職業的な作業としてではなく、ただただ日常を満たすためだけの切実な営みとして音楽を作る人々にフォーカスしていく「 “日々を生きる” ためのDTM」。

今回は、楽曲制作を生業にするプロの音楽家にとって作曲は癒しの行為になり得るのか、というテーマで、ベルリン在住のアーティストYaporigamiことYu Miyashitaさんにインタビュー。

Mille Plateaux(ミル・プラトー)やDetroit Underground(デトロイトアンダーグラウンド)、Virgin Babylon Records(ヴァージン・バビロン・レコーズ)といったレーベルからのリリースに加え、自らレーベルThe Collection Artaud(ザ・コレクション・アルトー)を運営して精力的に活動してきた彼が2024年8月9日にリリースした『Ambient Collection 21-22』という作品のキャプションには「自身の治療・治癒目的に制作していたアンビエント作品集」とある。そして、「精神の不安定さに悩まされているであろう(多くの)方々に届いて欲しい、届けたい、という思い」のもと「治療・治癒目的で聴いて頂く事を特に希望する」と続く。

Yaporigamiの作品のなかで異彩を放つ本作について、制作過程やリリースの経緯を踏まえながら、つくること、表現すること、そしてそれらを社会に問うこと。その一筋縄ではいかない関係について、存分に語ってもらった。

日記のように曲を作ることで、自分を保っていた

2021年から22年にかけて制作されたトラックをコンパイルした本作ですが、この時期にこうしたアンビエントな音楽を集中して制作していたのはなぜでしょうか。パンデミックが続く状況も影響していたのかとも思いますが……。

そういう面もありますが、個人的に人生のタイミングとして気分が落ち込むできごとが続いた時期だったんです。ふだんは複雑で激しい音楽をつくりがちなんですが、このときはそういうエネルギーもなくて、自分で聴いていて落ち着く、浄化作用のあるような音楽をつくり続けていたんです。

実際、今作はこれまでの作品とくらべてやや異質な作品です。Yaporigamiらしい緻密なシーケンスやエディット、グリッチといった要素は薄いかわりに、音色ひとつひとつに存在感が強く、メロディの輪郭も追いやすい。こうした選択は意識的だったんでしょうか。

メロディが複雑に動くと、メロディを追うときに頭を使ってしまって、カロリーを消費してしまうと思うんです。元気なときはそういう音楽が好きなんです。でも、エネルギーが足りないけれども音楽には触れていたい……そんなときが僕にはあるんですけど、それを自分で音楽として表現した感じです。

この時期に行っていた作曲行為は、まさに「生きるため」という感じですね。ライフワークのひとつとして、それをしなければおかしくなってしまいかねなかった。自分の精神を保つために続けていたんです。精神疾患の治療目的で絵を自由に描かせたりするように。いまは落ち着いているんですけど。

僕はやっぱり音楽がすごく好きだし、音楽を作っているときってランナーズハイに突入してゾーンに入るみたいに、自然に身体が動く状態になるんです。それが自分にとってはちょっとした聖域で、この人生においては常に死守していたい。健康を損なってしまえばそれすらも脅かされることになりますが、そういう状態に陥りかけても、なんとか音楽で自分をどうにかしようとしていたのだと思います。

『Ambient Collection 21-22』より「Eagle on the Throne」
2020年のアルバム『IDMMXX』より「Lotus Bloom」

制作環境においては、普段の制作と異なる部分はありましたか?

環境自体は同じなのですが、ラップトップに直接ヘッドフォンを指して、オーディオインターフェースも使わずに、スケッチするように曲をつくっていました。そのスケッチがある程度固まったら、自宅スタジオのスピーカーで鳴らして、ミックスとマスタリングをする。そもそも僕はあまりラップトップを持ち歩かないんですけど、当時だけは常に肌身離さず持っていました。そして、本当にすぐにメモをとるかのようにつくっていた。やっぱり、なにか求めていたんだと思います。

もともと気軽に作業を始めるほうで、メールを書くように始めたりしていたんですけど、それよりもさらに気楽につくっていた時期ですね。シンセの1音をぽんと鳴らして、この音いいな、じゃあメロディをこうしてみよう…… みたいに、すごく気楽に。だいぶ軽やかに作っていましたね。

例えば、日記を読み返すと当時の自分の心情も一緒に思い出されて、書いたときとは違った視点で自分を見つめられたりすることがあります。本作の制作はそういった行為に近いと思いますか?

