コーヒー・アンド・ザ・レコーディング。本格的なコーヒーハウスがあるレコーディングスタジオにて。アーティストたちの、それぞれのコーヒーブレイク、コーヒータイム。
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正午。レコーディング前の1杯。
「今日はみなさん、なんのコーヒーにする?」
「僕は、プアオーバー」
「カプチーノで。ミルクは、アーモンドミルクでお願い」
5度を下回った寒さのしみる冬の入り口の正午。あったかいコーヒー日和。ニューヨーク・ブルックリンのブシュウィック地区にあるレコーディングスタジオ/コーヒーハウス「FirstLive」では、交差する機材のコードや数々のモニターの上を自由にコーヒーメニューが飛び交う。
「たいていのレコーディングスタジオにあるのは、使い古されたおんぼろのコーヒーメーカーや、あまり手入れが行き届いていない、いたって普通のドリップ式のメーカー。だけど、ここではフレッシュでさまざまなコーヒーがたのしめるんだよね」
この日も、あるバンドがレコーディングに来ていた。ニューヨークを拠点に活動するマルチミュージシャンで、プアオーバーを頼んだNeal Rosenthalと、彼のバンド。10年来の仲だというベースのJesse Gibsonに、カプチーノを頼んだキーボードのIdris Frederick。それから、コーヒーではなくカモミールティーを飲んでいたドラムのJaylen Petinaud。トラッドジャズにモダンジャズ、フュージョン、ファンク、R&B、ロックなどを奏でる彼ら、本日はシングル曲を2曲レコーディングする予定だ。
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Firstliveは、2011年からプロフェッショナルなレコーディング環境を提供するマルチスタジオだ。オーディオレコーディングだけでなく、ビデオレコーディングやブロードキャスティングもできるとあって、日夜、地元のアーティストやポッドキャストチームが録音や動画撮影、ライブストリーミングをしている。正面ドアを開けると、まずはゆったりソファーのエリア。その後ろに、温かみのある雰囲気のコーヒーバー。そのまた奥にレコーディングスタジオと、3層の構造。
「コロナが始まって最初の頃かな、知り合いのアーティストがここ(FirstLive)でフルライブのストリーミングをしていたのを見て。僕自身、Zoomライブばっかりやったころで、ネット接続が悪いといったようなテクノロジーの不具合に左右されるのに嫌気がさして、ここに来ようと思ったんだ」
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コーヒーもレコーディングも「機材と細部のこだわりが大事」
バンドがソファーでくつろいでいる中、宇宙船のような銀色に光るエスプレッソマシンの後ろで、ひとり黙々と注文のコーヒーを淹れるオーナー、Danny Garcia。レコーディングスタジオにコーヒーハウスを作ろうと考えた粋なその人は、音楽業界歴が長い。テキサス州エルパソ出身で、1990年代には、地元にてライブハウスを経営(DeftonesやSublimeなどナインティーズを代表するバンドもプレイした)。またツアー・サウンド・エンジニアとしてバンドと全国や海外を回ったこともある。
「ツアー中のコーヒー好きミュージシャンが、目的地に到着したら真っ先にすることが『その街の一番おいしいコーヒー屋さんを探すこと』。元ツアー・サウンド・エンジニアとして僕自身も、どこに行ったらおいしいコーヒーが飲めるのか、おいしいコーヒーショップはどこか、と常に考えていましたね。コーヒーに関しては、僕も、多くのミュージシャンも、うるさいのです」
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ちなみに、バンドのツアー同行で東京へも訪れたことのあるDannyは、Blue Noteのコーヒーとホスピタリティにいたく感銘を受けたのだとか。
「世界中、どの都市にも、ひと握りほどのいいコーヒー屋さんがある。いいコーヒー屋かどうかは、彼らが使っている『エスプレッソマシン』でわかります。ハイエンドなエスプレッソマシンを備えている店は、コーヒーを淹れるプロセスをきちんと大切にしている」
