クラシック音楽の世界でデビュー後、環境音楽、アフリカやアジアの音楽、即興音楽、舞台など多岐に渡るフィールドで演奏を続けてきたマルチ・パーカッショニストの高田みどり。デンマーク出身、ニューヨークでジャズを学び、ドイツの名門レーベルECMに多くの録音を残してきたギタリストのヤコブ・ブロ(Jakob Bro)。

出自もバックグラウンドも世代も異なる両者は、この数年来、コンサートや録音を共にしてきた。その様子は、ヤコブ・ブロの14年間に及ぶ活動を追ったドキュメンタリー映画『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン—ジャズが生まれる瞬間—』にも映し出されていた。リー・コニッツ(Lee Konitz)やビル・フリゼール(Bill Frisell)ら共演者にスポットライトが当たる中で、高田みどりの存在も大きくクローズアップされていた。

「みどりさんとは将来的にも一緒に音楽を作っていきたい」というヤコブ・ブロは、自分が慣れ親しんできたジャズから次の歩みを進める確かな手応えを得たようだ。また、『Through The Looking Glass(鏡の向こう側)』の再発以来、海外での再評価が一気に進んだ高田みどりにとっても、この共演はこれまでにない新たなチャレンジになりそうだ。

二人の間にはどんな接点があり、どんな音楽的な共通言語があるのだろうか。そして、リスナーにどんなインスピレーションを与えるものがあるのだろうか。それを解き明かすべく、二人の対談を企画した。なお、ヤコブ・ブロは日本語を学んでいて、日本語と英語が交じる対話で進んだ。

琴線に触れるなにか、そのすべてがみどりさんの音楽にはあるのです

ヤコブ・ブロ(以下、ヤコブ):元々は私が高田さんの大ファンで、手紙を書いたことがはじまりですね。ファンであることを伝えた上で、コラボレーションのオファーをしました。

高田みどり(以下、高田):そう。手紙をいただいていたのに、私は返事をしていなかったんです。ごめんね……(笑)。(返事を保留していたのは)2年くらいかな。

ヤコブ:(笑)。そのあとベルリンで初めてお会いすることになるわけです。初対面の時点から(『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン』の)撮影が入っていたわけですが、高田さんがその状況を受け入れてくれたことが嬉しかったんです。我々のような、高田さんが普段コラボレーションしているミュージシャンとは異なる人々を信用してくれたのだと思えたのです。

高田:そうなんですね。なぜ信用できたかというと、わからない(笑)。みなさん著名なジャズ・プレイヤーなのに、私はその時点でほとんどの方を存じ上げなかったんです。そんな状態で急に一緒に演奏するお話をいただいても、私はジャズ・プレイヤーではないから無理だと思って、(ヤコブさんは)勘違いをしてオファーをしているのかなとも。どうしようかな……、と思っているうちに時間が経ってしまったんです。


ヤコブ:私は(ジャズという)ジャンルが好きなのではなく、ただ音楽が好きなだけです。私が惹かれる音楽というのは、自分の声や表現を持っているものです。技術的に優れていることよりも、自分のストーリーや思いがある人の音楽、そして私の心の深い部分を強く揺さぶってくる音楽に惹かれるんですね。なにが揺さぶっているのかはわからないですし、今も考え続けているのですが、自分の琴線に触れるものとそうでないものというのは明確に分けられます。みどりさんの音楽は、私の琴線に触れるなにかがすべて詰まっているんです。みどりさんの音楽を聴くと、自分の心の深いところが動かされる。それが何かがわからないからこそ、それを持っている人と一緒に音楽がやりたいんです。

音楽は深いレベルでのコミュニケーションだと思う。世代を越えてつながることができて、普段の社会生活ではできないことが可能になる。物事の本質やリアルな意味に直接的に触れることができる。それは抽象的なものかもしれないけれど、ダイレクトに触れることができるというのはすばらしいこと。みどりさんの音楽を聴くと、音楽と一緒に生きているということを感じられる。自由に自分の人生を表現しているのが伝わってくるので、人生の意味がわかったような気がするんです。

音楽だけでなく、絵画や詩を前にしたときでも、人はそこに人生の意味を見出すことができると思うんです。

高田:私の音楽をどうやって知ったのですか?

