青山 ドイツ文化会館(ゲーテ・インスティトゥート東京)にて、11月21日から24日まで “生きる力” を表現する総合芸術フェスティバル「住力」が開催される。SAMPO Inc. 、BLACK SMOKER RECORDS、ゲーテ・インスティトゥート東京が共同主催する「住力」は、いつ起こるかもしれない災害に対して “構え” を持つための祭。“生きる力” をテーマにアーティストの展示やライブパフォーマンス、ワークショップなどが開催され、「衣食住音美」の表現が混ざり合う。

「住力特集」第2弾は、主宰であるSAMPOの塩浦 一彗(しおうら いっすい/以下、一彗)と、漆芸家・桐本滉平(きりもと こうへい/以下、滉平)との対談。桐本さんは、新しい表現に挑戦するアーティスト。今年1月1日に能登半島地震が起きてから、現地の状況をInstagramなどでつぶさに発信し続けてきた。

8月22日〜23日、ふたりの声掛けにより、「住力」メンバー30人は毎年夏に行われる輪島最大規模の祭「輪島大祭」に参加した。復旧作業を最優先で進めている中、祭の開催に対しては市民の中でも賛否両論あったというが、桐本さんは「災害があった今こそ、祭が必要だ」と話す。祭を終えた直後、その熱気が身体に残ったまま対談を行った。

*取材は8月末に行われたものです。奥能登では、9月に豪雨による土砂崩れなどの大きな被害があり、さらに復旧に追われている状況です。

5月、立ち上がる能登へ

今回の「輪島大祭」に参加する前、一彗さんは5月にも能登半島に行かれていましたよね。

一彗(いっすい):サポートできることはなんでもやりたいという気持ちで、三重県を拠点にしてる友達と一緒に工具とか使えそうなものをたくさん持っていって瓦礫の撤去などを手伝わせてもらいました。5月までの間にももちろん復旧作業は行われていたと思うけれど、それでも予想以上に進んでいない状況を目の当たりにしました。

滉平:5月は全然進んでなかったね。正月の飾りもそのままになってた。

一彗:観光地としても有名な朝市通りも、火災の名残りで瓦礫がまだまだ山積みになっていたよね。

朝市通り一体では、地震によって火災が起こり、ここに構えられていた桐本さんの自宅兼工房も全焼してしまった。
朝市通り一体では、地震によって火災が起こり、ここに構えられていた桐本さんの自宅兼工房も全焼してしまった。

一彗:そんな中でも、輪島の人たちは「よく遊びに来たね」って笑顔で迎え入れてくれて。当事者ではない僕は、まだみんな意気消沈しているのかなと思っていたけど、精神的にはとっくに前を向いて進んでいる人が多かったのには驚かされたし、強さを見せてもらった。

滉平:みんなそれぞれの楽しみ方を見つけたり、順応してきている。その順応力は、能登のエネルギーを表していると思うよ。

一彗:「ゼロイチ」の話を聞いたとき、まさにそのエネルギーを感じた。

滉平:地震の影響で「萬正(ばんしょう)食堂」というお店が半壊状態になって営業できなくなってしまったんです。そこで、料理人の萬正光さんの幼馴染で工務店をやっている谷内勇太さんが「うちの事務所を改装して店やるか」って言って3月にできた飲食店が「ゼロイチ」。事務所なのでもちろんキッチンもない状態から、「萬正食堂」からまだ使える厨房機器を引き揚げたりしながら速攻で作っていて本当にすごかった。

桐本滉平さん
桐本滉平さん

一彗:その精神性や動き方には本当に感銘を受けたよ。あと5月の思い出は、石を見に行ったことかな。珠洲(能登半島の最北端)の方は海岸沿いの石が綺麗だと聞いていたから、申し訳ないなと思いつつも「少しだけ寄ってもいい?」って滉平くんに相談したら、「むしろ、せっかくなら楽しいことを一緒にやりたい!」って言ってくれて。

