レコーディング作品をリリースするにあたって、欠かすことができない存在が、マスタリング・エンジニアだ。 一連のレコーディング・プロセスの最終調整を担い、アーティストの望む楽曲に仕上げる。 Björk(ビョーク)から坂本龍一まで、さまざまなアーティストから声が掛かり、その手腕が高く評価されているのが、Heba Kadry(ヘバ・カドリー)だ。 エジプト出身でニューヨークで活動する彼女のもとには、現在、多くの依頼が寄せられている。

ここ最近だけでも、Sufjan Stevens(スフィアン・スティーヴンス)『Javelin』、L’Rain(ロレイン)『I Killed Your Dog』、Alan Palomo(アラン・パローモ)『World of Hassle』、Blonde Redhead(ブロンド・レッドヘッド)『Sit Down for Dinner』など、彼女が手掛けたアルバムが次々とリリースされている。

間違いなく世界トップクラスのエンジニアとして注目をされているが、メジャーとインディのシーンを自在に行き来し、音楽業界の古い仕来りやストリーミングの全盛に反旗を翻し、Björkの要望に応えてミキシングも担当する大胆な冒険精神を持ち合わせている。 ニューヨーク、マンハッタンの南にあるブルックリン区の人気エリアDUMBO(ダンボ)に自身のスタジオを構えるHeba Kadryに、マスタリングを通して学んできたこと、Björkや坂本龍一との仕事、スタジオとレコード制作を支えてきた音楽コミュニティのことを中心に話を伺った。

だれでもマスタリング・エンジニアになれる、しかし

だれでもマスタリング・エンジニアになれる、しかし

あなたのスタジオの紹介からお願いします。 どのようなコンセプトで設計されたのか、教えてください。

私は正確な決断を下せるように、音響的にしっかり調整されたスタジオを建設したいと思っていました。 それでいて、長時間のスタジオ作業をしやすくするために、明るくて快適で、過ごしやすい空間にしたかったんです。 吸血鬼のような気持ちになってスタジオから出てきたり、健康に悪いと感じながら作業する時代はもう終わりました。 正確さ、機能性、快適さが重要だと思います。

ここは、これまでのキャリアで建てたスタジオの中で、初めて100%私自身を反映していると実感できています。 Sondhus名義で活動している素晴らしい音響家であるJim Keller(ジム・ケラー)とコラボレーションをして、音響面を担当してもらいました。 ニューヨークにはさまざまな物理的、経済的制限があるため、バジェット内でサウンドのいいスタジオを建設することはとても難しいです。 Jimは常に正直に私に何がうまくいくか、何がうまくいかないかをアドバイスしてくれました。 彼はまた、ミッドセンチュリーのデザインに詳しくて、そこも私の好みと一致しているので、コラボレーションしやすかったです。 多くのスタジオ・デザイナーは、美的センスがひどかったり、嘘の音響理論に基づいて建設しますが、Jimとは共通点が多かったです。 また、アラビア建築からインスパイアされた六角形の連結したタイルのような吸音材を作りたいという夢がありました。 それは少し故郷の要素を取り入れたものですが、音響的な機能もあります。

長時間のスタジオ作業をしやすくするために、明るくて快適で、過ごしやすい空間にしたかった

そもそも、あなたはなぜマスタリング・エンジニアという仕事を志すことになったのでしょうか?

ほとんどのマスタリング・エンジニアと同様、私も何となくこの世界に入りました。 マスタリングは若い子たちが魅力を感じる世界ではありません。 あまり目立つ仕事ではないし、マスタリングができるようになるまで非常に長い道のりがあるからです。 少なくとも昔はそうでした。 大きなスタジオでインターンとして働くことから始まり、スタジオ全体のアシスタントを務めてから、品質管理のプロダクション・ルームのアシスタントとして働き、最終的にはセッションの助手としてリコール・ノートを取り、アルバムの曲順を作成し、素材管理をするようになるという段階を踏みます。

でも、今は違います。 だれでもマスタリング用のDAWを購入し、マスタリング・エンジニアと名乗ることができます。 これには多くの素晴らしい側面があります。 YouTubeのチュートリアルから知識を学ぶことはできるし、高価なアナログマスタリング機材はもう必要ありません。 マスタリングの世界に入りたいとメールをくれる若いエンジニアには、とにかく自分で試しにやってみるようにアドバイスしています。

