2025年1月、ロサンゼルスを襲った大規模山火事は、アルタデナやイートン・キャニオンなどで活動してきたミュージシャン、アーティストのコミュニティに壊滅的な被害をもたらした。強風「サンタ・アナ」にあおられた火災は、恐るべきスピードで住宅地を焼き尽くし、多くの住民は荷物を持ち出す時間すらないまま避難を余儀なくされた。
被害は家屋などの単なる物理的な損失にとどまらない。豊かな自然と調和したコミュニティやアーティストたちが築いてきた創造的な暮らしの場となっていた歴史ある街並みは、火災による深刻な大気汚染にさらされ(南カリフォルニアの大気汚染レベルは6段階のうち最悪のレベル6に達した)、有毒な瓦礫の山が散乱、水道や電気などのインフラも大きく損なわれている。
本記事は現地で被災したミュージシャンや音楽関係者たちのコメントを紹介する。
ほんの数時間で、アルタデナは美しい山麓のコミュニティから有毒な瓦礫の山へと変わった——ジェイク・ヴィアター(Stones Throw ミキシング&レコーディング・エンジニア)
私たちのコミュニティがある町、アルタデナについて知ってもらうことは重要だと思っている。この街はとても美しく、多様なアーティスト達で溢れ、その自然の魅力にインスピレーションを受ける。いわゆる(高級住宅街の)パリセーズでもなければ、「ロサンゼルス」と聞いて多くの人がイメージするような場所でもない。NASAのジェット推進研究所が近くにあるようなところ。
まず、1月6日の夜、ロサンゼルスでは見たことも無いような強風が吹き始めた。ハリケーンが日常茶飯事のルイジアナで育った私にとっては、まさにハリケーンだった。ロサンゼルスでは、この「サンタ・アナ風」が吹くと、街全体が火災に対して厳戒態勢になるんだ。火曜日も容赦なく100mph(風速約45メートル)という強風が吹き続け、夕方に妻からイートン・キャニオンでの火災についてメールで訊かれたときには、私の気分は沈んだ。なぜなら、山火事の延焼を防ぐには、この風はあまりにも強力だと知っていたからだ。車道の上まで歩いていくと煙が延々と立ち上っているのが見えた。すぐに逃げなければならないと思った。
実はこのような事態に備えて、私はすでにバッグを用意していた。それらを抱えて、ノートパソコンと一緒にバッグを持ち、車を走らせた。私が住んでいる通りのカーブを曲がったとき、オレンジ色の壁が私に向かって突進してくるのを見て愕然とした。それはリアルタイムの地獄絵図だ。近所の家を見回しても、ほとんどの電気が消えていて、いつも変わらない、ひっそりとした平和な光景に見えた。私はこの状況に気がついていない人々に警告するために何かしなければならないと思った。
私は友人の家に車を走らせ、彼の家のドアを叩いて、荷造りをしてすぐに家を出るように言ったんだ。そして車でクラクションを鳴らしながら近所を走り回り、窓から「火事だ!」と叫んだ。地獄の炎はより熱く、より速く、より大きく燃え続けた。最後に家の写真を撮り、長く親しんできたこの場所と別れたんだ。
妻と娘は、妻の両親がいるアリゾナ州スコッツデールに滞在していたのでそこまで車を走らせた。私はここに1週間滞在しているけど、住むところを探しながら、煙が晴れるのを待たなければならないため、あと数週間は滞在することになりそうだ。ロサンゼルスの賃貸住宅市場は今、非常にカオスだ。下衆な家主たちがこの災害を利用しようとしていて、住宅不足はかつてないほど深刻だ。
はっきり言って、私たちの町はもう存在しない。友人の9割(ほどんどがミュージシャン)がすべてを失った。火の手が早かったため、荷物を運び出す時間はほとんど無かった。一般的な避難では、1時間かそこらで自宅からできる限りの荷物を積み込むものだし、消防署が家を何とか守るために努力をし、数日間ホテルに滞在する計画を立てたりするものだと思う。避難というものは元々不便なものだけど、命を守るための逃走では無いはずだ。しかし、今回の火災による避難は不幸にも、その道すがら何も惜しむことは無かった。私の街は荒らされてしまった。歴史ある営みが残っていた旧市街は、今や、煙がくすぶるレンガの山だ。
