映画『敵』が反響を呼んでいる。原作者・筒井康隆が「映画には向かないだろうと思っていた」と語った物語を鮮やかに映画化し、「映画が最適だと思う」とまで言わしめた本作。手がけたのは『桐島、部活やめるってよ』(2012年)などで知られる映画監督、吉田大八だ。
77歳の元大学教授を主人公に、夢なのか現実なのか、過去とも現在ともつかないモノクロームの映像世界のなかで展開される物語。多くの謎をはらみながら進む本作において、一役買っているのが音であり、音楽の存在だ。そこで本作の音楽を手がけたベーシスト、作曲家の千葉広樹と吉田監督との対談を実施。
映画『敵』の話を入り口に、映画と音楽の関係について語り合ってもらった。
映画『敵』の「音」にまつわる秘密、裏話
映画の冒頭は夏から始まって、セリフはしばらくなく、セミの鳴き声や室内で魚を焼く音などが大きめに聞こえると気付きました。映画を撮り始めたときから、音を際立たせる意図はあったのでしょうか?
吉田:主人公の儀助(長塚京三)はひとりで暮らしていますよね。だから、基本的には自分が立てる音しかしない世界です。特に前半は、ほぼひとりで家のなかにいる時間が長いので、人が訪ねて来たとき以外は会話もほとんどなく、せいぜいセミの鳴き声が聞こえるぐらいのもので、結果的に音が際立ったというのがひとつ。
そしてもうひとつは完成してから感じたことなんですけど、モノクロであるということが、観ている人の感度にも作用しているのかなと。目が無意識に色を補うのとともに感度が自然と上がって、より聴覚が研ぎ澄まされる、そういう効果があったんじゃないかなと思いますね。だから、最初から音を際立たせようと思っていたわけじゃなくて、仕上げ作業のなかで「ここはこの音にフォーカスしよう」という場面ごとの選択があって、その積み重ねで結果的にそうなったのかなと思います。
今回、千葉さんにとっては初めての映画の劇伴制作でしたが、いかがでしたか?
千葉:最高でした。小さい頃から映画はずっと好きでしたし、映画音楽も好きだったのでずっとやりたかったんです。監督の作品も好きでしたし、自分のキャリアとしても非常に大きかったですね。
実際に映画を見てから、自分がつけた音楽について発見したことはありますか?
千葉:何度も観ていますけど……ないかな。それよりも映像の発見が多いかもしれないですね。前後関係や、どうしてここにこういう音楽がついたのか、意外とスルーしていたなと思います。音楽によって映像がさらに深まっているというか、「こうなってたんだ」と腑に落ちることがありました。
吉田:何回か観るなかで、ここには音をつけたかったとか、つけたほうがよかったんじゃないかって思うことはありましたか?
千葉:なかったですね。完璧だと思いました。ひとつお訊きしたかったんですけど、焼き鳥のシーンで「晩餐」(サウンドトラックM1)が流れるじゃないですか。あれはやっぱり、ラジオから流れているんですか?

吉田:そうなんですよ。儀助が1人で焼き鳥を食べるときにかかっている音楽が、そのあと靖子(瀧内公美)が訪ねてきて一緒に料理を食べるシーンで本格的に流れるんです。編集中に、1人でただフランス語の古い演劇雑誌を読みながら焼き鳥を食べるのは、ちょっとストイックすぎるなと思って(笑)。
そもそもあの家にはテレビがないんですね。儀助が考えごとの邪魔にならない程度の音楽をラジオから流すことがある、という設定です。だから、靖子とのシーンでもそれがバックグラウンドミュージックとして流れる。千葉さんにお伝えしないままでしたね。
千葉:そうなんですね。「あの音、使ったんですよ」とは聞いてましたけど。

