Mike Davis(マイク・デイヴィス)は、LAのネットラジオdublabで、誰よりも早く浅川マキのレコードを紹介したDJだった*。 その後、日本に移住し、現在は長野の自然豊かな田舎で家族と共に暮らして、瞑想会を主宰している。
彼はアメリカの大学で仏教を専攻し、長年に渡って瞑想に関わってきた。 そして、日本に移住したミニマル・ミュージックの作曲家のTerry Riley(テリー・ライリー)がやっているラーガ(インド古典音楽の旋法)のレッスンに通い、いまも音楽との結びつきは強い。
日常の暮らしの中で瞑想に取り組んできた、音楽マニアでもあるMike Davisに、瞑想オンチの友人である筆者が、音楽好き同士の会話の延長で瞑想について尋ねた。 瞑想会がおこなわれている町の公民館を訪れ、瞑想の体験レッスンも受けつつ、話は進んだ。
*MIKE DAVIS — Asakawa Maki Tribute Mix (12.21.10)
優しく、そして判断しないで、身体と繋がること。 いま、この瞬間に気づくこと
Mikeがやっている瞑想はどんな目的のものなのかな?
瞑想にはスペクトラム(連続性)があるのね。 一方の端には、ストレスの発散、リラックスできる、集中力を高める、ビジネスがもっとうまくできるようになるとかある。 もう一方には、悟りを開く、深い世界がある。 現実の見方が変わるぐらい、心も変わる。 それは仏教の話で、 苦しみから解放される。 この瞑想会は、その真ん中。 初心者が多いし、私も悟りを開いているマスターなわけじゃない。 でも集中力を養うだけでもなくて、現実的なアプローチでやっている。
マインドフルネスメディテーションって簡単に言うと、アウェアネス(意識する・気づき)を育てることだけど、一般的なアウェアネスと、マインドフルアウェアネスに違いがある。 一般的なアウェアネスは、誰でも持ってる意識みたいな感じ。 いまちょうど鳥の鳴き声がしたけど、それを感じること。 マインドフルアウェアネスは、優しく、そしてジャッジなしで、身体とともにありのままの事柄を感じること。 それを、いま、この瞬間に味わうこと。 そのマインドフルアウェアネスを育てるのがこの瞑想会。
マインドフルアウェアネスを育てるとどういうことになるの?
マインドフルアウェアネスを育てると何がいいかというと、一つは自分の心の感情的な部分、喜び、怒り、悲しみとかと、身体が分かるようになる。 みんな大体、頭で考えている世界に暮らしているでしょ。 1日中、自分と会話してる感じ。 そうすると、心と身体が結び付いていないから、いろいろな苦しみが湧いてくる。 これは実践だから、毎日少しずつやっていくと、考えることで、どれだけ心と身体が振り回されていたかが分かってくるようになる。
身体にチェックインして力を抜いて、心と身体にもっと親しむ
瞑想って言われると、なんか身構えてしまうこともあるんだけど。
よく、瞑想は座って考えないのが目的、みたいに言われるけど、 本当は考えていることに気づくことなの。 考えることは悪くはない、大事なことなんだけど、ただ、自分と、考えている心を離れて見るみたいな感じ。 自分が考えることでコントロールされている状態から、自分が選べる状態になる。 いま考えているのはヘルシーなことなのか、いま必要なことなのか、ということに気付けるようになる。 それは日常生活で役に立つでしょ。 気が付くと、ちょっとスローダウンして、身体に戻る感じにできる。 身体にチェックインして力を抜いて、心と身体にもっと親しむということ。
瞑想はいろんなやり方があって、いろんな宗派、いろんな宗教にある。 キリスト教の瞑想、ヒンズー教の瞑想、仏教の瞑想もある。 だから、いまは結構、そのおいしいところだけ取って、宗教なしの瞑想も色々あるのね。 マインドフルネスメディテーションも人によって意味が違ってきているんだけど、基本は “いまここ” に気づく、そして意識を置くこと。 そこから、呼吸に沿っていく。 座ってみて、「あ、考えてるな」と気づいたら、アンカーっていうんだけど、アンカーを使って呼吸に戻る。 考えていることを優しく手放して、 “いまここ” に戻る。 それは多分、瞬間だから、すぐまた違う考え方がふっと湧いてくるけど、その、戻ってきた瞬間をちゃんと味わうっていう訓練なわけ。
「アンカーを使う」って、日本語だと「錨を下ろす」というイメージかな?
