新宿、靖国通り。煌びやかに並ぶ百貨店と混沌とした歌舞伎町エリアの間にそびえる雑居ビル。その地下に続く階段を下ると、優しい音色のジャズが聞こえてくる。
1961年の創業から店舗の移転や拡大などを経て、今もなお新宿の地で ”JAZZ” を伝え続けている老舗ジャズ喫茶&バー『DUG』。数々の文化人やジャズミュージシャンに愛され、かの村上春樹の代表作「ノルウェイの森」にも名前が出てくるレジェンダリーな場所である。
創業者は中平穂積氏。著名なジャズフォトグラファーでもある。和歌山県出身の彼は、高校時代は写真部に所属していた。そして本格的に写真を学ぶため、日藝の写真学科に進学。映画にも傾斜し、特にスウィングジャズ創始者のグレン・ミラーの伝記的映画「グレン・ミラー物語」に感銘を受けたことをきっかけに、ジャズにどっぷりと浸かっていく。在学中は新宿にあった「木馬」や「ポニー」などのジャズ喫茶によく通っていた。その当時はプロレスや相撲などのテレビ中継があると、今で言うスポーツバーのように店内が騒がしくなった。その事に疑問を抱き、卒業後は自分で撮ったジャズミュージシャンの写真を飾り、純粋にジャズだけにフォーカスしたジャズ喫茶を開くことを決心した。
東京の大学を出て水商売をする事に対し、周りの人間には白い目で見られた。しかしただ一人、理解を示してくれた父親からの出資を受けて1961年、新宿アルタの路地裏で『DIG』を開業した。レコードや音響にこだわった若いオーナーが経営するジャズ喫茶が当時は珍しく、上の世代から同年代の客まで幅広い年齢層の心を掴んだ。当初は数年後にはきちんと就職をすると父親と約束していたが、気づけば大繁盛店に。朝から晩まで店は満席で外には行列ができ、入店を諦めて帰っていく人も大勢いたという。
DIGの経営と並行して、日頃から来日したジャズミュージシャンたちの写真を取りに行っていた。そして1966年、ジャズ発祥の地で本場の ”JAZZ” を撮るべく単身アメリカへ渡った。ロードアイランド州で毎年8月に開催されるニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演するマイルス・デイビス、ルイ・アームストロング、ジョン・コルトレーンを撮影しに行った。青年期にたくさん洋画を見ていたおかげで英語はなんとなく話せていた、と笑う中平氏。店内にはピアノを弾くアリス・コルトレーンとその隣に座るジョンが写された一枚が飾られていた。撮影時は新婚だった二人。(中平氏が言うには)当時はそこまで上手ではなかったアリスのピアノ演奏を心配そうに見守るジョンの眼差しがなんとも愛らしい一枚だ。そのとき同時にスーパー8で撮影した動画は、コルトレーンの現存する唯一のカラー映像となった。その映像はドキュメンタリー映画「チェイシングトレイン」で垣間見ることができる。その後はニューヨークに移動し、ジャズクラブ「ヴィレッジ・バンガード」でビル・エヴァンスを撮ったり、道端でばったり会ったチャールス・ロイドに自宅へ招かれたりと、次々とビッグネームのポートレートを撮影した。
その当時の為替レートは1ドル360円ほど。気軽に海外旅行ができるような時代ではなかった。しかし、日本から持ち込んだNikon F(当時10万円程)数台を現地のカメラ屋へ持ち込んだところおよそ70万円で売ることができた。そうして調達した資金でヨーロッパにも足を延ばした。ジャズの聖地ストックホルムの「ゴールデン・サークル」やコペンハーゲンの「カフェ・モンマルトル」。ジャズミュージシャンたちのポートレートを自分の店に飾りたい、という信念で世界を飛び回った。
その後はDIGを閉め、1967年に新宿紀伊國屋裏の地下に新しく『DUG』をオープンさせた。ロゴはお店の常連客だった国民的イラストレーターの故和田誠氏によるデザイン。その十年後、二店舗目となる『new DUG』をオープンした。
その後DUGは数度移転をしている。まずは1987年に以前はバーニーズ・ニューヨークがあった一角の向かいにあるモアビル四階、そして2000年には靖国通り沿いケンタッキーの地下二階に移動した。現在この店舗は閉店しており、1977年から続くnew DUGを新たに『DUG』として営業している。
1995年からはジャズミュージシャンのライブも開催するようになった。渡辺貞夫や白木秀雄、ケイコ・リー、バリー・ハリスなど国内外を問わず様々なミュージシャンに演奏の場を提供し、レコーディングなども行われた。ジャズミュージシャンの活動をサポートしたい一心でライブを始めたが、売り上げにはつながらないことも多かった。ライブを続けるために借金をしたことさえあるという。店の経営にジャズミュージシャンの写真と、 “JAZZ” をアウトプットしてきた中平氏はいつしかジャズ界を牽引する存在になっていた。
音響システムはお店の常連客だった元山水電気の故小林重雄氏が設計している。DUGの為に選んだスピーカーはJBLのLE8T。目立たないようにあえて壁に埋め込まれており、店内隅にL字型に設置されている。アンプは手作りで、Telefunkenの真空管を使用したオリジナル。小林氏が亡くなりメンテナンスが難しくなっていたが、これまた常連客であるオーディオマニアで彫刻家の笠井氏の助けを借り、現在でもオリジナルのままで使用できている。
昔のジャズ喫茶は耳が痛くなるほどの大音量であったが、中平氏の好みは柔らかく響く音。店内に流れるクリアでソフトな音は耳に優しく、コーヒーを一口飲んだ後のほっとする瞬間に良い塩梅で溶け込んでくる。スッキリとした味わいが美味しいアイスコーヒーは、毎日6時間かけて淹れている DUGオリジナルブレンド。アルコールは多数揃えており、カクテルの種類も豊富だ。
後継者が見つからずに幕を閉じた名店は数多くあるが、DUGは息子の中平塁氏が引き継いでいる。「時代の流れに柔軟に対応していきたいが、長年通っているお客様が多いので、いつ来ても同じDUGを提供できるようにしていきたい」と塁氏は語る。
穂積氏が撮影した伝説的なジャズミュージシャンのポートレートに囲まれた店内では、今日も優しいジャズのメロディーが流れている。これからも新宿の地で “JAZZ” を伝え続けていくであろう。
JAZZ BAR DUG
〒160-0022
東京都新宿区新宿3丁目15-12
Tel 03-3354-7776
営業時間 12:00 – 23:30
18:00~Bar Time、テーブルチャージ550円
*平日18:30~20:00はhappy hour
Photos & Words by Masahiro Takai