「今までにない空間メディアの形」を提示する空間オーディオアプリAURAは、iOS端末とイヤホンがあれば、Spotifyの音楽を空間オーディオで聴くことができる(Apple Musicでも一部利用可能)。空間オーディオや立体音響への関心が高まっている中で、手軽に楽しむことができるアプリだ。
しかし、AURAの機能はそれだけではない。「Aura-Disc」というオリジナルコンテンツに収められた自然音や環境音を、聴いている音楽に自由にミックスすることも可能だ。いわば、自分用の環境音楽も空間オーディオで楽しめることになる。さらに、一部の「Aura-Disc」には現実の位置情報と連携したホログラム機能も搭載されていて、特定の場所に行けばホログラム上で聴ける特別なサウンドを楽しむこともできる。
使い方次第によって、空間オーディオをより身近なものにすることでき、インタラクティブ性の高い表現も可能にするポテンシャルを秘めたAURAは、既にいろいろなアーティストとのコラボレーション・ワークも進んでいる。AURAを実際に使ってみると、音楽に詳しく、その魅力をよく知るリスナーとしての視点が活かされていることが感じられる。一体、どういった背景から、このアプリは生まれたのか。AURAを制作した、東京を拠点とする複合現実企業Kalkulの共同設立者であるドイツ出身のBartek Kolaczに話を訊いた。
AURAは、音楽好きの人が制作したアプリだと感じました。あなたの個人的な音楽遍歴や音楽体験から教えてください。
私の叔父はハイファイ・マニアでした。4歳の頃、叔父の部屋で新しいスピーカーの配線を手伝ったり、Technicsのステレオのボタンをすべて押しながら、スティーヴィー・ワンダーやクリス・アイザックのテープを大音量で聴いたりして過ごすのが好きでしたね。また、幸運にも毎週末のようにパーティーを楽しむとても若い両親のもとで育てられ、Akaiのオープンリールでテープを再生して、みんなで踊って楽しんでいました。私にとって音楽とはそういうもので、多くのことを感じさせてくれるものでした。
90年代前半にはヒップホップが好きになり、今となっては熱狂的なコレクターである兄と一緒にCDを集め始めたんです。現在、兄はドイツに住んでいて、今でも毎週新しい音楽をシェアしてますね。ヒップホップと並行して、ドイツのテクノ・シーンも体験し、クレイジーな裸の人々が何日も踊り続けるストリート・レイヴに何度も足を運びましたよ。その時、音楽がいかに社会を変えることができるかを実感したのです。音楽には本当の力があり、私に大きな影響を与えました。
音楽とずっと接してきたのですね。ドイツの音楽環境も良かったのでしょうか?
私が育ったハンブルグにはたくさんのライヴハウスがあって、多くの国際的なアーティストがツアーで立ち寄ってましたね。好きなアーティストのライヴを小さな会場でたくさん見ることができて幸運でしたよ。その影響もあってか日本のライヴ・ミュージックがとても恋しいです。フジロックのようなライヴを楽しんでいたんです。
音楽遍歴の話に戻ると、ヒップホップから、マッドリブのBlue Noteのミックス『Shades of Blue: Madlib Invades Blue Note』を通じてジャズに進み、フライング・ロータスの『Los Angeles』で完全にエレクトロニック・ミュージックにもハマったんです。最近では幅広いジャンルの音楽を楽しんでいて、イヤホンをして街を歩いたり、高速道路を走っていると、別の未来へ宇宙旅行している気分になりますね。
空間オーディオや立体音響に対する関心が高まっていますが、その理由は何だと考えていますか?