日記みたいというのは本当にそうだと思いますね。その時に自分に起こっていたこととか、心情とか、あの頃と今の自分を比べて成長した部分と成長してない部分があって。サウンドのデータを聴き返すことでそれが浮かび上がってきたりして。それが色々なことの起点になると思うんですよ。

作曲が日記と違うのは、その感情と紐づいている楽曲データがそのままアンビエント作品として成立しちゃうという点ですね。

そうそう。だから、ちょっとラッキーでもあるんです。そうやって日記的に日々作っていた曲が、確信を持って出せるクオリティーかどうかは勘違いと紙一重のラインでもあると思うんですけど、でも作品として成立させちゃえるという点で、幸運だなと思います。

YaporigamiことYu Miyashita
YaporigamiことYu Miyashita

曲をつくる行為と音と戯れる行為がつながっている

ラップトップ一台で制作したということは、音源もすべてソフトウェアなんでしょうか。

音源も全部ソフトウェアです。できるだけ、ソフトっぽくならないような工夫はしていますけど。 DAWはAbletonを長年使っています。サードパーティのシンセとして、メインはNative InstrumentsのMassiveです。本当に、よくある普通のセットアップでいろいろやっています。よく普通すぎるってつっこまれます。今回のアルバムでも使っているソフトウェアは変わらないですね。ただ音に対するアプローチが変わっているだけ。

アプローチの変化とは、具体的にどんなものでしたか?

僕はきちんと構成されたものを作るのが好きなので「サウンドアーティスト」ではなく「作曲家」タイプなんです。音と音を組み合わせて、その化学反応を楽しみつつ構成していって、ひとつの構築物にするという行為がすごく好きで。ただ、原点は音と単純にたわむれていたいだけなんです。でもずっとやっていると飽きが来る。飽きないためには自分なりの面白さを見つけないといけないと思うんですが、それが僕にとっては構成とか構築なんです。曲をつくる行為と音と戯れる行為がつながっているんです。

なので、今回のアンビエントトラックも、しっかり構築された作り方をしています。ただ、いつもの複雑な展開があってビートのある楽曲を作るときとは、使いたい和音やメロディーの選び方が全然違うものになっていると思いますね。よりシンプルで美しい和音の重ね方を選んでいると思います。

個人的な動機でスケッチ的に作り溜めていたものを1つのアルバムとしてリリースしようと思ったのはなぜですか?

この『Ambient Collection』に入っている曲を1、2年経って聴き直したときに、「作り込みは足りない気がするけど、これはこれでめっちゃ美しい」と確信できたということがまずあります。これらの曲がEPやアルバムのなかに混じっているだけだったら、「なんか毛色が違うな」くらいで終わっちゃうかもしれないけれど、これをまとめて出せば新しい意味が生まれるとも思えた。

あとは、自分のメンタルヘルスに対する意識も変わっていくなかで、「この時期につくっていたこれは、こういう意味をもっていたのか」というつながりが浮かび上がってみえてきた。だとすれば、同じような境遇だったり、もっとひどい状況になっているたくさんの人たちに、ちょっとでも届いて、元気になる助けになったら嬉しいなと思えたんです。


あらゆる選択すべてが作り手の思想を反映すると思います

Yu Miyashitaさんの場合は活動歴も長く、かつレーベルの運営もなさっています。そうした活動をされている方にとって、制作は「癒し」たりえるのか? という素朴な疑問もあります。

まさに、そこがいまでも大きな悩みどころなんです。僕が個人の作品として作っている音楽は、リスナーの母数が多いタイプのものではないので、それだけでは金銭的に生活を支えられません。音楽だけで生活できているのは、映画や広告といった発注の仕事をやらせてもらっているからです。

