何でもインターネットで買える便利な時代。 そんな時代に店舗を持つことの意味を考えてしまうことも多い昨今だが、リアルな店舗にこそ文化を成熟させる「因子」が隠れていると言ったら、どれだけの人が賛同してくれるだろう(少なくとも筆者はそう信じている)。 棚に並ぶ無数のレコードに秩序はあるのか。 指を止めたレコードが、「誰か」の意図した配列に導かれたものだとしたら。

2019年(日本では2022年)に公開された『OTHER MUSIC(アザー・ミュージック)』という、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあった伝説的なレコード屋を題材にしたドキュメンタリー映画があった。 「タワーレコード」の向かいで営みはじめた小さな街のレコード屋は、その名の通り、メインストリームの音楽に対して “それ以外の音楽” を熱心(でマニアック)なスタッフの会話やレビューを通じて紹介し、単なるレコードショップに留まることなく、世界中に新しい音楽を発信しながら一時代を築き、00年代USインディー・シーンの震源地となった。 時代の波に翻弄されながらも続けられている、レコード屋の営み。 店主たちの開業に至るまでの経緯、すなわちレコ屋店主の「馴れ初め」をここでは訊いていくことにする。

今回訪れたのは、東京・高円寺で組嶽(くみたけ)陽三さんが営む「EAD RECORD」である。

組嶽さんのレコード馴れ初め


組嶽さんのレコードとの出会いについて教えてください。

私には2人の兄がいて、一番上の兄が高校の夏休みにスピーカーをつくっていたんです。 私は当時、中学に上がるぐらいの歳だったので、レコードを買えるわけもなく、いつもラジカセで音楽を聴いていました。 でも、その時期にレンタルレコード店ができはじめて、アナログレコードを借りてきては、そのスピーカーの前で音楽を聴いていました。 なので、レコードを聴くようになったのは兄の自作スピーカーがきっかけです。

ご自身でアナログレコードを買うようになったのは、いつ頃からでしたか?

アナログレコードを買うようになったのは東京に来てからですね。 美容師になるために島根県から上京して専門学校に通いはじめた頃です。 そこから徐々に道を踏み外していき、卒業後は美容師にはならずに西麻布のクラブで働いていました。

いわゆる夜型の生活というのを送りながらクラブで働いていると、面白い人や音楽とたくさん出会えるんですよ。 まわりが「ラリー・レヴァン(Larry Levan)という人がいる」という話でもちきりだったので、気になってニューヨークへ行くことにしたんです。


ラリー・レヴァン(以下、ラリー)はニューヨークにある伝説のクラブ、「Paradise Garage(パラダイス・ガラージ)」を根城にしていたDJですが、当時の東京にもその名が轟いていたんですね。
ニューヨークへ移ってからの生活はいかがでしたか?

現地に着いてすぐにラリーの情報はいろいろ集めていたんですが、働いてた日本食レストランに毎日食べに来てくれる日本の洋服屋さんがラリーのケアをしていて、その洋服屋さんに行くとラリーが居ることもありましたし、彼のDJ情報は毎日のように入ってきました。

ちょうどその頃の日本は古着ブームの走りの時期。 私も古着が大好きだったので、友達から穴場の古着屋を教えてもらってからは、古着の買い付けをしながら生計を立てていました。 古着で稼いだお金はとにかくレコードにつぎ込み、夜な夜なクラブへと足を運ぶ。 そんなアナログレコードを買いまくる音楽漬けの日々を3年間送っていました。

ニューヨーク生活を満喫していた組嶽さんが日本へ帰ってきた理由というのは?

1993年から高円寺で古着屋をやっていた二番目の兄が地元の島根に帰って店を出すという話になり、高円寺の店を譲ってもらったんです。 お察しの通り、その古着屋がEAD RECORDになるんです。

時々、あのまま古着屋を続けていたら今よりも安定した生活が送れていたかも、なんて頭をよぎることもありますけど(笑)、好きだから続けてこれましたね。

日本へ戻り、高円寺でレコード屋をはじめてみていかがでしたか?

