音響の施工にはお金がかかるもの。こだわりたい…でもなるべく低予算でおさめたい。
東京・恵比寿の恵比寿橋のすぐ近くにある美容室「Raw」は、今年の1月に中目黒から恵比寿へと引越し、リニューアルオープンをした。音にこだわるオーナーの中川りえこさんと、その店内の音響のセッティングを担当したFly Soundの福岡功訓さんに、低予算でも音響にこだわった空間が出来上がるまでのあれこれについてお話を伺った。
とにかく自分の生活とともに音楽があった
まずは中川さんご自身について教えてください。そもそもどうして音楽が好きなのですか?
中川:まず、小さい頃にピアノを習っていたことと、親がクラシックなロックミュージックが好きで、いつも音楽が流れている家庭で育ったことが大きいですね。17歳くらいまではクラシックな音楽しか知らなくて、J-POPや流行の音楽には興味を示さない人でした。進学先として美大を目指すようになって、そこでさまざまな出会いがあって、より広く音楽を知るようになったんです。それと、私が生まれ育ったのは札幌なんですが、札幌には音楽が好きな方が多かったり、いいレコード屋さんやライブハウスがあったりで、音楽に触れる機会に恵まれていました。
福岡:プレシャスホールとかすごいよね。
中川:そうなんですよ!とてもいい音なんですよ!空間と音のこだわりを感じるし、きっと硬派なポリシーがあって、それを長年続けてるのも尊敬しています。あとは最近だと、ミュージシャンで友人のSummer Eyeの夏目くんがおすすめしてくれたPROVOは行ってみたい場所のひとつです。

美大に合格して東京に引っ越した後、最初に夢中になったのはエレクトロニックミュージックでした。その時に「音楽って面白い!」と強く感じて、そこからさらに深く音楽を探求し始めたんです。ハードコア、パンク、ロック、などのバンドサウンド、ヒップホップやR&Bなどにも夢中になって、70年代から現代に至るまで、幅広いジャンルの音楽を聴くようになりました。
美大を出てから美容師になられたのですか?
中川:ダブルスクールで美容学校に通って、美容師免許を取得しました。卒業後は原宿青山の某有名店でヘアスタイリストとして働いて、そこから一度転職して、広告業界のグラフィックデザイナーとして働いていた時期もありますが、どの環境でも生活と仕事の中には常に音楽がありました。
数年が経って、もう一度お客様の髪を切りたいという強い気持ちが芽生えて、美容師として再挑戦したんです。それでひょんなことから、そのときに勤めていたお店でBGMの選曲を担当するようになりました。自分の趣味以外で、他の人がどういう音楽に興味があるのか、あとは空間と音楽の関係性について考えるきっかけになりました。そのお店はスタイリッシュなお店だったので、あえてイメージと対照的なサウンド中心の音楽をかけてみたりとか。いろいろと試していく過程で自分の中で音楽の幅が広がったように感じましたね。
その後、独立して中目黒で開業しました。以前のお店は39平米のコンパクトな空間で、建築家の南俊允くんのデザインが際立つお気に入りの場所でした。そこはシンプルな建築デザインだったので、営業にかける音楽はどちらかというと少し荒削りで無骨なサウンドで、雑多なライブハウスにいるようなイメージで考えていました。
中川さんが営業中にかける音楽はどうやって選んでるのでしょうか?
中川:私は少しギークっぽいところがあって、音楽は様々なメディアで毎日チェックしていて、新譜が出ると必ず聴いているんです。聴きたい曲を選ぶときは自分の直感や感覚を大切にしていますが、それ以外のジャンルも聴きたいのでオーバーグラウンドやインディーズまで全部チェックしています。あとは友人にミュージシャンや音楽が大好きな方が多くて頻繁に音楽の話をしているので、そこから得られる情報もとても貴重です。
ちなみに福岡さんはどんな音楽を聴くんですか?
福岡:僕も仕事柄というところもあるんですけど、全部聴きますね。新譜はもちろん、J-POPも聴くし。子どもが2人いるので、アイドル系も流す程度ですが聴いてます。車の移動とかで子供が流すんですよね。音質が気になりながら聴いてます(笑)。僕はやらないのであんまり詳しくはないんですけど、TikTokで子どもが聴いているような音楽がチャートインしていたりするんですよね。サビの歌詞のワンフレーズがハマると、昔の曲も人気が出てくるから面白いですね。
そんな福岡さんは、どのようなきっかけで音響の仕事に携わるようになったのか、教えてください。
福岡:最初から話すと、僕は熊本県出身で、高校を卒業してから東京にあるギタークラフトの専門学校に進学しました。卒業後は熊本県に戻って、中古楽器販売の仕事をしていたんですけど、そこから現場に出ようと思って24歳の頃に再び上京して、ローディーの会社でインターンとして働いていました。
高校のときに一緒にバンドを組んでいた友人もレコーディングエンジニアになるために上京していて、東京で仕事をしていたんです。その友人が一緒に働いていた音響チームの方々とは僕も面識があったんですけど、彼がエンジニアを辞めるとなったタイミングがちょうど僕がローディーの会社でのインターンを終えた時期と重なって、彼の師匠にあたる人に「手が空いてるなら手伝ってくれない?」と言われて、それがきっかけでPAやレコーディングの仕事に携わるようになりました。

