自作したパイプオルガンと声のほか、水槽を用いたミニマル/ドローンなパフォーマンスを行うとともに、地方の芸術祭などでサウンド・インスタレーションにも取り組んできた音楽家・藤田陽介が、FUJI|||||||||||TAと名前を変えてリスタートを切ったのは2020年。 新型コロナウイルス禍に世界が見舞われ始めたこの年、スイスのレーベル〈Hallow Ground〉から9年ぶりのアルバム『iki』を発表すると、翌2021年にかけて自主制作盤を含め計7枚の作品を立て続けにリリース、海外でも精力的に活動するようになった。 まさしく新たなステージへと進んだFUJI|||||||||||TAは、これまでどのような道のりを歩み、そしてこれからどこへと向かうのか。 3度目のアメリカ・ツアーを終えて帰国した直後の彼に、唯一無二の音楽を創造する源泉を巡ってじっくりと話を訊いた。
3度目のアメリカ・ツアーを終えて
今回のアメリカ・ツアーはいかがでしたか?
2週間ぐらいかけて5本の公演を行ったんですが、その中でBig Ears Festival(ビッグ・イヤーズ・フェスティバル)という、テネシー州ノックスビルで開催されている音楽フェスに初めて参加したんですね。 それがすごく良かったです。 ヨーロッパにはエクスペリメンタル系のフェスがたくさんありますけど、実はアメリカにそういうフェスの大規模なものは少なくて。 それもあってビッグ・イヤーズは印象に残りました。 世界中からアーティストが集まるし、今までヨーロッパで会ってきた知り合いも来ていて、とても楽しかったです。 どのべニューも人がいっぱいで良いバイブスを感じました。 これはヨーロッパのフェスに参加する時もそうですけど、あまり日本の活動では味わったことがないような空気感があって、いいなあと、つくづく思いますね。
やはり、日本でパフォーマンスする時とは違う感覚がありますか?
はい、全く違いますね。 一番違うのは、とにかく集中しやすいんですよね。 たぶん言語の関係もあるかと思います。 日本語を一切使えなくなることで脳の状態が海外モードになるのを感じますが、そのモードは演奏に集中することにかなり便利です。 知らない土地に行って、知らない言語に囲まれながら、けど自分の演奏を聴きに知らない人たちが会場に集まって、そこで演奏する。 そのことに対してシンプルに向き合いやすい感じがあります。 日本に居るときは不必要な情報が自分の中にもたくさんあって、しょうもないことを気にしたりとか、本来フォーカスすべきポイントにうまく立てないような時もあるように思います。 自分が未熟なだけですが、その差はけっこうデカいと思います。
なるほど。
あと環境としては海外と言ってもヨーロッパとアメリカでもだいぶ違いますし、アメリカと言っても巨大過ぎますから都市によってもかなり違うので、一口には話せませんが、ヨーロッパの方がコンテキストを重視する傾向があって、アーティストや作品の背景にあるものを大事にしている。 リスペクトを表現する文化も根強い。 ホスピタリティも手厚かったり、オーガナイズの質も機材の質も平均的にアメリカよりクオリティが高かったりします。 けどある意味洗練されて、均一化されてきている印象もありますね。 逆にアメリカは色んな意味でダイナミクスが大きくて、ギャラも安いのから高いのまで物凄く差があったり、オーガナイズや機材の質についても本当に差が激しい。 けど何かがうまくハマると爆発的に面白い場が生まれそうな気配みたいなものはアメリカにはたくさんあると思います。 あととても正直で、ダイレクトに表現する文化があるので面白いんです。 アーティストのコンテキストうんぬんよりも、シンプルにその人間が面白い人間かどうかを真っ直ぐに見ようとする価値観がアメリカには強く根付いているように感じます。
今回のツアーでのパフォーマンスは自作パイプオルガンを使用したものですよね?
そうです。 それと声を使いました。 アメリカ・ツアーはこれで3回目なんですけど、前回よりも声の割合が少し増えましたね。
現地では、藤田さんのパフォーマンスはどのような言葉で評されることが多いですか?
