オーディオテクニカの新商品であるワイヤレスイヤホン『ATH-CKS50TW2』の発売に合わせて、千葉雄喜が主演を務めたプロモーションムービーが公開された。
イヤホン単体で最大25時間の連続使用が可能なロングバッテリーを誇るATH-CKS50TW2の特性をテーマにした「25時間、トベルオト。」と題された3分間の映像では、千葉の1日の活動を追う。
本拠地である北区王子の天てんで昼食をとってバーバーに行き、原宿に移動してフォトシューティング。夜は王子に戻って曲作り、からのクラブへ。千葉とその友達たちのリアルな日常をスタイリッシュに表現した映像を作り上げたのは、気鋭の映像作家として注目を集める木村太一。国内外のバンドやラッパーたちのミュージックビデオの制作や、ドキュメンタリー、映画など幅広いフィールドで活躍する木村に、今回のプロモーションムービーについて、そして多くのアーティストたちが絶大な信頼を寄せるその撮影スタイルとマインドについて、話を聞いた。
千葉雄喜のリアルな25時間、どう撮った?
まずは、今回のプロモーションムービーのオファーを受けたときのことから教えていただけますか。
音楽はめっちゃ好きなんで、プロジェクトの内容を聞いた時点でわくわくしたし、やりたいと思いましたね。企画書を読んだら、クリエイティブに対するビジョンもしっかりしていたし。だから、撮影自体すごい楽しかったし、コマーシャルな意識で撮っている感じはほとんどなかったかな。
千葉雄喜の25時間を撮る、というテーマはあらかじめ設定されていたお題だったのですか?
そうですね。千葉さんの1日を撮るというコンセプトがまずあって、オーディオテクニカさんサイドからおおまかなロケーションのイメージや流れをもらって、それを僕がどう描くかというアイデアを出すところから始まりました。
撮影現場での千葉さんの印象はどうでしたか?
KOHH時代に一度、FACETASMとNIKEのコラボプロジェクトで僕は彼を撮っていて、そのときはやっぱ尖ってる印象があったんですけど、千葉雄喜としての彼は優しくてコミカルな感じがありましたね。素の状態の彼に近い人格が千葉雄喜なのかなという印象を持ちました。
完成した映像だけを見ていると、本当に千葉さんの1日を順撮りで追っているように見えますが、実際はどうだったのでしょうか。
撮影した順番はシーンごとにバラバラですね。撮影期間は2日間だったんですけど、どのシーンから撮り始めたかは思い出せないな……。あ、車内のシーンかな。王子から渋谷までのドライブのシーン。で、一番最後に撮ったのはクラブのシーンですね。
クラブではしゃぐシーンは特にリアルな雰囲気ですね。
リアルですけど、すべてのシーンは撮影用に組まれたものなので、ドキュメンタリーではないんです。
高橋ラムダさんと衣装合わせをしてそのままスチール撮影に入るシーンは、木村さんたち撮影班が現場に潜入して撮っているドキュメンタリー感がありますが、あれも演出ですか。
そうです、作ってます。ああいうシーンを作りたいって案を出して、セットを組んで実際にフォトシューティングもしてもらって。ドキュメンタリー的ですが、ナチュラルに起きた出来事を撮ったシーンは1つも無いんですよ。
過去のインタビューで「どんな媒体であっても、繰り返し見れるものが作りたい」とおっしゃっていましたが、今回のムービーは25時間に起こることをクイックに見せていく3分間のなかで、ヘッズが反応する小ネタが入っていたり、生っぽいディテールや会話が印象的だったりと、情報量がすごく多い一方で、それがトゥーマッチに感じない抜け感みたいなものも同時に感じて、リピート再生したくなるというか。時間を置いてまた見たくなる感じがあります。
トゥーマッチにならないようにするさじ加減は、最近は気にしてますね。やりすぎないようにしなきゃな、みたいな意識はある気がします。だけど、そこはやっぱり肌感重視だと思うんで。そういう感覚って数字に表せないじゃないですか。この情報や素材をこれだけ使うっていうバランス感覚みたいなものは経験値からくるものでしかない。料理で言う塩加減みたいなセンスだと思うんですけど、まあそういうセンスが良いということなんですかね(笑)。
あと、今回のムービーの編集スタイルには元ネタがあって。『The Rules of Attraction』というカルト映画なんですけど。10代の頃に見た作品で、映画自体は大して面白くないんですが、アメリカの学生たちがハンディのビデオカメラでヨーロッパを回って、その様子をモンタージュで高速で説明していくシーンがすごく印象に残っていて。
