その希少性ゆえ、高値がつけられるものが多い「ネイティブレコード(Native Records)」 。
「10年間をかけて集められたのは300枚」。世界でも数少ないその収集家に、ネイティブレコードとはどんなものか、そしてそれがもつ、 “聴く” に留まらない重要なこととは?
NYを拠点に、世界各地のシーンを独自取材して発信するカルチャージャーナリズムのメディア『HEAPS Magazine(ヒープスマガジン)』が、Always Listening読者の皆さまへ音楽にまつわるユニークな取材記事をお届けします。
アメリカのロックからポップスまで影響を与えた、“残らなかったかもしれない音楽”
ネイティブレコードとは、アメリカ大陸のネイティブアメリカン*による音楽を記録したレコードのこと。音楽愛好家や収集家が「ネイティブアメリカンミュージック・レコード」を指して多用するカジュアルな表現だ。歴史上、100年で人口が5分の1に減少するほどの迫害にあい “滅びていたかもしれない” とされる先住民族で、彼らによる音楽は、つまり “今日に残らなかったかもしれない音楽” のことでもある。この10年で、アメリカのロックやポップスに広く影響をあたえたネイティブアメリカンの存在が正式に評価されるようになっている。
一般的に1960〜70年代の洋楽レコードの人気は高いものだが、この時代のネイティブレコードを探すのはさらに困難(そもそも見つからない)であるため、希少性ゆえ買い占められることも多く、高値がつけられている。「見つけたらお財布に大打撃でも買うよ。 “さらにもう10年” は待てないから」とは、ネイティブレコードの収集家、ジャスティス・ブロークンロープ(Justis Brokenrope)。自身もラコタ族**にルーツをもつ人物。
*ネイティブアメリカン:アメリカ大陸の先住民族(Indeginous People)のこと。かつてはインディアン、インディアンアメリカンと呼ばれ知られた民族。
**ラコタ族:ネイティブアメリカン部族の一種。シチャング・ラコタ族。
ジャスティスは教育者としても消滅の危機にあるラコタ族の言語や文化を大学で教え、その傍らで時間を見つけては手探りしてたどり着く北アメリカの先住民族のレコードを収集し、それらをデジタル化してアーカイブするプロジェクト「ワテチュー・レコーズ(Wathéča Records)」に力をいれている。
近年、民族性を探ることや民族性を持つ文化の再評価は、音楽業界でも一つの最重要のテーマだろう。たとえば、韓国の伝統音楽パンソリを取り入れたバンドが登場したり、モリンホールやホーミーなどモンゴルの伝統音楽の楽器を取り入れるロックバンドがワールドワイドに注目を集めたり。
この波において、今回は北アメリカ最大のルーツが眠るネイティブレコードのおもしろさ、また重要性についてをジャスティスに教えてもらう。
もともとネイティブレコードやネイティブアメリカンの音楽には興味があったのですか?
どちらかというとパンクやメタルを好んで聴いていました。親も特にネイティブアメリカンの音楽を聴いていたとかではなくて、母はカントリーミュージック好き、父はロックンロール好き。
14歳くらいで地元からちょっと離れたところにライブを見に行くようになって、ついでにレコードの魅力にハマって、いろいろ漁りはじめて広い音楽に興味を持つようになって…。自分のルーツに関する音楽である、ネイティブミュージックに興味をもちはじめたのは20代前半です。
そうですか。育ちはネブラスカ州ですよね?広大な土地、トウモロコシ畑で知られる。ルーツを意識するようなことは幼少期からありましたか?
私は見渡す限りトウモロコシ畑が広がる、農村の小さな町で育ちました。住民のほとんどが白人で、特に先住民の方、普段からカルチャーに関わるといったことはなかったです。私の部族のコミュニティである居留地*は車で7時間離れたサウスダコタ州にあったので、なにか特別な祭りや祝いごとのイベントに参加するときくらいのものでしたね。
*アメリカ合衆国内 連邦政府等によって、ネイティブアメリカンに留保されている土地を総称する言葉。
20代前半になる前にも触れてきたネイティブアメリカンの音楽はありますか?親世代からはなにか教えてもらいましたか。
印象に残っているネイティブアメリカンの音楽体験といえば、先住民族の文化を祝うネイティブアメリカンの伝統的な祝祭「ポウワウ(powwow)」に参加して聴いたものです。
私はネイティブアメリカンの父とヨーロッパ人の白人の母親のもとに生まれたミックスですが、父も養護施設にいたため文化に触れる機会は少なかったようでした。前提として親世代は「アメリカ社会に溶け込む」ことを第一とした世代ですし。その反動で、私自身をふくむミレニアル世代以降が「自分たちのルーツを知りたい」と思っているような節があるとも感じます。
親や祖父母の苦労を理解しながらも、消えていってしまうかもしれない自分たちの文化を保持し、次世代に伝える責任を感じているというのもあるのかもしれません。
先住民族の音楽を聴ける、ネイティブレコードに惹かれたきっかけは?