吉田:例えばワンカット、ラジオのアップがあればと、そのカットだけ撮りに行こうか編集中に一瞬頭をよぎったんですけどね。結局しなかったですけど、ギリギリうまくいったなと思います。あそこは音楽なしだと、儀助の楽しい気分が十分に出なかった。本当は、夏のシーンは音楽なしで乗り切る予定だったんだけど、あそこは半分効果音というか、状況音として付けさせてもらいました。
千葉:そもそも「晩餐」はチェロ3本で構成されていて、チェロという楽器自体が儀助のメタファーだと考えているんですね。「晩餐」はミックス作業のときに、古いラジオから流れるような音質にしてほしいってご相談くださったじゃないですか? おかげで曲自体もよりまとまったんですけど、その時点で監督にイメージがあったんですね。
吉田:たぶん、そのときにはそうやって使わせてもらうって決めていたのかな。だけど説明してないっていう(笑)。
千葉:いえいえ、効果的で素晴らしいと思いました。
ラジオで流れるような音の質感にしても、音楽を入れるシーンをあえて絞るという選択にしても、全体のサウンドデザインがとても行き届いた映画だと感じました。
吉田:サウンドデザイナーの浅梨なおこさん*が全体のバランスのなかでよく設計してくださったと思います。僕のなかで「このタイミングで」「この質感で」とか、映画に即した必然として「ここにはこういう加工で」っていう狙いはあるんですけど、最終的に他の要素と合わせたうえで観ている人に「どう聞こえるのか」というところは浅梨さんの領域でした。
千葉さんは、サウンドデザイン的な部分をどう感じられましたか?
千葉:素晴らしいと思いました。一度、浅梨さんの作業現場に立ち会わせていただいたのですが、職人芸というか、それだけじゃないセンス、技術というか、ものすごく面白い作業でした。「ここまでやるのか」とまず衝撃で。あと音楽が少ない分、生活音のような物音やセリフがより浮き立つように一つひとつの音を編集されていて、これはやばいなと。本当に素晴らしかったですね。ここまで「えっ!?」ってなったのは初めてだったのかもしれないです。
*浅梨なおこ:本作ではサウンドデザイナーとしてクレジットされている映画音響技術者、アニメーション音響監督。『魔女の宅急便』『紅の豚』『耳をすませば』『かぐや姫の物語』といったスタジオジブリ作品の音響監督を務め、整音や選曲、サウンドデザインを手がけた実写作品も多数。

吉田:それは映像音楽の現場で、ということですか?
千葉:いや、音楽とか映像分け隔たりなくすべての現場においてですね。あの一連の作業が、僕にとってはある意味、ものすごく音楽的でした。
監督はどのように映画の「音」の世界を作り上げていくか。吉田大八監督の場合
吉田監督の作品において、映画のサウンドトラックはどんなプロセスで作られるのでしょうか?
吉田:いろんなパターンがあるんですけど、僕は音楽が好きなので、音楽で映画のイメージを掴みたいんですね。自分のなかでイメージとなるサウンドトラックや主題歌を決めることもあります。実際に映画で使うわけじゃなくて、「この映画は、こんな曲が流れるべき作品だ」と自分のなかで方向性をつかむために設定する。でもここ何本かは撮影のことで手一杯で、本当はよくないことなんですけど、何のイメージも持てないまま現場に入ることが増えました。
そもそも音楽が入ると編集も変わるんですよ。音楽は映像とは独立したロジックがある以上、どこかで歩み寄ったほうが絶対よくなる。それを音楽調整編集と呼ぶんですが、音楽のデモが上がってきたところで、そのデモに合わせて映像を編集して、それでまたデモを少し調整してもらって……というキャッチボールをしたほうが絶対にいいわけです。