ヤコブ:みどりさんのコンサートを見たことがきっかけでした。2017年ごろ*だったと思います。

*2017年4月4日にCopenhagen Jazzhouse(コペンハーゲン・ジャズハウス)で行われたソロコンサート

高田:ポーランドから順に巡ったヨーロッパツアーの時ですね。あの時に観てくれていたんですね!

ヤコブ:もちろんそれまでにもレコードでみどりさんの音楽は聴いていましたが、あのコペンハーゲンのコンサートを観たことが私にとって印象深い体験でした。

1983年リリースされた『Through the Looking Glass』は、2017年にアメリカはPalto Flatsから、ヨーロッパはWRWTFWW Recordsから再発され、ヨーロッパでリリース・ツアーも組まれた。Pitchforkは、このアルバムをBest New Reissueに選出し、「世界中の音楽様式を融合させたものである。スティーヴ・ライヒ(Steve Reich)の最も有名な作品と並んで、殿堂入りするにふさわしい作品」と評した。ヤコブ・ブロのレーベルLoveland Recordsの関係者も、「デンマークやヨーロッパの音楽ファンにとって、とても意味のある作品だった」と語っている。

高田:あの頃は、ヨーロッパに呼ばれると必ず『Through the Looking Glass』の曲をプログラムに入れてくれと言われたのですが、(その時の私の音楽スタイルは)もう変わっていますし、多重録音で作った作品ですから(ソロではできないんです)。

あの頃(『Through the Looking Glass』制作当時)は、日本の景気が良くてああいった実験的な作品を作らせてくれる余裕があったわけですけど。レコード会社としても、この作品を本気で売り出していこうとも思っていなかったはずです。だから、まさかこの作品がきっかけでヨーロッパに呼ばれることになるとは思っていませんでしたから、譜面も処分してしまっていて(笑)。どういう手法でやったかは覚えているんですけど、コンサートで再現するのは不可能です、と。ですので、今やっている音楽をステージの上ではやりました。

それ以降、『Through the Looking Glass』を期待してもダメです、彼女はもっと進化しています、と書かれるようになりました。そうやって評価してくれる人がいたんです。

ヤコブ:私も『Balladeering』(2009年)という作品を作った頃、このアルバムの曲をやってほしいというプロモーターからの要望を受け続けました。応え続けましたが、そういう要望が収まるまでに15年くらいかかりましたね。例えば会場に入ると『Balladeering』のジャケットが飾ってあって、曲がスピーカーからプレイされているなんてこともありました。バンド編成も違うのにね。なので、みどりさんが味わった経験には共感します。

けれど、私はみどりさんの演奏に関しては、ソロの演奏をしてくれればそれで十分で、素晴らしいものだと思っています。デンマークの人たちもそう思っていると思いますよ。

ちなみに、映画の中にも登場する、私とみどりさんがベルリンのコンサート会場で出会うシーン。あれが私たちの初対面なわけですが、あの映画にはほかにも私がミュージシャンと初めて対面するシーンがあります。つまり、私と彼らとのスターティングポイントが散りばめられていて、関係性がスタートした瞬間を見せているのです。

『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン』には、ベルリンのコンサート会場であるPierre Boulez Saal(ピエール・ブーレーズ・ザール)での演奏風景と二人が対面する様子が映し出されている。また、映画のサウンドトラック『Music for Black Pigeons Motion Picture Soundtrack』(レコードでのみLoveland Recordsからリリース)には、このときに演奏された「Pierre Boulez Saal Suite」が収録されていた。スペースを活かしたエレクトリック・ギターの繊細な音響が、次第にダイナミックになるパーカッションに呼応して、歪みを加えていく。全編即興で、凛とした空気を感じ取れる演奏だった。