いろんな音楽を探るなかでコンテンポラリーやロック、フォークやカントリーミュージックでネイティブたちによってつくられたものを見つけたのがきっかけです。自分の人生においてまったく知らない、だけど自分のルーツに関係のあるアーティストたちを見つけたときの感慨といったら。
ネイティブレコードは、どこでも見つかるものではないんです。こういう音楽はちゃんと記録されていないうえ、あちこちに散らばってしまっているんです。それを誰かが記録してもう一度、アクセスできるようにしたいと思いまして。
それで自ら集めているんですね。ネイティブレコードのおもしろさは?
おもにカナダとアメリカから成る北アメリカ大陸はとても広大ですから、かなりの数のトライブ(部族)コミュニティが存在しました。その一つひとつがとてもユニークなのです。たとえば、シアトルとニューヨークに存在した部族では言語、暮らしの様式、スピリチュアルの実践、精神性、そして民族音楽においてまったく異なりますが、一方で共通項も見つけられます。ほとんどのアメリカ人が知らないことだってたくさんありますよ。
なるほど。
60年代、70年代につくられたコンテンポラリーのネイティブレコードからは、その時代の音楽が、どれほど部族性から影響を受けているのかを見つけるのは大変興味深いのです。見落とされてきたアメリカという土地における、さまざまな生活や経験、ストーリーがそこにはあります。
アメリカという広大な土地でつくられてきた音楽の歴史の、大きな一部ということですね。ネイティブによる、60-70年代の有名どころの音楽は?
『Come and Get Your Love』は聴いたことはありますか?レッドボーン(Redbone)というバンドの、1973年にリリースされた曲です。レッドボーンは全員がネイティブアメリカンのバンドで、この曲はネイティブによる、そしてレコーディングされて記録にのこるもので最大のヒット曲です。CMや映画にも起用されました。
あ、知っています。日本でもわりと知っている人が多そう。アメリカの音楽に大きく関わっているネイティブアメリカンのミュージシャンはどうでしょう。
有名なところでいうと、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)。彼の母方がチェロキー族の出自です。
実は後になって「ネイティブだった」とわかった例も多いですよ。史上初の白人女性としてのジャズシンガー、ミルドレッド・ベイリー(Mildred Bailey)。それから、ザ・バンド(The Band)のロビー・ロバートソン(Robbie Robertson)。ボブ・ディラン(Bob Dylan)の演奏に参加していたことでも有名ですが、当時は彼がネイティブだということはほとんど知られていなかったことです。そして『Rumble』*をかいたリンク・レイ(Link Wray)。この曲は当時いろんなところで演奏されました。
*Rumbe:ダーティなコード進行で汚さ、激しいギターが特徴。若者の暴力性を助長するとして、放送禁止の対象にもなった唯一のインストゥルメンタル曲。
『Rumble』とえいえば、2017年にネイティブアメリカンがアメリカのロックにいかに影響を与えたかを史実から紐解くドキュメンタリー映画が公開されましたが、タイトルは同楽曲を引用した『Rumble: The Rocked the World』。Rumbleはロック、メタル、スラッシュに影響を与えるコード進行の開発だったともいわれます。この近年になって、ネイティブアメリカンの音楽性がようやく多くのロックやポップスに影響を与えたとして正当に評価されるようにもなってきました。
実はアメリカの音楽の歴史に残るシーンにいたこともあるのに、そのことや、その背景のこともまだまだ触れられているものが少ないのが現状です。ネイティブレコードを集めて、もう一度私たちのような子孫や次世代にがちゃんとアクセスし直せるものとして残しておきたいと思うようになったんです。アクセスが限られてしまう博物館とかではなく、すべての人にオープンであるパブリックライブラリーみたいなものを目指しています。
Wathéča Recordsでこれまでにデジタル化した音楽は何年代のものが多いですか? 年代ごとにどのような特徴があるのかも気になります。
50年代や60年代のものも少しありますが、ほとんどが60年代後半から70年代初頭のものです。70年代といえば、アメリカのポップスは刺激的な時代でしたよね。ジャズ、ロックンロール、カントリー、ファンク、ブルースなど、さまざまな音楽のムーブメントが同時に進行していて、それらが互いに影響しあって。シンセサイザーの登場など新しい技術もでてきて音楽が変化していった。その変化はネイティブ音楽にも大きく反映されていますよ。
どんなことを歌っているんですか?