でも、この状況の欠点は、重要な基礎知識や技術を吸収できないことです。 だれでもマスタリング・エンジニアになれます。 それほど難しいことではありません。 しかし、それを実際に上手にできるかは別の話です。 上手になるには、とにかくやり続けて経験を積むしかないんです。 インディからトップレベルのメジャーレーベルの作品まで、さまざまな作品をマスタリングして、常にいいサウンドに仕上げる必要があります。 偉大なマスタリング・エンジニアのディスコグラフィーを見ると、幅広い作品で素晴らしい仕事をしてきたことに気付かされます。 そこにたどり着くには時間がかかるわけで、そのプロセスを急がせることはできません。

そして、リイシューは全く別世界で、違うアプローチが必要です。 まずはすべてのフォーマットについて学ぶ必要があり、再発される作品の歴史を調査し、これまでリリースされたすべてのバージョンを調べて、「最終マスター」と書かれたDATまたは1/4インチテープが、実際にリリースされたものと同一であるかを確認する必要があります。 さまざまな理由で、アーカイブの中にあった最終マスターだと思われていたものが、実際には最終バージョンではないことがよくあります。 なので、探偵のように音源を調査する必要があり、ミスは許されません。 マスタリングでミスをすると、仕事が来なくなりますから。

SugarHill Studiosのインターンがキャリアのスタートでしょうか? そこに入った経緯と学んだことを教えてください。

その通りです。 オーディオスクール卒業後、初めての仕事がSugarHill Studiosだったんですが、本当に幸運でした。 そこですべてを学びました。 2004年当時は、安価なDAWが幅広く普及したことで、大規模なレコーディング・スタジオが大打撃を受け始めた頃でした。 スタジオのあるヒューストンよりもオースティンの方が音楽都市として知られていて、スタジオのすべての部屋を埋めるのがなかなか難しい状況でした。 逆にそれが功を奏して、エンジニアたちは時間があったので、丁寧にマイクの配置、セッションの設定と撤収、テープマシンのキャリブレーション、テープオペレーターのやり方、仕事に対する立ち振る舞い、インターンとしてのどうすれば役に立つかということを教えてくれました。 あのスタジオで仕事をしたことは、とてもいい思い出で、まさに家族のような雰囲気だったし、たくさんのことを学びました。

SugarHillはアメリカで最も古くから運営されているスタジオであり、そこのテープ倉庫を見るだけで、20世紀のアメリカ音楽の歴史を学べるような環境でした。 テープ倉庫の通路を歩いていると、Little Feat(リトル・フィート)、The Big Bopper(ビッグ・ボッパー)、Screaming’ Jay Hawkins(スクリーミン・ジェイ・ホーキンズ)、The Red Krayola(レッド・クレイオラ)、The 13th Floor Elevators(サーティース・フロア・エレヴェーターズ)などの名前が記載されたテープを見ることができます。 そこで私が思いついたアイデアの一つは、ツアー中のバンドを招待して録音し、KPFTパブリック・ラジオでインタビューと共に放送する番組を開始することでした。 約2年間これを行い、ヒューストンのインディ・ミュージック・シーンの小さなコミュニティで注目されました。 ツアー中にヒューストンを通るさまざまなバンドに連絡し、Daniel Johnston(ダニエル・ジョンストン)、Yo La Tengo(ヨ・ラ・テンゴ)、Frank Black(フランク・ブラック)などのアーティストの録音ができて、本当に幸運でしたね。

坂本龍一『BTTB -20th Anniversary Edition-』は私のキャリアにおける最も名誉な経験

坂本龍一『BTTB -20th Anniversary Edition-』は私のキャリアにおける最も名誉な経験

そのあとニューヨークに移ったのですね。 ニューヨークではどのようにして活動の場を得てきたのでしょうか? 

