映画、ドラマ、アニメ、舞台などの映像作品や演劇において欠かせないのが劇中伴奏音楽、いわゆる「劇伴」だ。雰囲気の演出や作品の世界観、キャラクターの感情表現を引き立たせ、ストーリーを支える重要な要素である。そんな劇伴は、どのようにして生み出されているのだろうか?
歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』シリーズやドラマ『花より男子』シリーズ、アニメ『ドラゴンボールDAIMA』など、数多くの作品の劇伴を担当してきた山下康介さんに、自身が教授を務める洗足学園音楽大学にてお話を伺う。これまでのキャリアや劇伴が完成するまでのプロセス、仕事の流れ、作曲にまつわるお金事情についてなど、根掘り葉掘り聞いてみた。
やっぱり音楽はあくまで学問ではないんですよね。
まずは山下さんの音楽遍歴から教えて頂けますか?
あまり記憶にはないのですが、遡ると、どうやら幼稚園の頃にオルガンを弾いていたのが始まりのようです。オルガンと言っても、エレクトーンとかではなく、その当時なので、足踏みオルガンだと思うのですが。
それから、小学校入る前ぐらいに引っ越してからは、自宅にアップライトピアノがあったので、適当に弾いて遊ぶのは好きだったと思います。そこから小学校3年生ぐらいの時に音楽教室でピアノの先生に習っていたのは覚えていて、嫌々通って通い続けさせられたというかね。当時は、習い事は水泳や習字とか色々やっていました。音楽は多分好きだったと思いますけど、先生との相性もあるかもしれませんが、ピアノのレッスンは好きにはなれなかったですね…。
幼少期から既に、人の曲を弾いたりピアノを弾くという技術の習得よりも、自らで音楽を生み出すことにご興味があったのですね。
よく分からずとも小学校6年生ぐらいの時から何かしら作っていました。意識が大きく変わったのは、中学に入って吹奏楽をやり始めたことですね。といっても、自分からやろうとは思ってなくて、友達がテニス部に入ると言うんで自分もテニス部に入る気になっていたら、直前になって吹奏楽部に入るというので、自分も見学に行くことになって。それで渋々見学に行ったら、先輩たちがアンサンブルで演奏してくれて、それを聴いて「これはすごい!」と思って一瞬にしてその気になってしまいました。
まさに衝撃的で運命的な出会いだったのですね。
吹奏楽部では楽器はクラリネットを担当したのですが、そこから部活が楽しくて、音楽と接する時間が増えたんでしょうかね。それで、ピアノもまだ続けつつ、高校でも同じように吹奏楽を続けていました。
ちょうど中3の頃、オールインワンシンセと呼ばれるようなものが出始めていた頃で、父親にねだって、学校の成績で10番以内に入ったら買って貰えるという条件を出されたんですね。だからそれをクリアして、RolandのD-20を買ってもらって曲を作り始めました。
いわゆる、シンセサイザー単体のみで多重録音ができて曲作りが完結できる「ワークステーション・シンセサイザー」と呼ばれるものですね。
そうそう。KORGのM-1とか、YAMAHAのV50とか、各社から出ていましたね。D-20は確か8トラックまで多重録音可能で、高校2年くらいまで、そんな感じで過ごしました。
で、進路を考える時期になったときに、進学校でしたから周りの人たちは偏差値が高めの一般大学を目指すわけですけど、自分にはピンとこなかったんです。じゃあ何をやるべきか、やりたいかって考えた時に、やはり音楽ではないのかと思って。
ただ、音大に行くには当時の自分にとっては結構ハードルが高くて。でも、やろうと決めた以上は、とりあえずいろんな先生に話を聞いて、やはり作曲が専門の先生の話を聞かないといけないと思ったんです。田舎ですから作曲の先生なんて近くにいなかったのですが、出入りしていた楽器屋から先生を紹介してもらったんですね。それで、ちょっと話を伺いに行ったら一言目に「やめときなさい」って。こっちはかなりやる気で夢も希望も持って行ったのに、いきなりそれでした。もうそれっきりその先生のところには行きませんでしたね(笑)。