滉平:ボランティアに来てくれる人たちが「手伝わないと」と思ってくれるのはとてもありがたいんです。でもその石を見に行った日は、震災後初めて一日どっぷり遊ぶことができて、本当に楽しかった。

一彗:滉平君もめちゃくちゃ楽しんでくれていたし、僕らもすごく楽しかった。「物資とか、足りないものを教えてほしい」って聞いたとき、「いま本当に必要なのは、生きていくための希望だ」って話してくれたの、覚えてる? これから復興という長い時間がかかるプロセスの中で、輪島にいてもいいんだっていう希望を感じたいって話してくれたんだよね。だったら、ボランティアという一時的な関わり方じゃなく、もっと継続的な目線でできることがあるよね、という話をしていて、今回「輪島大祭」を盛り上げに行こうということになったんです。

塩浦一彗さん
塩浦一彗さん

祭に集結するエネルギー

1月に被災した状況から今回8月に祭が開催されるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

滉平:地震があった1月1日は、初詣に出かけていて家にはいなかったんです。駐車場で焚き火をしながら一夜を過ごして、やっと自宅に到着できたのが、1月2日の23時頃。真っ暗で煙が立っていたので、何も見えない中で消防車1台が消火活動しているのだけが見えました。1月3日の朝、やっと自宅のある朝市通りに行くと、全てがなくなってしまっていた。そこから、食べ物も水もギリギリな状態が続いて、1ヶ月お風呂に入れなかったり、体重が10kg落ちたり。

しかし、そういう状況でも能登に残らなきゃ、と思ったのは、やっぱり祭に焦点が合っていたからなんです。みんなが大事にしている夏の「輪島大祭」に向けて立ち上がっていく軌跡を、一瞬たりとも見逃したくなかった。町の人たちと話して、自分だけじゃなくみんなもそうなんだと分かりました。

面白かったのは、知り合いの復興支援企業が行政に対して「広い目線で見たとき、復旧の次の復興段階において、輪島市民にとってどんな支援が必要になりますか」と聞いたときに、市が「祭の復興です」と答えていたこと。周りからすると「祭!?」と思われるかもしれないけど、「祭というのは、全ての産業が、同じ目線、同じ熱量で関われる唯一のきっかけなんだ」と言って市が祭への補助金制度を立ち上げるくらい、輪島市民にとっては祭は大切なものなんです。


一彗:町の人にとって祭は、絆や “帰ってくる場所” という存在なのかな?

滉平:そうだな、“生命としての野生がむき出しになる場所” って感じかもしれない。能登半島って中心部から離れているから、若いときはみんな「なんでこんな辺鄙な場所に生まれちゃったんだろう」って一回は感じると思う。例えばCMでファストフードを見ても町にはないし、そういう不満を抱えた思い出はあるけど、一方で “神聖な結界” みたいなものがあって土地に守られている気がするんだよね。地形的に、文化や人が出ていかない。その外に放出されずに溜まっていったエネルギーを全部ぶつけるのが祭で、だからすごい熱気を帯びているんだよね。

「住力」メンバーが「輪島大祭」に参加した記録映像

滉平:今年は震災の影響で「輪島大祭」は中止になる予定だった。主催している「重蔵神社」もクラウドファンディングで資金集めをしていて、予定日の直前に例年より縮小した規模でできることになったけど、震災で亡くなった人もたくさんいる中で「住力」メンバーのみんなを呼ぶことに反対意見もあったんです。「外から来た人たちに何が分かる」って。

そもそも、震災以前から「輪島大祭」で担ぐ「キリコ」の維持が難しくなってきているという問題はあったんです。巨大な燈籠「キリコ」は能登の伝統ですが、輪島のだけが総漆塗りで、だからメンテナンスも保管も大事なんだけど、職人も地元に残る人も少なくなっているしお金もすごくかかるから存続が課題になってきていて。