そこから今は独立されて、音響やレコーディング、音響のセッティングの会社Fly Soundを立ち上げたんですね。
福岡:そうですね。
福岡さんの経歴、中川さんはご存知でしたか?
中川:知らなかったです(笑)。

そんなおふたりが知り合ったきっかけは?
福岡:僕がPAを担当していたアーティストの制作をしていた子が中川さんの友人で。
中川:そうそう、仲原達彦くんですね。彼はアーティストのマネジメントとビデオディレクターをしている人なんですけど、リスペクトしてて。Rawを開業するときに、音響システムでちょっと相談したいっていう話をしたら、福岡さんを紹介してくれたんです。福岡さんには前の中目黒のお店でもお願いしていて、今回の恵比寿のお店でも、中目黒のときに導入した機材を活かしつつバージョンアップを図りたいというリクエストをしました。
「低予算の中でいかにして面白いことをするか」
ではお伺いしたいのですが、音響周りの金額事情ってどんな感じなんですか?言える範囲で構いませんので教えていただきたいです。
福岡:特に店舗設計の場合って、かけられる金額はピンキリなんですよね。狭いお店だとしてもアンプとスピーカーにこだわって100万円以上をかける人もいれば、数十万で一式を揃えたいという人もいます。そこは本当に予算次第ですね。機材を新しく用意するのか、中川さんのように持ち出しがあるのかでまず変わってきますし。今回のRawの場合、通常ならだいたい60万円くらいかなーという感じですね。
あとは、施工費用が案外かかってきます。たとえば天井にスピーカーを吊るしたいとして、スピーカーを設置するための配線を這わせるために天井にアンカーを打つ必要が出てくる場合があるので、その工事をするとなると職人さんにお願いすることになりますよね。するとやはりその予算が必要になってくるので、結果的にお金がかかることになります。なので、その費用を抑えたい場合は音響を考えつつ一角に置くなどして、「工事」ではなく「設置」の提案をします。
ちなみに「本っ当に最低限でどうにかしたいです…!」というリクエストがあった場合には、どのような提案がありますか?
福岡:そうなってくると、アドバイザーみたいな感じで「Bluetoothのスピーカーを入れたらどうですか?」というような回答になりますね。たとえばビンテージのスピーカーのような、知識がないと難しい機材であれば別ですが、家電量販店で売っているような比較的誰でも扱いやすい機材であれば、僕が出向かずとも設置できますからね。
では、Rawの場合について教えてください。今回恵比寿に移転するにあたり、新しく導入した機材はありますか?
福岡:まず、コンセプト的な話からすると「低予算の中でいかにして面白いことをするか」というところがあって、ひと昔前のライブハウスやクラブにあった機材で音響を作ろう、という試みが前提にあります。たとえば棚の一番上に設置してあるスピーカーは今回新しく導入したんですが、80〜90年代ではどこのレコーディングスタジオでも使われていたような機材です。このアンプだったり、その他も同様で、90年代はだいたいのクラブで導入されていたような音響機材で揃えました。ちなみに「新しく導入した」と言いましたが、今回は予算を抑えるためにほとんどの機材は中古で購入しています。
そうでしたか。ちょっと話が逸れますが、中古で機材を購入する際に、何か気をつけた方がいいポイントはありますか?
中古で機材を買う場合は、多少割高でも調整品や状態が良い物を購入した方がいいですね。電子機器にはコンデンサーなど、寿命がある部品が使われているので。
なるほど!アドバイスありがとうございます。では話を戻しまして、Rawの機材について、上から順番に教えてください。

福岡:棚の上のスピーカーはYAMAHAのNS-10Mです。たぶん昔のレコーディングスタジオの画像を検索すると、たいていのスタジオにはこれが置いてあると思います。本当はNS-10M Studioを導入したかったのですが、見た目はほぼ一緒なので予算の都合上10Mにしてます。
間に置いてあるのはSONYのTC-D5「カセットデンスケ」というもので、カセットのレコーディングプレーヤーです。再生はできるんですけど、ちょっと回転の速度が不安定になっちゃっているので、オブジェです(笑)。
棚の1段目は、ミキサーはMACKIEの802-VLZ3です。レコードでもデジタルでもまとめられるようになっています。これも今回新しく導入しました。前のお店ではiPodを有線でつないで直接音を流していたのですが、オーディオストリーマーネットワークプレイヤーのWiim Proも新しく導入してスマホからでも流せるようにしました。イコライザーはイギリスのメーカーKlark-TeknikのDN405ですね。これは前のお店から持ってきました。

