Studio The Future(http://printthefuture.nl/)はVincent SchipperとKlaravan Dijkerenによって2013年に設立された、アーティストユニットであり、デザインスタジオでもある、出版社。アムステルダムを拠点に、ここ日本でも多数のプロジェクトを手掛けている。その多くは、多様な才能を掛け合わせることで、今までにない価値を社会に出版(パブリッシュ)することであり、彼らが既存の出版という概念を、アイデアを公にするといった本来の意味に還元する“出版社”であることにも起因する。依然、先行の見えないコロナ禍において、彼らが考える都市の在り方とアムステルダムの現在など、今後の活動と併せた話を聞いてみた。
存在しないもので、それが重要だと思うのであれば、自分たちで作ればいい。
あなたの活動は非常に多岐に渡りますが、今、取り組んでいることを教えてもらえますか?
Studio The Futureとして、私たちは様々なことに挑戦し、常に自分たちのコンフォートゾーンから抜け出そうと活動しています。うまくいくときもあれば、そうでないときもありますが、それはつきものですよね。現在は、本の出版、インスタレーション、展覧会、そしてここアムステルダムのビルのクリエイティブな再開発まで、様々なプロジェクトが進行中ですが、その中でも、今年取り組んでいることは主に2つあります。一つは、私たちの活動のための幅広いオンラインインフラを整備すること、そしてもう一つは、ここアムステルダムに新しいスタジオとプログラミング・スペースを設置することです。まず、オンラインインフラについて。このパンデミックは、私たちのスタジオの活動がいかに脆弱であるかを痛感させられました。ここ数年、海外への飛行機での移動、第三者が運営する物理的な空間での展示に依存するようになっていました。そして、パンデミックに見舞われたとき、私たちの活動は突然、文字通り、地に堕ちました。パンデミックによる制約が永遠に続かないことを願いつつも、私たちはすぐにその脆弱性をカバーする方法を考え始めました。それは、私たちのさまざまな活動をつなぎ、コラボレーション、展示、それらのプロセスを共有するための、より広範で効果的なオンラインインフラを開発することでした。もちろん、画像や成果物などを共有するためのプラットフォームはたくさんありますが、私たちが行っていることのコアは、プロセスや、人と文化とのより深い創造的な関係の構築、知識の共有にフォーカスを当てたものです。このような連携のために、最適なものは見つかりませんでした。そこで、いつもそうしているように、自分たちで開発することにしました。それが、OCP(Online Collaborative Platform)と呼ばれるものです。
現在、私たちはこのシステムを開発し、私たちが日本で企画するアーティスト・イン・レジデンシー・プログラムに使用しています。そして、アムステルダムに開発しているスペースについて。私たちはデジタル・インフラの重要性を認識していますが、もちろん私たちの心は物理的であり、アナログであり、触覚的、そして空間的なものですよね。パンデミックが起こる前から、私たちはここアムステルダム日本に自分たちのスペースを立ち上げようと、すでにいくつかのアイデアを練っていました。ペインティングからサウンドやビデオ作品まで、何でも展示できる場所で、面白くて楽しい、実験的な文化プログラムを作ることができる場所です。そんな最中「Het Werkgebouw Het Veem」という建物(ハウトハーヴェンスと街の西側にあるセントラル・ステーションの間)にスペースが空くかもしれないという話を聞きました。
これは一生に一度のチャンスなので、フルスピードで取り組みはじめました。「Het Werkgebouw Het Veem」は、アムステルダムのアート、文化、クリエイティブシーンの中で、伝説的な素晴らしい建物であり、コミュニティでもあります。昨年の秋にようやくこの場所を手に入れることができたので、それ以来、スタジオの設置や展示・プログラミングスペースの計画など、準備を進めてきました。私たちの親しい友人であるORDER(ジョシュアとエティエンヌ)と一緒に取り組んでいます。
ORDER (HEAT)
Joshua HoogeboomとEtienne Memonが立ち上げた、クリエイターによるプラットフォーム。グラフィックデザイン、写真、タトゥー、イラストレーション、ファッション、音楽(ORDER Mothership)など、様々なクリエイティブを手掛ける。これまでにEDWIN、PATTA、Studio The Futureなどとコラボレーションをしている。
そのスペースの名称はなんという名前なのですか?