『敵』に関してお話しすると、どういう音楽が必要か、自分で編集しながら音楽を当てて探ったんですが、なかなか難しかった。もはや音楽はないほうがいいんじゃないかという意見もあった。でも音楽なしで見ると、やっぱり全然物足りない。
それでいよいよ編集が終わりかけた頃、ちょっと相談に乗ってほしいと音楽プロデューサーの濱野(睦美)さんに連絡しました。結局は濱野さんにすごい負担をかけたわけだけど、そこから短期間で対応してくれて、まず選曲をしてもらったんです。
そこから最終的に千葉さんの音楽を選ばれたわけですね。
吉田:編集中に当てていた電子的なノイズ系やアンビエント系の音楽だと、どこかわざとらしさがあったんです。濱野さんが持ってきた音源のなかにあった千葉さんの音楽は、チェロやコントラバスの響きにちょっとだけ電子的なトリートメントが施されていて、「あ、こういうものを探していた」とすぐ思えました。
千葉:僕個人として映画音楽に携わるのは初めてでしたけど、監督のディレクションが本当に音楽的に確信をついていて素晴らしかったです。

吉田:僕は「ここからここにこういう感じで」とか「こういう展開に合わせて」とか、そういうことを考えるまではすごく好きなんです。ただそこから先は、僕は譜面もまったく読めないし、楽器も弾けないし、音楽的な用語も使えないから、ひたすら音楽の聴き手として「このシーンでこれを聴きたいんだ!」ってことをおねだりをし続けるだけ。で、それが必ず叶う。そんな夢みたいな環境はないですよ(笑)。
千葉:映像に対して、何分何十秒からもっと感情的に盛り上げたい、だからチェロのメロディをもっとエモーショナルに、とかそういう指示が的確なんですよ。
監督は音楽がすごく好きだからお詳しいし、このシーンのこの表情で違う要素を出したいとか、違う雰囲気に持ってきたいとか、ガラッと変えたいとか、ディレクションが的を射ているんです。ただ抽象的な指示だけではなくもっと音楽的なダイナミクスを持っていて、それが僕はすごくやりやすかったですし、常に納得して作業ができました。
吉田:音楽がわかっているかどうかって、自分ではわからないですけどね。でもCMで何百本という音楽録音の現場は一応経てきたので、ディレクションに関してはそこで訓練されたんでしょうね。
CMの場合、クライアントにその音楽をつける意味を説明しなきゃいけないんですよ。クライアントの都合でNGが出たときには、ミュージシャンのモチベーションをなるべく下げないようにそのことを伝えないといけない。クライアントとミュージシャンサイドに対する説明と言い訳は、もう死ぬほどしてきました。

千葉:いろんな経験を経てこられた監督との仕事は、本当にわくわくするものでした。僕の音楽性を尊重する形で、「千葉さんならどうしますか?」という余白を与えてくれていたのもありがたかったですね。
吉田:音楽家に話を聞いてもらうだけで、自分にとっては本当に光栄なことなんです。自分の映像に関してだったら何でも言えるけど、たぶん自分の映像を離れたら何も言えない。映画監督って、どこか無責任でいながら口出しできるという、音楽好きとしてはこれ以上ない最高な立場なんです。
いい曲だけど合わないなと思ったら、それを口実にして、音楽家の人になんべんも作ってもらったり、弾いてもらえたりする。それこそが自分が映画監督になった理由なんじゃないかとすら思います。ただ仕事だから当然、どの作業にも責任がある。音楽にだって責任があるんですけど、責任感の方向がちょっと離れたところにあるんですよ。だから、すごくおおらかな気持ちで音楽録音には立ち会えるし、「もっとこの時間が長ければいいのに」っていつも思います。

映画『敵』の陰の功労者、千葉広樹の足跡
今回の弦楽器とモジュラーシンセを使った音作りは、どう決めたのでしょうか?
千葉:自分のソロの作品は基本的にモジュラーシンセとコントラバスで作っているんです。まだ公開はしてないんですけど、コロナ禍に100曲以上、電子音と弦の試みはずっとやっていました。
同時期にストリングスアレンジの仕事、弦楽四重奏の作曲、モジュラーシンセとアナログシンセを使った電子音のみで作曲したりもしてたので、今回の劇伴はそのひとつの集大成的なアルバムになったかなと思います。電子音と弦楽器を使ったスタイルは20年間ずっとやってきていますが、そもそもキャリアとしてはベースよりも、電子音のほうが先だったんです。
吉田:どういう遍歴だったんですか?
千葉:バイオリン、シンセ、ベースって流れでした。小学校のときからクラシックオタクで、小学6年生のとき、シェーンベルクを聴いて、「こんなやばい音楽があるんだ!」って衝撃を受けて。一度、CHAGE and ASKAをかすめたんですけど、そこからすぐ現代音楽にハマったので、J-POPで買ったCDはチャゲアスのシングル1枚だけです。

