現在、秋田県仙北市の地域おこし協力隊として従事し、田沢湖近くで暮らすアーティストのstarRo(溝口真矢)氏による連載第六回。 あまねくストレスの種と考えられそうないくつかの普遍的なテーマをお題に、starRo氏の現在の暮らしやバックグラウンド、追憶を交えながら「ウェルネス」の本質を考える、担当編集者との往復書簡を展開する。 癒しと平穏をもたらしてくれるのは徹頭徹尾、(音などが作り出す場を含む)環境と実のあるリアルな言葉であるという仮説の元で。 第六回目のテーマは近年、再評価が著しい「アンビエントミュージック」について。
Theme.06:ブームとも言える、近年のアンビエントミュージックの人気ぶり。
なぜ、そのブームは起きたのか。
Question:
元々、音楽の玄人が聴くようなマニアックな音楽ジャンルだったアンビエントミュージックはここ最近、音楽というよりもモード(気分)の切り替えのためとして、多くの人に聴かれるようになったと思います。 前向きにも後向きにも書かれているWIREDに掲載された2022年の考察によればアメリカの音楽家、William Basinski(ウィリアム・バシンスキー)の楽曲はSpotify上で1千万強の再生回数を叩き出し、アンビエントのプレイリストはムーブメントと言ってしまっていいほどに、いずれも人気だと書かれています(前向きな部分は、ニューエイジやミニマルミュージックといったアンビエントのルーツに触れたことがない人でも聴くようになったこと。 後向きな部分は、一種の収益モデルと見られ、純度や独創性が下がったこと)。
こういったムーブメントになる前から、僕はアンビエントが大好きです。 上記の考察にもある通り、アンビエントは時に心を安らげてくれるし、集中や癒しをもたらしてくれるし、眠りを深くしてくれる実感があります。 日頃、(意識的にも無意識的にも)常に気にしている外部が溶けていく感覚というか……。
starRoさんの作った楽曲は以前から聴かせて頂いていたんですが、思い返してみてもやはり、starRoさんが現在住まわれている秋田県仙北市の温泉で行われたサウンドバスが(状況込みで)最も強烈だったなと思うんです。
お風呂上がりにstarRoさんが鳴らすアンビエントで、チル状態に入っていく地元の人たち。 音楽はあらゆる境界を越える、なんてよく聞きますし確かにそうだと思うんですけど、癒しをもたらし、自己と他者、何なら秋田県にいることすら溶かしてしまう唯一無二の体験だったんじゃないかなと想像します(湯上がりというのも相まっているとも思うんですが笑)。
でも、これも思い返してみれば、starRoさんがこれまでリリースした楽曲の多くはビートミュージックが多い印象があります。 もちろんサウンドバスと言って、ビートは流せないと思うのですが、(と打ちながらふと考えまして)どうしてビートよりもアンビエントの方がチル、気持ちを落ち着かせるのに相応しいのでしょうか。
アンビエントによる漂う音の効果ってどんなものがあると思いますか? そしてビートがあること、ないことの決定的な違いも教えて頂けたら嬉しいです。
Answer from starRo:
“アンビエントミュージックは、日本ではかつて環境音楽と呼ばれていたこともありますが、ビートミュージックよりも自然の柔らかな規則性を生み出し、私たちに自然体の感覚を思い出させてくれる”
確かに僕が作品として世の中に出しているものは、ビートミュージックが多いですよね。
でも、僕はリズムが入っていない曲も実はたくさん作っていたりして(そもそも世に出していない作品が実は8〜9割を占めています)、リズムのある時とない時の違いは元々感覚的に認識していました。 また、ビートミュージックだとしても、ビートから作るということはなくて、大抵、コードとかメロディとか音像から作曲を始めることが多いです。
秋田に移住してから、家でかける音楽はほぼアンビエントとかソロピアノの曲だったりもします。 そんな自分の変化がとても顕著だったので、ビートミュージックとアンビエントミュージックの違いについて僕も色々と考えたりしていたところです。
連載で以前取り扱った「生活のリズム」というテーマの中で、音楽のリズムという要素には生理的な時間感覚を生み出す側面と、文化的な時間感覚を生み出す側面が存在するというレヴィ・ストロースの言葉を紹介しました。