「メディテイティヴ(meditative)」という単語はやっぱりよく出てきます。 これはヨーロッパでも共通してますけど、ドローン・ミュージックなので、そういうメディテーションの側面がどうしても性質的に含まれているからかなと。 あとは「サプライズ(surprise)」と言われることも多いです。 見たことがない表現だから言ってくれてるんだと思うので、褒め言葉として受け取っています。
音ではなく風景としての雅楽からの影響
藤田さんは雅楽からの影響を公言されていますが、海外でライブを行った際に日本的なものと結びつけて語られることはあるのでしょうか?
ライブ後では1回もないです。 雅楽からの影響については、誤読されることも多いので、海外のインタビューではいつも気をつけて説明するようにしているのですが、それでもやはり後を立たないので、つい最近自分のBIOからも“GAGAKU”という言葉を抜きました。 というのも、音楽的に雅楽から影響を受けたわけではないんです。 雅楽では火焔太鼓という巨大な太鼓が舞台袖にふたつ設置されていたりするんですけど、機能を超えた風景がそこにはあって、けれどそれが音の面でも重要になってくる。 そういう雅楽が持つ独自の世界観から影響を受けてパイプオルガンを自作したんですね。
僕はもともとギターの弾き語りをしていて、その背景に風景としてパイプを置きたいということが自作パイプオルガンを作る最初の発想になりました。 つまり当初は楽器を作ろうとしたわけではなくて、パイプからは音が鳴らなくてもいいとさえ思っていた。 そこから、Yoshi Wada(ヨシ・ワダ)さんの作品にも背中を押されて自作パイプオルガンの制作に至ったんです。 なので雅楽からの影響は自分の中では根本にあるんですけど、とても個人的な視点かつ若干クレイジーなというか、説明しても伝わりづらい影響ですし、雅楽的な音を取り入れたわけでもないので。
当然、日本という国から海外に行って公演をしているので、そこに雅楽という言葉が入ると余計に色眼鏡で見られやすいという問題もあるとは思います。 けれど幸い今はそれが変な方向には行っていなくて、呼ばれているイベントも、トラディショナル系のフェスではなく、エクスペリメンタル系のフェスに呼んでいただけているのでその点は安心しています。
藤田さんの音楽について、例えばヨシ・ワダさんをはじめ、日本のアーティストが引き合いに出されることはありますか?
あんまりないですね。 それこそYoshi Wadaさんの名前が出てきてもおかしくないとは思うんですけど、それよりも出てくるのはKali Malone(カリ・マローン)とかEllen Arkbro(エレン・アークブロ)とか、オルガンを使用するエクスペリメンタル系のアーティスト。 Charlemagne Palestine(シャルルマーニュ・パレスタイン)もそうですけど、アルバム・レビューではそういったところに並べられて紹介されることが多いです。
ギター弾き語りから実験音楽への転換
最初期のアルバム『芸術家にて』(2006)や『石切と4つのコンチェルト』(2008)に残されているように、もともと2000年代はギターの弾き語りで活動されていましたよね。 その後、いわゆるポップスのフォーマットとは異なるエクスペリメンタルな音の表現へと向かったのはなぜだったのでしょうか?
やっぱり自作パイプオルガンを作ったことが全てだと思います。 それが出来上がった後は、パイプオルガンと一緒に何ができるかをトライしていったので、結果的にエクスペリメンタルな方向に進んでいったというか。 実を言うと、最近までオルガンを使ったエクスペリメンタルな音楽の文脈は知らなかったんですよ。 これは今振り返って感じたことですが、そういう文脈を知らずにずっと一人で独自に音楽を作り続けてきて、それが2020年にスイスからアルバムを出した時に、ヨーロッパのリスナー視点にすると、エクスペリメンタル・オルガンの文脈で聴けるからとっつきやすく、けど明らかに何か異なる匂いというか、違和感があるから、結果としてうまく広がっていくことになったのかなと。 無知による蓄積の強みが10年以上経って報われてきたみたいな。
オルガンを自作したのが2009年、翌2010年にはオルガンとフィールド・レコーディングを用いた環境音楽としてのパフォーマンスを「こうふのまちの芸術祭」で行い、アルバム『ヒビナリ』(2011)に結実しています。 藤田さんの活動を辿ると、『ヒビナリ』も一つの転換点になっているように見えますが、ご自身ではどのような作品として捉えていますか?