吉田:そんな小学生いるんだ(笑)。
千葉:クラシックならバッハとかベートーヴェンは知ってたけど、現代音楽は「何だこれ?」ってなって。そこからどっぷり傾倒して、その流れで電子音楽にもハマっていったんです。
吉田:電子音楽に出会ったのはいつですか?
千葉:中学生ですね。小学6年でシェーンベルクの「浄夜」っていう弦楽六重奏の曲を聴いちゃったんです。ベートーヴェンともバッハとも違って、嬉しい(長調)、悲しい(短調)という感情じゃなく、もっと複雑な感情(無調)なんです。こんな音楽がこの世にあるんだって、どんどんエスカレートして、その流れで電子音楽にも傾倒しました。シュトックハウゼンとかクセナキスとか。武満(徹)さんも聴いてましたね。おかしな中学生でした。
あと、僕の祖父がオーディオマニアで、書斎は壁一面にレコードとCDとオープンリールのテープが並んでいました。ほぼクラシックだけど現代音楽も結構あって、祖父が亡くなったときに遺産としてそのアーカイブを引き継いで、そこからエスカレートしていきました。
コントラバスを演奏するようになったのは?
千葉:大学のときです。音楽大学にクラシックバイオリンで入ったんですけど、いろいろあってジャズ科の連中と仲よくなったんです。それでジャズ科の後輩がやってたロックバンド(Riddim Saunter)のベースが辞めちゃって、「千葉さんなら、絶対ベース弾ける」って言うんで、御茶ノ水に買いに行ったんですよ(笑)。
吉田:エレキベースを?
千葉:そうです。それでバンドに加入したんですけど、理論も奏法も何もわからない。でも、ジャズ科の授業があって、ジャズの理論も選択できたんで、とりあえず受けてたんです。その流れで学校のコントラバスを借りて遊んだりしてました。
そうしたら、だんだんジャズ科の演奏に呼ばれるようになって、低音が楽しかったんですよね。それでイチからジャズを勉強し直そうと思って、大学4年生のときにロックバンドを辞めてコントラバスを買って毎日練習してました。家で弾けなかったので、大学卒業後も6年くらい大学の練習室を使わせてもらってました。
吉田:普通の人とは時間軸が違いますよね。