音楽は常に空間的なものだったので、人間が音を聴くのは自然なことなのです。つまり、音というのは物質の振動による空気振動の感覚に過ぎず、私たちはモノラルとステレオの録音フォーマットを数十年間独占してきただけなのです。空間オーディオの制作自体は70年代から行われていましたが、本格的に普及することはありませんでした。2000年代前半にドルビーサラウンドのスピーカーセットが少し話題になりましたが、以降はモノラルのBluetoothスピーカーに戻りました。
私は、スピーカーが空間オーディオの市場を勝ち取るとは思っていません。イヤホンで聴くものだと思います。今、新鮮で興味深いことは、Appleのような大企業がイヤホンにモーションセンサーを採用し、空間オーディオの領域を前進させたことです。これが大成功を収めたので一般ユーザーもようやく、この違いを聴き分けられるようになりました。それまでは、オーディオマニアだけのものでしたが、今はこの違いが分かるようになったため、一般ユーザーも好感をもっていますね。さらに、Appleは大規模な音楽サービスを持ち、Dolby Atmosを統合的に取り扱うことができるDAWのLogicではアーティストの楽曲制作を手助けしています。Appleのおかげで、私たちは空間オーディオに高い関心を持つようになったんです。
AURAが生まれた背景にはいろいろなストーリーがあると思いますが、特に重要だったことについて教えてください。
Kalkulは、3Dプリントのイヤホンづくりから始まりました。ゼロから新しい音を作りたかったのです。3Dプリンターを購入し、世界中の部品を調達して、自分たちだけの音を試作し、そして、いい音になるデザインにたどり着き、生産に移りました。Kalkulのイヤホンは、私とビジネス・パートナーのMehdi Hamadiが渋谷で手作業で作ったんです。これは新たな冒険の始まりにすぎません。初期の売上金で、独自のアプリを搭載した新しい空間オーディオ・イヤホンのプロトタイプに投資しました。これは2017年のことで、AppleのAirPods Proが登場する前のことです。
しかし、複数の国にまたがる電子機器を数百の部品で生産することは、小さなチームにとって非常に難しいことだったので、AppleがAirPods Proをリリースした後、私たちはソフトウェアのみに焦点を当て、2020年にAURAの最初のプロトタイプの制作に取り組んだんです。現在では、単なる空間オーディオの企業ではなく、空間メディアの企業になっています。ゲームと音楽文化の要素を融合させ、AURAという新しいインタラクティヴな世界を創り出して、アーティストや企業がAURAを活用するためのツールやサービスも構築しています。MUTEK.JP 2021で最初のサービスを発表して、今年はさらにサービスを拡大しています。夏以降には、AURAでより多くのライヴを見られますよ。
AURAを実際に試してみました。いろいろな可能性を感じましたが、最も興味深かったのは、いままで慣れ親しんできた音楽と、周りの環境が能動的に結びついていることです。従来の3Dオーディオの体験とはまったく異なるものだと思います。この発想はどこから来たのでしょうか?
AURAは、自身の世界と融合する新しい音のレイヤーを創ることから発想しています。周囲の世界から孤立するのではなく、あなた自身の活動やその場所に応じた音で、あなたの世界を豊かにしたいのです。このアイデアは私のサイクリングの経験から生まれています。ピストバイク・マニアのグループに属して、東京をサイクリングしていました。私はイヤホンを使うのが好きですが、自転車に乗りながらのイヤホンの使用は危険だったため、これらを両立させる、もしくはそれ以上の方法はないかと考えていたのです。日常生活における空間オーディオの可能性を理解するには、まだまだ時間を要すると思っていて、Kalkulは今後AURAに実装する新しいアイデアのラボでもあります。
確かに、AURAは一般の音楽リスナーにはこれから浸透していくものだと思いますが、音楽リスナーにとって、どんな可能性があるのか、改めて教えてください。
AURAは、人と音との関係を再定義します。私たちは19世紀の音楽フォーマットに挑戦するエキサイティングな時代に生きています。音楽トラックを一方的に聴くスタイルから、リスナーがより積極的に作品に参加する新しいインタラクティヴな方法へと変化していくと信じています。カニエ・ウェストによるStem Playerは、その良い例だと思います。このように、ゲームと伝統的な文化が融合していく様を、私たちは目の当たりにしています。
AURAは新しい複合現実の中でゲームと音楽と映像を融合させて、ユーザーからのフィードバックを受けながら、この未来を一緒に作り上げているんです。この可能性は無限大です。私たちと一緒にぜひ、この未来を探していきましょう。
いくつかの音楽レーベルと仕事をしていますね。音楽レーベルへのアプローチも行っているのですか?