少し極端な言い方になってしまうけど、自作パイプオルガンを作る前は「演奏すること」や「音を出すこと」に重点を置いていたんです。 それがオルガンができて以降は、音を出すことよりも「聴くこと」の方へと切り替わっていくイメージがあって。 なので当初は音をどういう風に聴くかということを色々とトライしていました。 それはオルガンという楽器の特性とも密接に関わっていると自分の中では思っていて。
その中で『ヒビナリ』は、ある土地の音に耳を澄ますということを試みた作品でした。 当時、ものすごく影響を受けたアーティストの一人に鈴木昭男さんがいて、憧れさえ感じていたのですが、サウンド・アートというシーンを知ったのも確かそのあたりの時期で、たぶん当時はそれを自分なりにどうしていくかということを考えていましたね。 フィールド・レコーディングに関しても、最初の段階では自分の好きな音を集めているだけで、サンプリングに近いところがあって、本当にフィールドをレコーディングしていない気がしたんです。 フィールドの中から好きな音だけをピックアップして録っていたというか。 ピックアップした時点で、それが特定のフィールドである必然性がなくなってしまうんじゃないかと思っていて。 本当に “Field” を “Recording” するのであれば、自分が好きな音も嫌いな音も入っているべきだろうと。
自作パイプオルガンが生まれたことで、「演奏すること」から「聴くこと」の方へと転換していったと。
ただ、「聴くこと」と言い切ってしまうとすごく違う気もします。 「演奏すること」と「聴くこと」はイコールというか、「聴くこと」を「音を出すこと」に近づけていったというか。 一方的にテクニックを駆使して自分がアウトプットするのではなくて、それが「聴くこと」と一体となるような方法。 実際に演奏を止めたわけではないですからね。 『ヒビナリ』でもオルガンを演奏していますし。 なので、その両者をできるだけ近づけていくようなトライだったと言った方がいいのかもしれない。
山梨への移住、システムの根元を理解すること
2010年代の藤田さんの活動を振り返ると、2016年に山梨に移住されて、同時期に「月一交響曲 -Monthly Symphony-」と題したデジタル・リリースのプロジェクトも行なっています。 なぜ山梨に拠点を移したのでしょうか?
その前は神奈川の藤野という、相模湖の近くにある町の古民家に住んでいたんですけど、そこが取り壊しになることが決まって、やむなく引っ越すことになりました。 それで、条件に合うところを探していたら、知り合いが山梨の集落に住んでいたので、その伝手で今の場所が見つかったんですね。 自宅の離れにスタジオも作りました。 周りに他の家がないので夜でも音が出せるんです。 集落って家が隣接しているところが多いので、意外と音を出せる場所は少ないんですよ。
今のご自宅は山の麓ですよね。 もともと都心から離れた場所で生活したいという思いはありましたか?
