日本におけるハウス・ミュージックの黎明期を支えたレジェンダリーなコンポーザー/アレンジャーであり、「サルゲッチュ」シリーズのサウンドトラックをはじめゲーム音楽においてもその名を知られる寺田創一。 Omodaka名義では民謡から巫女装束まで日本的な意匠を取り入れたユニークな楽曲とパフォーマンスも展開している。 そんな多彩な顔を持つ寺田に、30年以上にわたるキャリアのなかで愛用してきた機材をひとつ選んでもらい、話を伺った。
寺田がピックアップしたのは、AKAI professionalが1993年に発売したラック・サンプラーシリーズのひとつ「S3200」。 印象的な16個のパッドを搭載したサンプラー「MPC」シリーズなどでも知られるAKAIだが、このSシリーズはMPC登場以前の時代に根強い人気を誇った定番サンプラーだ。 寺田もSシリーズを初期から使用してきたユーザーのひとり。 サンプラーにはじめて触れた原体験から、Sシリーズと共に積み重ねてきたサウンドの歴史まで、存分に語ってもらった。
AKAI Sシリーズとの長い付き合い
本日持参していただいたAKAI S3200は、寺田さんが実際に使われている実機ですか。
はい。 2台持っているうちの1台を持ってきました。 AKAIのサンプラーはすごく好きで、当時は新商品が発売されたらすぐに買い替えていたんですね。 例えば、「S1000」が出たらそれまで使っていた「S900」を手放してS1000を買って、S3200が出たらS1000とS1100を手放して買い替える、みたいなことをやっていました。 S3200の後続機種で「Z4」とか「Z8」という機種があって、使っていた時期もあったんですけど、Sシリーズとデータの規格が違ったのでそれまで作り溜めてきたサンプルのライブラリーを新しい機種に移行する作業が面倒くさくなってしまって。 S3200であれば、それまでのS1100やS900のフォーマットでつくってきたライブラリーも読み込めるので、買い替えのサイクルはS3200XLで止まって、以降使い続けているということになりますね。
S3200は発売当時、AKAIのサンプラーのなかではハイクラスなフラッグシップ・モデルだったと思いますが、当時どのような点が優れていると思われましたか。
自分の感覚では、S1100と音色的には似ていると思いました。 そして音を録音できる容量が4倍ぐらいになったのかな?それが当時の自分としては、便利だと思った記憶があります。 あと、内蔵のエフェクトがすごく強力になりましたね。
サンプラーの原体験は“部員の自作機”
サンプラー自体に初めて触れたのはいつ頃でしたか。
多分、18歳ぐらいだった気がします。 学生時代(電気通信大学)に、シンセデザイン部というのがあったんですが、部室に部員が自作したサンプラーがあって。 みんなでマイクでそれに向かって声を出して、再生ボタンを押しまくるととにかく面白い。 みんなで笑いながら触ったのが最初のサンプリング体験ですね。
プロダクトとしてのサンプラーではなくて、学生が自作したものだったということですか。
そうなんです。
すごいですね!
製品としては、すでにFairlightとかEmulatorのサンプラーが発売されていた時代なんですが、 価格的にとても手の届くものではありませんでした。 だけど、単音でデジタル録音して、つまみで音程を変える程度のものであれば、学生でも工作が得意な人であれば作ることができたんですよね。 自分はできなかったけれど。
そして、その体験と同時期に、雑誌の付録でで組み立て式のサンプラーっていうのがあって、それを作ったりもしました。 「サウンド&レコーディング・マガジン」の通販だったと思うんですけど。 キットを自分でハンダ付けをして作るんです。 サンプリングできる長さは0.8秒だったかな。
そうこうしているうちに、AKAIから「S612」という機種が出たんです。 プロダクトとして購入した初めてのサンプラーがこのS612ですね。
その当時はサンプラーをどういうふうな使い方をしていましたか。
Art of Noise(アート・オブ・ノイズ)を真似てオーケストラヒットを入れるとか、自動車のエンジンの音を入れるとか。 Trevor Horn(トレヴァー・ホーン)の真似みたいなことをやっていたような気がします。
平均律からの解放、ストレッチ機能…サンプラーがもたらした衝撃
その後、寺田さんはキーボーディスト、アレンジャー、コンポーザー、ハウスミュージックのプロデューサーとして活動されていくわけですが、そんなキャリアの中で、サンプラーはどんな役目を担う楽器でしたか。