僕にとっての音楽は生業と言うよりライフワークに近いものだと思っていて、生きているうちになにか素晴らしい、偉大な音楽を生み出したいと強く思っているから、その誇りにかけてずっと続けているんです。なので、自分がいままで吸収してきた音楽や、いま聴いている音楽の先が見たいし、それを超えたいというモチベーションで音楽を作っている。理想をいえば自分がリリースしている音楽で生きていきたいですが、それもなにか失礼だとも思うんですね。誰のことも考えず、楽しませるためにつくったわけではない音楽で生きていきたいって、おかしいじゃないですか。

広告のための音楽制作の仕事にはどのような向き合い方をしていますか?

クライアントのリクエストに応える機会は、普段作る音楽とは異なるものなので、音楽家としての幅を広げられる点で楽しんでやらせてもらっています。ただ、その企業の理念や活動が環境や社会に与える影響はどうしても考慮せざるを得ないです。例えば、ファストファッションブランドの環境負荷の問題など、クライアントの活動が自分の価値観と合わない場合は、たとえ報酬が良くても受けない選択をすることもあります。理想と現実のバランスを取りながら、できるだけ自分の信念を曲げずに仕事を選んでいくことが、メンタル面でも良い影響を及ぼすと思うんですよ。

なるほど。The Collection Artaudというレーベルは、ご自身の表現を届けるプラットフォームにもなっているわけですが、こういう場所があるからこそ今回のリリースができたのではないかと思います。

僕のレーベルなので、全部自分のコントロール下にあるし、こういうパーソナルなコンセプトの作品もまじりっけなしで純粋に出せる。それが自分のプラットフォームを持つことの意味の1つだと思います。今回はレーベルとして初めて投げ銭式での販売にしたのですが、こういうかたちでリリースすること自体が、ある種のステートメントとして機能するんです。

他のレーベルから設定価格で出す代わりに、こういう音楽をこういうテキストと同時に投げ銭式で出した。それが僕自身のアーティストとしての基盤を作っていくと思っているし、売り上げや拡散を考慮するよりも価値がでかいと思うんです。いま住んでいるベルリンというエリアは、資本主義的な成功やどれだけバズるかということにあまり価値を置いていない人が多い。僕も自分なりにそれを表明したかったという側面もあったんだと思います。

リリースの形態自体がアーティストとしてのステートメントになっているというのは興味深いです。

どこからどういうふうにリリースするかをはじめ、あらゆる選択すべてが作り手の思想を反映すると思います。高い値段で売れたほうが僕としてもありがたいけれど、いち個人の心情として、投げ銭形式でできるだけ多くの人に手が届くようにしたかった。それは本当に、アーティストとしての思想を表現するステートメントだと思います。

そうですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。日本でのライブも楽しみにしています。

ぜひぜひ。その時は告知するので、遊びにきてほしいです。

Yaporigami

1984年、山梨県生まれ。独ベルリン在住。
主にYu Miyashitaという名義でも知られるアーティスト、電子音楽家、映画音楽作曲家、ミキシング・マスタリングエンジニア、ドラマー、DJ。その活動は長編映画、ドキュメンタリー、コマーシャル、ファッションショー、インスタレーション、劇場、美術館、メディアアートフェスティバル等多岐に渡る。
映画への貢献で特筆すべきものの一つに、Lemohang Jeremiah Mosese監督作品「This Is Not A Burial, It’s A Resurrection (2019)」のサウンドトラックがある。ヴェネチア・ビエンナーレでプレミア上映されたこの作品は、米サンダンスを含む国際映画祭で25以上の賞を受賞。建築写真家Laurian Ghinitoiuと映画監督森あらたの二人から成るanother:の、建築オフィス(BIG、OMA、SO-IL等)やアーティスト(塩田千春等)とのコラボレーション映像の音楽を担当。ファッションブランドVIVIANOのショー用音楽を現在までに6期分手掛ける。
レーベルThe Collection Artaud主宰。

Words:imdkm
Edit:Kunihiro Miki

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