職業病という概念があります。 仕事でやっていることを、ついつい癖となって日常的にやってしまうアレですね。 どんな職種でもひとつはあるはず。

仕事として音に向き合うオーディオ評論家も例に漏れず、つい耳に入る音が気になってしまうそうです。 音楽家で録音エンジニア、そしてオーディオ評論家としても活動されている生形三郎さんの場合、どんな思考や行動の癖が展開されてくのでしょうか?

ついつい”音”が気になってしまう…

筆者はオーディオ評論家(評論家という呼び方は好みではないのですが。 あくまで自分は実験台/テスターという気持ちで臨んでいます)や録音エンジニアという職業上、ついつい音楽を分析して聴いてしまいます。 もともと作曲家として活動する中でこの世界に入ったので、音楽を聴いて楽曲構造や演奏内容を分析してしまうのはまだ良いのですが、再生機器の音質や、音楽ソースの録音アプローチやミキシング、マスタリングまでを常に分析してしまうのです。

同様に、オーディオ趣味を実践していると、つまり、レコードの再生にハマっていくと、どんどん音楽ではなく音そのものに注意が向いてしまう、ということも少なくありません。 すると次第に、自分が好きで聴いていた音楽を、いつのまにか、機器をチェックする「物差し」としてしか認識できていない状態へと自分が陥っていることに気が付き、なんとも寂しい気持ちになってしまいます…。 (仕事のときは客観的視点が大事なのでそれでよいのですが)

どんどん音楽ではなく音そのものに注意が向いてしまう

人間は、ある箇所に注意が向くと、そこばかりに意識がいってしまうそうです。 つまり、近視眼状態に陥るということです。 これは、雑踏の中で聴きたい音だけを聴き取るカクテルパーティー効果などにも通じる脳の認識構造でしょうが、ひとつの固定的な視点に縛られ、いつの間にかほぼ盲目的になっている自分がいるのです。

そんなとき、ふとカーステレオのラジオから流れてきたお気に入りの曲が、実に新鮮に感じられたりします。 妙に感動してしまうのですが、初めて自分がその曲を聴いたときの感動の感触がどんなだったか敢えて思い出したりしてみて、その時と比べて、自分の音楽の聴き方が偏っていたのではと反省します。

すると、もしや再生装置なんてなんでも良いのでは? と一瞬焦ったりもするのですが、それは違います。 様々な視点を持ったからこその気付きだと思います。 それしか知らない状態ではきっと満足しないでしょうし、その探求の中で得た喜びは数え切れません。 自分は、なにごとも、知識や体験を深めて感動を高めていくのが好きなのですが、ついつい周りが見えなくなってしまうことが多いようです。

オーディオは沼にハマりまくるのも実に楽しいですが、みなさんは、みなさんがお好きなようにオーディオを楽しんでくださいね。

Words:Saburo Ubukata

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