都会的でアダルトな雰囲気の洗練されたジャケット・デザイン。 ポルトガル語と思しきタイトル。 即興演奏によるアンビエント・テイストのサウンド。 「なんだ、そういう音楽か」と既存の脳内フォルダに振り分けようとした途端、しかし、ジャケットに描かれているのが天ぷら蕎麦であることに気づいて愕然とする。 何かがおかしい。 タイトルもいくら調べても出てこない造語だ。 いったいこれは何なのか——。

ドラマー/サックス奏者としてこれまで多数の現場で活動し、シンガーソングライターとしても作品を発表するほか、整体師/気功師の顔も持つあだち麗三郎が、ベーシストの高橋佳輝、ピアニストの髙野なつみとともに新たなアンビエント・グループ「Vasola Punte(ヴァソラ・プンテ)」を結成した。 今年6月にはセルフタイトルのファースト・アルバムをリリース。 トリオ・インプロヴィゼーションが織り成す色彩の滲むような音の変化は、本人たちの言によれば「あなたを眠りに誘い、その隙にちょっとだけより良い世界に近づける」とのことだが、世に蔓延る癒し系のヒーリング・ミュージックとは明らかに何かが異なっている。 Vasola Punteとは何なのか、そして彼ら彼女らが求めるアンビエントとは何か——あだち麗三郎、高橋佳輝、髙野なつみの三人に話を訊いた。

左脳を経由しない音楽——Vasola Punteの成り立ち

なぜ今、新たにアンビエント・グループを結成したのでしょうか?

あだち:5年ぐらい前からですが、左脳を経由しないで右脳にダイレクトに音を届けたほうが、音楽で伝えられるメッセージの容量みたいなものが大きいなと感じていて。 言語を介さないほうが聴く人の脳に強く届くなと。 それで言葉がない、歌がない音楽に取り組みたいと思っていました。 ただ、インストでもジャズのようなスタイルだと、やっぱりルールがあるので、そのルールの中で聴く人の左脳が働いてしまう。 左脳によるスクリーニングを通さずに右脳に直接届く音楽は何かと考えたときに、アンビエント的なものがぴったりだなと。 もちろん僕自身、アンビエント・ミュージックが好きで聴いていたというのもあるんですけど、そういう流れで自分のソロ作品の中にアンビエント的な要素を入れるようになって、いつか本格的にアンビエントに取り組みたいと思っていました。 でも一人でやるのも違うなと感じていた頃、ちょうど(高橋)佳輝くんとなっちゃん(髙野なつみ)に出会えて、この二人とだったらできそうだということで結成に至りました。

あだち麗三郎
あだち麗三郎

三人が出会った経緯についてもお訊きしたいのですが、あだちさんと高橋さんはどのように知り合ったのですか?

あだち:「細井徳太郎とタコ足イヤホンズ」というバンドがあって、そこに僕はドラム、佳輝くんはベースで参加しているんです。 タコ足イヤホンズはライブごとにメンバーが変わる編成で、ベースがマーティ・ホロベックさん、ドラムが石若駿さんのこともあるんですけど、僕と佳輝くんが一緒にやる日もあって。 そこで知り合ったのが最初ですね。

グループを結成するにあたって、ベーシストの中でも高橋さんに声をかけたのはなぜでしたか?

あだち:佳輝くんの音の世界がすごく色彩的というか、彼のベースを聴いたときにものすごい色や光が見えてきて。 それがまさに、左脳を介さないで共感覚的に脳にダイレクトに入ってくるタイプの音だったので、とても美しいと思い、誘うことにしました。

高橋さんとしては、今回アンビエント・グループに声をかけられて、どのように思いましたか?