取り立てて自然が好きだから移住したわけではなくて、もちろん嫌いでもないですけど、肌に合うところを感覚的に探していたら都心から離れた場所だった、という感じです。 ただ、強いて挙げるなら田舎は「納得できること」が多い場所ですね。 少し話が逸れるかもしれませんが、僕は子供の頃からこだわりが強くて、例えば算数はすごく好きだったのに、数学になった途端に納得できないと感じたというか。 公式を覚えたら答えが出る、みたいなことがどうもしっくりこないんです。 その公式そのものがなぜできているのか全くわからないのに、答えだけが合っていれば良しとされることに違和感を覚えてしまって。
都市と田舎の違いもそれに似ているなと思っていて、都市の生活では色々なシステムの中で「公式」をいかに使いこなすかが重視されますよね。 つまり、蛇口をひねったら水が出たり、ICカードをタッチしたら電車に乗れたり、けれどその水がどこから来ているのか、ICカードがどういう仕組みになっているのか、そうしたことが意識にのぼることはほとんどない。 田舎で生活すると、もっと根元を理解する必要が出てきます。 生き物が死んだらそこにはそのまま死体が置かれるわけで、ブラックボックスになっていないところが色々とある。 その方が納得しやすいんです。 とはいえ、納得するために山梨の集落に移住した、というわけではないですけど、一つの理由にはなるかもです。
自然が特別好きというわけではないんだけど、影響は受けているんでしょうね。 山を歩いていて、木の生え方とか観察しているとよく思うのですが、自然ってものすごく少ないルールの上に成り立っているんですよね。 幹があって、枝が分かれていって、下から上に、細く伸びるとか。 ものすごくミニマルなルールから無限のバリエーションが生まれてる。 遠くから見ると全部同じようなものなのに、よく見ると微細な変化が無数に詰まってて、同じものが一つもないので飽きることがない。 そういうのを発見したときに、自分のやろうとしている音楽とそっくりだなぁと思ったり。 なので、やっぱり好きなのかもですね、自然。
アンコントローラブルな水の面白さ
物事のメカニズムを観察するという意味では、藤田さんの音楽活動、それこそ自作パイプオルガンとも通じる話だなと思います。 2015年からは水を用いたパフォーマンスにも取り組み始めていますが、それにはどのような経緯があったのでしょうか?
相模湖交流センターでインスタレーションとライブをやるオファーをいただいて、その施設が相模湖と隣接しているので、湖畔にフォーカスした作品にしようと思い立ち、それで初めて水の中の音がどうなっているのか調べるようになりました。 自作の水中マイクとか、色々なハイドロフォンを使って水の音を聴いてみたら面白くて。 それで『見えない湖』というサウンド・インスタレーションと、ライブではBOREDOMSの∈Y∋(アイ)さんと『メモリーム』という巨大な水槽を使った舞台作品を共作しました。 そこでトライしたことがその後も続いて、2018-2019年の『NOISEEM(ノイジーム)』まで続いていったんです。 ∈Y∋さんも『メモリーム』をアップデートした作品を札幌国際芸術祭2017で『ドット・リーム』として発表していましたね。
水の音にはどのような面白さを感じましたか?
単純にサウンドとしても水は面白いなと感じましたけど、僕にとってとても重要だったのは、コントロールしきれないという点。 最初は自作パイプオルガンもアンコントローラブルなところがありましたが、演奏し始めてから5年以上経過していて、オルガンが自分の体と一体化した存在になっていくに従って、どんどんコントロールできるものに変わっていった。 それでコントロールできないものを探して、一時期はイントナルモーリという、未来派のLuigi Russolo(ルイージ・ルッソロ)が発明した騒音楽器を復元したりもして。 イントナルモーリは続かなかったんですが、水は面白くて続いたんですよね。 オルガンとも親和性を持って演奏することができましたし。 もちろん水もある程度はコントロールしようとするんですけど、実際にどういう音が出てくるのかというと、やっぱり完全にはコントロールできない素材なので、そのバランスがすごく良かったです。
「藤田陽介」から「FUJI|||||||||||TA」へ
2010年代の終わりに、『ヒビナリ』以来となるアルバム制作が始まると同時に、2020年から「藤田陽介」ではなく「FUJI|||||||||||TA」名義で活動していくことを発表されました。 なぜ、名前を変えたのでしょうか?
ちょうど水を用いたパフォーマンスも2019年にやり終えた感覚があって、色々なことの節目を感じていた時期でした。 根本的に変わるなら今しかないと感じたというか。 それで実は、2019年には初めてタトゥーも入れているんです。 それもそうした変化への欲求の表れだったかもなぁと今になって思います。 あと、僕はずっと「藤田陽介」という本名で活動してきて、それ以外の名前で活動したことがなかったんですよね。 バンド活動もしたことがなくて、そうした別名義を使うことへの欲求もありました。 ともかく色々なことが2019年で終わりと変化を迎えている感じが自分の中にあって、それで2020年から名前を変えることにしました。
「FUJI|||||||||||TA」と、名前の真ん中に11本の線が入っていますが、ここにはどのような意味を込めているのでしょう?