ラリー・レヴァンなどニューヨークのクラブカルチャーから受けた影響もあり、ダンスミュージック中心の品揃えだったのですが、高円寺ってロックの町なんですよね。 だから、そのギャップを抱えてスタートしたところがあって、最初の3年間は大変でした。 正直、この町に受け入れられたかどうかは今でもわからないですけど、今日まで続けてこれてはいます。 結局、路面店なのでフィットする人は買っていってくれるし、そうじゃない人は出ていく。 その繰り返しですよね。

お客さんが足を運ぶ状況を見守りつつ、繰り返される日々をどのように打破していったのでしょうか。

町とフィットしていない状況をどう変えていくかは当然考えましたが、ちょうどそのタイミングでインターネットが普及しはじめたんです。

インターネット以前のレコード屋というのは一般的に紙ベースで、月に一度だけ会員さんに仕入れたレコードの情報をお届けして、それに対してオークション形式で金額を提示してもらい、一番高値をつけた方にレコードを販売していたんですけど、ある日、常連さんから言われたんですよ。 「これからの時代はインターネットで販売する世の中になるから、まずはパソコンを買わないと」って。

1999年にAppleより発売されたiBook
1999年にAppleより発売されたiBook

それでパソコンを購入したら、その常連さんがソフトから何から全部揃えてセッティングしてくれて。 まだインターネットでレコードを販売している人はまわりにいなかったですし、エンジンがかかったのはその時からでしたね。

そうそう、当時まだデザイナーだった清水くん(Chee Shimizu)が友達と一緒に店へ遊びに来てくれたのもその頃でした。 彼がデザインしたTシャツをこの店にも置いたりしていて。

下井草にあるChee ShimizuさんのPHYSICAL STOREへうかがった時、「組嶽さんからはレコードの買い付けを教えてもらったので、僕のお師匠さんなんです」と話していた記憶があります。

そんな師匠なんてことはないと思いますけど(笑)。 でも、買い付けというのは限られた時間で移動しないといけないですし、本当に過酷な仕事なんですよ。

レコードの買い付けは、どんな感じでしたか?

ニューヨーク時代の仲間がいたので、その周辺の情報を頼りに買い付けに行っていたのですが、それだけでは到底カバーしきれないので、行き当たりばったりにならないようにしっかりと狙い撃ちして町をまわるんです。 土日は町ごとにレコードショーが開催されるので、そこで自分とセレクトが合う方にピンポイントに声をかけて家まで赴き、レコードを掘らせてほしいと伝える。 そうやって買い付けをしていました。

ディーラーの人たちって横の繋がりにも寛容なところがあって、「もしこのラインが好きなら、いいディーラーがすぐ近くにいるから連絡してあげようか?」と繋いでくれたりするんです。 それで、近くだし寄ってみるかと住所を聞いたら100Kmも先で(笑)。 でも、アメリカって町と町の間に渋滞がないから時間通りに動くことができるのはいいですよね。 1時間で着くから寄っておくかということになるのですが、そうやって1日大体500Km、10日で約5,000Km移動して買い付けをしていました。

すごい移動距離ですね…….。 アメリカは家自体が結構大きいイメージがあるのですが、ディーラーさんの家にはどれぐらいアナログレコードが貯蔵されているものなのでしょうか?

人にもよりますけど、多い方で家一軒、地下までアナログレコードでいっぱいという方もいました。 100枚ぐらい買ったけど、「それだけでいいの?」なんて言われたりして(笑)。
ニュージャージーには伝説的なディーラーがいて、著名なDJたちがそこに使わなくなったアナログレコードを売りにいったりするんですけど、そこには毎回必ず通っていましたね。

「空間に音が散らばる」ようなステレオサウンドを求めて


でも、これほどインターネットが普及した世の中になった今、フィジカルに店を構えるメリットってどこにあると思いますか?

やっぱり、信用じゃないですかね。 直接文句を言いに行ける場所。 「何かあったら来てください」って。 そうやって足を運べる場所があることで形になることもあると思うんです。

これはニューヨークでの生活がベースになった考えでもあるんですけど、レコードの知識がある方って世の中にたくさんいますけど、そこに再生の知識が加わることでアナログレコードの魅力ってより広がっていくと思うんです。 ステレオって音が分離してバラバラに動いて聴こえてくると思っていて、そういう体験を少しでも伝えていくという意味でも、店を構える意味はあるんじゃないですかね。

店内にはカートリッジカバーやリード線がずらりと並んでいますが、音響機器をカスタマイズできる選択肢をつくるのは、組嶽さんがニューヨークで体験したステレオサウンドに基づいた提案なのでしょうか?