高橋:あだちさんと出会ったときに色々な話をして、面白い人だなと思ってアルバムを聴いてみたら、アンビエントとは全然違う世界観のものをやっていたんですけど、基本的な枠組みはそういうものの中にある人なのかなと感じました。 だからアンビエント・グループをやると聞いたときは、特に意外ではなく、あだちさんらしいと思いましたね。

僕自身は実はアンビエント的なものにはずっと興味を持っていて。 1日1〜2個ぐらいアンビエント的なトラックを作っていました。 それがついに誰かと一緒にできるということで、あだちさんに声をかけていただいてとても嬉しかったです。

高橋佳輝
高橋佳輝

ずっと孤独に作り続けていたと。

高橋:遡れば子供の頃からそうでした。 クラシックピアノもやっていたんですけど、ある日MTRを買って最初にやったことは、ハサミのカチャカチャいう音や机を叩いた音なんかを録音することで。 本能的にそういうフリーフォームに近い作り方からスタートしたんです。 それを一人でドキドキしながらやっていて、誰にも言えない秘密みたいな(笑)。

あだち:性癖みたいな感じだよね(笑)。

高橋:そう、めっちゃ性癖ですね(笑)。 だから、それが同時進行していた感じです。 音楽理論の勉強をしながら、その裏面にあるような癖(ヘキ)をいつか表に出したいという願望はずっとありました。

髙野さんとあだちさんの出会いは、どういう経緯ですか?

あだち:古い友人であり、静岡の三島にある「ラーメンやんぐ」という地域カルチャー牽引ショップの店主から「三島に天才がいるから紹介したい」と言われて会いました。 実際、演奏を聴いて「天才だ!」と思いました。で、彼女がソロ作品を作りたいということで僕にエンジニアとして声をかけてくれて録音やミックスで初めて、一緒に作業しました。

それが髙野さんのソロ作『くう』(2023)になったんですね。 髙野さんはなぜ、『くう』のエンジニアをあだちさんに依頼したのでしょうか?

髙野:私はまだちゃんとした形で世に作品を出していなかったので、そろそろアルバムを作ろうかなと思い始めていた頃に、あだちさんに出会って。 スマホで録音した音源を送ってみたんです。 そしたら「すごくいいね!」と言ってくださって。 それで安心して、録音をお願いしました。 あだちさんの接し方や佇まいから、シンパシーを抱いていたのもあります。

それと、初めて出会ったとき、あだちさんに整体をやってもらったんですよ。 あだちさん、整体師でもあるので。 それまで私、他人に体を触られることが苦手で、マッサージもほぼ行ったことがことがなかったんです。 けれど、整体を受けたときにあだちさんに「面白いね」って言われて。 それで、体を触っただけで面白いって言う人が面白いなと思っちゃって(笑)。 不思議な人だなぁと思いつつ、なんだかとても心地がよく過ごせて、同じ空間にいても嫌な感じがしなかったので、録音も頼みたいと思いました。

髙野なつみ
髙野なつみ

グループのメンバーとしてあだちさんが髙野さんに声をかけたのは、なぜでしたか?

あだち:今なっちゃんが言ったように、一緒にいて嫌な感じがないというのは僕からしても大きかったです。 かつ、演奏を聴いてめちゃくちゃ集中力がすごいなと思ったこともありました。 変性意識状態に入るのがすごい。 音を出した瞬間に一気に空間を変えられるタイプのピアニストなので、それもやっぱり、左脳を通さずにガーンって聴く人に音楽を届けられる強さがあるなと思ったんです。

人が揃った時点で、それはもう作曲

髙野さんはグループに誘われたとき、どう思いましたか?