最近はコンピュータがあれば誰でも音楽を制作してリリースし、流通させることができます。私には、レーベルを通さずにソロで活動している多くの友人がいます。そのため、レーベルと話し合い、その役割や期待を理解することは、とても興味深いことですが、そもそも我々はアーティストのために働くことに重きを置いています。AURAの初期は、まずマッチするアーティストを見つけることに集中し、もしそのアーティストがレーベルに所属している場合は必要に応じてレーベルと交渉することにしています。最終的にレーベルは、アーティストを強化し、より多くの売上を得るためのあらゆるものを求めています。商品化したストリーミング市場において、アーティストには表現し収益化するための、より独占的な新しい表現の場が必要だと考えています。私たちはAURAで、世界中の何百万人もの新進気鋭のアーティストに新しいエキサイティングなデジタル上の表現の場を提供することができると信じています。
かつて、CDアルバムと付属したCD-ROMがマルチメディアと呼ばれていた時代から、音楽と映像やソフトウェアとの連動はいろいろなパッケージで模索されてきました。上手くいったものもあれば、そうではなかったものもあります。かつてのマルチメディアからの影響はありますか?
私はビデオゲームの黎明期(90年代)に育ったので、ゲーム・ミュージックの大ファンなんです。植松伸夫が『ファイナルファンタジーVII』で制作した楽曲や、上田雅美と友沢誠による『バイオハザード』の楽曲「Save Room」が大好きです。ドイツのゲーム音楽のパイオニア、クリス・ヒュースルベックによる初期の曲もチェックしています。レジェンドです!
ゲームは、ソフトウェアと映像が連携した完璧な例です。ゲーム産業は今や音楽産業と映画産業を合わせた市場よりも大規模になっています。インタラクティヴな映像・グラフィックと音楽の組み合わせは、空間や時間の感覚を失わせます。この感覚を従来のゲームとは異なる文化的な文脈で再現したいのです。Kalkulでは、アーティストがこの新しい感覚を視聴者に伝えることができるようなツールを作りたいと考えています。
AURAを制作する上で、インスピレーションを受けたアート作品や音楽があれば、教えてください。
私は80年代から90年代にかけて幼少期を過ごしました。この時代全体の美学やエネルギーから、多くの影響を受けました。幸運なことに、幼少期からこれらを学ぶことにとても興味があり、今でも学びの旅を続けています。Kalkulのリファレンスは無限にありますが、誰も知らないリファレンスでクールっぽく聞こえないように、ポピュラーなものをいくつか紹介しますね。AURAは、『マトリックス』シリーズ、『ブレードランナー』、『攻殻機動隊』の要素を多く取り入れています。また、池田亮司のアートも好きです。デザインやコーディングをするときは、Kalkulの見た目や感覚に大きな影響を与えたブリアルを聴いています。
もともと私は数学を勉強しようとしていたので、今でも数学の見た目や構造がとても好きなんです。だからKalkul(注:ドイツ語で演算の意味)という名前なのです。Kalkulは数学的構造の原子であり、現実もまさに数学的構造で構成されているかもしれません。私は、もうひとつの現実を作ることができると信じています。最終的に私がサイバネティックスを学んだのは、抽象的なアイデアだけでなく、実際に物を作ることが好きだったからです。
AURAにはさまざまな反応が寄せられていると思いますが、そこから新しい発見や学んだことはありますか?
何か新しいものを感じたい人々から学んだことは、同じようなソーシャルメディアのノイズにうんざりしているということですね。また、ミュージシャンだけでなく、多くの人がビデオ・ホログラムを作りたがっていることもわかりました。そのため、誰もが自身のスマートフォンでAURAのコンテンツを作成できるような新しいツールを開発しています。また、AURAのオーナーシップを提供するためにWeb3の技術とNFTを導入し始めています。
AURAがこれから目指すことを教えてください。
空間メディアを通じて、退屈せず毎日刺激を感じられるような、より人間らしい世界を創ることです。
Words: 原 雅明 / Masaaki Hara