そうだったのですね。それで一切怯まない山下さんの意志力が素晴らしいです。
そんなこんなで色々と大学や専門学校などの情報を集めて、その中で、東京音楽大学の映画・放送音楽コース(現 ミュージック・メディアコース)というところを見つけて。その当時は商業音楽を専門的に勉強するコースはなかなかなかったんです。先生もいわゆる第一線で活躍されている方がたくさんいましたから、ここしかないと。
で、高校3年の夏ぐらいに講習会(音大が受験前に開く相談・面談会のようなもの)に初めて参加して、とりあえず作曲科の受験には必要だから和声*をやろうかって言われたんです。和声の先生は知り合いから芸大の先生を紹介してもらって、そこからピアノの実技も含めて半年で詰め込んで勉強して、無事合格という流れでした。
たった半年で和声も習得されたのですね、凄い…。
幸い勉強自体は嫌いではなかったんですよね。それと、実は進路を決めるにあたって、ひとつ自分にとって重要なエピソードがあったんです。高校2年生の頃だったと思うんですが、当時その道を志すにあたって、誰かに自分の書いた作品を見てもらいたいと思ったんですよ。でも当時自分の周りには先生がいなかったので、ダメ元で憧れていた、すぎやまこういち先生に見てもらいたいと思って、事務所に曲を送ったんです。そしたらなんと、すぎやま先生からお返事をいただきましてね。しかも自宅の電話に。
大変驚きましたが、励ましのお言葉をいただいたと同時に、すごく大事なことを仰って頂いたんです。その当時は音源だけを作っていたので、確かカセットテープとかに録音したものを送ったのですが、「楽譜を書かないとダメだ。家を建てる時にも設計図が必要だろう?楽譜は音楽の設計図なんだよ」と。そのおかげもあって、しっかりとスコアを書けるようになったと思っています。
*和声:西洋音楽の作曲に必要な基礎理論で、音楽大学の作曲科受験に必要となる実技科目のひとつ

感激ですね。山下さんの曲が、すぎやま先生の琴線に触れたのですね。
今でももちろんすぎやま先生の音楽は大好きですし、今だからその素晴らしさがよりわかるというか。心の師匠と僕は思ってます。
そんなこともあり、コツコツ大学で勉強していけば、音楽も書けるようになる、と思っていたのですが、大学3年ぐらいになると、どうも勝手が違うことに気づくんです。勉強だけしててもダメだなっていうか。
というのも、僕の学年はその当時14人ぐらいいたんですが、みんなそれぞれ個性的な人たちで、まあバラエティーに富んでいましたね。高校の頃の同級生とは、全く違ったキャラクターというか・・・。でも、みんな面白い音楽を作ったりするんです。言い方はなんですけど、ややふざけたところもあったりで、遊び心っていうんでしょうかね。自分にはないものを感じましたね。今思えば、勉強だけしていれば良い、というわけではなくて、ましてや机の上の勉強だけでは全くダメで、音楽は体験することが必要でしたね。また、豊かなセンスを磨くためには、音楽以外のことも知らないといけません。基礎などの勉強もすごく大事ですが、やっぱり音楽はあくまで学問ではないんですよね。
で、3年生ぐらいの時から先生方のお手伝いをちょっとずつさせて頂けるような機会ができて、そのご縁があって卒業後は羽田健太郎先生が所属されていた事務所にお世話になる、という流れです。ここまでが大体の初期の音楽遍歴です。
心を無にする時間が、いい音楽の思い付きにつながっていく
お話だけ伺うと、デビューまでとてもスムーズな流れです。事務所に入られてからはどのようにお仕事をされたのですか?
