現代のストリーミングサービスは膨大な過去のアーカイブを有しているが、一方でアナログレコードが見直されている。 この昨今の状況は、現在の都市生活におけるエスケープなのではないか。 「生活」と「音楽」を重ね合わせる行為。 これはかつて、 “生活に必要なものこそ美しくあるべき” と、「生活」と「芸術」を重ね合わせてみせたイギリスの思想家であるウィリアム・モリスらによる「アーツ・アンド・クラフツ運動」にも重なるものがある。 それは、安価かつ質の悪い大量生産品が世に跋扈(ばっこ)していた状況に対する、産業革命以降の反動だった。 生活を豊かにするためのデザインやプロダクトが溢れていた時代は、そう願う人びとの想いと、それを叶える人間の「手(仕事)」によって支えられていたはず。 アナログレコードもまた同様に、造り手(=アーティスト)と職人(=技術者)の相互作用によってつくり出されるプロダクトであるとするならば、職人の「手(仕事)」が積み上げられた、末端にまで血の通った作品は「クラフト作品」と呼べるのではないか。
今回は、そんな職人たちの手元にフォーカスし、アナログレコードの製造工程を追うために「東洋化成」の工場へと潜入。 ゲストには、ソロとしてだけでなく、変幻自在に精力的な活動を続けるアーティストのermhoi(エルムホイ)をお招きし、Part.01では、彼女の考えるアナログレコードの魅力と1stアルバム『Junior Refugee』を再解釈し、LP版としても昨年リリースされた『Junebug Rhapsody』の制作背景についてインタビュー。 Part.02では、国内随一のレコード製造工場を有する「東洋化成」の工場内を見学しながら、レコード製造の一部始終を追った。
初期作を再構築した理由
まず皮切りとして率直な質問なのですが、アナログレコードに対してどんな印象がありましたか? 例えば、幼い頃など。
アナログレコードは昔から家にあったので身近なモノでしたが、同時にちょっとだけ遠い存在でもあって。 単純に傷つかないように大切に扱わないといけないというか、簡単に触れていいモノなのかな? という印象があったので。 ただ、大人になるにつれて、“ゆっくり生きる”という自分のライフスタイルに変わってきて、時間をかけて音楽を聴くことが、レコード自体がもっている時間感覚と重なってきたんです。 スリーブからとり出して、針を落とす。 ちょっと儀式みたいな感じがあるじゃないですか。 そういう時間の使い方が、音楽を聴くためのマインドセットとしては大切な気がするんです。 仕事柄、デジタル音源で音楽を聴いたり確認することがほとんどなんですけど、アナログレコードで聴くというのは、より “音楽を聴いている” 実感が湧きますね。
確かに、アナログレコードを徐々に立ち上げながら全身でゆっくりと聴くような音楽体験は、サブスクで直接耳から聴く行為とはまた異なるように思います。
デビューアルバム『Junior Refugee』はデジタル音源でのリリースでしたが、今回の『Junebug Rhapsody』は当時の音源を再解釈して制作され、且つ、アナログレコードでリリースされていますよね。
音楽をもっと丁寧に聴いてほしいというのが今回アナログレコードで音源をリリースした理由のひとつでした。 つくる立場としては、そういうふうに聴いてもらいたい気持ちは、やっぱりありますよね。 もちろん、気軽さもほしいんですけど(笑)。
当時は遊びの延長というか趣味でやっていたので、音楽で食べていこうとか生活の中心に音楽を据えるようなことは全く考えていなくて。 なので、好き勝手アイデアだけを詰め込んでつくっていたんですね(笑)。 アイデア自体は面白かったと思う一方で、いま改めて聴き返してみると「ちょっと恥ずかしい」と思うようなところも個人的にはあって。 時空を超えて ”独り” でつくっていることを圧縮する行為として、過去の自分と一緒に作品をつくり直してみようと思ったのが今回の『Junebug Rhapsody』制作の原点になっています。
昔はリハーサルスタジオに入って、隣の部屋のドラム音が漏れているなかで録音したり、住んでいた家の壁が薄くて部屋だと小声でしか歌えないみたいな思い出もあるなかで、いまはある程度経験も重ね、周囲の人たちの姿勢にも影響を受けたり、自分の作品を世の中に出すことの意味や重みについて考えることもあり、もっと丁寧につくりたいという想いが次第に強くなってきて。
音楽に限らず、映画作品なんかも過去の自分を見続けなければならない宿命みたいなものはありますよね(笑)。 でも、それが次の作品をつくるための原動力にもなっているのかもしれません。 先ほども少しお話しされていましたが、今回の作品をLP版としてもリリースした理由について教えてください。
