音楽の周りにいる人たちには、収集癖のある人が多い!? そんな仮説をもとに、ミュージシャン、DJ、作曲家……さまざまな形で音楽に関わっている人のお部屋にお邪魔し、その収集と音楽との関係性を炙り出す連載。
第3回目にお話を伺ったのは、現代陶芸を収集している菅原一樹さん。現在は八ヶ岳に住み、テレビ番組や広告、映画、イベントなどの音楽を作曲することを生業としながら、「anre*f(アンレフ)」などの名義で自身の楽曲も発表している。
2010年から、約15年かけて集めたうつわは300点以上。それだけの収集に至った経緯や考えを伺うと、「集める」の手前にある「選ぶ」こと、そして集めたあとに「所有する」ことについての思考と実践が、言葉の端々から垣間見ることができた。
うつわに思う、生き方を考える
菅原さんは、購入したうつわを自ら写真に収めており、それらは時折Instagramに投稿される。写真からは、うつわもこちらを眼差しているような、うつわと持ち主の対峙の中にある独特な緊張感が感じられる。それは、彼自身がうつわを所有し、使い続け、感じ続けているからだった。本記事では、菅原さんという持ち主以上に彼のうつわを写しきれる人はいないため、写真を提供してもらった。
うつわを集めはじめたのはいつからですか。
2010年に、小野哲平さんという陶芸家に出会ったことがきっかけです。うつわは食器という実用性はもちろん、作家の作品という側面を持ち合わせていることに気づき、ものづくりをする人間として非常に考えさせられる部分がありました。
そういった人間にとって必要なもの、衣食住の食という生活の一部に入り込みながら、作品として強度のあるものとして存在していることに興味を持ち、のめり込んでいきました。
日常の中に力強いインスピレーション源があることを大事にされている、ということでしょうか。
違います。インスピレーションは気づきです。どんなものでも気づくことによってインスピレーション足りえます。曲解や錯覚、思い込みとも近いかもしれません。なのでどんな人、どんな状況でも “インスピレーション源” なるものはいくらでもごろごろ転がっています。
自分が大切にしていることは2つあります。1つ目はなにが自分の興味に引っ掛かるのか、なぜそれに惹かれるのかに対して敏感であろうとしていること、つまり前述の “気づき” 。2つ目はその “気づき” を時間をかけてより深く解明しようとする姿勢です。
上記の2つの大切にしていることに従って行動すると必然的に興味をもったものが多く集まってきます。ものだけでなく場所もそうです。ありとあらゆるものが純度の高い状態で集まってきます。そうすると日常にある全てのもの、所有している全てがより純度の高い “インスピレーション源” として集まっている空間で日々を過ごすことになります。
僕の音楽には「音そのものの質感」を追求して制作したものがありますが、だからといってただうつわの質感をみてインスピレーションをうけてこうだ!と単純に音楽を作っているわけではありません。うつわはあくまで研究対象、観察対象のひとつとして日常に佇んでいるのです。
そして、うつわだけから影響を受けているわけではありません。もっと複合的で複層的です。うつわや楽器、車、庭などそのほかのことすべてが複雑に絡み合い、より自分専用にチューニングされた純度の高い “気づき” を満たした空間で日々を過ごすことで、より深く自分自身に向き合って作品を生み出したいと考えています。
なので質問の言葉を借りて答えるなら、“インスピレーション源” の純度を高めることを大切にしているということになりますでしょうか。
衣食住の中でも、特にうつわを集め続けているのはなぜでしょうか。
なぜでしょう。住も衣も分け隔てなく集まってきているので、特にうつわだけという感覚はないのですが、前述の通り興味をより深く解明しようとするとどうしても数が増えてしまいます。もちろん料理を日常的にするからという一般的な理由もあります。
僕は同じ作家のものを集めがちだったんですが、「もっとほかの人の作品もみなさい」と言われたことがあり、そこから幅広く見るようになったことも増えていく要因の一つですね。
それと僕は音楽を作っていますが、音楽って手で触れないものじゃないですか。ですからその反動として物質として存在する作品に憧れと尊敬があることも関連していると思います。
陶芸家のあり方にも影響を受けたとおっしゃっていましたね。
はい、作家さんたちのものづくりに対しての姿勢には尊敬を感じざるを得ません。僕が知る作家さんたちはなぜそれを作るのかを毎日毎日自身の深いところに潜って自問自答して、窯を焚き、作品を世の中に放っていく。作家としての芯の強さを持っている人が多いので、そういう姿を見ていると刺激を受けますし背筋が伸びます。
日々、うつわが問いかけてくる