最初は師匠の羽田先生の手伝いなどをコツコツやって、アレンジ(編曲)とかを書かせてもらったりとかですね。そして、幸いなことに、事務所に所属してすぐに、歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』の音楽を前任の菅野よう子さんから引き継がせて頂いて。ちょうど先方も新しい作家を探してるタイミングだったということで事務所がプレゼンしたところ、何人か候補がいらっしゃった中から私を採用して頂きました。
もうひとつは、大林宣彦監督の映画ですね。『あした』(1995年)という映画があって岩代太郎さんが音楽をやられていたのですが、大林監督がその次の作品のアレンジャーを探しているというお話でした。「映画でアレンジャーというのはどういうことだろう?」っていう気はしたのですが、監督が自分で音楽をお書きになられるということで、それを映画音楽としてアレンジできる人を探していたところ、もちろん何人か候補がいたのですが、僕が1番若かったという理由で選んで頂いたということらしいんですけどね。偶然ですが、卒業して間も無くそういった大きな2つの出会いがありました。それと、2000年からは「題名のない音楽会」というテレビ番組で羽田先生が司会をされるということでアレンジャーとして参加させていただいて、それは現在も続いています。
勿論、才能もお有りだからこそでしょうが、素晴らしいサクセスストーリーですね!
それだけ聞くと、結構スムーズですけど、そこまでなんでもうまくっていうわけでもなく…。僕が世の中的に “ブレイク” って言ったらいいのかな、やっぱ大きな転機になったのは、テレビドラマ『花より男子』の劇伴仕事ですね。
あれは2005年放送だから、大学を卒業してからそこまでの間に8年ほどが過ぎた頃でしたね。その間も、もちろんコツコツ色々と細かい仕事をやらせてもらってましたが、なかなかこう、もっとやれると思ったんだけど、思ったようにはいかないことも多かった時期だったように思いますね。
作曲家、編曲家として順調に仕事をこなしながらも、葛藤を抱えていらっしゃった。
葛藤なんてものは今でもありますけど。でもね、今振り返ればやっぱり僕の実力不足だったんでしょうけど、当時は「もっとやれるはず」と思うわけですよね。
もっと劇伴を書かせてもらいたいと思って、事務所も営業してくれていたと思うんですけど、テレビドラマやアニメにしても、いくつかお話をいただいてデモ音源を作ってプレゼンもしてね、うまくいけばいいんだけど、いかない時の方が多かったかな。
でも、それはやっぱり自分の作った音楽のクオリティの問題だと僕は思うし、もう1歩踏み込みたいという思いは抱えつつ、でも、腐ることなくコツコツとできることをしていました。
もう、ひたすら、前を向いていらっしゃったと。
もうプロとしてやっているわけですし、他に何かを考えることはなかったですからね。ただね、本当に時間はいっぱいありましたよね、今に比べれば。だから朝からふらふら遊びに行ったりして、夜まで帰ってこないとか(笑)。
そういった、ある意味で心を無にする時間がいいメロディや音楽の思い付きにつながっていった、ということでしょうか?
やっぱり音楽を極めようと思ったら、音楽だけやっててもダメじゃないですか。表現するってこともそうだし、なんていうのかな、こう、人を楽しませたり喜ばせたりするっていうことじゃないですか。我々はある種のサービス業でもありますから。自分が相手の立場になって、そう感じるにはどうすればいいのかを知るってことは大事ですよね。
そのような思いが『花より男子』の音楽に結実するのですね。
うーん、今から思えば、そういうものが今に繋がっている部分も多分あっただろうけど、その当時そんなこと考えてないですよね、地味に細々と、でも必死に続けてきたというか。余裕はなかったですよ。
ドラマ『花より男子』はね、あれも色々あって。実は別の作品をやろうとしていたらしいんですが、それが諸事情で頓挫してしまって、急遽穴埋め的に作った番組なんですね。だから僕のところに話が舞い込んできたのは、放送の1ヶ月前とかで。『花より男子』ってなんだ?っていうところから入って、原作を読んだら、「これどうやって実写化するんだろう?」みたいなことを思ったのは記憶してますね。でも、やっぱりみんな必死だったと思うんですよ。それで結果的に大ヒット作になったわけですが。
そういう事情があったから、なんかすごく熱量があったんですよね。それで、その時お世話になった演出の石井康晴さんがすごく音楽にこだわる人で、もうね、なかなかOKをくれないんですよ(笑)。テーマ音楽のデモとか何度も何度もリテイクを出して、録音の3日ぐらい前になってようやくOKをもらったみたいな、そんな感じだったと思います。そういうこともあって、おかげで劇伴作曲における勘所が見えてきたっていうのもあったと思うんですよね。監督がすごく音楽の組み立てや演出を意識してくださっていたというか、それは僕にとってもいい経験でした。

劇伴音楽は、どのようなオーダーなり、やり取りを経て作られるのですか?