はい。 2007年にニューヨークで挑戦することを決意しました。 グリニッジ・ヴィレッジの中規模なマスタリング・スタジオでインターンをするチャンスを得ました。 このスタジオは、若いエンジニアを育てるための良い環境ではありませんでした。 自分でエンジニア業務をやる方法を見つけなければと思い、週末や夜遅くに、誰もいなくなった後にスタジオで作業することで、自分でもエンジニア業務をできるようになったのです。 インディ・バンドに声をかけてみたり、ライヴ後にバンドにマスタリングをさせてもらえないか話をしてみたりしました。 しばらくして、少しずつ仕事が入るようになりました。

そうしていくうちに、この業界について多くのことを学び、タフな精神を持つこと、ニューヨークのような厳しい街でどうやって戦って生き抜くかということを学んだのです。 スタジオにはまずまずのアナログ機材があって、すでにリリースされたレコードを参考にしながら、自分自身でマスタリングを学びました。 OS9の古いSonic Solutionsシステムがあり、非常に時代遅れのもので、扱いづらかったです。 最初期のマスタリングDAWだったので、それを使いこなすことができれば、どんなマスタリングDAWでも作業ができることを意味していました。 まるでマニュアル車の運転を学んでから、オートマに切り替えるようなものです。 数年後にこのスタジオでできることはやり尽くしたと思い、自分を信じてフリーランスになったのです。

あなたは沢山の仕事を手掛けてきましたが、特に印象に残っている仕事をいくつか教えてください。

もちろんBjörk(ビョーク)との仕事は思い出深いです。 私のキャリアの初期の頃に手がけた作品が、今の私を作ったとも言えます。 例えば、Future Islands(フューチャー・アイランズ)の『In Evening Air』は、彼らが大ブレイクする前に手がけました。 あの作品をマスタリングしたときは、彼らの楽曲の表現の深さに感動しました。 アルバムのマスタリングが終わった夜、Silent Barnでの彼らのライヴを見に行き、10人ほどの観客がいたのを覚えています。 彼らがバンドとして大ブレイクする直前を目の当たりにできて嬉しかったですね。

坂本龍一の『BTTB -20th Anniversary Edition-』で、現代の最も偉大な作曲家の一人であるマエストロと仕事ができ、彼のレパートリーに関わることができたのは、大変な名誉でした。 ソニーから『BTTB』のDATを受け取り、録音当時のエンジニアからの詳細なメモを見て、その正確さに驚きました。 最初のDATを再生したときに、このような極めて重要な作品を担当することになったことが信じられなかった記憶があります。 DATはちゃんと再生することができてとても安心しました。 DATは、エラーが出たり再生不能になることで有名ですが、幸いにもこの時はそういうことはありませんでした。 その後も『B2-Unit』など多くの作品で一緒に仕事をしましたが、『BTTB』は彼の古いレパートリーの中で最初に携わることになった作品でした。 その才能には本当に驚かされました。 彼の音楽を聴いたときにリスナーが感じるエモーション、そして作品に込めた感情と静寂さには驚嘆するばかりです。 私のキャリアにおける最も名誉な経験でした。 考えるだけで感情的になります。 彼と出会い、一緒に仕事ができて本当に幸運だと感じています。

Björkは音楽業界の時代遅れのルールを全く気にしていない

Björkは音楽業界の時代遅れのルールを全く気にしていない

Björkの『Utopia』はあなたにとって、どんな意味を持つ仕事だったのでしょうか? マスタリング・エンジニアであるにも関わらず、ミキシングをいきなり担当したそうですね。

時代を代表するアーティスト兼プロデューサーから、自分がまだそれを受けられるレベルではないのに仕事を依頼され、「はい」と答えたんです。 彼女は、賞を受賞しているような数々の有名なミックス・エンジニアに声をかけることができたのに、私を選んでくれたことが今でも信じられませんね。 私たちの共通の友人に、世界で一番かっこいいレーベルの1つでもあるTri Angle Records(トライアングル・レコーズ)を運営していたRobin Carolan(ロビン・カロラン)がいます。 レーベルは残念ながら閉鎖されましたが、私はそのレーベルの9割のリリースのマスタリングを行い、いくつかの作品のステムミックスを担当してました。 Robinが私たちを引き合わせたんです。

Björkは常に音楽を聴いて、DJをするのが大好きだし、素晴らしいレコードをいつも見つけています。 彼女は知らなかった素晴らしい音楽について教えてくれたし、音楽民族学者のようなアカデミックなレベルの知識を持っていて、音楽の歴史や文化的意義についても博識です。 たくさんの賞を受賞している、チャート入りしたヒット曲を数々手がけたミキサーやエンジニアと仕事をしなければいけないという、音楽業界の時代遅れのルールがありますが、彼女はそういうルールを全く気にしていないところが大好きです。 実際、彼女はまるでアレルギーのようにそういう風習を嫌っています。 コラボレーション、心と心のつながり、個性を大切にしていて、彼女が追い求めているサウンドを最後まで追及することに興味がある人を探しています。 彼女は誰よりも時代を先取りしていますね。

『Fossora』もあなたの仕事ですね。 Björkとの仕事を通して、マスタリング、及びミキシングについて得たことは何でしょうか?