ほんの数時間のうちに、アルタデナは美しい山麓のコミュニティから、有毒な瓦礫の山へと変わってしまった。1950年代の建材から出た鉛、アスベスト、ヒ素のレベルは驚くべきものだった。私たちの民間生協の水道会社は、インフラに大きなダメージを受けたために、近隣の町でさえ、安全な飲料水が無い状況だ。開いてしまったガス管は火を噴き、現在は通電していない倒壊した電線が山肌を飾っている。
幸い、私たちは近くの州に家族がいる。できるだけ早く自宅に戻り、灰を整理するつもりだが、州兵はまだ近隣を封鎖しているから、数日から数週間は立ち入ることができないと思う。
アメリカ政府の今の混乱と圧倒的な官僚主義は知られているところだと思う。近所の人々は、支援を求めてもがいている。保険会社は5セントでも節約するためにあらゆる計算をしようとしているだろうし、カリフォルニアに対する偏見を公言している次期政権によって、見通しの立たない未来に直面している。私たちにできることは、善意を祈り、最善を祈るしかない。
悪いニュースは以上だ。しかし、喜ばしい報告もたくさんあるよ。ロサンゼルス中の避難所はボランティアで溢れ、衣類や温かい食べ物、ペットボトルの水などの寛大な寄付で溢れている。他の州の人たちからは、ロサンゼルスに飛んできて、復興の手伝いをしてくれるという申し出もある。この1週間、寄付や祈りによってたくさんの愛をもらい、思い出すだけで目が潤む。多くのものが失われた中で、これほど多くの愛を受けることになるとは……。私たち家族がいかに愛されているかを知ることができたので、失ったもののことはあまり気にしていない。私たちはここにいて、健康で、失われたものを再建する。
この火災は私たちの街にとっての 「ビフォー・アフター 」だ——アレハンドロ・コーエン(KCRWミュージックコンテンツディレクター)
火災発生時、最初にどのような状況に気付き、どのように避難しましたか?
最初の火災は、海岸沿いのKCRWスタジオにほど近いサンタモニカとマリブの間に位置するパシフィック・パリセーズで発生したんだ。 すぐに不安がよぎったよ。実際に火事を目にしたのは山からの煙で、少しずつ煙の臭いが周囲に浸透していった。 具体的な人数はわからないけれど、その地域ではすぐに避難が始まったよ。
現在の生活状況と今後の計画について教えてください。
私はイーグル・ロックという地域に住んでいるので、アルタデナのイートン・キャニオン火災の影響をより強く受けた。 当初、自宅の近所には直接的な被害はないように思ったものの、時間が進むにつれてこの地域が「火災注意報」と「避難勧告」のステータスと段階的に変更になったことで、今回の火災はスケールが違うものだと実感したんだ。
最初の2〜3日は停電して、その後、避難勧告、電力不足、インターネットアクセスの不調、危険なレベルの大気汚染といったことが発生したので、3日目の夜にサンタアナのホテルに避難した。 KCRWでの仕事をするためには安定したインターネットサービスのある環境が必要だったからね。
今のところ、日曜日までサン・ファン・キャピストラーノの友人宅に滞在している。 状況はまだ大きく動いていて、刻々と変化している。 私たちが愛してやまないこの街に壊滅的な影響を及ぼしているこの火災は、新たな前線への戦いへと移っていると思う。
あなたの地域の火災被害の状況、インフラの機能状態、避難場所の様子などはいかがですか?
パシフィック・パリセーズやアルタデナと比べると、私の住んでいるイーグルロックの地域の被害は非常に小さい。電力やインターネットは、インフラの損傷や市による予防措置のため、現時点では不安定で、ガスは安定しているが、水は不足しており、飲む前に沸騰させることを勧めている状況だね。私が感じているのは、互いに助け合うことを約束したロサンゼルスのコミュニティのこと。 周りの人々の寛大さは、少なくとも私たちがお互いを頼りにしあっていること、それ自体が状況を楽にしてくれていると思う。 ロサンゼルスにとって今は大変な時期であり、この火災は私たちの街にとっての 「ビフォー・アフター 」だと思うよ。
多くの黒人家族や音楽家たちの家であり、美しい渓谷、山々、川沿いの小道がある人々の聖域でした——フォテー & セリア・ホランダー
火災発生時、最初にどのような状況に気付き、どのように避難しましたか?