髙野:グループに誘われるというより、「今度ベーシストを連れてくるから、音を出して遊ぼう」みたいなノリだったんですよ。 私の家は山の上にあって天井が高くて、そこで録音をしようということになって。 グループを結成するという認識はありませんでした。 よしきさんともその日が初対面だったので、その日の録音がアルバムになるとは正直思っていませんでした。

高橋:僕も聞かされてなくて、三島に向かう道中の車の中であだちさんから「今から行くところに髙野なつみというピアニストがいる。 きっと合うと思う」って言われたんですよ(笑)。 どんな人がいるのか、人数すら知らなかったですからね。 とりあえずベースとエフェクターボードを持ってきて、と言われて。 それで三島に到着して、なっちゃんと出会ってからまだ1時間ぐらい、お昼を一緒に食べただけで距離感もわからない状態でレコーディングが始まって。

あだち:変に前情報を入れないでいたほうが面白いんじゃないかと思ったからね(笑)。 偶発的なものを引き出すのは楽しいじゃないですか。 あと僕は、音楽って人間が揃った時点で、それはもう作曲と同義だと思っているんです。 そこに著作権が生まれてもいいぐらい。 いろいろなバンドをやったり見聞きしたりしてきたので、人間が揃った時点でどんな音が出るのかは、なんとなくわかるんですよ。 だからこの三人が揃えばこういう音が出るからめっちゃ素晴らしいなって、会った瞬間にわかっていた。 それは曲を作っているのと一緒で。

特に即興で演奏するとなると、メンバーは非常に重要になりますよね。

あだち:そうそう。 人と人の関係性や、その人の持っているもの、世界の捉え方とかが、とても大事になってくる。 アウトプットとして具現化されたものが曲であったり音であったりするだけというように思っているんです。

ヤン富田のボリュームの絞り方で号泣。 アンビエントにまつわる原体験と関心領域

ところで三人にとって、今振り返るとアンビエント的だったと思う原体験みたいなものはありますか?

高橋:なんだろう……でも原体験で言ったら、音楽というより、子供の頃に熱を出して感覚がおかしくなった状態が近い体験かもしれないです。 そのときに、いつも見ているものが全部古い写真で撮ったようになるというか、全てがスローになるというか。 それが子供の頃になんだか音楽的だなと思ったことはあります。

髙野:私も子供の頃の話ですけど、誰もいない教室に朝早く行ってみたり、放課後も残ってみたりして、空間に何かを感じていたというか、そこに浸るのが好きだったんですね。 それはアンビエント的だったのかも。 あとは団地に行って人の生活音を聴いていたりするのはいまだに好きです。 蛇口をひねる音とか誰かのお母さんの声とかが聞こえてくると、人間が生きているんだなぁと、音から見える景色を想像したり。

あだち:僕はヤン富田さんがすごく好きで、10年ぐらい前に原美術館の庭園でやったライブを観に行ったんです。 そのライブの最後で、流していたトラックのボリュームを絞っていって。 ヤンさんはよくライブしながら解説をするんですけど、そのときもボリュームを絞りながら解説していて、「この絞り方が大事なの。 ここで違う音の世界が始まるから」って。 そしたら、ずっと普通に音楽を聴いている耳だったのが、徐々に蝉の声が聞こえてきたり、車の音や街の音が聞こえてきたりして、「うわ、すげえ!」って感動して号泣しちゃったんですよね。 あれはとてもアンビエント的な体験だった気がします。


アンビエント的なものがある一方で、音楽ジャンルとしてのアンビエント・ミュージックもありますが、そうしたジャンルとはどういうふうに出会いましたか?

あだち:やっぱりヤンさんが大好きなので、そこは入り口になったかなあ。 でも、昔からECM系の作品も好きで、20歳ぐらいの頃からいろいろと聴いていましたね。 それで言うと、キース・ジャレット(Keith Jarrett)のインタビュー本があって、グルジェフ*の話が出てきたり、意識の変容みたいなことについて語っているのがすごく面白かった。 そこからはすごく影響を受けました。

