OKIはアイヌの伝統弦楽器、トンコリの演奏家として唯一無二の活動を続けてきた。2022年1月にはこれまでの楽曲をまとめた編集盤『Tonkori in the moonlight』がロンドンのMais Um Discosからリリースされ、同年にはヨーロッパツアーも実施。昨年12月にはタイ最大級の音楽フェス「Wonderfruit」にも出演するなど、近年海外での活動も活発化させている。

そんなOKIの表現の軸となるのが、OKI DUB AINU BANDの活動だ。このバンドではダブ/レゲエやブルースなどの要素も溶け込んだバンドサウンドを奏で、各地の音楽フェスを賑わせてきた。昨年末にはOKI DUB AINU BANDの歴史的名作『Sakhalin Rock』(2010年)がレコード化されたばかり。3月から4月にかけては全国7か所を回る久々のツアー「SAKHALIN ROCK TOUR 2025」も予定されている。

「ゴールデンカムイ」の大ヒット以降、アイヌ文化に対して注目が集まるなか、OKIは時流に流されることなく己の表現を磨き続けてきた。そんな彼の世界観が凝縮された『Sakhalin Rock』について、昨今のアイヌ・ブームについて、そして「そもそも俺は『民族』を第一の看板にしてない」という自身の表現について――。ツアーのリハーサルのため東京滞在中のOKIにたっぷり語っていただいた。


2022年にMais Um Discosから出たOKIさんのベスト盤『Tonkori in the moonlight』から話を始めたいんですが、あの作品はどのような経緯で出ることになったのでしょうか。

2020年にロンドンでライヴをやったとき、Mais Umのプロデューサーであるルイス(・ロビンソン/Lewis Robinson)が遊びにきてくれたんですよ。それ以前にもドイツのレーベルから(安東)ウメ子さんの作品*を出したことはあるけど、俺の作品が海外で出たことはなかったから、いつか出したいとは思っていました。

*ドイツのPingipungからリイシューされた安東ウメ子の『Ihunke』(2001年)。OKIがプロデュースを手がけた。

Mais Um Discosは民謡クルセイダーズや中国のハウィー・リー(Howie Lee)の作品も出してますよね。

ルイスが関心のあるものを出してるということなんだろうね。自分が世に広めたい音楽を発表するために資金を集め、しかもコンサートをブッキングするわけで、ルイスみたいな人がいることで世に作品を出せる人がいるわけじゃないですか。音楽愛に導かれて頑張ってる人だよ。

海外でOKIさんの音楽はどのように受け止められているのでしょうか。

結局は自分たちが良い演奏ができるかどうかが大事なんだよね。良い演奏ができた場合、どこでやろうと関係ないんですよ。もちろん反応は全然違うけどね。たとえばブラジルは意外と最初はシャイ。一方、台湾は曲が終わったあとの反応がめちゃくちゃ早い。じゃあ日本はどうかというと、曲が終わってから声が上がるまでちょっと間があるの。日本の場合は他のお客さんの出方を意識しているから、少し間が開くんです。

なるほど。一番反応がよかったのはどこですか?

オーストラリアで開催された「WOMAD*」というフェスティバルに出た時ですね。演奏が終わってバックステージにはけてからアンコールを求める拍手が鳴り止まなかったんですよ。その日は次のバンドの演奏が控えているからアンコールはできないことになっていたんですが、10分経っても15分経っても拍手が収まらなくて。これはすごいことになったなと思いましたね。百戦錬磨の沼澤さんですら、こんな熱狂的な反応をもらったことはないと言っていたくらい。後にも先にもあんなに盛り上がったことはなかった。昔は反応が悪かった場所もあったけど、それは自分たちの実力が伴ってなかったということだと思う。