そう、探検していても戻れる紐みたいなもの。 “いまここ” に戻るためのもの。 戻ってきた瞬間を味わうように、だんだん、その味が分かっていく。 考えてた自分と、 “いまここ” に戻った自分を、本当に身体の中、心の中で感じられる。 例えば、 友達とハイキングしてて、喋っていても、一番景色が良いところに来て、「あー、もう最高」となった瞬間は喋らないでしょ。 “いまここ” に戻ってくるっていうのは、私としては、良い景色のところに来た瞬間に近い。 それが、瞑想の中で、自然に長くなっていくって感じ。 その次の考えが湧いてくるまでの時間が長くなるわけ。
座って瞑想するのでも、座禅を組むのはもっと修行のイメージがあるよね。
最初、アメリカの禅宗のところで座ってみたの。 1年間くらいやったかな。 そこでは、ほぼ呼吸だけだった。 説明もなくて、集中もしないといけない。 その呼吸も状況によっては苦しいものだったりしたから、嫌だなあって(笑)。 それで違う宗派というか、ヴィパッサナー瞑想に出会った。 ボディスキャンといって、身体のあらゆる部分の感覚をスキャンする説明があって、10年間うまくできなかったことが、それで初めてやっと納得できたのね。
それで、呼吸で、最後の悟りまでも行けなくはない感じだったんだけど、私にとって、呼吸はまず集中力を高めるためで、そのための瞑想。 あとでプラスアルファすれば、更に行けるかもしれないけど、でも、特に最初は瞑想に慣れてないとやっぱり妄想しちゃうから、戻って来られるツールとして呼吸は一番いいと思う。 でも呼吸じゃなくて、例えば音でもいいと思うよ。 妄想しても、またいまの音に意識を戻すということ。
考えていることが真実でもない、信じなくてもいい、振り回されなくてもいい
いま、Mikeがやっている瞑想会は、その呼吸から始まるの?
そう、4週間のコースで、最初の週は呼吸からだけど、呼吸は身体全体をフォローするから、2週目には呼吸を身体全体に通していく。 リラックスして、頭の上からボディスキャンして身体のいろんなところの力を抜く。 それから瞑想に入る。 3週目には、考え(Thinking)と感情(Emotion)に向き合う。 毎日座ると、いろんな日があるでしょ。 やばい時に座っていて強い感情が湧いてきたら、どういう風に受ければいいか、見てあげればいいかが分かる。
3週目の最初は呼吸をアンカーにして、例えば、今日は何を食べればいいかっていう考えだったらそのまま流せばいいけど、心配していることがあれば、その考えをアンカーにして見てあげる。 考えるんじゃないわけ。 その考え自体を身体にコンタクトしながら感じようとするというか、身体のどこでそれを感じるかということを見る。 今日の心配を痛みがあるくらい感じるなら、それをちょっと味わってみようとかね。 それで、ちょっと落ち着いたら、呼吸に戻ってくる。 だから、アンカーは一番自分にとって手放せない何かで、それは感情でも考えでもいい。 それがアンカーになってもいいというわけ。
ただ、アンカーを使って瞑想することには弱点があって、集中することに力が入り過ぎがちになる。 何よりもアンカーをずっとフォローしないとと思って、力が入りやすい。 でも、瞑想というのは「何かをする(do something)」というより「止めること(stop doing)」なので、そのいいバランスをとるために、最後の週は、そのアンカーをほとんど手放してみるアプローチを紹介する。 迷子になったらアンカーに戻ってもいいけど、この週の探検はアンカーをゆっくり手放しながら、ただ今ここにいる。 身体、心、頭の力を抜いて、オープンな感じで、今ここにいる感じを浴びるだけ。
この4週間が終わったら、自分の瞑想でそのアンカーをフォローすることと、ただ今ここにいるだけのことが、いいバランスを取るようになる。
考えていい、といっても、自分はその中にいないということ?
考えていい、っていうと、その会話の中に入ってしまうでしょ。 だけど、特に座って瞑想しようとする時は、それはやろうとすることじゃない。 でも、そうなってしまう。 で、「あ、考えているな」というところに戻るという感じ。 考えていることと一緒にいられる。 身体のどこかでそれを感じて、そこを緩めることが自然にできるようになるから。
これも会話になってしまっているけどね(笑)。
そうね(笑)。 練習して、自然に運転ができるようになるのと同じ。 それで、心配していた考え自体が溶けていく。 残っているのは身体の感覚で、そこをちょっと緩める。 嫌な気持ちを解決しなきゃ、ではなく、その気持と一緒にいられるかどうか。 あと、瞑想の大事なポイントは、静かに座ると、よく本当に考えが湧いてくるけど、考えているのはイコール、私ではない。 考えていることが真実でもない、信じなくてもいい、振り回されなくてもいい。 もちろん、すごく大事な考えもあるけど、でも自分と考えることの関係がもっとはっきり見えてくると、考えている自分と、独立した自分という、もう一つの自由がある。
ベルの音が静かに鳴るだけでも良い瞑想になる
Mikeと仏教、瞑想との出会いはいつから?