これ、ただ単に、自作オルガンのパイプを表しているんです。 パイプの数が11本だから、11本の線がある。 時々「フジータ」と伸ばし棒をつけて呼ばれることがあるんですけど(笑)、アルファベットの「I」ではなくて記号なので、読み方は「フジタ」のままなんですよね。
なるほど(笑)。 しかし、これは偶然ですが、『ヒビナリ』をリリースした直後に3.11の震災が到来し、名前を変えた年に世界がコロナ・パンデミックで覆われ……と、時代の変わり目を先取りしているようにさえ感じます。 2020年には9年ぶりのアルバム『iki』を発表されましたが、このタイミングで録音作品を作ることにしたのはなぜだったのでしょうか?
それまで9年間なぜアルバムを出さなかったのかというと、端的に言ってモチベーションが湧かなかったんです。 自主制作でもCDを作ろうと思えば作れますからね。 けれど、やっぱり節目みたいなことと関わっていると思うのですが、2019年になってからオルガンのソロ・アルバムは出さないといけないと感じるようになって。 オルガンを自作してからちょうど10年経ちますし。 それと、2019年にロンドンの音楽フェスに呼ばれて、初めて海外公演を行なったんですね。 その時にライブ音源をリリースしないかというお誘いも同時にいただいて。 けれど僕の中ではライブ・レコーディングよりもまずはスタジオ・アルバムを出したいという思いがあったんです。 それでデモ音源を用意していて、結果的にはお誘いいただいたレーベルではなくて、ロンドンで会ったKali Maloneに挨拶代わりに渡したら、とても気に入ってくれて。 彼女がスイスの〈Hallow Ground〉というレーベルに繋いでくれて、リリースが決まりました。
2020年代に入ってからは、『iki』を皮切りに、Bandcampでも多数のアルバムを立て続けにリリースされていますよね。 アルバム・ワークの比重が増えたのはなぜだったのでしょうか?
やっぱりコロナ禍の影響は大きかったです。 最初の頃はライブも飛んでしまったし、大事な収入源がなくなった時期で。 どうしようと悩みながら、『iki』の翌月、2020年5月にまずは『Three Cs』という「三密」をテーマにした作品を出しました。 それと海外からライブで呼べない代わりにリリースのオファーを色々といただいて、そのうちの一つが〈Boomkat Editions〉から『KŌMORI』として出たり。 そうしたことが重なって、コロナ禍でアルバム・ワークが増えましたね。 あと『iki』のおかげで自分のアルバムが世界に広がっていく土壌ができたので、自然とアルバム・ワークに対するモチベーションが生まれていったと思います。 ライブ・ワークとは別に、アルバムはアルバムでやりたいことが今では常に自分の中にありますね。
海外への進出、日本の音楽シーンの課題
録音作品を相次いでリリースすると同時に、2020年代に入ってコロナ禍が少し落ち着いてからは、海外でのライブも精力的に行うようになりました。 海外進出にはどのようなきっかけがありましたか?
一番大きなきっかけは『iki』をリリースしたことですね。 それで海外にも知ってもらえるようになって、オファーが舞い込んできました。 とはいえ、2020年はコロナ禍で動けなかったので、実際に行き始めたのは2021年からです。 その後は幸運なことに年に3、4本ぐらいのペースで海外にツアーに行っていますね。
海外で定期的に活動されるようになってから、日本の音楽シーンの課題について、制度的な面も含めて、あらためて気づいたことなどはありますか?