*WOMAD:World of Music, Arts and Dance。音楽ジャーナリストのトーマス・ブルーマンとミュージシャンのピーター・ガブリエルが中心となって1982年にスタートした音楽フェスティバル。欧米の音楽だけではなく非西欧圏のミュージシャンを多く取り上げてきた。2013年時点で開催回数が160回となり、ギネスブックに「世界最大の国際音楽フェスティバル」として認定されている。1988年からはイギリス以外の国々でも開催され、日本では『ウォーマッド横浜フェスティバル』として、1991年から1996年まで続いた。

トンコリを現代の音として鳴らすために。その実験と答え

OKIさんの活動のテーマのひとつとして、「伝統楽器であるトンコリをどうやって現代のポピュラーミュージックのなかで奏でるか」ということがあると思うんですよ。大きな音のリズム隊と演奏するうえではトンコリのエレクトリック化が必須だったわけですが、活動初期はまだ試行錯誤の段階だった?

それはあるかもしれないね。トンコリの演奏を始めたころ、ジャズのピアニストとセッションをやったことがあって。「自由にやってください。こっちはついていくんで」と言ってくれたんだけど、トンコリの音量が小さいから、それに合わせて小さな音で弾いてくれるんです。そういう楽器だからしょうがないんだけど、100メートル走で「君は遅いから10メートル先からスタートしていいよ」と言われたような気分になっちゃって(笑)。

ハンデをもらったような感じですよね。

そうそう。こちらからドラムやベースに寄っていくにはどうしたらいいかといったら、やっぱり音を大きくしないといけない。でも、トンコリって音を大きくするとハウリングしちゃうんですよ。自分の頭の中で鳴ってる音と実際の音のギャップがあった。何とか形になったのはここ10年ぐらい。ようやく武道館でもエスコンフィールドでも鳴らせるようになりました。

どこを改良したことで大きな音を鳴らせるようになったのでしょうか。

結局は経験だよね。ブリッジの下にピックアップが付いてるんだけど、それがほんの少しでもズレるとダメだし、本当に微妙なんです。今はひとつ100円ぐらいの中国製ピックアップを使ってるんだけど、以前使っていたひとつ2万するアメリカ製のピップアップと大して変わらないわけ。だったら安いほうがいいじゃないですか。

高いピックアップをつければいいというわけではないと。

あとね、三味線で使われる絹の弦をやめたんですよ。もともと絹は日本から入ってきた輸入品なわけだし、その前は鹿のアキレス腱や鯨の神経を使っていたみたいだけど、扱いが難しい。音は素晴らしいけどステージでの信頼度は下がります。


今は何の弦を張ってるんですか?

イカ釣りの糸(笑)。100メートル1000円ぐらいで買えるんですよ。三味線の絹弦は1メートル10センチの弦1本で800円ぐらいするし、湿気に弱すぎる。日本のフェスだと野外ステージにも屋根があるので絹弦でもなんとかなるんだけど、中国だと屋根がなかったりするからね。絹弦は湿気ってしまうとチューニングも合わないし、全然弾けないんです。

その点、イカ釣りの糸はいくら濡れても問題ないですよね(笑)。

海の中でも弾けるからね(笑)。つまりね、試行錯誤した結果、答えは案外近いところにあったわけ。何年も実験してすごい真実に辿り着いたというのとは少し違うんです。

アイヌ文化を背負うのではなく、OKIという人間が描く物語として

2018年に安東ウメ子さんの『Ihunke』のリミックス盤(ニコラ・クルーズ(Nicola Cruz)やエル・ブオ(El Buho)などが参加)がリリースされたり、先日ロンドンのネットラジオ局「NTS Radio」の番組『In Focus』でウメ子さんの音源のミックスが公開されたりしましたが、アイヌ文化に対する認識や関心は海外でも高まっているのでしょうか。