今回のプロジェクトの話をもらったときに、そのシーンがまず浮かんだんですよね。で、企画書にもこれを元ネタとしてベースにしたいってことも書きました。なので、そのシーンは今回何回も見返して、撮り方とかカットの切り替えのスピードとかを参考にして。特に意識的にやったのは、きれいに撮りすぎないことですね。コマーシャルの撮影ってどうしてもきれいに収めようとするから、それをもうちょっともっとラフに、あえて雑さを意識して撮っていました。
なるほど。25時間連続で音楽を聴き続けるという、現実にはなかなかないシチュエーションを映像化して、説得力のあるものにしていくという作業は難しいことのように思えるのですが、そういった制約とはどう向き合っていますか。
タランティーノも言っていますが、映画をはじめとする映像作品というものは、ちょっとやり過ぎているくらいの方が面白いと思っているので、見ている人がわくわくするような、またはツッコミたくなるような誇張とかは惜しみなくやろうというスタンスですね。だからと言って、リアリティのないものを作ったつもりはなくて。僕にとってのリアリティって、実際の日常風景のような画を撮るということではなくて、登場人物の心情をリアルなかたちで表現しているっていうことです。日本はリアリティを追求する上で画ばかりを気にする作家が多いですが、人間の心情的なリアリティを描ける人は少ない気がしますね。
今回で言えば、千葉さんだったらこういうところに行くよねとか、こういうリアクションするよねとか。セリフも僕が書いているんで。なので、プロットとして誇張している部分と、心情的なリアリティのバランスはめちゃめちゃ気を使ってやっていますね。全部嘘ですが、ある意味全部本当になるというか。だから、嘘が嘘っぽくならない。
映像を見た受け取り手のなかでリアリティが生まれていればOKということですね。
そうですね。そのために本人へのヒアリングはかなりした上で設定を考えています。
プロダクトの魅力を伝える、という点ではどんなことを意識しましたか。
もちろんイヤホンを着けた耳元をしっかり見せるとかそういうことは意識的に撮ってはいるんですけど、プロダクトもモデルである千葉さんもめちゃくちゃかっこいいので、基本的にはその組み合わせを見せるだけでコマーシャルとして成立すると思っていて。かっこいい人がかっこいいことやっていれば、映像として特別にプロダクトにフォーカスしていなくても、そこに世界観さえ生まれていれば買いたくなるじゃないですか。少なくとも、僕はそういうものが好きですね。だから、そういう間接的な表現を一緒に目指してくれたオーディオテクニカさんの懐のデカさに感謝ですよ。
「今の時代」を意識した表現なんて、すぐに終わる
「リアリティを追求する上で画ばかりを気にする作家が多い」というお話がありましたが、なぜそういう傾向が生まれているのだと思いますか?
漫画やアニメの影響下にいるからじゃないですかね。漫画やアニメはすべてをエクストリームにして作るので、その延長線で考えちゃう傾向があるのかもしれないです。俺も漫画やアニメは大好きなんで、それを否定するつもりはないです。ただ、そういう演出が刷り込まれていることの影響がでかいというか。
ヨーロッパの作家は、誇張はあってもそこになにかしらのリアリティを持たせようとするんですね。シチュエーションは有り得ないものであっても、もしこういう状況になったら人間はこういう行動をするとか、こういう言葉を発するという部分にリアリティを持たせる。
実写はアニメと違って生身の人間を使うものなので、たとえグリーンスクリーンを使う撮影だったとしても、その人間のあり方については嘘をつけないわけです。そこをアニメ制作のように好き勝手に動かしてしまうというのは、ディレクションとして表面的であると思ってしまいますね。そうやって人を動かして作ったものはすぐに消費されてしまうし、深く刺さるものにはなり得ないと思う。よく「今の時代(の表現)はこうだから」って言うけれど、だから何?っていうか。今の時代なんて、そんなものはすぐに終わるじゃないですか。
僕はそういう考え方なので、バズるような作品は作れないんですよ。僕のキャリア自体がそうで、『Lost youth』(2016)を作ったときも全然話題にならなかったけど、一部の人には刺さっていて、そこからラッパーたちとのつながりが広がっていって今に至るって感じなんですよ。
消費的なコンテンツばかりが作られる状況については、画一的なトレンドを作家に過剰に要求する構造にも問題があるということですか?