60年代、70年代は市民権運動が大きく動いた時代です。多くの若きフォークスが、権利や解放について力強く歌っています。その一方で、暮らしや生活、とても個人的なことを歌ったものも多くあります。たとえば、当時は禁酒法の時代ですが「居留地をこえて「お酒を買いに行って、こっそり戻ってきた」なんて歌もあります。これは今日の10代だって共感できる内容ですよね。
70年代のおすすめのレコードは?
Winterhawk『Electric Warriors』
70年代後半のバンドウィンターホーク(Winterhawk)。カリフォルニア出身のヘビーメタルバンドで、クリー族のメンバーもいます。米ヘヴィメタルバンドのメタリカ(Metallica)と一緒に演奏したこともあるんですよ。
ウィンターホークのなにがかっこいいって、ネイティブアメリカンについて歌い、ネイティブであることを誇りに感じながらロックンロールを演奏しているところ。その凄まじい力強さが印象的です。彼らの曲にはネイティブのストーリーテリングの要素があり、自身の体験に根ざしたテーマが多くのネイティブの人々に共感を与えています。
また、ネイティブアメリカン特有のドラムサウンドや伝統的な音とヘビーメタルのサウンドとを組み合わせていて、なんといってもそれが最高です。
Peter Frank『Turquoise VIsions』
シンガー、ピーター・フランク(Peter Frank)のアルバム『Turquoise VIsions』。カナダの先住民族であるミクマク族にルーツをもちます。先住民のアイデンティティや歴史に関するテーマが多く取りあげられています。
先住民族の言語も教えているそうですね。音楽を残すことは言語を残すためにも関わってきそうです。
先祖や親族がつくった音楽を聴ける、ということはそれそのものも重要です。自分たちの先祖がこんな歌を、歌詞をうたってきた。その感慨を味わえること、また楽曲の内容から知れる彼らのことも多い。そして、第一言語としてどう発音され、どのようにストーリーが紡がれ、それらがいかように話されていたかを知るのは、言語の保存の観点からも重要です。言語、習慣、生活、この3つは切り離せないものですが、それらを音楽を通してそれを知ることができますね。土地と言語をほとんど失くしたネイティブアメリカンにとっては、記録が少ないためにそれらに触れることは極めて難しい。ですので、音楽を残すことはアイデンティティに関わる重要な行為です。「自分の祖父、祖母、親族、祖先は、こうやって生活していたんだ」と知れるツールになる。子どもたちと共有し、次の世代に引き継いでいくことが、ネイティブアメリカンの人間としての重要な使命だと考えています。
これから未来にネイティブミュージックを引き継いでいくにあたって、大切なことは?
ネイティブミュージックが、 “過去のもの” だけではないということです。先住民族の同じ世代で、ラッパーやシンガーソングライターの友人がいますが、たとえば彼らがそのフォーマットでネイティブミュージックを取り入れていく。残していくこと、そして現代の音楽の創造の一助になること。それが、文化を受け継いで未来に繋いでいくことだと思います。
Justis Brokenrope
Wathéča Records
ジャスティス・ブロークンロープは、ミネソタ州で北米先住民族の音楽に焦点を当てたWathéča Recordsを運営し、ラコタ族(ネイティブアメリカン部族一種、シチャング・ラコタ族)のルーツを生かして文化の継承に取り組んでいる。ミネソタ大学などの大学で教育者としてラコタの言語や文化についての教育活動も行っている。Wathéča Recordsの活動としてはレコードのデジタル化に力を注いでおり、オンラインでのアクセスを通じて先住民族の音楽を広めている。また、北米先住民の音楽に焦点を当てたラジオ番組『Wathéča Radio』の運営も行っている。
Words by HEAPS