大きく分けると、何回かにわたって連続して放送するようなテレビ用の作品と、映画や2時間ドラマのような単発の作品で、作り方やメニューが違ってきます。
テレビ用のドラマやアニメの場合ですと、監督、プロデューサー、そして音響監督、あるいは選曲家という人たちが、「この作品にはどういう音楽が必要か」というリストをまず作ってくれるんですね。で、我々作曲家がそのリストを見ながら打ち合わせをして制作します。その発注の仕方も勿論ケース・バイ・ケースなんですけど、わかりやすく言えば、大体5つぐらいの柱があります。
例えば、まず “メインテーマ” があって、そこから ”メインテーマのバリエーション” 、つまり、同じメインテーマのモチーフ(メロディ)だけど、それを例えば「アクションに寄せたもの」とか、「心情に寄せたもの」とか、あとは「編成の大きい・小さい」とかね、色々とバリエーションが作れるんですよね。あるいは “主人公のテーマ” があって、それのバリエーションを作るというような。そういう風にシーンのシチュエーションごとに分けて整理して、その作品に必要になりそうな音楽を作っていきます。
そういう仕組みなのですね。曲数にするとどのくらいのオーダーになるのですか。
ドラマだったら大体20〜30曲とか。アニメだとこれが50曲とか60曲とかまあまあ多いんですよ。もちろん少ない作品もありますけどね。
5、60曲も!? そのリストには、具体的な指示も含まれているのですか?
発注の仕方によりけりですが、テンポが遅めか早めか中くらいか、調性がマイナーなのかメジャーなのか、あと編成の大中小とか、そういうのも書いてある場合はあります。逆に、何も書いてない時もあります。
想像通り大変なお仕事ですね…。映画の場合はいかがですか?
映画も、どのシーンにどういう音楽が必要かっていうのはある程度決まってくるのですが、映画の場合は基本的には画(映像)を見ながら書くので、やっぱりどこからどこまでが必要かっていうのは、カットによって変わってくるんです。
逆に、ドラマの場合は実際の映像を見ないで作るわけですね。
そうなんです、テレビの場合は撮影と並行して作業が進んだり、基本的に後からシーンに合わせて音楽を選ぶので、映像は見ない、というか見れないままで作るんですよね。だから画に縛られずにイメージだけで書けるんで、それがすごくいい面もあるんです。
一方で、映画の場合は映像のタイミングとぴったり合わせなきゃいけない。映像を意識するあまり、音楽の主張でイメージがブレてしまったりとか、難しくなる時もあります。それに、映像と音楽のタイミングが一コマずれただけで大きく印象が変わるんで、実に奥が深いんです。
映像と合わさったときのバランスやタイミングも重要となる。
当然そうですね。ただ勿論、映画でも選曲方式と言って、いわゆるテレビドラマ的な作り方をする場合もあると思いますよ。
それでいうと、ゲームの音楽はどうなりますか?