今のところ、このスペースを「Chillzone」と呼んでいます。これは正式な名前ではなく、私たち4人の間の内輪のジョークです。このスペースは、アムステルダムが過去10年間に様々なオルタナティブな文化、アート、デザインのコミュニティスペースを失い、多くの才能やアイデアが共有されなくなったことに起因したアイデアです。事態が好転し、奇跡的に多くのスペースが再び現れることを期待するよりも、自分たちで始めることにしたんです。そういう意味では、ORDERとStudio The Futureは、(当初は)まったく異なるシーンからやってきたけれど、とてもよく似ているんです。存在しないもので、それが重要だと思うのであれば、自分たちで作ればいいじゃないか、というところが。
つまり、オンラインインフラとリアルなスペースという、2つを同時に開発しているんですね?
そのようには考えていません。この2つの組み合わせがとても重要だと考えています。今、多くの人がオンラインに注目していますが、オンラインのインフラと物理的な展示やプログラミングのスペースの組み合わせやインターフェイスこそが、無限の可能性を生み出すことができると考えています。どちらか一方だけでは、柔軟性に欠け、停滞を招きます。要は、作品の見せ方や国際的なコラボレーションの作り方について、より質の高い可能性を生み出したいんです。
アイデアを公にする(パブリッシュする)ということ。
ところで、あなたたちは、元々は出版社なんですよね。スタジオはどのように発展してきたのですか?
正式には、現在もアート/アーティストブックの出版社です。しかし、10年近く出版という概念をもっと広い意味で捉えています。それは、特定のメディアについてではなく、「アイデアを公にする(パブリッシュする)」ということです。そのアイデアに最も適したと思われるメディアを通じて、アイデアを公表しています。つまり、物理的な書籍はもちろん、展覧会、サウンド作品、ビデオ・インスタレーションなども “出版” しています。ですから、私たちの活動は実に幅広いように思われるかもしれませんが、私たちにとって出版は非常に明確なものなんです。つまり、私たちはまだ出版をしているだけ。それが端的な答えです。まあ、すごく長く答えることもできますけどね。2013年にスタートした当初は、紙にインクを印刷した本を作ることにフォーカスしていました。しかし、本当に面白い本を作るには、そのアイデアを発展させる時間も必要なんだということにすぐに気づきました。そこで、2013年からアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを開始しました。第一回目は福岡県嘉麻市、主には千手というところで行いました。織田廣喜美術館の学芸員の方や地元の団体の協力を得て、廃校になった小学校の校舎とその敷地を使わせてもらいました。これをきっかけに日本各地でのアーティスト・イン・レジデンスの展開が始まりました。
そして、レジデンスによって創られた作品をより多くの人に見てもらいたいという思いもありました。そうして様々な展覧会の企画を増やしていきました。しかし、レジデンスで制作した作品を発表するだけでは、文脈が不足しています。そこで、作品の文脈を理解してもらうために、文化交流プログラムも一層充実させることにしたんです。加えて、地方自治体や地方公共団体、国などと協力し、より多くの人々参加できる仕組みの構築や、文化や芸術のコミュニティが共に働くことの可能性を示すことなど、様々なことに取り組みました。人々は適切な考え方や環境に置かれたとき、共有し、議論し、時には新しい製品や芸術作品を一緒に作り上げます。こうしたさまざまなアプローチを組み合わせて、コラボレーションの機会を創出してきました。ある意味、私たちのアプローチは、何か新しいこと実現するために、私たちや一緒に働く人たちにとってのベストな方法を探する作業なんです。面白いことに、こんなことをやっているのは、本当に素晴らしい作品を出版するためにの最高の条件を整えるためともいえますね。
De Schoolという場
これまであなたたちが活動の拠点としていた、アムステルダムの「De School」はコロナウィルスの影響で閉鎖されたのですか?