この機材を選んだ理由はありますか?
福岡:もちろん良いブランドだからということもあったんですが、僕の会社で使わなくなったのでお譲りしました(笑)。現場ではアナログからデジタルへ移行しているので、こういうアナログの機材って今は溢れているというか、使いどころが無いんですよね。昔だったらこういった機材をギッシリとラックに収めた状態でライブハウスだったりツアーだったりで使用していたのが、デジタルになるとコンソールだけでほぼ完結しますから。
この下にあるのがアンプで、YAMAHAのモデルP2050です。ここまでがここの棚に置いてあるスピーカーに繋がっているシステムですね。レコードプレーヤーの下の3段目に置いてあるシステムが天井についているスピーカーのアンプに対応していて、2システムになってます。

3段目は上からFURMANのD10-PFP、業務用の電源タップみたいなものですね。コンプレッサーはDBXの 160X、このパワーアンプはBGW Systemsというメーカーのモデル250eで、最後の段にあるのはFostexのサブウーファーです。

ミキサーで切り替えられるようにしてあるので、例えばこうすればレコードだし…(ミキサーを操作)音源を切り替えられます。
中川さんはもう使い方はバッチリですか?
中川:勉強中です!(笑)
一同:(笑)

天井に設置されているスピーカーは前のお店から持ってきた、自作されたものだとか。
福岡:ユニットは8cmのフルレンジのスピーカーです。なんでこのスピーカーにしたかというと、とにかく本当に予算がなかったんです(笑)。なので、とりあえず最初はクセがなくて聴きやすいものを用意しようと思いました。そのときには他の機材も買わないとなにも無い状態だったので、安いもので全てを揃えると、後から全部を入れ替えたくなっちゃうと思ったんです。
だから、とりあえず長く使うものはそこそこちゃんとしたものを買って、スピーカーはとりあえず組んだものにして予算ができたら替えよう、という話をしていたんですがそのままずっと使ってくれています。
中川:最初、本当はTaguchiのスピーカーが欲しかったんですけど、福岡さんのスピーカーは使えば使うほど、めちゃくちゃ音が良くなってきて。
福岡:やっぱり自分で箱とかパーツを集めてきてスピーカーを組むと、すごくコスパが良いんですよ。数万円から数十万円で売っているスピーカーの原材料費がその金額と同じということはなくて、だいたいその1/10くらいの原材料で作っているということだから、たとえば3,500円くらいのスピーカーユニットと箱を買ってきて組んだスピーカーって、製品であれば数万円くらいのものに相当してくるんですよね。
制作にはどのくらいの時間がかかったんですか?
福岡:あれは作り始めたら30分くらいでできますね。
そんなに早いんですか?
福岡:箱はもう、もとからできているものを用意して、ユニットや配線を中に入れてねじ留めするだけなので。秋葉原とかのオーディオショップに行くと、8cmのスピーカーユニットが入れられるような箱が売ってるんですよ。
言葉のイメージを汲み取って考えられた音響
Rawの音空間は、どのような考えのもとにつくられたんですか?
福岡:音源が1箇所だけだとそこからダイレクトに音が聞こえちゃうんで、そうならないようにクラブみたいな考え方で、上奥からの音と手前からの音でフロアをなるべく満たせるようにしました。手前でも奥でも音が鳴っているので、そうすることによってどこに行っても音が小さくなることがないようになっています。
あと、中川さんからのリクエストで「人の声が聞こえないようにしたい」というのがあって、いわゆるマスキング効果っていうんですけど、要はここで話している内容が店内に響かないように、BGMの効果で隣の人の声を聞き取りづらくしたいということも狙っています。

そういった効果を作り出すためには、壁の素材や窓の素材も関係してくるんですか?
福岡:そういうのもフロアに対する反射音に関係してきますね。ここなんか特に吸音するものがあんまりないんですけど、かといって使っている素材は硬いので、嫌な感じ(反射音)がする素材ではないんですよね。その点でいうと、音量を上げなくても音をしっかりと作れる。ただ、同様に話し声もすごくしっかり聞こえる造りなんですけどね。
音響の人って、何もない空間で手を叩いて、パンッて音を出しているイメージがあるんですけど、あれは何をしているんですか?
福岡:あれは空間の音の反射だったり、定在波*をみたいからやってるんですね。ここって、結構音が響いているんですよ。ワァっていう感じでリバーブ感というか反射音があって、手を叩くとわかりやすいんです。ここの場合は手を叩いた音が向こうにいって、コンクリートの壁やガラスの窓に反射して戻ってくるのがわかります。
*定在波:スピーカーから出た音が壁や床、天井の間を反射して干渉し合い、特定の周波数で音圧が強くなったり弱くなったりする現象