ゲームも、ムービーシーンは映画と同じで、やはり映像見ながら合わせて書くっていう方が多いでしょうね。逆に音楽に合わせてムービーを作るっていう場合も勿論あるんでしょうけど、ゲームの種類にもよりますね。あとは、やはりゲームも曲のオーダーリストがあるので、メインのテーマがあって、フィールド用の曲があってとか、必要な曲は大体決まってますので、それに沿って作るわけです。
ちなみに、実際に作曲する際には、曲調やアレンジのバリエーションなどである程度は形式的に作業できる部分もあると思いますが、それの大元となるテーマやメロディーの発想自体は、大変な数をこなさないといけないと思います。その方法論とかアプローチというものは存在するのでしょうか?もちろん、人それぞれだと思うのですが。
良いメロディを書く方法自体は、存在するかもしれないですよね。でも、メロディが降ってくるともよく言いますよね。降ってきたら最高なんですけど、僕の場合はどうするかっていうと、祈るんですよ(笑)。というのは半分冗談ですが、とにかくその作品のことをよく考える、感じる、ということですね。
時間はかかりますが、そうすると気づくんですよ。作品に最適な形の音楽がそのまま降ってくることもありますが、そうでなかったとしても、やはり、その作品のテーマにマッチするかしないかくらいは、作品のことをしっかりと考えれば自ずと見えてきますよね。これしかない、みたいなものが作れたときがベストですけど。
考え尽くすと自ずと正解が見えてくる、と。
頭から爪先まで全部その作品のことで一杯になるような、それぐらいの状態になって初めて、何かが出てきそうな気がしますね。

音楽ってやっぱ生まれる時は生まれるんです
極端な質問ですが、1曲作るのにどのぐらいの時間がかかりますか?
気分的には、やっぱりメインテーマとかは大事だから、許される限りはじっくり時間をかけたいと思ってますね。
短めの汎用曲は、極端な話、1分の曲だったら1分あれば書けますよ(笑)。それぐらいの勢いがあった方がいい場合ってあるんですよね。瞬間的に考える場合、せーので、ポッと何か浮かんだのをポンって音にしちゃう。勿論それはスケッチですけどね。でも、スケッチって大事で、そこにある即興性って僕は重要かなと思ってます。劇伴って、考えすぎちゃうとダメな時もあるんですよ。ちょっと力を抜いたときの思いつきが面白かったりするんです。
最初の自由な思い付きを逃さずに書き留める。
うん、僕はそれでいいと思うんですよね。それで、曲数をたくさん作る。作り方は人それぞれですが、僕の場合、最初のアイデアというのはそうしてますよ。例えば、シーケンサーの録音ボタンを押しておいて、あとは適当に鍵盤をポンポンポンポンって弾いて、いくつもいくつも落書きみたいに貯めといて、あとで聴いてみて、自分なりにこれは使えそうだっていうのをピックアップして、ちゃんと曲にしていくとか。
作曲に使用するシンセサイザーやエフェクターは、やはりソフトウェアが多いですか?
今はもう100%ソフトシンセやソフトウェアのエフェクターですね。最近は安くて良いソフトが増えましたから。でも、学生もそうですが、みんな同じソフトを使うから、やはり個性が薄くなっているように感じます。そこはもっと自由でいいと思うんですけどね。例えばクリック(メトロノームのようなテンポのガイド)がカッカッカッって鳴っている時点で、そのフレームに縛られていますからね。そういうものは取っ払って、フリーになったっていいんです。
作曲作品の納品形態はどのようになっているのでしょうか?
劇伴に限っては間違いなくレコーディングはするでしょうから、録音までの準備ですね。さっきの話にもありましたが、仮にアニメの劇伴だったら、50曲あったら50曲全てを生演奏で録れるかといったら予算の都合でなかなかそうはいかないので、例えば、半分ぐらいは生演奏の録音で、半分ぐらいはシンセだけの打ち込みだったりということはよくあります。それで、レコーディングのためのスコアを書いたり、スタジオでの録音に必要となる音源データを整理したりとか。
そういった打ち込みの場合は、どの辺まで山下さんが作業されるのですか?
僕はもう全部やります。作家さんによってはアシスタントに手伝わせてしまう作家さんもいらっしゃるんでしょうが。ハリウッドなどでは、そういう分業は当たり前ですからね。
人によって、その辺をどこまでやるのかは全然違うんですね。
それはもう全然違いますね。作曲家といっても「歌もの」作品でよくあるようにメロディーとコードしか書かずに、アレンジャーがきちんとした音楽の形にするというようなケースもありますし。劇伴の世界でも勿論そういうケースはあると思います。
劇伴のお仕事の納期はどのくらいですか?