いやいや、あくまで作家個人のなかの問題だと思いますよ。表現者って元々、社会のなかで浮いてしまうような人たちじゃないですか。僕も元々はいじめられっ子でしたからね。そういう人たちは自分が存在できる隙間を自分で作っていくべきなのに、なぜか表現者たちが社会に合わせにいっちゃってる。一般社会に居場所がない人たちだからこそ表現をやっているのに、人気が出て認知されて評価された途端にそこから変わっていっちゃう。
社会に認知してもらうことがゴールになってしまうと、その後の作家としてのアイデンティティが保てないと。
僕だって、社会には受け入れてほしいなと思います。作品を評価してもらったり、知らない人が自分の名前を知っていたりとか、それは嬉しいし感謝しかないけど。だからと言って、その人たちのために作品を作る必要はないわけで。こういうスタンスで作っているものを受け入れてくれる人たちがいる、ということに感謝してますね。ただかっこいい映像を撮りたいからやっているのであって、誰かを喜ばせたいとか、誰かのためになるものとか、作る理由をそういうことに結びつけてしまうのであれば、無理に作家をやらなくてもいいと思います。
もちろん、流行自体が無意味なものだとは思わないです。社会の流れを意識するのは大事なことです。流れをよく観察した上で、それに対して乗っかるか反発するかの選択をすべきなんです。社会の流れを知らないで作ったものは当然評価を得られないですよ。今の時代がこうだっていうのを理解した上で、「うるせえ」というスタンスをとっていくのは良いと思うんです。
キャラクターに寄り添うことで成り立つ映像がある
今回のムービーは、音楽を櫻木大悟さんが担当していますね。千葉さんが主演で、音楽が櫻木さんという組み合わせはかなり異色で面白いですが、オファーした背景について教えていただけますか。
僕はイギリスでの生活が長いのでUKのヒップホップが身近なんですが、あっちのラッパーって色々なジャンルを混ぜてやるんですよ。グライムのアーティストがガレージでラップしたり。日本ではそういうことができるアーティストって少ないんですが、千葉さんはそれができる存在だと思っていて。それもあって、今回は音楽にヒップホップを使いたくなかったんですよ。表現に幅が出なくなっちゃうというか。ハウスかテクノかジャングルかで迷って、最終的にはジャングルにすることになって。大悟とは過去にもコマーシャル用にジャングルを作ってもらったことがあったので、今回も一緒にやろうと。
音の仕上がりについては細かい指示を出されたんですか。
そうですね、構成の部分とか、ベースラインでメロディーを作って欲しいとか、かなり細かく指示しましたね。25時間をクイックに見せていくっていうテンポ感にフィットするものとして、ジャングルがハマるかなと。大悟は本当にセンスがあるし、もっと世間に知られて良い才能だと思ってるんで、そういう人を今回みたいな表舞台で起用するってことも自分がしていきたいことの1つですね。
なるほど。撮影や編集のスタイルに関しては、木村さんのなかで最近変化はありましたか。
僕はカット数が多いことで有名なんですが、最近は引き算ができるようになってきましたね。これまでは大量の素材を使って、削ぎ落としていって1つの映像にしていく作り方だったんですが、最近は撮影している時点で最終形がしっかり見えてきているので、最小限のカット数で構築できるようになったというか。まあでも、これって別に引き算でも何でもなくて、ただ単にレベルが上がっただけの話ですよね。引き算だろうが足し算だろうが、カッコよければなんでもいいので。経験値が上がってきて、これくらいの量があれば自分のやりたいことが成立するなっていうのがわかるようになってきたってことだと思います。
あと、テンポを遅くしても画を持たせられる力がついてきている気がします。これまではテンポよく飛ばしていかないと画がもたないと思っていたけど、今はロングだったりスローなカットを入れても見せられるものが作れるようになりましたね。
そういう変化やレベルアップをもたらしたきっかけのようなものはあったのでしょうか。
それは多分、キャラクターにちゃんと寄り添うようになってからだと思いますね。被写体としっかり寄り添うような演出への意識が最近より強くなっていて。そうすることで、見る側も感情移入しやすくなるんですよ。
完成形を浮かべながら最小限のカットで進めることができるようになったことで生まれた余裕が、キャラクターに寄り添うことを可能にした?