レコード屋をはじめた当初からずっと考えていたのが、ステレオ感についてでした。 このアンプ、このミキサー、このスピーカーを揃えないと、という機材的なことも大切ですが、どんな機材を使ってもステレオ感を出すことができれば、音楽は豊かに聴けると思うんです。

その “ステレオ感” を出す上で、まず何からはじめられたのでしょうか?

兄がつくっていた自作スピーカーのことを思い出す出来事があって、自分でもやってみようと長岡鉄男さんという方が設計したスピーカーをつくってみることからはじめました。

この店がまだ古着屋だった頃から向いに不動産屋があって、そこに白石さんというおじさんがいたんですよ。 それで、私がレコード屋をはじめるようになってからは毎日のように店に入ってきて、「お兄ちゃん、スピーカーってのはねぇ」とダラダラ話しに来るんです。 それで、ある時「うちへ来てごらん」って言われて、半年間ぐらいずっとうるさいと思っていたので、逆にダンスミュージックの凄さを教えてやるかと、一度そのおじさんの家にお邪魔することにしたんです。 そしたら、白石さんの部屋に変な形をした自作スピーカーが置いてあって、それで音楽を流したらニューヨークで聴いていた音がフラッシュバックしてきたんですよ。

それからはステレオについていろいろ勉強しましたし、そうこうしているうちに店の常連さんのなかから器用な人が現れて、それならリード線をつくってみようという話になり、千円ぐらいのリード線をつくりはじめるところから、今では1セット数十万円というリード線まで幅広く扱うようになりました。

長岡鉄男さん設計の自作スピーカー
長岡鉄男さん設計の自作スピーカー

このレコード屋は、理想のステレオサウンドを追い求めるところからはじまっていたんですね。

当初は手探りでつくってもらっていたのですが、徐々に私も音の違いが聴こえるようになってきて、これではダメだと判断がつくようになりました。

宇田川ラインというリード線があるのですが、それをつくっている人はレコード屋をオープンして2日目ぐらいにたまたま通りがかりに入ってきてくれたDJのお客さんで、職業柄、クラブの音響を熟知していました。 今ではクラブ映えするリード線をつくってくれていますし、彼とはかれこれ25年以上のお付き合いになります。


今は溢れるデータにいくらでも触れられる時代ですけど、音の再生環境まで見ることができると、やっぱりDJの表現力も変わってくるんでしょうね。

そうですね。 だから、DJも料理人のように、この素材をこう活かしてみましたという表現が楽しいわけなんですけど、その材料に農薬不使用の野菜もありますよみたいなオプションを提案しているというか。 やっぱり、聴けば音の違いがわかってもらえるので。

この間、実家に帰るっていう二十歳の男の子が来て、レコード好きな父親から貸してもらった実家のレコードと針を店まで持ってきてくれたんですけど、「針を改造して親父をギャフンと言わせたいんです」って言うんですよ。 だから、親父さんの年齢とかを聞いてある程度リサーチしてから針を改造してあげたら、「親父、かなり喜んでいました」って嬉しそうに伝えにきてくれて。

最近はアナログレコードブームということもありますし、若い人たちも古着を買うような感覚でさらっと店に入ってきてくれると嬉しいですね。


組嶽陽三

組嶽陽三

1967年、島根県生まれ。 「EAD RECORD」店主。 ニューヨークへ渡り、Paradise Garageなどのクラブカルチャーを浴びるように体験し、日々レコードを収集する生活を送る。 1993年、実兄より古着屋を譲り受けるために帰国すると、しばらく古着屋を継いだのち、1997年に古着屋の屋号を受け継ぐかたちで、レコード屋「EAD RECORD」をオープン。 屋号の由来となった「家出」は、現在は「いいアナログディスク」という意味も重ね、ジャンルレスなダンスミュージックを中心としたアナログレコードを取り揃えるほか、リード線などの音響関連機材の開発にも積極的に携わり、理想のステレオサウンドを日々追求している。

EAD RECORD

EAD RECORD

〒166-0003 東京都杉並区高円寺南4丁目28−13
03-5306-6209
OPEN:14:00~20:00(定休日:火)

HP

Photos:Shintaro Yoshimatsu
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)

SNS SHARE