何を大切にしてものづくりをしている作家なのか、どんな素材や製法を用いているのかなどを知るために、基本的には在廊中に訪れ、作家と話してから作品を買うという菅原さん。「直接話すことで作家の意外な一面が垣間見れたり、時には深い話で長くなることもあります。そういう環境で作品を受け取れることは、ネット販売にはない一番の贅沢です」。
部屋にずらっと並ぶうつわとその作家へのリスペクトは、語り尽くせないほど。中でも思い入れのあるうつわを紹介してもらった。
小野哲平さんのうつわ
「どんな闇を歩くのか、その闇の中で何を見つけるのか。深く自分に問いかけるために。」
小島陽介さんのうつわ
「どれもすっと手にとってしまううつわ。うつわ単体での質感も素晴らしい上、料理を盛り付けした時の景色まで計算して作陶されているところも惹かれます。」
小野象平さんのうつわ
「うつわ、焼物という垣根を軽く飛び越え、音楽やファッションなどあらゆるジャンルの信念をもつクリエイターと共鳴し合えるボーダレスな存在。」
所有しているものは全て “文化からの借り物”
菅原さんは、長い期間を見据えてものを所有する、ということについて語ってくれた。それは、誰しもが表現でき、一瞬でものが買えるようになった現代において必要な視座だった。
菅原さんは、ソフビなども集めていますよね。うつわに限らず、ものを集めるときに大切にされていることはありますか。
正直集めているという感覚はないんです。すべてのものにきちんと入手する理由があってこうなっているだけで、それを知らない人にはその様子が集めているように映っているのだと思います。僕はいわゆるコレクターではありませんということを明示しておきます。
集めるということはさておき、入手する時に大切にしていることとしてお答えします。まず一生向き合えるものであること。次に自分に共鳴する背景がそれにあること。自分が所有するものの全ては、“文化からの借り物” だと思っています。お金を出せば自分のものになったことになるけれども、でもどこまで行っても自分のものではない。つまり今手にあるものは文化から一時的に所有することを許され、それとの向き合い方を常に試されている、そういう感覚です。
だからここに集まってきているものを次の世代に引き継ぐか、もしくは引き継がないか、ということまでしっかり考えないといけないと思っています。ものによりますが、人よりもののほうが長く存在します。自分が死んでしまった場合これは誰に引き継いでもらおうかな?と想像して、心の準備をしておくことに早すぎるということはないでしょう。それと同時に、引き継がずに自分の生きている間で使い切ることを想定しているものもあります。ものを扱うにしても、楽器を扱うにしても、作品を残すにしても、これは自分が何かと向き合うとき全般に共通することです。
インスタントに所有するのではなく、そのものを持つ「時間」を長いスパンで想像する、ということなのかなと解釈しました。
所有して、長い期間をかけて味わってみないとわからないことって多いのではないでしょうか。美術館やギャラリーで一時的に鑑賞しても深いところに辿り着けないと僕は思っていて。なのでうつわに限らず気になったものは手元に置くようにしています。
うつわだったら料理を盛ったり、日常で手にとって触ったりということを何年も繰り返すとうつわの表情が変化していくことを体感することができます。これは所有することでしか得られない体験です。
そしてそれは何かを観察するということの修行です。一見変化しないと思われるものを長い時間をかけて向き合うことで、その微細な変化を感じとる精神を鍛え、自分の内面の変化を捉える一助としています。
八ヶ岳での生活は、「観察し続ける」ということに通じるのでしょうか。
元来自分の気質が定点観測派なので、そうだと思います。ここでの生活はそういった自分を最適な場に置いているという感覚です。
今、幼少期と同じような環境に身を置いて原体験を追体験しています。幼少期は昆虫の標本を作って記録をしていたのですが、今はもっぱら写真を撮って記録しています。虫取り網がカメラに置き換わった感じですね。
観察という点では、同じ体験を摂取して幼少期の自分と今の自分でどう感じ方が違うのかを日々観察しています。もしかしたらこれも見方をかえると “集める” 行為なのかもしれませんね。
菅原一樹
八ヶ岳在住の作曲家。エレクトロニカ、アンビエント、ポストロック、ノイズなどをルーツに、報道からバラエティなどのあらゆるTV番組、ファッションやビューティ系の広告、メディアアート、映画、企業イベントなどの音楽を多岐に渡り手がける。菅原一樹名義のほか anre*f(アンレフ)や Lotus Lichter など様々な名義で活動する。
Photos:Kazuki Sugawara
Words & Edit:Sara Hosokawa