自分にとって、サンプラーはすごく革命的な楽器でした。 サンプラーが登場する以前は、ほぼ全ての楽器はドを押したらドが鳴るし、レを押したらレが鳴るものだったんです。 でも、サンプラーは、ドを押したらキーがCの音楽が鳴ってもいいし、レを押したら、Dマイナーの歌が鳴ってもいい。 楽器を自分で定義できるし、ドレミファソラシドっていう平均律の常識を崩してもオッケーみたいな、そういうマシーンだった。 音楽そのものをサンプラーに入れて再生して、違うキーで再生すると全く違うように鳴るとか。 今だったら手軽に体験できることなんですけど、当時はそれが衝撃的で。 自分としては、「平均律から解放される革命だ!」みたいに思っていましたね。
なるほど。 S3200をはじめとするサンプラーで作られた音は、寺田さんの楽曲のなかで重要な位置を占めているのでしょうか。
そうですね。 自分は、例えばTR-909とかTR-808といったドラムマシンの名機を使い倒すというよりは、それらを全部サンプリングして、サンプラーの中で擬似909を作り上げるような使い方が好きなんです。 ベースの音も、サンプラーの中で、複数のサンプルを合成して出すみたいなことをよくやっていたし、そこで作ったライブラリーは今も使い続けています。 S3200やS1000にドラムとベースを担ってもらっていたので、すごく重要な存在でした。
Sシリーズで使い込んだ機能というと、例えばどんなものがありますか。
S1000か1100についた機能で、音程を変えないまま、長さを伸び縮みさせるっていう機能(タイムストレッチ/ピッチシフト)がはじめてついて。 それまでは、音程を変えたら、鳴る音の長さが変わるのは当然だった。 今は当たり前の機能ですけれども、当時はそういうことができるようになったのがすごく衝撃的でした。
あと、S3200は内蔵のエフェクターが独特のテイストがあって好きでしたね。 エンベロープのパラメーターで、コンプレッサーがかかった音をシミュレートする、みたいなこともやったかもしれない。
特定の機能というよりは、サウンドをいじるための色々な可能性が詰まった機材として使い込んでらっしゃったっていうような感じでしょうか。
そうです。 シンセサイザー的な機能もこの中にはあって、フィルターに加えて本当に原始的な4種類の波形が入っていて、電源を入れるとその4つの波形が自動的にロードされるんです。 なので、ピーとかプーとか、そういうオシレーターの音は鳴らすことができるんですね。 それをサブベースとして使ったりしていました。
サンプラーと共に歩んできた歴史
今でもS3200を使うタイミングはありますか。
ええ、これで作ったベースの音とかは、今でもすごく気に入っているのでよく使います。
現代はハードの機材を好んで使う方もいらっしゃる一方で、制作環境としてはラップトップで完結させてしまうような人も多いです。 ハードウェアに対するこだわりはありますか。
こだわりはあまりないとは思います。 ただ、ここ(Sシリーズ)で作ってきたサウンドのライブラリーをラップトップで使えるようにするためには、移行作業をしなくちゃいけない。 細かい階層まで含んだライブラリーをPCに入れようとすると、膨大な作業になるので、いつも挫折しちゃうんです。 なので、「あの時のあの音が使いたい」と思ったら、そのMOとかフロッピーを箱から出してきて、ここにロードすることがいまだに多いんです。
確かに、築き上げてきたライブラリーの歴史がありますもんね。
もしかしたら、例えば人工知能みたいなものに、その移行作業をお願いできる日が来るのかもしれないですけど。 「あの時の、 あの相撲の行司の声を」というような曖昧な指示でも音源を呼び出せるような未来が来たら、ラップトップで完結させられるかもしれない。
なるほど。 ありがとうございます。 寺田さんのキャリアを通して、サンプラーという機材の歴史の一面を知ることができたように思います。
ちょうど、サンプラーが非常に高価で手に届かないものだったものから、日進月歩でどんどんと安いものが出るようになった時期が、自分が18歳ぐらいの頃だったんですね。 そういうタイミングと環境だったから、サンプラーというものにのめり込めたのかもしれない。
寺田創一
1965年3月19日生まれ、東京都出身のミュージシャン/アレンジャー/作曲家。 電気通信大学では計算機科学を専攻。 在学中よりセッションミュージシャンやマニュピレーターとして、89年より作編曲家やリミキサーとして活動。 同時に自主レーベル〈Far East Recording〉を設立。 97年頃からはドラマやゲームソフトのサウンドトラック制作を通じて映像的なアプローチも行なう。 2009年からは液晶モニターと携帯ゲーム機と巫女装束でOmodakaのパフォーマンスを始め、加えて2015年からは国内外でハウスセットのライブ公演も続けている。
Photos:Keisuke Tanigawa
Words:imdkm
Edit:Kunihiro Miki