そうではありません。もともとDe Schoolは、前身のTrouwやClub Elevenと同様に、当初からテンポラリーなプロジェクトとして計画されていました。De Schoolは5年間運営する計画で、さらに2年間、建物の賃貸契約を延長する可能性がありました。そして、その期間が過ぎたら、また新しいものを作ろうという計画だったんです。これは、仮設ということで自由度が高いということもありますが、新しい世代にバトンタッチできるという意味でも重要なことでした。念の為もう一つ付け加えると、De SchoolもTrouwやClub Elevenも同じ運営会社によるプロジェクトであり、会社そのものを次の世代に売却して、新しいものを継続させようとしているんです。そんな中でコロナの影響でオランダのクラブが閉鎖されることになり、De Schoolも閉鎖されることになった。昨年は最後の年になりましたが、その時、オーナーは2年間の賃貸契約延長を交渉しており、クラブは存続させるという考えでもありました。パンデミックがこれほど長く続くとは、誰も知りませんでしたし。そして6月、経営陣とDe School周辺の一部のコミュニティが、非常に複雑で難しい、ある問題に巻き込まれた上に、運営側のミスにより、事態はエスカレートしていった。そんな時、「コロナによる規制が延長される」というニュースが飛び込んできました。そこで、クラブの閉鎖が決定されたんです。現在、新しい場所、新しいクラブ、そしてそれを引き継ぐ若い世代のチームの計画があります。但し、それ以上のことは言えません。
De School
廃校になった小学校の建物を活用した複合施設。クラブ、レストラン、カフェ、そしてギャラリーを併設し、アムステルダムの中心から車で10分程度のJan van Breemenstraatの地区に2016年1月にオープンした。ナイトクラブはアムステルダムの行政やナイトメイヤー(夜の市長)と連携することで24時間営業のライセンスを取得するなど、ミュージックベニューとしてもユニークな存在であったが、2020年7月に閉店。
「De School」はアムステルダムのカルチャーの中心で一つであったと思うのですが、今一度、どんな場所だったのか教えて下さい。
De Schoolはそれぞれの人にとって、それぞれの意味を持つ場所だったといえます。だから、みんなにとってどういう場所だったか、を一言では言えません。でも、私たちにとってどういう場所だったかを、できるだけ説明しますね。De Schoolは実験に焦点を当てたミュージアムであり、新しい声や音に特化したクラブであり、私たちの世代の創造的、芸術的、異なる考え方、異なる行動をする人々のホームでした。親密な友人たち、小さな集団でありながら、同時に、ある意味ではとても大きな集団もありました。そして、私たちにとってよりはっきりしているのは、創造とプログラムを続けるための組織の在り方として、今までと異なる方法を示すことができる場所だったということです。例えば、レストランはスノッブすぎず、かつ一流で、カフェは常に流動的でした。また、私たちがDe Schoolで気に入っていたことのひとつは、日曜日の朝遅くにカフェに入ると、赤ちゃんを連れた若い親や、コーヒーを飲みながらおしゃべりしている老夫婦、48時間のダンスセッションを終えてクラブから這い上がってきたばかりの汗だくのレイブ好きがいるということです。さまざまな世界が同じ空間に共存していた。これは、De Schoolのマジックであると同時に、訪問者それぞれの期待を管理することの複雑な難しさを物語ってもいますよね。いずれにせよ、そこは私たちの家であり、私たち家族が成長し、育った場所であって、あのような場所はもう二度とないのですが、それでもいいと思っています。同時に、人々が成長し、変化し、実験し、何かの一部となる機会を与えるような空間を作り続けたいと思う重要なインスピレーションの源でもあります。
これからのアムステルダムのカルチャーとコラボレーションすることの意味
アムステルダムは大規模な開発が進行していると聞いたのですが、これからカルチャーの拠点はどうなっていくと思いますか?
この街は目まぐるしく変化していると思います。この数年、特に金融危機以降、アムステルダムは人口と富を増やし、多くの多国籍企業がオランダに移住し、彼らの駐在員家族を連れてきています。しかし、その反面、地価が高騰し始めました。市はそれを見ていながら、何もしなかった。それに伴い、開発業者や投資会社は街の多くの土地を買い占め始め、その結果、街の小さな文化団体に大きな圧力がかかり、家賃が払えなくなった。しかし、それ以上に問題だったのは、若いグループが何かをすることがほとんど不可能になってしまったことです。街の柔軟性が失われ始めたんです。新市長になったここ数年、文化セクターの緩やかな死を食い止めようとする方向に焦点が移っています。そのひとつが、住宅価格と地価を安定させるために、多くの住宅を建設しようとしていることです。これによって、市の北部と北西部の両方に、様々な人が活用できるスペースが生まれはじめています。とはいえ、アムステルダムの文化的な基盤が再び繁栄するためには、もっと多くの「コト」が起こる必要があると考えています。