でも1月3日に焼け野原を見て「祭しかない」と思った。1月1日から気力がぷつんと切れてしまうような日もあったけど、やっぱり希望を持てたのは祭があるから。「住力」メンバーをはじめ、今回来てくれた人たちはみんな過去に祭の話をして覚えていてくれた人たちで、だから言い続けることが大事なんだと感じました。みんなもいつの間にか応援するって姿勢じゃなくて自分ごとになっていて、そういう野生を感じられる瞬間が能登に残っているということはチャンスだなと思えたんです。


ハレとケの文化継承

今年の「輪島大祭」は規模を縮小して開催されたんですね。

一彗:縮小した規模でさえ、熱量がすごかった。滉平くんと初めて会ったのは2021年だったけど、そのときすでに祭の話をしてたよね。舳倉島(へぐらじま)の「奥津比咩(おきつひめ)神社」には海の女神が祀られているから輪島では女性の地位が高いんだとか、燃やした松明に飛び込むとか……。大太鼓の迫力とかも動画で見せてもらって、「こんな祭、本当にあるの?」と思ってしまったくらい。

滉平:本来は、その女神をお迎えするために神輿を担ぎながら海に入水するっていう神事を8月22日にやるんだよね。しかも、女神が安心して来られるようにと漁師が全員化粧したりスカートを履いたりして女装してる。23日には、女神の目印となるように「重蔵神社」で大きな松明を燃やす神事が行われるんだけど、松明が倒されるとそこにつけた御幣(ごへい)をみんなで奪い合うっていう激しい祭なんだよ。

一彗:じゃあ今年は入水と松明の神事の間だけが行われたんだね。キリコを担いで夜中練り歩いたり、転びそうなほどにダッシュしながら回転させたりするのは凄まじい体験だった。


一彗:さっき言ってたように、輪島塗でできているキリコを修復する職人は少なくなってきているんだよね?

滉平:全然いないね。若い世代は僕と、「輪島キリモト」の最年少の職人の女性の2人。昔は町中に漆芸家がいたから直せる人は多かったんだけど、今はキリコの修復で生計を立てている人は74歳くらいの職人ひとり。僕らにキリコの修復を教えてくれて、7時から22時までの修行を週3日、1年間かけて学んだんだよね。

一彗:日本には、ハレの日とケの日* のサイクルがあると思っていて。輪島だったら、祭というハレの日は町のコミュニティの絆を改めて強固にする日で、それが終わったら次の年に向けて、日常であるケの日にまたキリコに漆を塗って修復していく。同じようなことは他の地域でもあって、例えば伊勢神宮の式年遷宮では20年に一回、日本中から凄腕の宮大工が集まってきて社殿を作り替える。何年に1回、みたいなピリオディック(定期的)なハレの日って、文化の継承のために必要とされてきたんじゃないかと思うんだよね。

僕はその中での「災害文化」というものに興味があって、「住力」という祭はそういうことを表現する場になる。「住力」はハレの日だけど、そこに参加する出店者やアーティストはみんなケの日にやっていることを出し切るだけ。有事のときのために、“生きる力”、つまり “住力” をケの日から備えておくこと、そしてその備えを共有するハレの場が、ピリオディックに行われることが大事なんじゃないかと思ってる。

*ハレとケ:民俗学や文化人類学において、「ハレ」は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、「ケ」は普段の生活である「日常」を表す。


滉平:極端に言えば、震災はハレの日とも捉えられるかもしれない。地震があったあと、東日本大震災のときから活動しているプロの復旧作業チームが来てくれたんだけど、ビールケースを持ってきてくれたんだよね。他にも嗜好品を持ってきてくれて、さすがだなと思った。あと、みんなめっちゃ楽しそうにボランティア活動をしていて、言葉を選ばずに言うと、祭に近いものがあったんだよね。すごく元気で、「絶対大丈夫だから!」って。