「音楽」の取り扱いは、映画の生死を分ける
監督は音楽好きとしても知られていますが、映画音楽というものについてはいかがですか?
吉田:レコード屋にサウンドトラックのコーナーって必ずありましたよね。今でもこじんまりと残ってるのかもしれないけど、昔は近日公開の映画のサントラが面出しでずらっと並んでいて、僕は楽しみな映画のサントラを片っ端から買って聴き込んでから映画を観に行ってました。最初に原作を読むと話の展開がわかってしまうけど、音楽に馴染んでから観るとより映画にノレる気がして。
サントラアルバムがフィーチャーされる機会は減っているけど、逆に映像が増えて、おそらくサウンドトラックを作曲する作家も10年前と比較にならないぐらい増えていますよね。だから、それを体系的に紹介したり批評したりしたものを読みたいんです。映画音楽って可能性のあるジャンルだと思います。
千葉:すごくわかります。最近だとミカ・レヴィ(Mica Levi)が担当した『関心領域』の音楽は、ほとんどノイズというかドローン音で衝撃的でした。
昔、とある劇団の音楽を作ったときに、僕も同じような試みをしたことがあって、エアコンとか、冷蔵庫とかの非音楽的な機械音をレコーディングして、それらの音を本番中にうっすらとずっと流してたんです。その機械音が鳴った上に普通の劇音楽が重なるのですが、お客さんは会場内の空調の音と認識してると思うから逆に気にしていないというか。舞台でも映画でも、人が「音」から「音楽」として認知する境目にすごく興味があるんです。音が空間を拡張させるというか。それを『関心領域』にも感じて。
吉田:『関心領域』って音楽らしい音楽の劇伴ってあるんですか?
千葉:いや、恐らくあんまりないですね。
吉田:ミカ・レヴィは有名な方?
千葉:そうですね。いろんなスタイルの音楽をしてますけど。音と映像の相乗効果というか、音が画に与える印象とか、映像が音に与える効果が、それぞれ何かある気がするんですよね。それが結果的に、お客さんが観るときにどういう効果を生み出すのか。音楽によって映像が動き出すとか時間感覚が伸縮するとか。特に音に関しては、音楽なのかノイズ(音楽以外の音)なのか、それぞれ受け取り方も違いますし。
音楽って鳴ったら認知しますよね。音楽と認知するギリギリのラインって、どこにあるんだろうってずっと気になっているんです。僕は最近「王睘 土竟」(かんきょう)っていうユニットをceroの荒内(佑)くんと2人でやっていて。そのライブパフォーマンスでは、ダクトとか、道路とか、現場にマイクをいっぱい立ててリアルタイムで音を採集して、それらの環境音を加工してその場で音楽を作っているんです。ビートにもならないようなもので、それも音から音楽へ移行する境目に意識を向ける感覚があって。
吉田:面白そう。

千葉:意外と面白いんですよ。「この音をフィールドレコーディングしました、それを流しました」ではなくて、クリエイター側も、オーディエンス側も、すべての人が何かしらのフィルターを通すことで何か新しいものが生まれるんじゃないか、っていうのが「王睘 土竟」の試みなんです。『敵』も近い感覚があって、環境音から音楽が滲み出るというか、音楽が鳴り始めるタイミングがすごく絶妙だし、無駄がない。曲が少ない分、ここぞっていうときに流れる。
たしかに音がないところから音が立ち現れる瞬間にしても、音と音楽の境目にしても、シームレスですごく自然な感じだったのが印象に残りました。
吉田:それは僕も意識したし、浅梨さんの技術の賜物だと思います。音楽が鳴り始めるタイミングは、映画の生死の分かれ目なんです。それまでいい感じなのに、「あれ?」っていう思いを自分の映画で味わったらもう地獄です。
千葉:それで言うと、終盤のM4(「私の心意気」)が使われるシーンで気づいたことがあって、劇場公開してから2日連続で劇場に観に行ったんですよ。敵に襲撃されるカオスな状況のなかから、モジュラーシンセのドローン(音)がスタートするんですけど、非常にシームレスに聞こえてくる。お客さんが音楽を認知するのってどのタイミングなんだろうって。すごく自然に流れていて、絶妙なんですよ。
吉田:音楽の鳴り始めと鳴り終わりって本当に難しいです。鳴り始めはまだみんなでイメージを共有しつつなんとかいけても、鳴り終わりに関しては、観る人にどう忘れてもらうか、いつも神経を使います。畳み方を失敗すると、せっかくのいい曲を台なしにしてしまう。音楽が始まる、終わるっていう境目に対する繊細な感覚は、僕らがもっと意識しなきゃいけないことなんですよね。
千葉:あと、チェロをファンファンって鳴らした音(sul ponticelloという弦楽器の駒寄りの部分を弾く特殊奏法)を効果音としてたまに使っているじゃないですか。あれもいいですよね。
吉田:そうそう。楽器を使ったノイズ素材も千葉さんからたくさんもらって、あちこちにまぶしてるんですよ。サントラには入ってないです。後付けではなく、その場でたまたま録れてしまったような音にしたかったので。そういう断片、破片みたいなものを結構活用させてもらいました。
千葉:あれ、すごく効果的でした。「こんなの弾いてたんだ」って観るたびにハッとします(笑)。

