埼玉県秩父市にあるESQUINAは、「cafe,beer,audio」という名の通り、世界各地のクラフトビールや美味しいコーヒーと共に最高の音を提供している。 自然派ワイン、地元秩父のウイスキーや様々な蒸留酒も並ぶ。 居心地の良いバーカウンターの奥には驚くようなオーディオ・ルームがある。 元々は地元のケーブルテレビ局のスタジオだったというユニークな空間だ。 そこに設置された特別な機材でレコードを聴く環境が備わっている。
オーナーの田中千尋氏は、ESQUINAが入っているビルの1階でイタリアン・レストランを営んでいた。 老朽化の進むビルを買い取ってESQUINAをオープンしたのも、この空間をオーディオ・ルームとして再生したいという構想があったからだという。
取材に訪れた日は、秩父を拠点に活動するギタリスト、笹久保伸が、ロサンゼルスのピアニスト / ビートメイカー、ジャメル・ディーンと制作した『Convergence』のレコード試聴会とライヴが行われ、多くの人で賑わっていた。 音楽のコミュニティ作りも担う、他に類を見ないオーディオ・ルームについて話を伺った。
ケーブルテレビ局のスタジオをリスニング・バーに
ESQUINAのオープンはいつですか?
2019年末ですね。 コロナの直前でした。 ここは秩父ケーブルテレビというテレビ局のスタジオの跡地で、一階にレストランをオープンした2015年には既にテレビ局は撤退していました。 機材は搬出されてたんですけど、スケルトンのまま防音室が残っていたので、ペンキを塗り、床を張って、バーカウンターを作りました。 建物自体は壁の塗装もボロボロで、 取り壊されるんじゃないかって思われてたぐらいのビルでした。
それを買い取られたわけですね。
色々試算をして、どうにか手が出そうだったのと、やっぱりこの部屋(スタジオとコントロール・ルーム)があったからっていうのは大きかったですね。 ここに入った瞬間に、リスニング・ルームと、 隣にバーを作るという世界が見えたんです。
レコードへの関心は以前からあったのですか?
幼少期に家で音楽を聴くのはレコードだったんです。 父親のシステムでそのコレクションを聴いて楽しんでました。 17歳の時にアメリカに留学したんですけど、それまではずっとレコードを集めてたんです。 留学を機にアナログからCDに移行したんですが、6年前に、知人のシステムでレコードを聴いて衝撃を受けて、同じ盤なのにこんなに世界が違うのかって思わされたんです。 そのタイミングでこの建物にも出会って、この部屋はすごい可能性があるんじゃないかなと思い、そこからはもうまっしぐらですね。
リスニング用とDJ用で別のシステムが組まれているんですね。
はい、基本的に、リスニングはMCカートリッジを使用していて、セミヨーロピアンビンテージ的なコンセプトで構成しています。 DJの方はMMカートリッジでミキサーはAlpha Recording Systemの9100Bを導入しています。 素直に歪なく骨太に音を持ち上げてくれる素晴らしいミキサーですね。 MCカートリッジは、OrtofonのMC30 SupremeとMC A Monoで、その繊細な表現は、湖の透明度というか、綺麗な 粒立ったきらびやかな高音だったり、沈んでいく音の深さだったり、そのメリハリを感じます。 MMカートリッジはOrtofonのConcorde Clubです。 大きい音で聴く、エネルギッシュな要素を持ちつつ、しなやかで繊細な音作りをイメージしてます。
Tannoyのスピーカーに感じる艶っぽさ、温もり、湿度
Tannoyのスピーカー、Arden Legacyが目立ちますが、これを導入された理由は?
機材導入前にジャズ喫茶に行って、JBL 4344やOlympusを聴いたりしたんです。 JBLのアメリカンサウンドは魅力的ではあったんですけれど、どちらかというと、ストリングスが綺麗に鳴るような、艶っぽく、温もりがあって、ちょっと湿度を感じるようなTannoyの音がすごく好きだったんです。 Arden Legacyはそういうスピーカーだなと思ったので。
これがDJ用のスピーカーで、最初はリスニング用に使っていたのですか?