高まってると思う。日本文化ブームということもあるし、やっぱり「ゴールデンカムイ」じゃない? 大英博物館の展覧会でもゴールデンカム」が使われてたでしょ*。もちろんゴールデンカムイの影響はあると思うけど、アイヌが地道に蓄積してきたものの延長上でそういうことが起きているとは思うけどね。けれど、ゴールデンカムイのファンは俺のライブには来ないんですよ。ジャンルが違う。あれはアイヌ・ファンが読むマンガで、俺の音楽は音楽ファンが聴くものだから。そもそも俺は「民族」を第一の看板にしていないんですよ。

*2019年、日本のマンガをテーマにした大規模な展覧会「The Citi exhibition Manga」が大英博物館(ロンドン)で開催された際、「ゴールデンカムイ」がキーヴィジュアルとして使用された。

今日はそこを聞きたかったんです。海外のフェスに出るとき、OKIさんはどのような意識をもってステージに上がってるのかなと。

「アイヌ」を看板に掲げているという意識はないね。アイヌを看板に掲げるんだったらトンコリを電化する必要もないし、(『Sakhalin Rock』のレコードを指差しながら)こんなことをする必要もない。アイヌ語を勉強して、昔のスタイルの歌をしっかりやったほうがいい。でも、俺はこんなことをする人間なの。しょうがないんですよ。

でもそれは、アイヌ文化から逸脱しているように見えるけど、自分自身のスタイルを持つということはアイヌ人らしさでもある。かつて目にした先輩たちの姿を見ていると、そう思うんです。自分は破天荒なところがあるかもしれないけど、それはそれでアイヌ人らしいことをやっているんじゃないかと思ったりするんです。着物を着ることだけがアイヌ人じゃないんですよね。

あくまでもOKIさん個人のアイデンティティーを表現したときにOKI DUB AINU BANDのような表現になるということでしょうか。

アイデンティティーというより「物語」かな。

物語?

そう。俺が見た景色や俺が触れた楽器の物語だと思うね。アイデンティティというより、物語として伝わるほうが俺は気が楽なんですよ。あとね、トンコリって果たして民族文化として威張れるものなのかな?という気もしている。誤解を恐れずにいえば、トンコリなんていう楽器は滅んでよかったんですよ。

えっ。

だって、ギターやピアノはひとつの楽器で転調もできるし、何だってできる。でも、トンコリは曲ごとにチューニングを変えないといけない。6つ以上の音も出ないしね。だから、トンコリが廃れた原因は、アイヌが差別されて文化がないがしろにされてきたということも一理あるけど、それだけかな?とも思うんだよね。楽器のスペックとして残れなかったんですよ。

廃れたのは必然だった、と?

そうですね。

サハリン、凍結したポロナイスク川の上
サハリン、凍結したポロナイスク川の上

では、OKIさんはなぜそんなトンコリをエレクトリック化して現代に蘇らせようとしているのでしょうか。

人生に絶望していたとき、目の前にあったのがトンコリだったんですよ。藁をもすがるような思いでトンコリにしがみついたからこうなってるんだよ、俺は。

そのころはまさか今のような活動をしているとは思わなかった?

いや、それは思っていた。時間はかかりすぎているとは思うけど、1990年代後半には今の活動のイメージはできていた。トンコリを始めたころと音楽スタイルのコンセプト自体は変わってないんですよ。

そのコンセプトとはどのようなものだったのでしょうか。

よく言うことなんだけど、かつてアイヌの交易所ではシベリアの先住民族やロシア人、中国人がアイヌと交易をやってたんですよ。クロテンやラッコの皮なんかが取り引きされていたわけだけど、そこにFenderのアンプとLudwigのドラムセットがあったらアイヌはどうしていたか?というとラッコの毛皮なんかと交換していた可能性が高いのです。一世紀前にドラムやベースを獲得したアイヌはいったいどんな音楽を作ったのか?って考えるんです。それはたぶんこんな感じになったはずだ!って思いながら曲を書き、OKI DUB AINU BANDで具体化するんです。バンドではそういう過程の物語を作ってきたんです。

