感じでその土地を訪れるのがちょっと嫌になってきちゃったんですよ。 人とコミュニケーションをとってる感じがしなくて。 それで時間が許す限り、自腹で延泊するなどしてその街を見るようになったのが始まりです。
じゃあ、最初は制作と直接結びついていたわけではなかった?
そうですね。 「知らない街でVHSやレコードを探したい」とか「その土地のものを食べたい」とか、最初にあったのは単純な興味だったんですよ。 だから、制作自体は自分の関心から派生した副産物みたいなものだったのかも。
あと、滞在制作以前、遠征先で無駄に数日間過ごした結果、曲ができたこともあって。 たとえば「Fiction Romance」(『ON THE AIR』収録)なんかは、曲のタイトルで悩んでいたとき、高松で「フィクションロマンス」という落書きを見て、それをタイトルにしました。 そうしたら地元の人たちが喜んでくれて、次のライヴのときはその落書きをフライヤーのデザインに使ってくれたり。 遠征先で一定の時間を過ごすことで曲ができることもあるんだなという感覚はありました。
初めての滞在制作へと向かわせた「疲れ」の根底にあったもの
今回の作品に繋がる話でいえば、2020年3月、映像ディレクターの天野大地さんに誘われて群馬県館林市で滞在制作をしたのが最初の取り組みですよね。
そうですね。 前回のアルバム(2019年の『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』)を出したころのインタビューで翌年の展望を聞かれたんですよ。 当時はまだコロナの影もないころで、2020年は東京オリンピックでやかましくなりそうな気がしていたんですよね。 そのムードに対して自分にはどこか居心地の悪いものがあって、「東京を離れていろんなところで制作やライヴをしたい」と話したんです。 それを読んだ天野監督が僕に「こういう話があるんですけど、やってみませんか」と声をかけてくれたんですよ。
最初は「東京を離れる」ことが目的としてあった、と。
それもありました。 あと、せっかくライヴでいろんな街に行って関係性もできたし、東京にたくさんの人を集めて派手なことをやるのではなく、僕が向こうに行ったほうがいろんなことができると思って。 あと、そのころ正直疲れてきたところもあって、全然違う作り方をしてみたかったんです。
何に疲れていたんですか?
(所属レーベル〈カクバリズム〉の代表である)角張さんの前で言うのもあれですけど(笑)、その時はライヴ会場の規模を大きくしていくことに思うところがあって。 自分のやりたい音楽に見合った空間の規模を考えると、やみくもに活動を大きくしていくことを目指さずに、ちょっと立ち止まりたい気持ちはありました。 大きい空間で鳴らされることを想定した音楽よりも、小さな空間で聴くような音楽の方が圧倒的に好きなんですよ。 天井が高くて大きく映像を投影できる会場でやるのも楽しいので、一概に言えないところはもちろんあるのですが。
あと、『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』で海外のアーティストとコラボレーションしたことも大きかった。 あのアルバムに参加してくれた海外のアーティストとはデータのやりとりのみで作業して、それに対して自分でも成果は大きかったし可能性はたくさん感じたけど、韓国のキム・ナウン(Kim Na Eun)に関しては以前から関係性があったうえに、リリース後にソウルに会いに行ってMVも作ったことで、できあがったものに対しては特に大きな充実感があったんです。 彼女の書いた歌詞にも出てくるソウルの漢江沿いをひたすら自分の足で歩き回って映像を撮影して、一緒にカムジャタンを食べて、たくさん話して、効率的じゃなかったとしても、そうやってじっくり作る時間が自分には必要だと思えたんです。
不特定多数を相手にした大きなコミュニケーションではなく、個人同士の小さなコミュニケーションのイメージ?