仏教や瞑想に出会ったのは、18歳の時。 かなり自分にとって影響が大きかった。 本当は頭剃ってお寺に入りたかったけど、自分に合ってる所がなかなか探せなくて、そのまま大学に入った。 専門は仏教だったけど、ほぼ歴史的な勉強のみだったので、心は満たされないままだったね。 日本に来るまでの5年間ぐらい、色んな所で瞑想活動し続けたけど、自分にとって、この先生だと思う人やここだという場所を見つけられないまま日本に来た。 それが26歳の時。 その後は10年間ぐらい瞑想や仏教からかなり離れちゃった。
8年くらい前、アメリカの友達がカルフォルニアにいるマインドフルネスの先生を紹介してくれて、その先生の説明が分かりやすくて、再び瞑想をしたい思いに火がつき、また自分の人生に瞑想を取り戻したいと本気で思うようになった。 アメリカには勉強できるチャンスや方法がいろいろあるので、アメリカにいる間に、仏教や瞑想をちゃんと勉強し直して深めることが自分のゴールの一つだった。
Mikeが一旦、アメリカに戻っていた時期だね。
そう。 でも、さらに勉強しようと思ったところで、コロナの登場! メディテーション・センターやリトリートに行けなくなってしまった。 それで、オンラインでJack Kornfield(ジャック・コーンフィールド)とTara Brach(タラ・ブラック)がやっているMindfulness Meditation Teacher Certification Programを受講した。 コロナの間に自分の瞑想活動を深める方法としては、この2年間のプログラムが一番いいと思ったから。
音楽の中まで入って味わう感覚
Mikeは、Terry Rileyのラーガの音楽クラスKIRANA EASTに通っているよね。 彼は師であるヒンドゥスターニー音楽の声楽家のPandit Pran Nath(パンディット・プラン・ナート)から引き継いだものを教えているけど、Mikeの中では、音楽と瞑想はどう結び付いているの?
一番浅いところで言うと、瞑想のコツを掴んでからは、いろいろ考えながら聴くんじゃなくて、ただ聴く、そして、音楽の中まで入って味わう感覚になった。 それはすごく変わった。 特にTerryさんの音楽やインドの音楽は、彼らにとっての瞑想表現でもあって、瞑想の心で聴くとフィット感があって、身体が緩む感覚がある。 心の解放をするのは、緩むことが大事だからね。 音がアンカーの時もあるから、ベルの音が静かに鳴るだけでも良い瞑想になる。 「瞑想って、ちょっとどうかな。 宗教っぽいし」とか感じるなら、音楽を通して瞑想をやってみても全然いいと思う。
インドの音楽でなくても?
うん、何でもいい。 それは自分で探して。 たぶん、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)の音楽を選ぶ人は少ないと思うけど(笑)、でも自分がフィットするならそれでも全然構わない。 ただ、Sex Pistolsにしてもラーガにしても単に聴いているのと何が違うのかというと、身体と繋がって、音楽を浴びるように味わう。 そういう心と意識を持ってやることだと思う。
瞑想のためと銘打った音もあるけど、あれが特別に必要なわけではないのかな?
瞑想用の音は必要じゃないと思う。 だけど、何Hzの音がいいとかあるよね。 それは試したことがないから、なんとも言えないけど、個人的にはインドの音楽のように、瞑想の心を持って作られた音楽をもっと聴いてみたいし、探求してみたいと思う。 瞑想のことを思って作っている人とそうじゃない人では、ちょっと響きが違うから。
聴き流すと普通のアンビエントに思えるけど、ちょっと違う音って確かにあるよね。
絶対そうと言える自信はないけど、別の感じに響く。 でも、ただ楽しいテクノやアンビエントもいまも大好きだけどね(笑)。
Mike Davis
ガンジーやマーティン・ルーサー・キングなどの言葉から、愛とは、平和とは?という疑問が自分の中に芽生える。 あるラジオ番組で耳にした、愛や平和は自分の中にあり、瞑想や仏教の哲学的な考え方を使うと、それを見つけることができるという言葉により、仏教や瞑想に興味を持つ。 そして1996年頃からJapanese ZenとVietnamese Zenの瞑想会に参加し始める。
2002年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒業 – Buddhist Studies専攻
2003年 公立小中学校の英語教師として来日
結婚や子育てにより中断していた瞑想を2014年頃より再開
2018-2022年 家族と渡米することでより様々な機会を得る
2021-2023年 1週間のSilent Retreatに3回ほど参加
2021-2023年 Mindfulness Meditation Teacher Certification Programに参加
リトリートの度に、それまで辿り着けなかった家族との関係や自分の中の愛や平和に出会い、プログラムに参加することで、人々をその境地に導く尊さを学ぶ。
より平和で心地よく生きていくための、堅苦しくない瞑想会を友人や地域の人々と実践中。
Words: 原 雅明 / Masaaki Hara
Photo: Mina Tabuchi