なるほど。

アーミッシュみたいに伝統文化を頑なに守るのもありだけど、特定の文化だけで孤立して存在することってあまりないですよね。アイヌの先輩はみんな新しいものが好きだったし、アイヌの神様事に神道の影響を感じることもあるわけで。多くの文化はそうやって影響し合っている。


オーセンティックな自由さと「正しいリズム」のはざまで

海外を回るなかで、「アイヌ文化の伝承者」としてのOKIさんを求められることもありますよね。そういうなかでフラストレーションを感じることはないのでしょうか。

いや、それはないね。そういう要望があれば、伝統的なトンコリを演奏すればいいだけだから。俺はそっちもできるし、伝統的なものと現代のものを同じように捉えている。『Sakhalin Rock』にしたって古い歌のリズムを借用したものがあるからね。

ただ、リズムひとつとっても伝統的なものと現代のものの間に違いはありますよね。

それはある。昔の人が作ったような曲は現代では作れないですね。ベートーベンのような曲を現代では作れないように、1950年代の古い録音を聞くと、これは俺には作れないと感じる。

そこにはどのような違いがあるのでしょうか。

時代の空気が違う、暮らしが違う。だってさ、樺太生まれのおばあちゃんがトンコリでアフリカのハチロク(6/8拍子)やナイヤビンギ*みたいな曲をやるんだよ。変拍子が多いし、小節という意識がない。自由な音楽のあり方に惹かれるんです。これは敵わないなと。即興で弾いたメロディが凄い良いので自分でコピーしようと思うと難しい。なぜかというと二度とできないような絶妙なタイミングで弾いている。

そのうえで俺のスタイルのトンコリはどこにあるんだろう?と考えるわけ。今回のツアーにあたって、かつての自分がどんなトンコリを弾いているのか、『Sakhalin Rock』をもう一度聴き返したんですよ。インプロで弾いたものが多いんだけど、自分でコピーしようと思うと難しい。なぜかというと、イントロで一拍ずらして弾くことが多いからなんです。それを揃えちゃうと演奏はしやすくなるんだけど、おもしろくなくなる。トンコリって何でも弾ける楽器じゃないから、そのぶん弾くタイミングを工夫する必要があるし、そのタイミング次第でがらっと景色が変わるんです。

*ナイヤビンギ:ラスタファリアンの宗教的な集会、またはその集会で演奏される音楽。

それはOKIさんのスタイルなんでしょうか。それとも、もともとのトンコリが持っていたタイム感なんでしょうか。

昔のものにも多いね。安東ウメ子さんも小節という概念がないから、一拍目とか二拍目とか関係ないところから歌い始めるの。それを修正するのか、そのままにするのかというところだよね。俺の場合、単に音楽の素養がないから小節数を数えられなかったんです。よく一緒にやってるミュージシャンに言われたんですよ、小節がずれてるって。

今は小節数や拍子も意識しながら弾いているのでしょうか。

意識するようになったよ。でも、それって自由と引き換えでもあるよね。今でもリズムがひっくり返ったり小節数がはみ出たりするけど、いま(OKI DUB AINU BANDで)一緒にやってる沼澤さんと中條さんは優しいからね。「こっちで何とかするから、好きなように弾いていいよ」と言ってくれるんです。「そこがいいんだよ」と。そこは嬉しいよね。

トンコリでしかできない音。その探求と自信

15年前の『Sakhalin Rock』についてなんですが、あらためてこの作品と向き合ってみて、どんなことを感じましたか?