高田:演奏を始めるとき、私はいつも、どんなところで終わるかわからない旅に出るような気持ちで最初の音を鳴らすんです。紆余曲折が待ち受けているかもしれないし、もしかすると破滅的なことも起こるかもしれないということも含めて、うまくいかないかもしれないけど、とりあえず一歩を踏み出すんですね。未知の旅に出るようなものなのです。

あのベルリンのコンサートのときは、観客の皆様がすごくテンション高く、期待してそこに座ってくれていることが感じられたんですよ。当時はまだコロナ禍の最中でしたから、観客には黒いマスクが配られていたんですね。それは劇場側のすばらしい配慮で、白いマスクをしている状態でお客様が動くと、集中力が厳しくなってしまうことがたまにあるんですね。囲まれているような感覚にもなります。そういうことまでわかっていて、お客様全員に黒いマスクを渡してくれていたんだと。

映画でも語っていますが、私は、空間であるとかお客様たちの集中力を受けて最初の音を出すということを大事にしているんです。(ベルリンのコンサートは)それが叶う場所でしたので、一音目を出すことができた。ヤコブさんとそこから旅ができる準備が整ったという感じがありました。

ヤコブ:私にとって、この日のコンサートは自分にとって新しい世界がひらけた時間だったんです。私は常にそういうものを求めていつもミュージシャンたちと演奏しているわけですが、この日はまさに私が向かっていきたいと思える方向に世界が開いたと思えました。みどりさんとのコラボレーションは本当に大きな体験だったんです。それまで関わってきたミュージシャンとは異なる世界にいる人とセッションする必要があったということだと思うんですが、実際に共演してみて、本当にマインドが爆発したというか。これがやりたかったんだ、と思ったんです。元々、私は日本の文化や日本語を勉強していたので、そういう意味でも嬉しかったですね。

私には20年以上にわたって培ってきたスタイルがあるわけですが、こうしてみどりさんのような全く違うスタイル、考え方の人と出会ったことで、世界がひらけました。


高田:まず、ヤコブさんに伝えておかなくてはいけないのは、私は代表的な日本のミュージシャンではありません!ということです(笑)。日本的でもないです。

ヤコブ:もちろん、そうです(笑)。日本的であることが未知だったわけではなくて、みどりさんの空間を大事にする捉え方ですとか、呼吸ができる、余白がある、といった考え方とアプローチにすごく惹かれたんです。そういう人がたまたま日本人だっただけです(笑)

高田:もちろん、冗談で言いました(笑)。

囚われず自由になるために、自分を捨てる

高田みどりは、これまでさまざまな海外の音楽家、特にアフリカやアジアの伝統楽器、民族楽器を演奏する音楽家たちと演奏を共にしてきた。コンテンポラリー・ジャズの世界でエレクトリック・ギターを演奏してきたヤコブ・ブロは少し毛色の異なる存在だ。二人の間にはどんなやり取りがなされてきたのだろうか。互いのフィールドから踏み出すものがあったのだろうか。そこに共通言語があるとしたら、それは何だったのだろうか。

高田:今回、ヤコブさんと新たにレコーディングをしていたなかで、まさにそういったことについて考えていました。自分のトリオでインプロビゼーションするときは、全くなにも決めずに自由にスタートして、展開をお互いにし合うようなものなのですが、ヤコブさんとやるときは、ある程度仕掛けや構築があるなかでどう自由にやれるか、ということやりたいと思ったんですね。

当初は、ヤコブさんとパレ(・ミッケルボルグ)さんとのトリオの予定でしたので、その想定で曲を作りました。しかし、残念ながらパレさんが参加できなくなり、代わりの人を入れるか、という話になったのですが、私の頭のなかにはヤコブさんとパレさんの音が鳴っていたなかで曲を作ったので、代役は立てずに、2人でやろうと提案しました。私の生き方のモットーは「How to be free(いかに自由たるか)」。それには責任が伴うわけですが、その責任を負っていかに自由であるか、ということを作ってみたかった。そこに参加したい人がいれば参加できるし、2人だけでもできる、そういう仕組みを作りたかったのです。