その頃には、私はミックスに対してもっと自信を持てるようになっていました。 彼女が何を必要としているか、そして彼女の好みについてもっと理解が深まっていました。 しかし、彼女と一緒に仕事をするたびに、言うまでもなく、エンジニアとして、そして一人の人間として新しいことを学びます。 彼女の音楽と音楽制作へのアプローチは唯一無二です。 音階、不協和音、ハーモニー、変わった音楽構造やテンポについての彼女の考え方には本当に驚かされます。 以前やったことを繰り返したがらないし、常に新境地、新しい音の世界を探し求めています。 境界を押し広げ、誰も聴いたことがない魔法のような音楽をクリエイトできるのは彼女だけです。 曲の作業を開始する直前に、彼女は手書きの歌詞とメモを使って、楽曲のコンセプトを構成するそれぞれの単語の意味、イントネーション、音色について細かく説明してくれます。 彼女が表現しようとしている感情を理解する上で、これは非常に役立ちました。 彼女が書いてくれたこれらのメモは、私の宝物です。

『Fossora』ではマスタリングも行っていたため、どのような音に仕上げたいか最初から完全に理解していました。 私はマスタリングの脳を使ってミックスをして、同時に両方の計算をしていました。 ドラムとボーカルのプロセッシングなど、音響的に一貫性を持たせるために、最初からミックスにおいてどのような問題を解決しなければいけないか把握していました。 脳内でスイッチを何度も切り替えないといけないので、とても疲れる作業でしたが、最終的にどのようなサウンドに仕上げたいかわかっていたので、そのサウンドを維持することを意識したのです。

原田郁子『Ima』は、陽気で美しいテクスチャーと軽快で妖精のようなサウンド

原田郁子『Ima』は、陽気で美しいテクスチャーと軽快で妖精のようなサウンド

マスタリングであなたが心がけていることを教えてください。 そして、マスタリングとはどういう仕事であるべきだと考えていますか?

作品のサウンドとエモーションが、どのような方向性でマスタリングするべきかを決定づけます。 アーティストと作品の音楽性が、ガイドになってくれます。 その作品を無理やりアーティストが望んでいないサウンドに変えることはしませんし、アーティストのビジョンを変えるようなことは絶対にしないのです。 アルバムをマスタリングする際、アーティストが完全に作品の方向性をコントロールできるようにしますし、必ずアーティストとのオープンなコミュニケーションを大切にします。 ミュージシャン/プロデューサーと対話しない閉鎖的なマスタリング・エンジニアが多すぎて、アーティストはそういう人と仕事をするとマスタリングに対してネガティヴなイメージを持つようになります。 そういうのは嫌いです。

アーティストから、なるべく透明性のあるサウンドでマスタリングをして、あまりエフェクトをかけないという指示があれば、もちろんそのようにします。 サウンドを歪ませて、クレイジーなサウンドにして欲しいという指示があれば、それも喜んでやります。 私は毎日さまざまな音楽ジャンルの仕事をしていることが大好きで、音楽の好みも非常に幅広いです。 現代音楽を手がけることもあれば、翌日は地獄の底から出てきたような激しいインダストリアルを手がけることもこともあります。 それがこの仕事の大好きなところです。 実際、私はこのような音楽的な幅広さを求めています。 音楽が大好きなのは、多種多様な色彩の音楽が私からさまざまな感情を引き出すからです。 アーティストのビジョンを常に尊重し、自分のエゴを出さないことが大切です。

あなたは最近、原田郁子の『Ima』も手掛けました。 この作品については、どのようなオーダーがあり、どのような意図を持って臨んだのでしょうか。

この作品のマスタリングはとても楽しかったです。 ボーカルをより親密にしながらも、ソースミックスのダイナミックな特性を保って欲しいというリクエストがありました。 また、曲間のスペース、そして曲順について自由にアプローチしても良いと言われました。 とても陽気で、美しいテクスチャーがありながらも、軽快で妖精のようなサウンドの作品でした。 マスタリングでは、パンチと妖精のようなサウンドを保ちつつ、コンプレッションをかけすぎずに、豊かさと広がりを加えたいと考えました。