基本的に日本の劇伴の仕事であれば、ドラマとかは放送の2、3ヶ月前ぐらいにまずは打ち合わせをします。納品日から遡って3か月前ぐらい前に打ち合わせがあれば間違いなく余裕を持ってこなせますが、現実には納期の短い仕事というのも沢山あります。
僕が受けた中で今までで1番大変だったのは、正月の2時間ドラマの時代劇の音楽、しかもフルオーケストラ編成曲が沢山あるものを2日間位で仕上げたことです。あとは映画を3日で仕上げたこともありましたね。さすがに無理かと思いました。
3日で、ですか…!? どうやったらそんなに早く作れるんですか?
やるしかないと思えば、意外となんとかなるんです(笑)。無我夢中ですよね。キャッチボールする時間がないので、監督が望むものになるかというよりは、もう、こっちが出したものを受け止めてもらうしかないのですが。こういう話はネタとしては面白いですが、あまり良い労働環境とは言えませんね(笑)。
でも、不思議なんですよね。音楽ってやっぱ生まれる時は生まれるんです。1日で何十曲も書く場合もあります。でも、出ないときは1週間あっても出ない。だから、時間をかけて作ったから絶対いいものになるっていう保証は全くないですよね。
どうしても出てこないときは、どうされるのですか…?
スランプはあります。最近はあまりないですけど、そういうときは、何をやってもダメですね。ですので、そういう時は布団の中でゲームしてゴロゴロしたりしてます(笑)。よくないのは慌ててしまうことですね。それと、情報をあまり入れ込まないようにします。なるべく、自分の頭や感情をフラットにできたらいいですね。

ある意味で、最善を尽くしたら、あとは開き直る、といいますか。
そうですね。やり尽くしたら、一度そこから離れるのは大事ですね。この仕事は、時に死にそうなくらい大変な思いをするときもありますが、10年、20年経ってから昔携わった作品を見てみると、意外と「いい」と思えることが多いんですよね。仕事した直後はもう絶対振り返りたくないと思うのですが、あとで振り返ってみるとね、ああやってよかったなって思える作品も多くて。その点では、自分の考えや表現はそこまで間違っていなかったのかなと思えてきます。仕事中は、振り返ってる時間は本当にないほど忙しいのですが。
劇伴作曲のお金事情
ちなみに、大変に不躾な質問で恐縮なのですが、お金、つまりギャランティ事情をお伺いしてもよろしいでしょうか…?
それはねえ、逆に僕も聞きたいですけどね。皆さんどうされてるのでしょうか(笑)。
やはり、予算によってケース・バイ・ケースとか、もしくはキャリアによって、みたいなところもあるのでしょうか。
それはありますね。例えば映画音楽にしても、もう様々なんですよね。
その制作の全体予算の具合次第ですが、例えば音楽予算が1,000万円ぐらいあるとすれば、レコーディングのためのスタジオやオーケストラのためにドーンと700万円ぐらい使っても、残り300万円あるわけだから、それを作曲料として、とかってなるわけですね。なかなか昨今ではそのくらい予算が潤沢にある現場は限られると思いますが。
でも、小さな規模感の映画だと、例えば「もう音楽の予算が30万しかないんですよ」というような作品もいっぱいあるんですよ。30万円で自分のギャラもその中から自分が好きなだけ取っていいから、それでやってほしいみたいな。表向きは大きな映画館で上映されてヒットしてても、もしかするとそのぐらいのお金事情で音楽制作をされているような作品も少なからずあるのは事実ですね。
ゲーム音楽はどのような感じでしょうか?
ゲーム音楽はちょっとイレギュラーで、外部作家が関わる場合は「買い取り」といって、まとまった額の作曲料をいただくケースが多いです。なぜそうなのかは業界の生い立ち的な側面があるわけですが、この場では割愛します(この限りではありませんが)。僕も『信長の野望』の音楽をやりましたけど、要はゲームが何本売れても印税契約ではないので、いただくギャラの額には関係ありません。逆に言えば、印税だった場合、作品がヒットしないと全く収入になりません。それも困りますから、まあどっちが良いのかは難しいですね。もちろん、本来であれば印税方式が大前提ですが。
サウンドトラックなどがリリースされた場合は?