そうですね。 いまリスニング用に使っているのは、TannoyのRectangular York HPD385です。 知り合いの親父さんで、オーディオとクラシックが大好きな方が自宅を新築した時に、オーディオ・ルームも作って、この15インチのスピーカーを入れたんです。 すごい気合の入った方ですよね。 強い想いを感じました。 亡くなられてからはずっと押し入れにしまわれていて、ご遺族も捨てるに捨てれずという状況で、お声掛け頂きました。 ユニットのエッジ部分も加水分解してボロボロでしたが、松本の五加音響研究所で修理してもらって導入しました。 HPD385というユニットが入ってて、これもArden Legacy同様に同軸です。 スピーカー構造上、アンプの出力をそんなに必要としないで十分鳴るんです。
アンプは真空管アンプですね。
Unison ResearchのPerformanceです。 エイジングの概念も学びながら使っていきたいという思いから新品のArden Legacyに決めたんですが、オーディオ屋さんでそれに繋げていろいろ試聴させてもらって、3000万ぐらいするアンプでも聴かせてもらったんですが、一番生き生き躍動感があって、胸を打たれるような演奏を聴かせてくれたのが、 このPerformanceとの組み合わせだったんです。 DJセットは押し出しの強いKrellのKav-300iLで鳴らしています。
当時、オーディオに関してはまだ経験も浅くて、この音環境で音楽を聴いていきたいという基準で、自分が実際に聴いて納得するものを選んできました。
リスニング用のターンテーブルも目立ちます。
ターンテーブルは、元々はMICROのMR-411っていうベルトドライブでした。 中古で2万円ぐらいのを買って自分で直して綺麗にして使ってて、その後すぐにTHORENSのTD520を導入しました。 良いターンテーブルなんですけど、大きな音で鳴らすとターンテーブル自体が振動を拾ってしまって、重量がある方がいいのかなという思いから、NottinghamのSpace294 Heavy Duty Editionにしました。 ヘビーデューティー仕様でどっしりしてます。
本当にすごい厚みですね。
はい、めちゃくちゃ重いプラッター(レコードを乗せる円盤状のプレート)なんですけど、それを最小限の動力でベルトドライブで回します。 モーターの振動などを極力伝えない構造のターンテーブルです。 本当にこれを導入してから見違えるぐらい音が変わりましたね。
大音量でかけても大丈夫なのですか?
問題ないですね。 あと、これを導入した頃に、床にコンクリートを打ちました。 それまでは普通の床だったんですけど、 どうしても低音で床が鳴ってしまうので、そのループを防ぐためにコンクリートを打って、さらに重さで静けさを出すコンセプトのターンテーブルを導入したという形ですね。
カートリッジにOrtofonを選んだのは?
聴き慣れていたというのと、比較的リーズナブルに、90年代ぐらいのものが買えたからですね、今のところ使ってますけれども、これから色々試していきたいなと思っています。 モノラルのMC A Monoは、現行のモノラル・カートリッジの最高峰なんですけど、その世界を確かめてみたいと購入したんです。 貧乏症なところがあるので、 安い買い物をして失敗すると自己嫌悪に陥るんです(笑)。 あと、フォノイコライザーアンプは、OrtofonのEQA2000です。 バランスイン、しかも、デュアルチャンネルでダブルアームも対応してるというモデルですね。 なるべくノイズを入れたくないので、バランス接続で。
自然の中で生まれるのと同じような感覚を抱ける聴き方
音の透明度や深みといった点を重視したシステムで、最終的にどういうサウンド体験を得たいと思っていますか?
これは、私の中にしか存在しない感覚なので、なかなか言葉にするのが難しいですが、良い環境でより良い音で音楽を聴くって、結構、癒しに達する部分があると思うんです。 新緑の山を歩いて癒されるとか、温泉で脱力して満たされるとかサウナで整う、そういう感覚に通ずる聴き方をしたい。 溶けると言うか一部になると言うか。 自然の中で生まれるのと同じような感覚を抱ける聴き方をしたいと思うんです。 癒しを求めてるんですかね(笑)。
原音再生ということがオーディオの世界ではよく言われてきましたよね。 録音された音源を忠実に再生することへの拘りはありますか?