*ゲオルギー・グルジェフ:「ベルゼブブが孫に与える物語」(1950年)、「注目すべき人々との出会い」(1964年)などの著書で知られるソ連の神秘主義運動家。

高橋:僕はブライアン・イーノ(Brian Eno)とハロルド・バッド(Harold Budd)のアルバムとかが好きなんですが、そういうのを好きになったきっかけはスティーヴ・ライヒ(Steve Reich)の「Electric Counterpoint」なんですよね。 ミニマルに繰り返されるけどジワーッと変化していく音が好きで。 そこからイーノを知って、手当たり次第に掘っていきました。 でもその中でちょうどいいバランスだなと若い頃に思ったのは、Fonica*の『Ripple』(2002)というアルバムです。 それはすごく好きでいまだに聴いています。

*Fonica:杉本佳一とCHEASONによる二人組ユニット

髙野:私はクラシックピアノを通ってきたので、アカデミックなことは身につけてきたんですけど、アンビエント・ミュージックはあまり聴いてこなくて。 だからアンビエントが何なのかハッキリと分からず、ただ数年前から気になってはいたので、コロナ禍前に開催された「CAMP Off-Tone」というアンビエント系の野外フェスに行ってみたんです。

少しは踊れるパーティー寄りのフェスかと思っていたら、じっくりと3日間が過ぎていって、衝撃を受けました。 それでアンビエントと呼ばれる音楽をどんな姿勢で聴けばいいんだろうと調べたりしているうちに、私がやっていることもわりとアンビエントの部類に入るのかなと思い始めました。

岡田拓郎、松丸契、ジャジューカ——気になるアンビエント的アプローチ

特に2010年代後半頃から、アンビエントというワードはさまざまな場所で目にするようになりましたよね。 最近のアーティストや作品で、アンビエントやそれに隣接する音楽で気になる人物はいらっしゃいますか?

あだち:岡田拓郎くんの一昨年出た『Betsu No Jikan』を聴いてかっこいいなと思いました。 以前、大友良英さんがラジオでローランド・カーク(Roland Kirk)のことを「記号的ではなく記憶的」と表現していて、すごくいい言い方だと思ったんですけど、岡田くんの音楽も「記憶的な音楽」という印象を受けました。

高橋:僕は、友人でもあるんですけど松丸契というサックス奏者がいて、彼のソロ・セットが好きなんです。 50分のセットを2回ずつやったことがあって、なんと言ったらいいか、聴くというより「体験した」という感覚。 松丸契の演奏は「こうしてやろう」みたいな作為的なところがあまりなくて、自然な流れで音を出しているんですけど、でもどこか俯瞰していて時間軸をちゃんと構成していく。 だからショーとしても面白い。 アンビエントとはちょっと違うのかもしれないですけど、それに隣接する魅力を感じました。 とにかく感動しましたね。

髙野:最近のアーティストとはちょっと違うかもしれないですけど、昨年と今年とモロッコのジャジャーカ村へ行ったんですね。 そこで伝統的な音楽を演奏しているマスターミュージシャンと言われる方たちの演奏や踊りを見て、彼らの音楽が大地に響いていると感じたんです。

音楽というか音が波動として地球に響いているというか。 そのときに笛や太鼓の音そのものは大きく激しいんですけど、アンビエントと共通するものを感じました。 自分と自然の境界線がなくなっていく感覚というか。 それに気づけてとても感動しました。

あだち:やっぱり三人ともわりと同じことを考えているんですね。 現実感の境界線が揺らぐような感覚をアンビエント的なものとして捉えている。 だからやっぱり、この三人でグループが組めてよかった(笑)。

プレイヤーとしてアンビエント的な音楽に取り組むにあたって、それぞれインスピレーションを得た楽器奏者などはいらっしゃいますか?