文化的な時間は、音階やリズムのパターン性によって人的に作られた構造・体系によって生み出されるもので、その構造や体系は文化によって異なると触れました。 その上で、わたしたちの多くが普段は、生理的なリズムをことごとく無視して文化的リズムに依存し、あたかもそれが生理的なリズムであるかのような正当化を無意識にしながら生きているのではないかという投げかけをしました。
いま、世に出ている新しい音楽のほとんどは、「ジャンル」分けされていたり、「ジャンル」を意識して作られるものがほとんどですが、「ジャンル」を定義する最も大きな要素もリズムのパターン性ではないでしょうか。 ヒップホップ、ハウス、テクノ、ロック、レゲエなど、ほとんどの音楽はリズムのパターン性で定義されていることが大きいですよね。 そして、そうやってリズムのパターンで定義されたジャンルには、ファッションやライフスタイルなど音楽以外の文化的要素が派生的に生まれたりしています。
アンビエントを聴きたいという気持ちの原理
つまり、ビートミュージックを聴くと、そのビートのパターン性によって「ジャンル」への意識が生まれ、その意識が様々な文化的要素に自動的に絡んでいくことになると言えます。
例えば、人疲れして誰とも話したくないような気分の時に家でポッドキャストなんかを聴いた時、やっぱり人への意識が自動的に戻ってきてしまって、静寂の中に身を置きたくなったりしたことはないでしょうか。 つまりは邪魔になってしまう。
わたしたちがアンビエントのような「ビートレス」な音楽に惹かれるのは普段、わたしたちの価値観・感覚・ライフスタイルに奥深くまで影響している文化的な影響から距離をおきたいという欲求からきているのはないかと、個人的には思います。
仕事先でのストレスも、友達の輪と噛み合わないといった悩みも、経済発展がままならない不安も、それから世界で頻発している国家間や民族同士の争いもすべて、人的な環境で形成された文化的なものです。
日常をそうした人的、文化的な影響に左右されるストレスから離れるために、キャンプをして自然の中に身を置いたり、サウナや瞑想で身も心もより自然体にもっていったりというアクティビティが「リトリート」という形でいま再注目されていますが、これもアンビエントを聴きたいという気持ちと同じ原理だと思います。
生活のリズムの回で触れた通り、わたしたちは文化的なリズムだけでなく、生理的なリズムでも生きています。 太陽や月の動き、木々や川の水流が生み出す波動の揺らぎなど、もっと抽象的な規則性の中で、柔らかにそのリズムを感じ取り、そこに自然に反応する心身がわたしたちの自然体です。
アンビエントミュージックは、日本ではかつて環境音楽と呼ばれていたこともありますが、ビートミュージックよりも自然の柔らかな規則性を生み出し、わたしたちに自然体の感覚を思い出させてくれる。 そういった体験をより多くの人が求めるほどに、いまのわたしたちの生活環境があまりにも自然体からかけ離れているということではないかと僕は思います。
starRo氏によるウェルネスに関する過去の連載記事を読み返す
#01 目的/目標
#02 自立/自律
#03 欲望
#04 生活リズム
#05 眠れない時
starRo
溝口真矢
神奈川県横浜市出身のアーティストでありDJ。 大学卒業後、テック企業に勤め、31歳の時にLAに移住。 SoundCloud黎明期に音楽制作活動を本格化させ、アップしたトラックが注目される。 2013年、Ta-Ku(ター・クー)やLAKIM(ラキム)、Tom Misch(トム・ミッシュ)などがリリースしたこともあるレーベル、Soulectionに加入し、2016年にはThe Silver Lake Chorus(ザ・シルバー・レイク・コーラス)の楽曲「Heavy Star Movin’」のリミックスを手掛け、グラミー賞 最優秀リミックス・レコーディング部門にノミネートされる。 コロナ禍を機に日本に戻り、しばらくは東京やその近郊で暮らしていたが、仙北市にある田沢湖の湖畔でDJをしたのをきっかけに現地の人と繋がり、2023年、地域おこし協力隊(リトリート担当)に任命された。 温泉あがりにアンビエントを流すサウンドバスやフィールドレコーディング体験、音浴とヨガを掛け合わせた企画を立てるなど、仙北市の人びとと深く関わりつつある。
Text(Answer):starRo(Shinya Mizoguchi)
Edit:Yusuke Osumi(WATARIGARASU)
Top Image:AI