色々とありますが、わかりやすいところで一つ挙げるなら、やっぱり日本は音楽シーンが小さく分断されてしまいがちですよね。 例えば現代音楽とエクスペリメンタルですら同じ現場にならなかったり、即興音楽やサウンド・アートなんかも分かれてたり、ジャズはジャズで分かれてるし。 欧米のフェスだと当たり前のように混じり合っていて、音楽だけでなくコンテンポラリー・ダンスまで入っていることもあります。 去年フランスの都市ナントで開催されたヴァリエーションズ・フェスティバルに出演したんですが、そこだと例えばダンス・カンパニー「Rosas(ローザス)」を主宰するAnne Teresa De Keersmaeker(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル)と僕の公演が同じ一つのフェスの中で演目として並んでいるんですよ。 それはヨーロッパでのエクスペリメンタルの広さを表していると思っていて、だからこそエクスペリメンタルでも大規模なフェスとして成り立っているんだと思います。 一方で日本にはそうした場が非常に少ない。 そうした分断された状況は勿体無いなと思います。
確かに、ジャンルごとにタコツボ化してしまう状況はありますね。 それこそ藤田さんが活動を続けることで、海外のアーティストを巻き込んでいけたら、日本の分断されたシーンをかき混ぜるきっかけになるかもしれないです。
どうでしょう……ただ、そういう意味では、ちょうど5月末から6月にかけて「MODE」というイベント・シリーズが東京で開催されるんです。 2018年、2019年とロンドンで開催されたフェスで、2019に僕も参加したフェスティバルなんですが、その主宰の〈33-33〉というレーベルは現在も僕のEUエリアのエージェントとしても働いてくれていて、ものすごく関わりが深いんです。 なのでそのフェスを日本でやるという話があがったとき、できる限りの協力はしたいと思って、まずは僕が日本で最も信頼しているプロデューサーと〈33-33〉を繋げました。 絶対に気が合うだろうとも思ったし、何より日本側にもきちんと動ける人が居ないと「MODE」的にも厳しいだろうなと思ったので。 他にも裏でアーティストを繋げたり、伶楽舎がプログラムに入っているのも実は自分の提案だったり。 さっきの話にもあがった日本のシーンの分断化に対するリアクションとしても、こういうフェスに伶楽舎がアサインされるのはアツいと思うし、内容としてもしっくりくるだろうと。 海外での活動を通して見えたきたこともあるので、チャンスがあれば少しでも日本に還元していきたいと思ってはいますが。 とはいえ、簡単に日本の状況が劇的に変わるとは思わないですし、日本には日本の良さもあるわけで。 ただまぁ自分もずっと長い間日本での活動に苦しんできた面もあるので、できることはやっていけたらと思ってます。
FUJI|||||||||||TA
自作パイプオルガン、声などを主軸としたサウンド・アーティスト。 独自の楽器とミニマルなアプローチ、現象をよく観察することを大切にしながら、音響的な探究を続けている実験音楽家。
国内では、美術館や地方芸術祭、DOMMUNE、MUTEKなど音楽と美術の間のような領域で活動しながら、Rewire Festival(オランダ)、Variations Festival(フランス)、MODE(ロンドン)、TECTONICS GLASGOW(スコットランド)、Send+Receive(カナダ)、Big Ears Festival(アメリカ)など、ヨーロッパや北米で年に3-4回の海外ツアーを行なっている。
リリース作として、スイスのレーベル・Hallow Groundより「iki」(2020)、イギリスのBoomkat Editionsより「KŌMORI」(2020)、ロンドンの33-33より「NOISEEM」(2021)など。
LIVE SCHEDULE
5月21日:カナダ・ビクトリアビル「Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville(FIMAV)」出演
5月25日:アメリカ・ブラトルボロ「EPSILON SPIRES」出演
5月27日:アメリカ・ハドソン「Basilica Hudson [24h DRONE] 」出演
6月2日:日本・東京「MODE TOKYO」出演
※5月21日のみFUJI|||||||||||||TA + ∈Y∋での出演、他はソロ
Eyecatch photo: Yuichiro Noda
Words:Narushi Hosoda
Edit:Takahiro Fujikawa