高橋:ベーシストではないですけど、クリスチャン・フェネス(Christian Fennesz)からはとても影響を受けました。 ギターをデバイスのような入力装置として扱うというやり方は参考にしています。

あだち:僕はサックスだとジョン・ルーリー(John Lurie)かなあ。 彼がジョン・ルーリー・ナショナル・オーケストラ名義で出している音源があって、三人組のバンドなのに国立オーケストラを自称しているギャグ感も好きなんですけど(笑)、その音はVasola Punteにもちょっと似ているところがあるかなと。

髙野:私は、中学生の頃、作曲家の吉松隆さんの「鳥のいる間奏曲」というピアノ独奏曲を弾いた体験が確実に今につながっている気がします。 こんなふうにピアノで鳥の声を表現していいんだと衝撃を受けて。 あとは坂本龍一さんの演奏する姿から、すごく勇気をもらいましたね。 残響音や倍音の混ざり具合というか、一音一音の響きを恐れずに自分が納得するまで追い求めていいんだと思って。

髙野さん所有の「鳥のいる間奏曲」の譜面
髙野さん所有の「鳥のいる間奏曲」の譜面

シリアスかユーモアか、集中かぼんやりか……アンビエントが問う“聴き方”

アルバム『Vasola Punte』は、レコーディング後にオーバーダブやエディットは施していないですよね?

あだち:ほぼしていないですね。 長めに録った音源を切ったぐらいです。

即興のセッションが収録されていますが、最初におっしゃっていた「右脳に直接訴えかける音楽」というアイデアは、具体的にはどういうふうに三人で共有していったのでしょうか?

あだち:特にあまり説明はしていなくて、この二人を誘った時点でこうなるだろうという確信はあったので。 ただ、かっちりした方向に行かないようにしようとは思っていて、例えば「なっちゃんの好きな食べ物は何?」って聞いて、「ジャガイモです」と言われたので、「じゃあジャガイモをテーマにしてやりましょう」みたいな感じでレコーディングしたりはしました。

髙野:あとすごく印象的だったのが、レコーディングを始めるときにあだちさんが「僕は天ぷら蕎麦が好きで……」みたいなことを言い出して。 「なぜ好きかというと、天ぷらが時間の経過とともに染みていき……」と言いかけたところで急に無言になって演奏を始めるという(笑)。 でも三人の演奏が時間の経過とともに溶けていった感じもして、まさに天ぷらみたいでおもしろいなと思った。

グループ名でもある6曲目の「Vasola Punte」って、最初はてっきりポルトガル語か何かかと思ったんですけど、これ逆から読むと「テンプラソバ」ですよね?

あだち:そうそう(笑)。

2曲目の「OMIAGAJ」も「ジャガイモ」で、他の曲名も同じような言葉遊びになってます。 曲名は後づけで演奏内容とは特に関係ないと思っていたのですが、モチーフにもなっていたんですね。

あだち:あ、いや、曲名にそのまま残っているのは「ジャガイモ」だけですね。 天ぷら蕎麦の話から始めたセッションは15分ぐらい録って3分割しているので。 あとはたとえば、カニクリームコロッケをお題に演奏したけど曲名は別のものにしていたり。

なるほど。 ちなみに「ベニショウガ」の4曲目「Ga-ohs-nie-be」は、この曲だけピアノとベースがなくて高橋さんと髙野さんがパーカッションを叩いていますね。

あだち:僕がバラフォンとガムランを用意したんです。 サックス、ベース、ピアノの編成で何曲か録ったので、ちょっと変えてみようと思って。 佳輝くんもなっちゃんも初めて叩くというから、使ったことのない楽器でやってみるのも面白そうだなと。

アルバム・ジャケットも最初パッと見たときに都会的で洗練された印象を受けたんですが、よく見たら天ぷら蕎麦で。 してやられたと言いますか(笑)。 こういったユーモアについては、音に関してはいかがでしょうか? あくまでもジャケットやタイトルにユーモアを盛り込んだだけなのか、それとも音に関しても背景に笑いの要素を仕込んでいたりするのでしょうか。