データという単位で聴くのはとても簡単です。 ダウンロードでも、ストリーミングでも。 だけど、スルスルとすり抜けてしまうというか、昔に比べて音楽というものがぼんやりとした存在になってしまった気がして。 レコードでもCDでもそうですけど、何度も何度も聴き返して自分の身体のなかに音楽を取り込むような感覚がかつてはあったはずなんですけど、最近は音楽を所有することがなくなってきている。 なので、音楽を聴く姿勢を見直すという自戒の意味も込めて、モノをつくることにチャレンジした経緯がありました。
自分の想定外の世界に浸透できる音楽
音楽を所有することについて考えていたんですが、サブスクという概念はあくまでもコピーであって、そのデータを聴くための権利を買っているんですよね。 だから、実際にはレコードのようにプロダクトとして音楽を所有するのとはわけが違うし、モノを所有するというよりは、いつでも好きな時に聴ける又借り状態というか。
アート作品とかって、飾ることで作品を愛でる時間を所有できると思うんですけど、プロダクトとしての音楽ってどうしてもデータという側面が強いから、一曲一曲が切り売りされることで価値が下がってしまいますよね。 そう思うと、物理的に所有することに魅力を感じる。 曲の流れやアルバム全体がもつ雰囲気が音楽自体の価値の向上にもつながっていく。 そもそもアナログレコードって、それだけでひとつの作品として飾れるサイズ感じゃないですか。 だから、中身もそれに見合う熱量のあるモノにしなければなって、気合が入るところもあって。 2021年リリースの前作『Dream Land』では、そのあたりも意識して、アルバムとストリーミングとでジャケットのグラフィックサイズを変えていたりもしたんです。
ermhoiさんはBlack Boboi(ブラック・ボボイ)、石橋英子と、個を軸にしつつも、様々なアーティストとチームを組みながら、ある種、即興的なジャズミュージシャンのような活動をされている印象があるのですが、それゆえ、幅広いファン層に受け入れられているというのもいまらしいというか、ユニークな状況なのではないでしょうか。
ジャズって、その日その日でメンバーが流動的に変化していくなかでプレイしたりするのですが、ジャズミュージシャンと関わる前から色んなジャンルが好きだから、色んなライブに行っていたし、そこに足を運ぶことで出会った方々と一緒に音楽をつくっていくなかで自然とこのスタイルに行き着いたんです。 アナログを大切にと言ってはいますが、私たちはデジタル世代ですし、デジタルを通して出会えた音楽も多い。 ジャンルレスに音楽を聴ける環境にいるということ自体が現代的な話なのかもしれませんよね。 受けてきた影響を消化してアウトプットしていくと、ジャンルの垣根がなくなってきて、ポップとエクスペリメンタルが同居することだってある。
コラボレーションのきっかけは、自分の音楽をどこかで聴いてくださった方からメッセージを頂くパターンが多いんですが、私自身、何でもやりたがりというか。 あまりにも脈絡がないように感じる時もあるけど、おかげで色んなリスナーに出会える良さはあります。 全く自分が想定していない世界に浸透しているというのは不思議な感覚ですよね。
以前、音楽イベントで女子高生に囲まれていたのを目撃したこともあるんですが(笑)、それだけ色んな方の興味を音楽に向けているとも言えますよね。 そんなアーティストがレコードで音源をリリースするとなれば、レコードにも当然注目がいくはずで。
ところで、Black Boboiはどのようにして結成されたのでしょうか。
Black Boboiは、メンバーがそれぞれがソロで活動していて、エレクトロだけどシンガーソングライターのようで、でも弾き語りという感じでもなかったり……と、ライブイベントにひとり出演しに行くけど、どこか浮いていることが多くて。 そんな、どこにも属せない音楽性をもった人たち(メンバー)が、お互いの音楽に共感し合って自然と結成されました。 最近は精力的に制作活動を行っていて、デモもたくさんつくっているんです。 これまでミニアルバムとしてCD-Rにジャケットをつけて売り出したり、2ndもダウンロードコードにリリックブックをつけてリリースしたので、現時点ではフィジカルとして存在しているモノがなくて。 いまっぽいと言えばそうなんですけど、数年前まではモノをつくる意欲がなかったのに、最近は活動するなかで少しずつ意識の変化があって、形を残すことを考えるようになりました。
手仕事が生む「クラフト作品」としてのアナログレコード