フォテー:私は火災が発生した時、ニューヨークにいました。ショーを終えたばかりの時、パートナーのセリア・ホランダー(Celia Hollander)から避難しているという電話がありました。
セリア・ホランダー:火災について近所の人から電話があった時、私は家にいました。ロサンゼルスで育った私は、山火事についてはかなりの経験があります。そのため、火災は小規模で、まだ避難指示は出ていませんでしたが、薬、水、ラジオ、ヘッドランプ、電池、食料バー、パソコンなど緊急用バッグを用意しました。午後8時頃になると避難区域が私の家に近づいてきたので、一人で家にいたくないと思い、姉の家に泊まることにしました。私たちの家が危険な区域にあるとは感じていませんでしたが、煙のある空気を吸いたくなかったことと、停電の可能性があること、消防車やヘリコプターの音がストレスになることが理由でした。
また、最悪の場合、夜中に避難指示が出て、皆が同時に避難する中で渋滞に巻き込まれたくありませんでした(以前そういう状況を経験したことがあり、火災時の渋滞は二度と経験したくないと思っています)。そこで、姉の家で安心して眠れるように、私とエヴァン(フォテー)の持ち物のなかで特に大切なものだけを最小限にして車に積みました。車に乗って走り出すまで、振り返って火災の本当の姿を見ることはありませんでした。ロサンゼルスで育った私は山火事というものを知っていると思っていましたが、これは違いました。これは火の津波、火災のハリケーン、火の嵐でした。それは単に丘の上にあるだけでなく、空中に巨大な実体として存在していました。
アルタデナでは動物が走り回り、信号機が消え、ユーカリの木が倒れて道路をふさぐなど、姉の家までの運転は危険で恐ろしいものでしたが、午後9時頃には避難できました。私たちの地域への正式な避難指示は午前4時頃まで出されませんでした。その時点で人々には5〜10分の避難時間しかなく、命を失う危険な状況でした。
現在の生活状況と今後の計画について教えてください。
フォテー:セリアと私は、いとこの家に数週間滞在させてもらえる幸運に恵まれています。この期間を利用して、今後数ヶ月を過ごすためのロサンゼルスでの住まいを探しています。それ以降については、まだ計画が立っていません。
あなたの地域の火災被害の状況、インフラの機能状態、避難場所の様子などはいかがですか?
フォテー:イートン火災の後、アルタデナは壊滅的な状態です。現在、この地域は州兵と警察によって封鎖されています。これは略奪や窃盗を防ぎ、発がん性のある空気から私たちを守るためだと言われています。セリアと私は1月11日に地域の境界まで車で行きました。至る所で作業員たちが瓦礫の清掃と分別を行っていました。多くの家が焼失し、レンガの煙突だけが残っているのを見ることができました。火の進路は予測不可能だったようで、無作為に火を免れた家がいくつか見られました。水、食料、衣類、その他の支援物資を提供する寄付場所が多数設置されています。行き場のない人々のために一時避難所も設置されています。
私たちは火災で家、スタジオ、そして全ての持ち物を失いました。ショックを受けていますが、家族、友人、音楽コミュニティからの支援があり、とても幸運です。より大きな悲劇は、アルタデナの素晴らしいコミュニティや、この地域に深い根を持つ人々への影響です。多くの黒人家族や音楽家たちのホームであり、美しい渓谷、山々、川沿いの小道がある聖域でした。ここに住む人々、動物たち、そして力強い山々とともにあるこの美しい地域に住むことで、私の人生は変わりました。
私たちは郊外の親族の家に避難することにしました——Yohei(作曲家、プロデューサー)
火災が始まった夜は大変な風が吹いて私の家の屋根が剥がれて飛んできたり、停電があったり周りの木がたくさん倒れたりでその対応に追われました。
翌朝火事が広がっているというニュースを見て、「でかいな」と思いました。その時点では私の家からは遠かったので避難するつもりはありませんでした。しかし自宅の周りは自然が多く燃えやすいエリアなので不安を感じました。この頃から空気が煙っぽくなり灰が飛んでくるようになりました。
そこで私たちは郊外の親族の家に避難することにしました。その後今自宅に戻ってはいますが、不安です。避難時に持っていけるようなものはまとめてありいつでも出られるようにはしております。
彼らは家も持ち物も仕事も完全に失い、有毒な環境と汚染された水に直面している——マーク・“フロスティ”・マクニール(LA Phil クリエイティブプロデューサー)
火災発生時、最初にどのような状況に気付き、どのように避難しましたか?