いいアルバムだなと思った。ウッチー(内田直之)のミックスって音の一体感があって、すごく好きなんです。レコード化するにあたって、ほんのちょっと音に手を加えて、少しだけキラッとさせてる。少しだけこもってるなと感じていた部分の抜けをよくした感じというか。音圧もEQもまったくいじってない。

ジャケットのロゴなどアートワークも変わっています。

元のアルバムをそのままレコードにしようとすると、全部で60分あるから2枚組になっちゃうんですよ。そうすると価格も高くなっちゃうし、泣く泣く曲を減らさなきゃいけなかった。内容も変わってくるので、あくまでも2024年の未来から振り返った盤にしたんですよ。ジャケットやロゴ、ラベルのデザインも(Tuff Beatsの代表である)神尾さんと相談しながら全部自分でやりました。

今回のレコード化にあたって「KING FUTOSHI」が追加収録されていますよね。2023年8月に亡くなった居壁太さん* の貴重な歌声が入っていますが、どんな思いでここに収録したのでしょうか。

昔の音源を整理していたら、太が俺に送ってきた音が出てきたんですよ。あまりいい音じゃなかったけど、『Sakhalin Rock』には太がソロを取ってる曲がなかったので、「ごめんね、太」という思いを込めて最後に入れました。「海に霧が立ち込めて、神様のゆりかごが降りてくる」という海の歌だったので、釧路・白糠の波の音を被せました。

*居壁太:OKI DUB AINU BANDのメンバー。1957年、北海道浦河町に生まれ、トンコリの名手としてバンドのフロントを務めた。

曲順が変わったことと、最後に「KING FUTOSHI」が入ったことで、CD版と違う印象の作品になった気がしますね。違う物語というか、まさに2024年ヴァージョンの『Sakhalin Rock』という感じがします。

そうだね。あと、A面B面でこの長さっていいよね。CDって70分ぐらい入れるのが当たり前だったけど、レコードって35分ぐらいでしょ。詰め込みすぎてたなと思って。


そして、3月から4月にかけては全国7か所を回る「SAKHALIN ROCK TOUR 2025」が予定されているわけですね。

さっきも言ったけど、トンコリはできることが限られているし、そういう楽器で何をやるか改めて考えてるよ。だって、「千と千尋の神隠し」を弾いてくださいって言われてもトンコリじゃ弾けないんだよ。そういう仕事はこないわけで、この楽器でどうやって飯を食うかという話なんです。

トンコリしかできないことは何か。ギターで弾いてもいいんじゃないの?ということをやっちゃったりするけど、それだったらトンコリじゃなくてもいいんです。一小節にひとつしか音を出さなくても、それが格好よければいい。そのことへの自信が大事だなと思いながらリハーサルしています。

OKI

20代でアイヌカミングアウトを果たすも周囲から弾かれ挫折、失意のままNYに移住、6年後のある日、東京のプロデューサーから映画美術監督のオファーがあり帰国、しかし数ヶ月で映画は頓挫、暗澹たる気分で向かった北海道で樺太アイヌの弦楽器トンコリと衝撃的な出会いを果たす。1993年、音楽は全くの素人だったが演奏と楽器製作を学び始める。すぐさま音楽制作レーベルChikar Studioを設立、安東ウメ子、Marewrew、Oki Dub Ainu Bandなど数多くのレコード、CDを世に放つ。日本での活動のほかWOMADなど海外音楽フェスにも多数出演している。先祖の地はカムチャッカ半島のどこか。母方は愛媛。

OKI DUB AINU BAND ではアフリカ、ヨーロッパ、アジアなどで開催される海外音楽フェスに多数出演している。これまで運営するレーベル「チカルスタジオ」から23枚のアルバムを制作。2019年はMarewrew “Mike Mike Nociw” と奄美とアイヌの歌合戦の模様を収めた”Amamiaynu “をプロデュースした。

2022年1月にUKのレーベルMais um よりデビューから10年までの曲を集めたLPとCD“Tonkori in the moonlight”がリリースされた。2024 年、Marewrew のベストアルバムUkoukがドイツのPINGIPUNGより発売。

初のドキュメンタリーフィルム監督作品「普段着のアイヌ」の上映が4/26よりアイヌ民族博物館シアターにて通年で上映される。

Photos:morookamanabu
Words:Hajime Oishi
Edit:Kunihiro Miki

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