レコードのシーンは、数少ない生き残っている本物の音楽コミュニティの一つ

レコードやアナログの機器に対して、あなたの考えもぜひ訊かせてください。

私はCDが大好きで、今でもそうです。でも、最終的に私もレコードが大好きになり、ラッカー盤のカッティングも学びました

私はレコードを聴きながら育ったわけではありません。 私が生まれた80年代には、エジプト人はいち早くカセットテープを採用し、最終的にCDに移行し、レコードを捨てました。 北アフリカ、特にエジプトは1940年代以降、この地域全体のレコード生産の中心地だったので、現在、エジプトにはプレス工場がないのが残念です。 80年代末から90年代初めにかけて、エジプトではレコードは過去の遺物と考えられ、アンティーク・ショップでしか見かけない存在になってしまいました。 レコードの希少性、技術的な問題、政治的混乱がエジプトでのレコード生産を終わらせました。 私の父は今でもサンスイのサウンド・システムを持っていて愛用していますが、レコードはほとんどなく、カセットテープやラジオを聴くために主に使用しています。

私はCDが大好きで、今でもそうです。 でも、最終的に私もレコードが大好きになり、ラッカー盤のカッティングも学びました。 音楽業界において、レコードのシーンは、数少ない生き残っている本物の音楽コミュニティの一つです。 現代では、音楽の消費方法の85%はストリーミングに占められているため、リスナーは音楽から断絶された状態で聴き、音楽を集中して聴く持続時間が極端に短くなっているので、リスナーはすぐに次の曲に移りがちです。 レコードで音楽を聴くことで、1枚のレコードを制作するためにかかった時間と努力に感謝しながら聴くことができます。 レコード店に足を運んでレコードを購入し、アートワークとクレジットを細かく見ながら音楽を聴くと、ストリーミングにはない形でリスナーはアーティストと繋がることができます。 私は今もレコード・ショッピングが大好きで、Record GrouchAcademyなどのお気に入りのレコード店に行くと、友達にたまたま出会ったり、知識豊富なスタッフが素晴らしいレコードを勧めてくれるので楽しいですよ。

ニューヨークはあなたが仕事をしていく上で、どんなインスピレーションを与えられる街ですか? 

ニューヨークは私の人生の旅において非常に重要な登場人物です。 ニューヨークは美しい獣のような存在で、自分の人生を破壊させられるか、成功させてくれます。 ニューヨークでマスタリング・エンジニアとして成功できれば、どこでも成功できると信じていました。 この考えがどこから来たのかは分かりませんが、振り返ってみると納得できます。 特にパンデミック後のニューヨークでは大きな変動があり、多くのアーティストがニューヨークから離れ、高額な家賃、過度の開発、経済の変化などに直面していますが、音楽シーンにおいては依然として非常に重要な都市です。 これらの変化は数十年にわたってニューヨークで起こっています。 このサイクルは繰り返されています。 それでも、各サイクルごとに、アーティストはこのクレイジーな街で生き残る方法を見つけ、さらに街の端っこに追いやられ、よりアンダーグラウンドに深く潜り、新しいシーンを生み出しています。 ニューヨークは常に変貌しているカメレオンのような存在です。 ニューヨークなしでは、私は今のようなエンジニアにはなれなかったし、このキャリアを手に入れられなかったことを100%確信しています。

DUMBOには、小さな隣接しているスタジオがまだ残っている

DUMBOには、小さな隣接しているスタジオがまだ残っている

スタジオがある周辺の街の様子や、お気に入りのスポットがあれば、ぜひ教えてください。

私のスタジオはDUMBOにあります。 DUMBOはDown Under The Manhattan Bridge Overpass(マンハッタン・ブリッジの高架下)の略で、20世紀の転換期に重要なフェリーランディングと工業地帯だったため、波止場の雰囲気が強く残っています。 美しいコブルストーン、古い鉄道のレール、歴史的な建物があり、マンハッタン・ブリッジとイーストリバーが美しい背景として広がっています。