ヤコブ:私のことを「アンチ・ギターヒーロー」と評してくれた人がいたのですが、実際、ギターを弾くこと自体にはあまり興味がありません。ジャズ・ミュージシャンであるとも思っていません。そういう観点からの取材も断っています。ギター、ジャズということで音楽を作るということは、自分には関係のないものだと思ってしまうんです。音楽をやる上では、なにか一つの楽器に秀でている必要があるのでギターを弾いているんです。もちろん、そのおかげで色々な道が拓けていると思っています。

私とみどりさんに共通しているのは、スタート地点にオープンさと自由さがあることだと思っています。私は音楽をやる上で、何も期待しない。こうあるべき、するべきという期待を一切持たないのです。私には、ただみどりさんと音楽を作りたいという欲求があるだけなんです。そして、音楽の自然なフローに身を任せて、辿っていくのが正解なんじゃないかと。たとえ、演奏の前にした準備と異なる展開が待ち受けていたとしても、予定通りの流れに引き寄せるのではなく、そこで発生している流れに任せることを自分に言い聞かせています。音楽に耳を澄ませば、自ずとなにが正解かわかってくるものです。

不思議なことに、ギタリスト像として期待される姿から離れていけばいくほど、ギタリストから好かれるんです(笑)。

高田:みんなそうなりたいけど、囚われていることがあるんですよね。ミュージシャンとして培ってきたものをどう活かすか、というスタートになってしまうと(囚われてしまう)。まずは自分を否定すること。それは辛いし、とても恐怖ですが、そこを乗り越えて初めて手に入ることってあると思うんです。どうしても学校で学んだイディオムや型というものが頭のなかにたくさんあるわけですが、それを捨て去る。それは相当な勇気が必要だし、非難の嵐がくることを覚悟しなくてはいけない。そこで初めて、孤独に耐えてまでやりたいことがある、という強い意志を持っている人が得られる自由がある。その結果、どこのジャンルにも属さないということになるわけですけど(笑)。


ヤコブ:私はかつて音楽学校で教えていたこともありました。10年くらい前に辞めてしまったのですが、最近になって子供に音楽を教えることに喜びを感じるようになりました。全く楽器ができない子供達に、即興で、音の出し方も楽器の持ち方も知らない状態で、とりあえず音を出してもらう。それが新しい音楽の作り方のように捉えられたら面白いんじゃないかと思っていて。音楽学校からのオファーは断ったのに、小学校では無料で授業をやっているという状況なんです(笑)。

高田:1970-80年代まではあったエクスペリメンタリズムというものが今は全く失われてしまって。なにかをかたちにしましょう、ということを目的にするのではなくて、無垢のものに対しての喜びとか、マテリアルの可能性、自分との関わり方を発見する作業に音楽というものはなり得るんです。かたちにする作業を音楽として教育のレールに載せてしまうと、これ以上のものにはならなくなってしまう。ヤコブさんが子供たちとの関わりに喜びを見出すというのは、あらゆる人間の可能性に向き合っているとき、それ自体が人間の一番の幸せなのだ、ということを感じているということなのではないかと思いますね。

私はミュージシャンとして、また美術大学や音楽大学で長年教えてきた指導者として長い時代にわたって見てきたものがあるわけですが、ある時点からとても保守化してしまっていると思っています。もっと「I am Art」という時代があったんです。既成のものを壊そうとする先達のアーティストたちがいたような時代がずいぶんと遠のいてしまったなと感じるんです。呼吸がなくなっているなと。人間の呼吸や手触りを取り戻すということは文化の一つの役割だと思います。