そうですね。 規模の円周を広げていくやり方より、各地にいろんな「点」を作っていくやり方のほうが自分には向いてるのかなと思っていました。
「奪っていくだけ」ではなく、より深い関係性を築くために
ただ、館林に入った2020年3月以降、コロナが感染拡大していくわけですが、その結果現地で滞在制作ができない状況になっていくわけですね。
そうなんですよ。 本当は館林にも何回かに分けて滞在して、自分なりに接点を探っていきたかったんですけど、途中から現地に行けなくなってしまった。 それでリモートで取材しながら、いろんな音を録音させてもらって曲にしました。 そのなかでも「Spring Fever」というおもしろい曲ができたんですけど、どうしても未練が残ってしまって。
それで今回のタイトルに示されているように、一度訪れた場所を「Revisit=再訪」することがテーマになっていったわけですね。
そうですね。 作品としてはリモートでもおもしろいものを作れたけど、現地の方々との関係性としてはよそよそしいまま終わってしまったわけで、あまり納得がいってない。 ちょっとしたコミュニケーションだけで「館林」と名のつくものを作ってしまうことの罪悪感もありました。
あと、最初は「音の素材を集めにいこう」という軽い気持ちでその土地を訪れるわけですけど、そこに住んでいる人がいることを深く考えず、勝手に「素材」といって録音しにいく行為の問題に気づいていくんです。 ただ自分が奪っているだけに感じてしまって。
外部の研究者がある地域に入っていくうえでの問題点に関しては、文化人類学や民俗学のフィールドワークでもたびたび指摘されますよね。
僕も最初は気軽な気持ちで館林に行ってたわけですけど、出会った人たちがその後コロナで苦しんでるのを目の当たりにしてしまうと、もう無関係ではいられなくなってしまうんですよね。 ましてやコロナ禍によって、それまで以上に各地域が抱える問題が可視化されて、そこに直面する場面が多かった気がします。 そうなると自分自身が楽しいというモチベーションだけじゃどこかで行き詰まってしまうんですよね。
たとえば、天野さんがもともとロヒンギャ難民のドキュメンタリーを撮っていた縁でロヒンギャの方にも会ったんですけど、難民として認定をされず仮放免状態の方も多く、彼らは保険証がないので、仮にコロナに感染したら高額すぎて治療も受けられないんですよね。 だからこちら側も気楽に会いに行くこともためらわれる。 あのころは物流への影響も大きかったからハラルフードが手に入れられなかったり。 それってロヒンギャの人たちにとっては死活問題なんですよ。 もちろん館林だけじゃなく、自分はその地域とどう関わるべきなのかを悩んでしまう瞬間は各地でありました。
滞在制作における楽曲が生まれるまでのプロセス
滞在制作の場合、どのようなプロセスで制作を進めていくことが多いのでしょうか。
「こういう曲を作りたい」という自分のイメージを先行してしまうと、その先入観でしかその土地を捉えられなくなってしまう気はして、できるだけ設計図を書かないようにしようとしてます。 「こういうものを作りたいから、こういう音を録りに行こう」とは考えないで、行きたい場所・会いたい人のことを優先しして、その途中で見た風景をまずは丁寧に記録することからですね。 ただ、設計図がないこともあって、制作には過去で一番時間がかかったと思います。
メロディーやビートはどの段階で出てくるんですか。
それはもう感覚的にしっくり来るまでひたすらこねくり回す作業というか。 フィールドレコーディング音源から発想することもあるし、その方法自体も固められなかった。 だから本当に効率の悪いやり方だったと思います。
地域の物語をどうやって音に変換するか、そこでの試行錯誤が繰り返されてきたわけですよね。 たとえば、館林や近隣の大泉にはブラジルからの移民が数多く住んでいるわけですけど、今回の作品では館林の国道沿いのハードオフで買った80年代のカシオトーンが使われています。 カシオトーンに入っていたプリセットのボサノバのリズムの上に大泉のライヴで見たパゴージのメロディーが重ね合わされていて、何重にも括弧つきの「ブラジル」が音で表されている。 こういう音楽の作り方があるのか、と驚かされました。
「とにかく情報量の多いものを作りたい」というコンセプトはあったかもしれない。 何か一つのジャンルに当てはめて「この場所はこんな感じです」と簡単に言い切りたくなかったんですよ。 ただ、情報量が多くても、そのまま音数が多くてうるさい音楽にするのではなくて、表面的な聴こえ方はアンビエント的なものにしたくて。 自分が見てきた風景もそういうものだったと思うんです。 ちょっとした風景のなかにも見えない情報がたくさん隠れていて、それを音に変換している感覚というか。 そういう情報量が多いけど静かな音楽というイメージは今回のマスタリングをしてくれたChihei Hatakeyamaさんにも伝えていました。
だから、自分の思想は詰まっているけど、風景画のイメージもありました。 壁のシミひとつ描くにしても、シミのできた理由まで知ったうえじゃないと描けないと思ってるんですよ。
今なぜカセットブックという形式を選んだのか
今回、160ページのブックレットとカセットテープからなるカセットブックという形式でのリリースになったのはなぜなのでしょうか。
ものすごく情報量が詰まった音なので、それを可視化したようなブックレットを作れないかとは思っていました。 スタッフみんなでアイデアを出していくうちに「それって昔あったカセットブックのフォーマットじゃん」ってことに気づいたんですよ。
今回も『夜想 音像版2 上海星屑』(1983年)や矢口博康『観光地楽団』(1984年)を持ってきていただいていますが、カセットブックは80年代によく出てましたよね。