根本的な問題も手つかずのままだったりします。これは、私たちがアムステルダムを拠点とするグループをもっと海外に連れ出し、発信したい理由のひとつでもあり、また、アムステルダムの人々とコラボレーションして新しいものを生み出すために、もっと海外の人々をここに呼びたいと考えている理由でもあるんです。アムステルダムにいる大いなる才能には、アムステルダムの外にももっとチャンスがあると言いたい。特に若い世代にとって、アムステルダムで新しい何かをはじめ、創造することは難しいのですが、この街にはあらゆる分野の才能があふれているんです。才能はあるのに、実験を行うためのスペースやリソースが少々足りていない。これは、市が民間セクターとともに、クリエイティブセクターの声を取り入れて解決すべき問題だと考えています。
なるほど、これがHet Veemに「Chillzone」という空間を作る理由のひとつなのですね。
はい、私たちが「Chillzone」を作りたいと思った理由もそこにあります。素晴らしい才能やアイディアがあるのに、それを発信する場がない。日本からも、もっと多くの人がここアムステルダムで展示し、コラボレーションを生み出し、そして日本へも発信していくことができればと思います。ここアムステルダムの「Chillzone」から日本の「Chillzone」へ、ある意味、橋渡しのようなイメージでもあります。「Chillzone」はORDERのあるスタジオでもあり、本やプリントを作ったり、ビデオ作品、サウンド作品、プロジェクション作品などを展示するための機材も揃っていますし、リスニングイベントを開いて音楽を共有したり、人々が集まってコミュニティを作ったり、また、すでに存在するコミュニティを融合させるための新しい空間にもなりえます。アムステルダムを、そして国際的なコラボレーションを、よりフレキシブルで楽しいものにするための場所だと考えています。このスペースがあるHet Veemは、70年代後半にスクワットされた古いコーヒー豆の保管庫の建物で、40年間、この街のクリエイティブな中心地として存在し、現在は国の記念建造物に指定されており、ホールでは多くの才能がその舞台を踏んできました。私たちのスペースは道路側にあって、自分たち専用の玄関があるので、たくさんのイベントを開催しやすいんです。今後このスペースで、例えば東京の多くの友人たちにインスパイアされた、質の高いサウンド・インスタレーションを設置したり、アーティスト、コラボレーションをもっと多く紹介できるようにしたいと思っています。
アムステルダムと日本との橋渡し、というとコロナ禍以前から日本での活動も積極的に行っていましたが、代表的なプロジェクトというと何だと思いますか?
これも難しい質問ですね。というのも、私たちは日本で様々なことをやってきましたし、自分たちがやりたいと思ったことだけを行うというポリシーを持っているので、期待したほどうまくいかなかったことも含めて、すべてが私たちの活動の代表的なものなんです。そして、とりあえずやってみることが重要だと考えています。コラボレーションという点では、「Local International」とのプロジェクトが代表的です。特に、ファッションデザイナーで、現在は大工でもあるKoen Tossijnと、福岡県うきは市のSUGIKOJOのコラボレーションは、私たちがコーディネートしたものです。このコラボレーションは、非常に即興的で自然発生的なものでした。Koenが家具を使って何かを作りたいと思っていることは知っていましたし、SUGIKOJOが日本有数の家具メーカーであることも知っていました。そこで、Koenを福岡に呼んで、SUGIKOJOを紹介することにしたんです。この二者の考え方やものづくりに対するアプローチは非常に相性がよく、適切な文脈でつなげることで、何か素晴らしいことが起きると思ったのです。3日目にはすでに椅子とテーブルのサンプルが出来上がり、3ヶ月後にはSUGIKOJOで展示会を開催しました。さらにその数ヵ月後には、このプロジェクトに関する本を出版し、そして今回、SUGIKOJOからテーブルと椅子がリリースされました。SUGIKOJOとKoenは、すでに新しいシリーズを一緒に作っていて、より幅広いコレクションを展開しています。
このように、フレキシブルかつ有機的なコラボレーションによって、実際にモノが作られ、また、他の方法では決して出会うことのなかった人々の間に新たな密接な関係が生まれたんです。もちろん、先に話した福岡県嘉麻市のレジデンスも、私たちの活動を代表するプロジェクトのひとつです。私たちの最初のレジデンス・プログラムであり、地域社会とのコラボレーションによる文化・芸術プロジェクトや、長期的な友好関係を築くためのスタンダードを築いたんです。この最後の点が、おそらく最も重要な点でしょう。最後に、現在最も代表的なプロジェクトは、神宮前でen one tokyoと展開している「Common Future」でしょう。Common Futureでは、Zineシリーズを通じて人々を集め、お互いにコラボレーションすることを呼びかけ、年に1回展覧会を開催しています。最初のバージョンは、東京オリンピックの年でのオランダにおける文化プログラムの一部だったんですが、コロナが原因ですべてのイベントがキャンセルになってしまいました。現在、私たちは704ページの本を制作しています。この本には、10人近い様々なクリエイターと学者や思想家が集まり、彼らのアイデアや希望について率直に語り合っています。