環境音楽への関心に見出す“救い”。「核の音」以降の音楽のゆくえ

『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン』には、高田みどりがピアノを弾くシーンがある。日本の環境音楽の第一人者で、高田みどりとも交流のあった芦川聡(1953年〜1983年)が残した曲だった。『Through the Looking Glass』は、環境音楽への関心が高まった時代の音楽でもある。実験性が許容された時代に、静謐(せいひつ)な音楽も騒音や過剰さに対するある種のアンチとして登場した。いま、世界的に環境音楽への関心が起こっていることは、何らかの変化の兆しなのだろうか。

高田:あの頃は騒音主義というものもありましたね。例えばジョン・ケージ(John Cage)なんかも非常にノイジーな作品を作っていたこともありました。彼の場合は最終的に無音に行き着いたわけですが、そういった騒音主義的なものへの一種の反省というか。音をマイクで拾うことで音量がどんどんと大きくなっていった時代なわけですよね。人間の耳の許容範囲をどんどん超えていく。環境音楽家の(レーモンド・)マリー・シェーファー(Raymond Murray Schafer)が言うには「最終的に人間が求めている最大の音は核(爆弾)である」と言っているんですが、核の音を知ってしまった人間が、そこからどうやって再び音楽に立ち返るかということはとても大きな問題なんです。

核の音を知ってしまう以前の人間と、以降の人間とでは全く音の許容量が違ってしまうわけですね。そこから本当に、それが予言のようにして、演奏会場ではつんざくような大音響が普及していきました。それが刺激する脳の部位というのは音楽に感動するものとは別の、音響に刺激されているだけの体験にすぎないわけです。そういう時代に突入する分岐点が80年代だったのだと思っています。

核を知ってしまった私たちが、音楽のどこに可能性を見出すか。その分岐点だった。そこで私も環境音楽に取り組んでいた中で出会ったのが芦川聡さんでした。そうしたものが全く顧みられない90年代という時代を経て、いままた環境音楽のようなものに光があたり始めたことは、救いのような気がしています。そして、それは環境音楽としてではなくて、人間の自然な感覚としてそういった音楽を人々が求めはじめて、楽しめるようになってきているんじゃないかと。長い人生のなかで、エポックメイキングな瞬間だと思っています。

映画の冒頭で、ミュージシャンのみなさんが(音楽を演奏する理由について)「わからないけれど、気持ちが良いから」というようなこと言いますよね。あれだけキャリアがあって様々なジャンルをやってきた方達が「どうしてかはわからないけれど、気持ちが良い」と表現していることが素晴らしいと思ったんです。卓越した感覚を持つミュージシャンは身体的な環境に鋭く反応するものです。それは世界がデジタルとIT、さらにAIとに急速に向かうこの時代に危機感を持ち、一方で身体的な感覚を取り戻し音楽の自然な振動を脳が受け止めようとする事。この言葉がその感覚を表していると思えたのです。それがこれからのひとつの時代を育てるというか、そういう感覚を多くの人々が共有できると良いんじゃないかな。


音楽の感動という不確かなものを生むために

ヤコブ:私は聴こえてくるものに忠実に、素直に向かい合うということをとても大事にしています。 私がポール・モチアン(Paul Motian)と初めてプレイしたのは22歳のときでした。彼はジャズの歴史上のすべての人たちと共演してきたような偉大な人で、私は彼のような人物と演奏する心の準備は全くできていなかった。とにかくベストを尽くすしかないと思ってポール・モチアンを信用して臨みました。その頃も今も、変わらず意識していることは、セッションに入るときに、なにかを壊さないようにしようということです。何も提供せず、そこにいるだけで十分だ、という存在も大事なのだということを常に思っています。