音の反響以外に、福岡さんが空間の音づくりに関して気をつけているポイントはありますか?
福岡:そこをどういう音空間にしたいか、ということですね。たとえばコンサートの会場の場合ですと、ロックだったら音は浴びるほど大きくしたいし、同時にステージから聴こえるようにもしたい。これがクラブだったら、音に包まれるようにしたい。それが商業施設で、自然の中にいるような雰囲気をつくりたい場合だったら、大きいスピーカーじゃなくて小さいスピーカーを点在させるようにするとか。その辺はクライアントと話をして、どういう音空間をつくりたいのかを聞いたり、「こういうのはどうですか?」という感じでこちらから提案をしています。
先ほど「人の声が聞こえないようにしたい」というリクエストが中川さんからあったと仰っていましたが、それ以外にもリクエストをされたんですか?
中川:福岡さんはRawを中目黒にオープンさせるときから、音響を考えるために何度もお店に足を運んでくださっているし、実際に髪を切りに来てくれることもあります。長い付き合いということもあって、私が選ぶ音楽の感覚をよく理解してくれているんです。
なので今回の恵比寿への移転の際も、空間づくりの雰囲気や店内レイアウトの図面、音響機器や什器を前のお店から再利用して、 “移動とリニューアル” をコンセプトにしたいという考えも全て相談しました。言葉のイメージを汲み取ってくださるのが福岡さんなので、あとは完全にお任せです。
福岡:それでいうと、中川さんがかける音楽的にサブウーファーは絶対に入れたいな、みたいな。
コンセプトについて、詳しく教えていただけますか?
中川:一言だと言い表しづらいんですが、まず、前の中目黒のお店から丸ごと移動させて、恵比寿という土地でプラスアルファを加えて、未完成だったものをさらに良く仕上げ、長く使っていたものに新たな素材を加えて再構築し、新たなスタートを切る、ということです。
お店のコンセプトでいうと、私は〈お客様、私、そしてスタッフがつながりから生み出すもの=有機的なもの〉と考えているので、それが出来上がる空間としてRawの店内では有機的なものがあまり無いようにしたいと思っているんです。その空間に、ここ数年訪れているロサンゼルスの街での記憶や、学生時代に夢中になったドイツのデザイン、モダニズム運動、映画の影響を反映しています。そのビジョンやお店のイメージの曲を建築家の南くんに共有して、今回も設計してもらいました。毎回とても大変だと思いますが、南くんのセンスには本当に感謝しています。
それと「〇〇っぽい」と言われないようにしよう、というのが今回の裏テーマです(笑)。例えば「東京っぽい」って言われたくないかも…。
「東京っぽい」とは?
中川:これはあくまでも私の個人的なイメージですが、昔は大きなトレンドがあって、そのトレンドの中に人がいっぱい居たような気がしていたのですが、情報が加速度的に広がる今では個々のグループが細分化され、それぞれが独自の “コミュニティ” のようになっていると感じています。でも、そうした枠に囚われる必要はないんです。とにかくジャンルに囚われると、その枠から抜け出せなくなるかもしれない。だからこそ、自由な発想を大切にしたいと思っています。

最後に音響の話に戻りますが、今回新しくレコードを導入しようと思ったきっかけは何でしょうか?
中川:単に私の欲望です(笑)。福岡さんが組む音響でレコードを聴いてみたくて!
なるほど(笑)。実際に聴いてみていかがでしたか?
中川:スーサイド(SUICIDE)の『SUICIDE』という古いLPを持ってきたんですが、アナログ録音の音をそのまま聴けるのは本当に最高だと感じました。デジタル配信でも聴けるんですけど、どこか現代的に感じられて少し違う印象を受けるんですよね。
この曲は最近では映画『Civil War(シビル・ウォー アメリカ最後の日)』の挿入歌としても流れていましたが、現代風にアレンジされている印象がありました。やっぱり、オリジナルにはオリジナルならではの魅力があります。今日久しぶりに原曲を聴けて、とても嬉しかったです。
Raw
〒150-0012 東京都目黒区渋谷区広尾1丁目11-2 AIOS広尾ビル1F 222 Raw
OPEN:10:00~19:00(予約は18時まで、)
定休日:火曜日、水曜日
Fly Sound
2009年、福岡功訓によって設立。主な事業内容は音響技術業務及びプランニング、コンサート及びイベントプランニング・運営、建築音響の設計及び施工、音響機器の開発及び販売、ライブハウス・イベント施設の企画・運営・管理、芸術家のマネージメント業務。
HP
Photos:Soichi Ishida
Words & Edit:May Mochizuki