COMMON FUTURE
そして今後の日本での活動についても教えて下さい。
日本での今後の予定についてはたくさんのプランがありますよ! 国際的な展示スペースや、私たちのスタジオでの新しい作品や日本のアーティストやメーカー、地元のクリエイターやメーカーとのコラボレーション、そして新しいアーティストインレジデンスなど、日本のどこかにスペースを作ろうと動いています。2014年以来、私たちは他の人たちによって設立された多くのレジデンスのプロジェクトを手がけてきましたが、今度は私たち自身のレジデンスを、国際的な文化的、専門的な交流とコラボレーションのための常設スペースとして再び設立したいと考えています。それ以外にも、福岡の友人と一緒にテキスタイルをベースにした新しい会社を立ち上げ、地域活性化プログラムとしたいと思っています。それから、現在、長野の親しい友人と一緒に、新しいビデオとサウンドのインスタレーション作品も開発しています。いろいろありますが、じっとしていられないようですね(笑)。
最後に、アムステルダムは独自のカルチャーを育てているという意味でも世界から注目されていますね、何がそうさせるのか考えがあれば教えて下さい。
アムステルダムは奇妙な場所です。世界でも有数の都市であり、文化の中心地でありながら、人口は100万人にも満たない。街の端から端まで自転車で1時間以内で移動できるのに、さまざまなアイデアや才能、実験、そして人生への愛が息づいているのです。もちろん、この街に重くのしかかる問題はたくさんありますが、それを乗り越え、ベストを尽くし、新しいチャンスを見つけようとする人々の意欲が、この街の強さでもあるんです。特に、若者や精神的に若い人たちの間には、ポジティブなマインドがあります。このことは、少なくとも最近では、市も理解しています。私たちが設立メンバーの一人でもあるシティ・コレクティヴが設立された理由もそこにあります。このコレクティヴは、クリエイティブ/カルチャーに携わる人々が、市役所に直接、街をどう変えるべきかをアドバイスするグループです。もちろん、市はプロジェクトなどに対して財政的な支援も行っていますが、正直なところ、これには少し物足りなさを感じています。資金が足りないのではなく、その資金をより多くの人が、より幅広く、より実験的なタイプのプロジェクトに利用できるようにすることが不足しているんです。たとえば、分野横断的に活動する作り手は、とある分野に特化して活動する人よりも支援が受けにくくなっている。でも、もうそんな時代じゃないんです。いずれにせよ、この街の活気はヒエラルキーの無さがもたらしたものなのでしょう。若くても、新しい分野でも、アイデアややりたいことがあれば、大抵はそれを実現するためのスペースが確保され、周りの人々は真剣に取り組んでくれます。そのため、さまざまなタイプの人に多くのチャンスが与えられるんです。そこに市や国の資金による支援はあまりありませんが。最近では、文化セクターを支援するために、民間人が集まってくることが多くなりました。私も以前、アムステルダムの富裕層が集まって設立した「AMARTE」という文化基金でアドバイザーをしていましたし、今もできる範囲でお手伝いをしています。こういったことは残念ながら、稀なことですが、今後もっと一般的になっていくことを期待しています。でも、もっと直接的にいえば、アムステルダムを際立たせているのは、停滞は終わりを意味するのに対して、アムステルダムは移動する場所であること、いろいろな場所に行く場所であることです。良くも悪くもそういったメンタリティが、ここに住む人たちにも染み付いているのです。だからこそ、人々はここに来て生活したいと思うし、音楽シーンはとても活気があり、クリエイティブなシーンはとても多様なんだと思います。20世紀を代表するコンセプチュアルな思想家や芸術家の多くが、かつてこの街を本拠地としていたのには理由があるんです。今のところ、ここはまだ活気のある場所ですが、私たちは、より多くの企業が実験を支援することと、実験を行う人たちや実験を促進する人たちとの間のギャップをよりよく埋める必要があると感じています。政府からの資金は潤沢にあるのですが、うまく分配されておらず、往々にしてエスタブリッシュメントの手に渡り、新しい才能を育てていくことには使われていません。これは、民間が支援できることです。もし、そうした新しい才能を支援することができれば、文化的、社会的、さらには企業がもつ課題に対して、創造的なアイデアで解決策を提供する人々を支援するということにもなるんです。それは、今、私たちが必要としていることなのではないでしょうか。
その意味で、アムステルダムとこの街の才能は、与えるものが大きいと感じています。あとは、その才能を開花させることができるかどうかです。
Words: Yuki Tamai