今年PJハーヴェイ(PJ Harvey)からオファーメールをもらって、僕の音楽をすごく気に入ってくれていると書いてあった。僕は舞い上がってしまって、彼女が気に入るような音楽をもっとやろうかと思ったりもしました。けれど、結局は自分にとって正しい、しっくりくる方向に進もうと思ったんです。キャリアやお金、名声のためでなく、好きなことを自由にできることを最優先にしたいんだということに気がついた。僕がやっていることは、ちぐはぐで一貫性がないように思う人も多いと思うんだけど、それは僕にとって大事なことを最優先にしている結果なんです。

そういったオファーをもらったり、例えばチャールス・ロイド(Charles Lloyd)やみどりさんのような上の世代の素晴らしい演奏者が私と演奏したいと言ってくれることは、いまだに信じられないことだと思っているんです。それと同時に、いつも自分に言い聞かせているのは、なにをやっても良い自由な環境で彼らと落ち合うんだ、ということなんです。  


高田:あなたは、なぜかなり上の世代のミュージシャンたちと一緒にやりたがるのかしら?

ヤコブ:やはり、先輩たちの音を聴くことの重要さですよね。ポール・モチアンだったら、彼が共演してきた人々、例えばケニー・ホイーラー(Kenny Wheeler)のようなプレイヤーからの影響がそこにはあるし、リー・コニッツ(Lee Konitz)の音にはチャーリー・パーカー(Charles Parker)からの影響がある。演奏を聞けばその人がどんな人々と演奏してきたかがわかりますよね。そういう音を聴くことが大事で、最適な学びの方法というのは、知恵を持ち経験を積んできた人から学ぶことだと思っているので、年上の人と共演することが自然と多くなるのだと思います。

そういう人たちの影響や音を伝統として受け継いで、自分に接続して、現代の音に調整していくことが必要で、現代に合わせて解釈されていく流れが重要だと思うんです。なぜ自分が音楽に感動するのかは、いまだに謎だらけですが、感動を与える音楽を作る人というのは人生経験が豊富な人である場合が多い。ミュージシャンは練習して自分の表現を見つける、というプロセスを踏むと思うのですが、ある瞬間からそれを捨てて、変わることがある。そういう表現方法にこそインスパイアされるんです。

あと、なぜいまだに自分がレジェンドのミュージシャンたちから歓迎されるのかを考えたときに、多くの人が肩肘をはってプレイしようとするなかで、ぼくはそういうことをやらなかった。ただ、良い事をしよう、可能な範囲でみんなにとって良い事をやっていこうとした結果、一緒にクリエイトしてもいいかなと思ってもらえた。そういう堅実なところが評価されたんじゃないかと思います。

高田:堅実さや誠実さもあるけれど、なによりあなたの音楽が評価されたんだと思いますよ。

2025年秋には、高田みどりとヤコブ・ブロが東京でレコーディングしたアルバムのリリースが予定され、日本やヨーロッパでデュオのコンサートも開催されることになっている。


高田みどり

東京都出身。東京藝大器楽科卒業。1977年ミュンヘン国際音楽コンクール打楽器部門3位入賞。ベルリン・ラジオ・シンフォニーのソリストとしてデビュー。以後、ソロ活動の他、アジア、アフリカ等、世界各地のミュージシャンと共演。現代曲はもとより、アジア、アフリカ音楽、ジャスのほか、アート、ダンス、とのコラボレーション等、ジャンルにとらわれない広範な活動で注目を集めている。

ヤコブ・ブロ

デンマークのコペンハーゲン在住のギター奏者、作曲家。『ニューヨーカー』誌では、「ヤコブ・ブロのギター・スタイルを指で表現しようとするのは、空気の本質を表現しようとするようなものだ」と評されている。バンドリーダーとして17枚のアルバムをリリースし、そのうち6枚は国際的に高い評価を受けているECMレコードからリリースされている。トーマス・スタンコとポール・モチアンの最後のバンドのメンバーでもあり、その他自身のバンドなどで世界中をツアーしている。

Photos:Cosmo Yamaguchi
Words:Masaaki Hara
Edit:Kunihiro Miki
Translate:Emi Aoki

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