そうかもしれないですね。でも、自分の意識的には逆なんです。もっとちゃんとキャラクターを大事にして、寄り添わなきゃいけないって意識は、映画を撮ってから持つようになったことなんです。キャラクターというのは、ミュージシャンであり、役者さんであり、もしかしたらプロダクトでもあるわけですが、その心情に寄り添うことで、「見れる」画が撮れるんだなっていう手応えがあって。
否定することから進歩が生まれる
木村さんのこれまでの作品を見ていると、テーマや題材によってかなり幅のあるスタイルで撮っている印象なので、キャラクターに寄り添うということ自体が木村さんの作家性の根本とも言える気がしますね。
だとしたら、それは嬉しいですね。自分はキャパが狭い方なんで、広げすぎるとパンクしちゃう。だから自分ができる範囲内のことをやると、結構シンプルになる。でもそのシンプルな中にも、自分なりのこだわりがある。
世間的に僕の出世作って舐達麻の「BUDS MONTAGE」だと思うんですけど、あれもよく見ると特別なことはしていないんですよ。あれをみんながかっこいいと感じるのは、メンバーのキャラクター性や心情が見えてくるように撮れているからだと思うんですよね。
だから、僕の強みはキャラクターに嘘をつかないことと、それで生まれるリアリティ。余計なことはあんまりしないんで、テクノロジーもほとんど使ってこなかったんですが、最近は使おうと思い始めています。映像表現のあり方がフォーマット化されて均一化されていっているなかで、自分もそれに飲まれていっているなと感じていて。人間の表現の幅を広げてくれる存在としてのテクノロジーはすごく良いものだと思えるようになってきたんですよ。テクノロジーがあるから使うんじゃなくて、もっとこういう表現がしたいと思ったときに、テクノロジーを使うという考え方です。
とにかく、「きれいなものをきれいに撮る」みたいな表現は本当につまらないと思っていて。芸術って、普段あるものの価値観や見方を変えられるところが一番面白いと思うんです。「こういうふうに撮ったら実はめちゃくちゃかっこいい」とか、そういう新しい発見をさせてくれるものでなくてはだめだという考え方は昔から変わってないです。
だから、僕は基本的に「そんなのつまらない」って否定することから始めます。それが前進につながると思っているんです。受け手に対して「俺はこう思う」というのを率直に示すだけです。それに共感してくれる人がいたりいなかったりするのは当たり前で、大事なのはそれを説得するための技術であり、キャラクターの魅力を見せることなんです。
スポーツや学問の世界だって「俺の方が速い」「俺の研究のほうが優れている」って言いながら、ライバルを否定することで進歩していくじゃないですか。今の日本のクリエイティブ業界には「みんな仲良く」みたいな風潮があって、それじゃだめでしょって思いますね。
そういう風潮を促しているものは何なんでしょうか。
みんなネット社会を怖がっているんじゃないですかね。反応がすべて可視化されるから、嫌われることを極端に恐れる。でも、嫌われたって作品は作れるじゃないですか。写真を撮りたい、映画を撮りたいっていう気持ちから始まっているはずなんだから、ネットの反応なんて本来は気にしなくていいはずで。仕事がなくなったってシャッターは押せるわけですよ。干されたら他の仕事をしながら撮り続ければいいし、それで死ぬわけじゃない。それなのに、最近は無意識のレベルで同調圧力みたいなものが強くなっていて、クリエイターまでが忖度をするようになってきている。それは怖いことだと思いますね。
だから、こんな考え方の監督を起用してくれたオーディオテクニカさんにはリスペクトですよ。僕みたいな作家にリスペクトを示してくれたんだから、それはこっちもリスペクトを返さないとなって。
木村太一
1987年東京生まれ、ロンドン在住。
映画監督を目指し、12歳で単身渡英し映像制作を学ぶ。UKでは、The Chemical Brothers、CHASE & STATUS、国内では、King Gnu、ONE OK ROCK、舐達磨など国境を跨いで数々のアーティストのMV / ドキュメンタリーを手掛け、現代の日本を代表する映像作家として目を見張る活躍を見せている。近年では 国際的なミュージックビデオアワードUKMVA2022にてBEST DANCE / ELECTRONIC VIDEO部門ノミネート。
ドキュメンタリー作品も多数制作しており、2022年にはAmazon Prime Video 独占配信の長編ドキュメンタリー映画 「ELLEGARDEN : Lost & Found」を監督。
映画監督としては、2016年に自主制作した短編「LOST YOUTH」が映画作品として初めて BOILER ROOMで上映され、 デイビッド・リンチがオーナーのパリのプライベートクラブでも招待上映など、海外のメディアで高い評価を受けた。
2023年、自身初となる長編映画 「AFTERGLOWS」を公開。Asia film festival Barcelona 2024のオフィシャルセクションにおいて最優秀監督賞を受賞。
Photos:Wataru Yanase(UpperCrust)
Words & Edit:Kunihiro Miki