そうすると、やっぱりフィジカルの話に戻ってしまうんですが(笑)、アナログレコードでは、曲順もカッティングエンジニアとアーティストとの掛け合いによるものだったりしますよね。 アナログレコードの性質に合わせて、アーティストと技術者がともに歩み寄りながら作品を完成させている。
今回の『Junebug Rhapsody』は、『Junior Refugee』の曲順を入れ替えることなくアナログレコードに音を掘っていったんですが、音楽をつくる側もアナログレコードの性質を理解しないといけないことを実感しました。 想像力は無限大なので作曲においては何をしてもいいわけなんですけど、カッティングエンジニアの修行をしている友人から周波数の特性などの話を聞くと、それをフィジカルとして形に残すための工夫や歩み寄りみたいなものが必要だし、それには新たなアプローチも求められる。 アーティストもレコードのことを知らないといけないですし、やっぱり表現する上でアルバム全体のムードだったり、流れを決める曲順って大事じゃないですか。 音質にしてもそうですが、アナログレコードの特性をひとつの基準としてもっておきたいと思うようになって。
Black Boboiの制作は、あえて東京を離れてされているということですが。
制作は山の中でしているんです。 これまで10年以上東京で暮らしながら制作してきたんですけど、自然のなかに入ることで何でも躊躇なくできるというか。 現実から離れる、ではないですけど、 “当たり前” を考えてしまうことから解放されるような感覚があって。 東京にはたくさんの刺激が溢れているし、活動の中心にもなっていますが、アウトプットする環境としては案外自然のなかのほうが向いていたりする。 本来の自分から意識的に距離を置く時間を日常にも取り込んでいきたいと思っているんです。 東京にいると意識しなくても都市の活動リズムに飲み込まれて、余計なことを考えてしまって、自分と向き合う時間を奪われがちになりますよね。 目の前のことにフォーカスできなくなってしまうんですが、都会から離れることで努力せずニュートラルな自分でいることができる。 レコードを聴く時間も、都会から離れて自然に入る時の感覚に近いような気がするんです。
音楽をいかにゆっくり丁寧に聴けるか。 レコードを聴く動作の一環で、自分が知ってる曲やアーティストの裏話をしゃべってみたりもできるわけじゃないですか。 音を聴くまでの距離がゼロ距離で直接自分の耳に入ってくるというよりは、同じ空間で楽しむことができる時間って好きだなって。 あとは、フィジカルだからこそもち得る余白のようなものに偶然性や思い出のようなモノが収まっているような気もしていて。 写真やメモ、もしかしたらメッセージみたいなものが挟まっているかもしれないし、それを何年かあとに見返すかもしれない。
この間、親戚の集まりがあって、おじいちゃんがタバコを吸いはじめてからやめるに至った経緯が文章に残っているという話を聞いて何かエモいなって思った一方で、紙とかレコードのように形として残せる記録メディアの存在って大きいなとも感じて。 次世代に残そうとまでは思わないかもしれないけど、いつか自分が手元にあることで思い出す記憶への愛情みたいなもの、家族や友人の記憶。 そういうモノの一部になれたらいいなと思うし、そういう音楽を届けていきたいですよね。 ゆっくり音楽を聴ける環境を整えることが本質的な豊かさと密接につながっているような気がします。 そういう時間をひとりよりもふたり、ふたりよりも三人と、より多くの人にシェアすることができたらと思っています。
Part.02 東洋化成 工場見学編へ
ermhoi
日本とアイルランドにルーツをもち、ジャンルレスに活動の裾野を広げるトラックメイカー/シンガー。 2015年にリリースした1stアルバム『Junior Refugee』は、8年間の活動を経て『Junebug Rhapsody』として再構築され、2023年にSalvaged Tapesよりデジタルリリース、翌年1月にはLP版がリリースされた。 石橋英子やJim O’Roukeとの共演も注目を集めているが、2018年には、小林うてな、Julia ShortreedとともにBlack Boboiを結成し、翌年の「FUJI ROCK FESTIVAL ’19」ではレッドマーキーにも出演を果たした。 2019年には、King Gnuの常田大希率いるmillennium paradeにも参加。 国内外での活躍が楽しみな、今後も目が離せないアーティストのひとりだ。
Photos:Shintaro Yoshimatsu
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)