こういうカセットブックってCDが普及するまでは結構リリースされてたんですけど、90年代に入るとリリース量が減るんですよね。 なおかつ今回はVHSサイズのパッケージにカセットとブックレットが収められた形態にしました。 今作では各地で収集したプライベートなホームビデオを曲作りに使わせてもらうことも多かったのですが、ほとんどはVHS全盛期である80年代中盤から90年代前半のもので、それらにとことん向き合ったことで、今まで以上に同時期に流行したものに焦点があってきたんですよね。 その流れで制作の機材もできるだけその時期ものを使うようにしていたので、こういうフォーマットとの相性もいいかなと思ったんですよ。
最近はどういう機材を使っているんですか。
70年代のRoland RE-201みたいなアナログのテープエコーではなくて、あえて80年代後半にでたRolandのRE-3っていうデジタルのエコーを多用しましたね。 あとは90年代中期のBOSSのドラムマシンとか。 基本は安い機材です。 もともと好きでよく使っていたんですけど、より意識的に使うようになりました。 当然のように当時のVHSからサンプリングした音と組み合わせると相性も良いし、サンプリングと打ち込みの境界も曖昧になって自分はしっくりくるんですよ。
ただそこに関しては、当時の質感を再現するツールとして使うのではなく、同じツールでも時代や使う人が違えばまったく違うものが生まれるんじゃないかと思っていて、あくまで現代の感覚で使おうと意識しています。
カセットブックも今の感覚でデザインしたら全然違うものが生まれるんじゃないかと。 「決して当時の雰囲気をオマージュするのではなく、ビジュアル自体は今のモードでやってほしい」ということは今回のアートディレクターをやってくれた坂脇慶さんにもお願いしました。
ブックレットも読み応えがありますよね。 VIDEOさんの滞在記録も紀行文としての味わいがあって、読んでいると土地の風土が立ち上がってくるような感覚があります。
ありがとうございます。 全然曲と関係ないこと、たとえばその日に何を食べたとか、そういう情報を書くことも意味があるんじゃないかと。 無駄な情報も含めた作品にしないと意味がないんじゃないかと思っていました。
ここにあるカセットブックもブックレットを読みながら聴くと聴こえ方が全然違うんですよ。 読んでから聴いて、聴いてからまた読むという行き来をすることで、音の解像度がだんだん上がっていくんです。
ありとあらゆる音を簡単に再生できるサブスク全盛の時代、あえてこういうものを作ったところもあるのでしょうか。
サブスクだけじゃないですけどね。 本や映画でもスタンプラリー的にタスクをこなすように消費されることもあると思うし、フェスだってちょっとずつ観て回ったことで(ライヴを)観たことにされてしまう。 そういうものに対する抵抗なのかもしれない。
今回は多摩湖を題材に書き下ろされた楽曲2曲が収められてますよね。 2023年12月、渋谷WWWで開催された単独公演「UNDER THE LAKE」でも演奏されていましたが、日本各地を回ったVIDEOさんはなぜ幼少時代からよく知る多摩湖に戻ったのでしょうか。
子供のころから多摩湖の場所にかつて村があったことは聞かされていたんですよ。 子供たちのあいだでは入水自殺した人の幽霊が出るとも言われていて、肝試しによく行っていました。
(1916年から1927年にかけて)多摩湖が作られるとき、立ち退きに最後まで抵抗した村民数人が居座った丘があって、現在も水位が下がるとその丘が湖面に出てきて渡り鳥が休んでるんですよ。 そこが強情島と呼ばれていることは大人になってから知りました。 土地は失われてしまったけれど、必死に抵抗したことで名前だけは残った。 そのエピソードが最近の自分にはちょっと感じるものがあって。
とはいえ住む場所を奪われた人の悲しい話を美談のようにしたいわけでもないので、どのように語るかは悩みました。 そもそも僕自身が故郷だと思っていた土地だって、もっと古くから暮らしていた誰かを立ち退かせたことで成り立っていたという事でもあるし、多摩湖の話はこうして各地のことを作品にする中で考え続けている問題とも繋がっていると思えたのかもしれないです。
単に「湖底に沈んだ村の悲しい歴史」を描くのではなく、渡り鳥が羽を休める場所としての強情島のイメージに結びつけているところにも「地域の歴史をどう語るのか」という点に対する現在のVIDEOさんの姿勢が表れているように感じます。
もちろんどう語るかというのはずっと模索している部分でもあるんですけどね。 ただ、こういうことはライフワークとして続けていきたいと思っています。 今後も『Revisit 2』『Revisit 3』と続いていくかもしれないし、このアルバムもあくまで現時点での着地というか、現状報告みたいな感覚なんです。
VIDEOTAPEMUSIC
ミュージシャンであり、映像ディレクター。 失われつつある映像メディアであるVHSテープを各地で収集し、それを素材にして音楽や映像の作品を作ることが多い。 VHSの映像とピアニカを使ってライブをするほか、映像ディレクターとして数々のミュージシャンのMVやVJなども手掛ける。 近年では日本国内の様々な土地でフィールドワークを行いながらの作品制作や、個人宅に眠るプライベートなホームビデオのみを用いたプロジェクト「湖底」名義でのパフォーマンスも行っている。 2015年の2ndアルバム『世界各国の夜』以降、カクバリズムから多数の音源作品をリリース。 その他にも国内外のレーベルからリリースされた作品多数。
Interview & Text:Hajime Oishi
Photography:Kentaro Oshio
Edit:Takahiro Fujikawa