お気に入りのカフェはCafe Gitaneで、しょっちゅうそこに行きます。 最高のクスクスとモロッコのミントティーを提供するフレンチ・モロッコのカフェです。 彼らは有名なポール・ボウルズの本「Sheltering Sky」にちなんだカクテルを提供しており、最終的にBernardo Bertolucci(ベルナルド・ベルトルッチ)が監督し、坂本龍一が音楽を担当した有名な作品です。 坂本龍一の最も素晴らしいサウンドトラックの1つです。 その繋がりが大好きなんです。 お気に入りのブティックはFront Generalで、商品が厳選された古着店です。

ニューヨークには音楽スタジオが集中しているエリアがそれほど多くないため、スタジオが隣接している地域が存在しなくなっていました。 DUMBOは、大規模な開発が進行中であっても、小さな隣接しているスタジオがまだ残っています。 それは本当に素晴らしいことです。 たとえあまり他のエンジニアと頻繁に会わなくても、そのコミュニティの感覚が大好きです。

DUMBOは、大規模な開発が進行中であっても、小さな隣接しているスタジオがまだ残っています。

この先の活動についてのヴィジョンを教えてください。

音楽業界の経済システムがアーティストをフェアに扱っていないので、アーティストが公平な報酬を受けられるように戦い続けたいです。 ストリーミングはひどい形で音楽とアルバムの価値を下げました。 アーティストがストリーミングを通じて公平に報酬を得られなくなると、エンジニア、ローディ、ライブエンジニア、照明技術者などの音楽関連の労働者全体の仕事がなくなってしまいます。 多くの変革と政策が必要です。 だから、私はUMAW(Union of Musicians & Allied Workers 音楽労働者組合)と協力して活動してるんです。

関わっているプロジェクトについても訊かせてください。

11月に、ユトレヒトで開催されるフェスティバル「Le Guess Who?」に共同キュレーターの一人として参加します。 北アフリカやアラブ音楽シーンのアンダーグラウンドなエレクトロニック・アーティストを、LGWのような大規模なフェスティバルに招待できる機会に非常に興奮しています。 このフェスが世界中のアーティストに焦点を当てることにこだわっており、多様性があり、通常のフェスとは違うアーティストを起用しているのは素晴らしいことです。 ほとんどの大規模なフェスは何度も同じアーティストを出演させるため、どこも同じようになりがちです。 LGWはその正反対です。 私はそこで大好きなStereolab(ステレオラブ)、Amina Alaoui(アミナ・アラウイ)、ESGなどのアーティストを見るのがとても楽しみです。

Heba Kadry

Heba Kadry

エジプト生まれのHeba Kadryは、90年代初期のインディ・シューゲイザーのレコードを手当たり次第に聴いて育った。 カイロのアメリカン大学を卒業後、カイロの広告代理店でジングルを作曲し、オーディオの世界に入る。 広告業界で2年間働いた後、オハイオ州のレコーディング・ワークショップでオーディオ・エンジニアリングを学ぶために渡米。
テキサス州ヒューストンに移り、SugarHill Recording Studiosでレコーディング・エンジニア兼スタジオ・マネージャーの職に就いた。 テキサスでの数年後、マスタリングに専念するため2007年にニューヨークに移り、2013年に現在のブルックリンに移るまでマンハッタンで数年間働いた。 手掛けた主なアーティスト:Björk, Sufjan Stevens, Slowdive, Beach House, Nicolás Jaar, The Mars Volta, John Maus, Lucy Dacus, Animal Collective, Hayley Williams, Yaeji, Porches, Future Islands, Battles, Mykki Blanco, Deerhunter, Neon Indian, Big Thief, Alex G, serpentwithfeet, Diamanda Galás, Lightning Bolt Explosions in the Sky.

2017年以来、映画音楽に加え、『B2-Unit』と『BTTB』のリマスタリングを含む、多くのリリースで坂本龍一と仕事をしてきた。

2017年には、Björkの『Utopia』のミックスに抜擢され、2022年にはアイスランドとブルックリンのスタジオで彼女の『Fossora』のミックスとマスタリングを手がけるなど、エンジニアとしての活躍の場を広げている。

HP

Words: 原 雅明 / Masaaki Hara
Translate: Hashim Kotaro Bharoocha
Photo: Olena Shkoda

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