それもケースバイケースなんですが、サントラは二次使用として印税扱いになりますね。僕の場合はゲーム本体の音楽に関しては印税ではないけど、それ以外の使用に関しては印税が発生する形になっています。例えば着メロやパチンコなどに移植された場合、その売上に応じて使用料が決められたパーセンテージで分配されるといった感じです。
ちなみに、現代ですとジャンル的には何が1番予算が大きいのでしょうか?
いまはスマホのゲームなどもありますので、やはりゲーム業界の勢いがありますよね。特に中国系の会社などが手がけるヒット作も増えてきました。そういった企業の案件ですと、レコーディングも本当に豪勢ですね。大編成でお金かけているなっていう現場を僕もちょっと手伝ったりしますよ。だからといって、僕のギャラが特別高いかというわけでは決してありませんが(笑)。
何にしても、作品がヒットすれば、リターンも大きいということは言えますね。お金だけではなく、評価やイメージも上がっていくでしょう。そういうことで、この仕事はとても夢がありますが、ヒット作を生み出すには、コツコツ良い作品を作り続けることが大事ということですね。

人間関係や繋がりがないと、いいものを書いていてもどうにもならない
大変センシティブな内容をありがとうございました。そして、最後にお伺いしたいのですが、今の時代、劇伴の作曲家は、どのようにデビューすることが多いのでしょうか?
そうですね。今、学生にもっとも人気があるのはゲーム音楽の作曲です。ゲーム音楽は昨今いわゆる外注はあまり多くないと思いますので、ゲーム会社に就職して音楽を作ることがやはり1番現実的だと思いますね。
ゲーム音楽の場合は、社内の専属スタッフが多いのですね。
多いですね。社内作家さんで優秀な人材を抱えているというのが、メーカー問わず基本的な時代の流れだと思います。ビッグタイトルになると外部の作家さんに書いてもらう場合もあると思いますが…それも最近はあまり多くないのではないでしょうか。
あとは、映画とかドラマになると、完全にフリーでそういう仕事を取ってこれるかというのは、よほど作家性や行動力がないと難しいですよね。やはり音楽事務所なりに作家として所属した上で営業してもらうとか、ビジネスパートナー的な存在がいればこそお仕事を頂けるのではないでしょうか。そういう人間関係や繋がりがないと、たとえ実力があっていいものを書いていてもどうにもならないですからね。そこは大事ですよ。
要は自分を知ってもらう機会を作ることを積極的にしていかないと、っていうのがあるとは思います。ごく身近な人に知ってもらうとか、なんだっていいんです。そのうち、ひょんなきっかけがきっと生まれるはずですから。
とはいえ、僕も控えめな方ですけどね。誰も気づいてくれなかったら自分からアピールしに行くのかな…すぎやま先生に音源を送ったように(笑)。「自分を使え。使わないと損するよ」ってくらいの気持ちで進んでいくのが良いかもしれないですね。
やはり、人の目に触れる機会を作る事が大事ということですね。
ね、やっぱりそれは大事です。今はSNSなどでアピールしやすい時代ですので、それがいいと思います。あとは、ひたむきに音楽と自分自身とに向き合うことですね。
山下康介
東京音楽大学作曲専攻 映画・放送音楽コース(現・ミュージック・メディアコース)卒業。これまでに映画「花筐」、「転校生~さよならあなた~」などの大林宣彦監督作品に多く携わるほか、NHK連続テレビ小説「瞳」やドラマ「花より男子」「クロサギ」「パパとムスメの7日間」、歴史シュミレーションゲーム「信長の野望」シリーズ、アニメ「ちはやふる」「ドラゴンボールDAIMA」、スーパー戦隊シリーズ「海賊戦隊ゴーカイジャー」などの音楽がある。
また、アーティストやオーケストラのコンサートや、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)などにおいて多くの編曲を手掛けているほか、舞台版「おくりびと」、宮本亜門氏演出のミュージカル「太平洋序曲」「スウィーニー・トッド」などでは公演音楽監督を務めている。
現在、洗足学園音楽大学教授、東京音楽大学特任教授、一般社団法人日本作編曲家協会(JCAA)理事。静岡いわたPR大使。
Words:Saburo Ubukata
Edit: May Mochizuki