ということは、Firstliveも、ブルックリンのその“ひと握り”のうちだろう。Dannyが大切にしている銀色に輝くエスプレッソマシンは、シアトル発のエスプレッソマシンメーカーSlayer Espressoのカスタムメイドだ。豆は、地元にあるロースター「Superlost」が焙煎した、エチオピアやコロンビア、グアテマラ産のものを使用。
「フルーティーであり、コクがあり、香ばしさもあります」。その豆で、プアオーバーに、エスプレッソ、抽出に10時間もかかるスロードリップ式のキョウト・スタイル・コールド・ブリューなどをサーブする。「サードウェーブコーヒースタイルです」。Firstliveはリカーライセンスも取得しているため、お酒をサーブするのもオーケー(取材陣は、1杯30ドルもするバニラ風味のテキーラを振る舞われた)。お酒を入れたコーヒーカクテルもメニューの一つ(これはきっと、レコーディング中盤か終わってからがいい)
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「一流のコーヒーには一流の装置が必要です。それに水の温度や挽いた豆の大きさなど、細部にまで注意を払う。レコーディングや演奏のセットアップも同じ。機材にケーブルといった詳細なところまできちんとこだわり大切にする」
ダンキンドーナツは、ドーナツよりもコーヒー
ソファー前のテーブルには、飲み干したマグカップやカプチーノの泡の跡のついたコーヒーカップが、マイクや機材と一緒に置かれている。
「スタジオっていうと機材や楽器のセットアップをしてレコーディング室へGO、という感じ。でも、ここではまず仲間とコーヒーを飲んでくつろぐ。コミュニティっぽいセンスがあるのが好きだ」とNeal。とここで、店の戸が開く。遅れてやって来たのは、サクソフォンのCraig Hill。ちなみに彼は、コーヒーでなくティーを頼んだ。Dannyいわく、「コーヒーでも、ティーでも、水でも。好きなものでレコーディング前はリラックスすればいいよ」
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ここでレコーディングするのが3回目だというNealは、いつもプアオーバーを頼む。 「最初に頼んだ時は、夜のレコーディングだった。コロナ禍でもこれからも頑張ろうといういいエネルギーを感じたことを覚えている。プアオーバーは、プロセスにありがたみを感じる。豆の味を直で感じるためにも、ノー・ミルク。いつもブラックで飲む」。演奏する前にコーヒーを少し飲むと、シャキッとするから好きなのだとか。
コーヒーに関する曲を書いたこともある、正真正銘のコーヒードリンカー。ドーナツよりも実はコーヒーが人気な米チェーンドーナツ屋「ダンキンドーナツ」発祥の地、ロードアイランド州の生まれだというのも濃ゆい因縁か。ファーストアルバム収録の曲『Autocrat』が、コーヒーについての一曲。Autocratとは、ロードアイランド創業の老舗コーヒーシロップメーカー。「ノスタルジックな気分になるんだ。地元だと、遊び場所といったらいつもコーヒーショップや、ダンキンドーナツだったから」。熱いプアオーバーを一口啜って、修繕を繰り返しながら大切にしている母親から譲りうけたトランペットを軽く吹いて音を確認していた。
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「ミュージシャンの生活ってバタバタしていて、コーヒー豆を挽く数分でさえ惜しいこともある。そこにきておいしいコーヒーが飲めるとなると、ちょっと正気に戻るというか、いつもの日常の一部を取り戻せたかのような気持ちになるんだ。コーヒーはスタミナにもなるし、消化や肌にもいいらしいし」
「え、肌にいいの、コーヒーって?」。昼下がりのレコーディング中のスタジオで、ミュージシャンからはじまるコーヒー談義。
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FirstLive/ファーストライブ
219 Central Ave
Brooklyn, NY
Neal Rosenthal/ニール・ローゼンタール
米ロードアイランド州生まれ、ニューヨークで活動するマルチミュージシャン/作曲家。音大の名門バークリー音楽大学を卒業後、ポップスやファンク、ヒップホップなどさまざまなジャンルのアーティストたちとコラボレーションを重ね、国内のジャズフェスティバルでも演奏。2018年からは自身のバンドを結成し、ファーストアルバム『The Red Note Project』を制作した。
Text by HEAPS
Photos by Kohei Kawashima