火災が発生した1月7日火曜日の夜、ロサンゼルスでは異常に強いサンタ・アナの風が吹き荒れていた。私の家の窓はガタガタと音を立て、ひしゃげるほどだったので、ガラスが割れるのでは無いかと心配のあまり、シェードを閉めて、子どもたちをそこから遠ざけた。そのとき、山の向こうに巨大な炎の壁が見えたんだ。シルバーレイク地区の丘の上にある私の家からは、そこがアルタデナ付近だということがわかったよ。
私はすぐに友人で元dublabのエンジニアであるジェイク・ヴィアター(Jake Viator)に電話したところ、彼は泣きながらイートン・キャニオンの端にある自宅から逃げ出したところだった。彼はちょうど家から車で出かけて、大通りに出たときに自分の家が燃えているのを見たんだ。それで、逃げながらトラックのクラクションを鳴らし、近隣の住民に注意を促し、dublabのDJであるジミー・タンボレロ(Jimmy Tamborello)の家に寄って、避難するように警告をしたらしい。ジミーもすぐに家を出て、サンタバーバラまで北上して避難したんだけど、結果、二人とも火災で家を失うことになった。
火災のきっかけになったのは、猛烈な風がイートン・キャニオンの丘の高いところに垂れ下がっていた送電線を切断し、その火花が乾いた草原に燃え移ったということらしい。火の粉は猛烈な風にあおられて、四方八方に飛び散り、炎は電光石火の速さで燃え広がっていったということだよ。
現在の生活状況と今後の計画について教えてください。
1月9日木曜日には、有毒な空気から逃れるためにこの地域を離れたが、その際、パスポートや写真集、子供たちの記念品など必要なものを靴箱に入れて持っていった。帰ったときに家がまだ建っているのか不安だったけど、幸いにも無事だったよ。ただし、残念なことに多くの友人たち、dublabのDJたちはそれほど幸運ではなかった。彼らは家も持ち物も仕事も完全に失ったよ。家が無事だった人たちも、有毒な環境と汚染された水に直面している。
あなたの地域の火災被害の状況、インフラの機能状態、避難場所の様子などはいかがですか?
ロサンゼルスのコミュニティを誇りに思うよ。政府の動きは鈍いけれど、困っている人たちを支援するために市民は立ち上がっている。コロナウイルスのパンデミックやブラック・ライヴズ・マターの際に培われた相互扶助の取り組みは、人々が必要なものを確保するために役立っている。政府も同じレベルで動いてくれることを願っているよ。復興への道のりは非常に長いと思う。あまりにも多くのものが失われ、残されたものは黒焦げで毒々しい。そして空気は今、有毒な微粒子で満たされていて危険でもある。しかし、私たちにはコミュニティがあり、壊れることのないスピリットがある。必ずロサンゼルスはこれを乗り超えることができると確信しているよ!
我々の活動としては、2月2日にdublabとIn Sheep’s ClothingはThe RowのSound & Visionというスペースにて、ロサンゼルスの山火事で被災された方々を支援するためのレコード・セールを開催するよ。このイベントの収益の100%を支援を必要としている人々に寄付するつもりだよ。
Edit:Kunihiro Miki
Photo:Jake Viator
Cooperation:dublab.jp