あだち:音に関しては特に考えてないかなあ。

高橋:でも後から聴き返してみて、「満を持してサックスが出てきました!」みたいな場面は笑っちゃいましたけどね(笑)。

髙野:そうそう、笑っちゃう(笑)。 なんだかあだちさんがそもそもギャグだなとは思う。

高橋:それはめちゃくちゃあるね。

髙野:存在がギャグなんです。

一同:(笑)。

あだち:そうだよね。 人生をギャグにしたい、ギャグという観点から人生を捉えていたいので。 それは音楽と真剣に向き合わないということではなくて、めちゃくちゃ真剣に向き合った上でギャグとして昇華するみたいな。 「真剣」という言葉の枠をもっと広げてもいいんじゃないか。

高橋:それはありますね。 アンビエント・ミュージックというジャンルのいちファンとしては、真剣に聴いたり、いろいろな作品をチェックしたりしますけど、いざ我々がやるとなるとシリアスなアンビエント・ミュージックにはなり得ないですからね。 でもそれはそれで「真剣」に取り組んでいるんですよ。


聴き方にも、真剣に集中して聴く聴き方がある一方で、ぼんやりと薄目を開けるように聴く聴き方がありますよね。 流し聴きのような聴き方はネガティヴに捉えられがちですが、特にアンビエント・ミュージックだと、ぼんやりとした聴取だからこそ感じ取れるものもあるような気がします。 集中して聴くのではない、薄ぼんやりと聴くような聴取の仕方について、三人はどのように捉えていますか?

髙野:うーん、でも、音楽をどこで流して聴くにしても、その空間には絶対に違う音も鳴っているじゃないですか。 だからそれらも含めて感じ取れるぐらいの状態で聴くのも楽しめるなとは思います。 特にVasola Punteのアルバムとか、私個人の作品もそうですけど、収録されている音プラスαで聴くのも面白いんじゃないかって。

高橋:僕も、なっちゃんが言ったみたいに、楽曲の中だけで完結しているという考えではないですね。 基本的に今いる空間の音がメインになるというか。 個人的な話になりますが、最近引越しをして、道路沿いの家で暮らすようになったんですよ。 そうすると、どうしても車の音とかが聞こえてくるんです。 そこで今、自分のアルバムを作っていて、聴き返したりしたときにそういう環境音が聞こえてきても合うんです。 それはVasola Punteのアルバムも同じというか。

あだち:聴き方に関しても概念を少し変えられたらいいとは思います。 そもそも「集中」という言葉は、「目の前のことにフォーカスする」といった意味だけで捉えられがちですが、そうではないんですよね。

ある世界的な指揮者が、「一番集中しているときはどんな状態ですか?」と聞かれて、「指揮をしながら、咳の音が聞こえたら何列目の何番の席だなとわかる状態」と言っていて感銘を受けたんです。 これはまさにフォーカスを絞るのでなく、周囲の空間全てに対して感覚が開いていく状態こそが集中だということですよね。

そうすると、「集中して聴くこと」と「ぼんやりと聴くこと」は必ずしも対立する聴取の仕方ではなくなってきますね。 「集中」という言葉の意味をあらためて考えなければならないと言いますか。

あだち:面白いでしょ?無意識的につくられた不要の概念や世界観を壊していきたいという思いはあります。 アンビエントというものやジャンルのあり方に対して、または言葉の意味や概念に対してもそうですが、もっと広くて素晴らしい世界があるんじゃないか?とリスナーの右脳に働きかけていきたいですね。 それが「ちょっとだけよい世界に近づける」っていうことなんですよ。

Vasola Punte

Vasola Punte

あなたを眠りに誘い、その隙にちょっとだけより良い世界に近づけるアンビエントグループです。 あだちさんが『しゅ、集中力が凄すぎる!』と衝撃を受けたピアニスト髙野なつみ『おっ、音に光彩が散りばめられている!』とベーシスト高橋佳輝に恍惚させられ、2024年3人でグループを結成。

HP

Word: Narushi Hosoda
Edit: Kunihiro Miki
Photos:Manabu Morooka

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