はい、なるべく原音のままレコードに刻まれてる情報を最大限クリアに素直に鳴らしたいという思いがあります。 だから、 あれこれ機材を間に挟みたくなくて、シンプルに再生してあげたいっていうのはあります。
この空間で鳴らすこと、人が集まってきて聴く環境も大切ですよね。 単純に機材の話だけではなくて。 空間作りにも田中さんの拘りを感じます。
そうですね。 この反射板は私が作ったんですが、高い天井のスペースで音楽に向かい合ってリスニングするっていうのが、ちょっと神聖な場所のように自分に思わせたんです。 教会じゃないですけど、神聖な思いも抱けるような特別な場所にしたいっていうことで、高さを出すための演出プラス効果的な反射板としてこれを作ったんです。
確かにこれは目立ちますね。 ちょっと姿勢を正したい気持ちにもなります。 いわゆるリスニング・ルームとは違う雰囲気です。
音楽を再生するって結構ミラクルなことで、その音楽自体もミラクルですよね。 なので、まずアーティストやその作品、演奏に最大限の敬意を持ちます。 だからこそ、いろいろ想像して、この機材を通せばこう鳴るだろうみたいなことを繰り返しながら、なるべくストレートにレコードの音を引き出してあげたいと思い、環境を整えています。
スタジオだった当時の防音設備のままですか?
はい、箱自体は当時のままです。 カーテンを設置して、音漏れ防止の為天井裏の古い通気口を塞ぎました。 あとは、 機材の下に白いプレートを噛ませてて、アルミナというダイヤモンドの次に固い、純度の高いセラミックです。 それによってさらに振動を遮断してます。
スタジオのコントロール・ルームだったところが、バーカウンターになってますが、防音の扉はそのままなので、音を遮断できますね。
そうですね。 カラオケボックスみたいに時間貸しで、気軽にレコードを持ち込んでもらって、時間帯関係なく、心ゆくまで音楽を楽しんでもらいたいと考えていたんです。 この建物で素泊まりゲストハウスも運営してるので、遠方から来られる方にも対応できます。
貸し切りで、このスペースでレコードを聴けて、泊まることもできるというのは新しいですね。 ぜひ泊まってみたいです。
そういう楽しみ方が浸透してくれたら嬉しいので、まずは音環境を整えてきた感じです。 音質の向上に関しては、終わりが見えないですね(笑)。
ハレの日の音楽ではなくて、日常を彩る音楽を
レストランもやられていた料理人でもあった田中さんが、ESQUINAで音にここまで入れ込むことになったのはなぜなんでしょうか?
音に関して言えば、SHeLTeRでDonna Leakeのプレイを体感して、長時間リスニングしてて疲れないっていうのはすごい衝撃でした。 ESQUINAの環境でそういう音が実現できたら最高ですし、 その環境をいろんな人とシェアできます。 文化的なものって、芸術にしても、食事にしても、もちろん音楽も、教養って言うと硬いですけど、経験が重要だと思うんですよね。 なので、それを深めていきたいっていうのと、レコードに刻まれている未知の音や、 新しい音楽の発見、共有で心を揺さぶられたいんですよね。
料理をしてても、いろんな人のアウトプットを体感すると、自分の至らなさと、これから引き出せるかもしれない自分の魅力とか、 いろんな側面がぐるぐるするんですよね。 料理を作るときも、この環境を作るときも似てる感覚があって。 食感でも、香りでも、音の質感でも、まだ体感したことのないものを探求したいっていう、その欲求だけですね。
ご出身は秩父ですか?
そうです。 この辺境で笹久保さんが一人で制作をして、文化的なことを調査したり、土地の背景や歴史を掘り起こして、幅広い世代に伝える活動をしてるのはすごいことだなと思って、尊敬してます。
いろんなところを旅してても、 日常の中に必ず音楽があって、それがカーニバルやアフリカの村のお祭りだったり、ミュージック・バーだったり、路上の音楽だったり様々ですけど、音楽を聴こうって自分から仕掛ける聴き方じゃなく、生活の中に、生活で接点がある場所で音楽が鳴ってたり、触れ合えることができる、日常の音楽っていうものにすごく魅力を感じるんです。 ハレの日の音楽ではなくて、日常を彩るものだと思うので、ESQUINAがそんな環境の1つになればと思います。
ESQUINA cafe,beer,audio
ローカルTV局跡の防音収録スタジオ・コントロールルームを再利用して2019年、秩父に誕生したオーディオバー。
クラフトビール、自然派ワイン、秩父のウイスキーをはじめ様々な蒸留酒をご用意しております。
同ビル内の素泊りゲストハウスに宿泊可(個室のみ・要事前予約)。 レコードのリスニングと秩父観光をお楽しみください。
貸切、イベント、パーティーなどご相談ください。
Words: 原 雅明 / Masaaki Hara
Photo: Mitsuru Nishimura