映画と音楽の「いい関係」とは。吉田大八が語る、映画監督としての音楽への責任
『敵』を作られて、音、音楽と映像の関係について、改めて感じていることを訊かせてください。
吉田:さっきの焼き鳥のシーンのように、何か足りないときに補い合うのもそうだし、お互いが相乗効果でより上にいけるような関係を目指したいですよね。音楽によって映画はより高められるし、映像というお題から音楽家の人も何かを得てもらう、そういういい関係でありたい。
ですけど、その関係性の始まりには映画そのものの企みがあるわけですから、映画が新しくならない限り、映画に付く音楽も新しくなりようがないですよね。もう100万回語られたような話、その語り口に対して、音楽ができることはどうしても限られる。だから、音楽家の人に刺激を与えられるような映画をどう作っていけるかってことなのかな。

自分の作ったサウンドトラックはこれで9本目ですけど、全部にすごく愛着があるんです。映画に対する愛着とはまた別に、音楽としてこんなに優れているので、音楽として評価されてほしい。だからこれは僕の映画の責任なんですけど、もっと広くみんなに見られるようになれば音楽そのものが評価される機会もあったのに、映画自体のパワー不足のせいで、せっかくのいい音楽が十分に日の目を見ていないのであれば残念だなと思います。
千葉:ありたいですし、すごく信頼できます。僕は今回、監督と一緒に作曲したと言っても過言じゃないぐらいの気持ちです。
吉田:そう言ってくれると、嬉しくてちびりそうになる(笑)。
千葉:でも、本当にそう思ってます。
吉田:結局僕はちょっとでも音楽作りに関われるだけで幸せなんです。映画って、字幕が付けば世界中の人に観てもらえるから、千葉さんが僕なんかよりもっと能力のある映像作家からオファーがくる状態になって初めて、自分の映画が役に立ったと思えるかもしれない。
そういう何か大きな音楽の発展の流れの一部になれたらいいなと夢想します。だから音楽を付けることにできるだけ真摯でありたいし、今回みたいに「この映画には絶対に音楽が必要だ」って確信できるまでは、どうしても粘りたくなっちゃうんですよね。

吉田大八
1963年生まれ、鹿児島県出身。大学卒業後はCMディレクターとして活動。数本の短編を経て、2007年、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で長編映画デビュー。『第60回カンヌ国際映画祭』批評家週間部門に招待された。『桐島、部活やめるってよ』(2012年)で『第36回日本アカデミー賞』最優秀作品賞、最優秀監督賞受賞。その他の作品に、『クヒオ大佐』(2009年)、『パーマネント野ばら』(2010年)、『紙の月』(2014年)、『美しい星』(2017年)、『羊の木』(2018年)、『騙し絵の牙』(2021年)がある。舞台に『ぬるい毒』(2013年、脚本・演出)、『クヒオ大佐の妻』(2017年、作・演出)、ドラマに『離婚なふたり』(2019年)など。
千葉広樹
ベーシスト/作曲家。岩手県盛岡市出身。コントラバスと電子音によるサウンドスケープを奏でる音楽家。2019年、ミナ・ペルホネンのファッションショーの音楽を手がけた他、小金沢健人や雨宮庸介、suzuki takayukiとのコラボレーション、arauchi yu(cero)、優河、Janis Crunchのプロデュースも手がける。荒内佑との「王睘 土竟」、優河 with 魔法バンド、蓮沼執太フィル、サンガツ、スガダイロートリオのベーシスト。これまでに『Hiroki Chiba + Saidrum』(2008年)、Kinetic『db』(2016年)、『Eine Phantasie im Morgen』(2017年)、『Nokto』(2018年)、『Asleep』(2019年)を発表した。最新作は2025年1月に公開された吉田大八監督の映画『敵』のサウンドトラック。
Interview:Masaaki Hara
Edit:Shoichi Yamamoto
Photo:Ryo Mitamura