一彗:最高だね。

滉平:それを見て、災害があったとき祭の熱量で立ち直っていくのが大事なんだなと思った。自然のエネルギーの恐ろしさで生命力が弱っちゃうのってもったいない。そこに向かう精神力は、日頃からの生き方次第でどうにでもなると思うんだよね。

一彗:そうだね、祭りが生きる力の根源になっている。


滉平:“住力”、つまりどうやって力強く生きていくかって、わざわざ言語化しなくてもみんなが持っている無形文化だと思う。小さい頃からお世話になっていた人や、祭を一緒に盛り上げていたメンバーでも、震災で亡くなってしまった人はいるんだけど、でもその人たちの言葉や行動は自分の中で生き続けてる。だから人間も無形文化なんだと思っていて。そういう意味では工芸だって祭だって、実はかたちよりもそこにどれだけ人の熱量が集まっているかが大事な無形文化だと思うんだ。

11月の「住力」は、そういった普段はわざわざ言葉にしないようなことを、あえて共有する場なのかもしれないね。生きていく上で信じたいと思えるもの、── それが昔はお寺や神社なのが一般的だったのかもしれないけど、時代ごとに変わる “信じられるもの” 、その糸口が「住力」では見つかる気がするんだよね。

一彗:一生関わりたいって思える人と出会えるような機会にできるといいな。「輪島大祭」では町の人も外から来た人も全員入り混じっていて、エネルギー量がすごかった。「住力」も、出店者やアーティストだけじゃなく来た人全員がプレイヤーになって内と外の境界線をなくす、みたいなことが起こると面白いと思う。参加型のワークショップもたくさんあるし、祭のメインである楽器空間「Hus(ヒュス)」も、ただそれ自体が音を奏でたりステージになるってだけじゃなくて、いろんな人たちが関われる社(やしろ)にしていくつもり。僕自身、何が起こるかとても楽しみ! 滉平くん、対談ありがとう!


住力

都市や自然、生きることを横断する体験型衣食音住美複合型総合芸術イベント。
災害文化を育むハレとケの狭間で響く文化的ミクロレジリエンス

日時:2024年11月21日(木)〜11月24日(日)
場所:青山 ドイツ文化会館(ゲーテ・インスティトゥート東京)東京都港区赤坂7-5-56

チケットサイト
「住力」HP
「住力」Instagram
「ろじ屋」Instagram

SAMPOの災害文化動画

桐本 滉平

きりもと こうへい

漆芸家。1992年、石川県輪島市出身。漆、麻、米、珪藻土を素材とした乾漆技法を用いて「生命の尊重」を軸に創作を行う。また輪島の作り手たちや国内外のアーティストやブランドとの共同創作にも取り組んでいる。
Instagram

塩浦 一彗

しおうら いっすい

1993年生まれ。建築士。3.11の二日後、親に飛ばされミラノに避難。ミラノの高校を卒業し、ロンドン大学UCL、Bartlettで建築を学ぶ。2016年に帰国。建築新人戦2016最優秀新人賞受賞。その後、建築事務所に就職。都市計画等Internationalなプロジェクトに携わるが、Top downの都市の開発に疑問を覚え、元々興味を持っていた動く家、対話するための現代版茶室、家賃を払わなくていい家を体現するためにSAMPOを村上大陸と創業。ミクロな自然現象を扱う指輪作家でもあり、建築家でもある。
Instagram

飯塚 光彩

いいづか きあら

15歳で渡米し、小さな農場で働きながら学生時代を過ごす。帰国後、フリーランスフォトグラファーとして活動したあと、広告撮影を学ぶために松木康平氏に約2年間師事。2021年に独立し、現在は三重県・伊勢市を拠点に、広告とドキュメンタリーを主に撮影している。2024年、能登半島地震が起きた輪島の現場を1月から取り続け、石川県の音楽フェス「ishinoko」や大手町で行われた日本酒イベント「若手の夜明け」などで巡回展を継続中。11月の「住力」でも展示を行う。
Instagram

Photos:Kiara Iizuka
Words&Edit:Sara Hosokawa

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