2024年10月19日と20日の2日間にわたって代官山エリア一帯で開催された「アジアのオルタナティヴ」をテーマとするフェス「DEFOAMAT」。アジア各国のアーティストやDJが熱演を繰り広げるなか、独創的な音世界を繰り広げて異彩を放っていたのが韓国からやってきたイナルチ(LEENALCHI)だった。

イナルチの土台となるのは、朝鮮半島の民俗芸能であるパンソリだ。パンソリは「ソリクン」と呼ばれる歌い手と太鼓奏者の「コス」が身振りを交えながら物語を語っていく口承叙事詩。韓国では伝統音楽全般を「国楽」と呼ぶが、パンソリは国楽のなかでも代表的な芸能といえる。3人のソリクンがフロントに立ち、バックを2人のベース奏者とドラムが支えるという編成からなるイナルチは、パンソリとディスコ〜ニューウェイヴを横断する唯一無二のスタイルを特徴としている。

リーダーはベースのチャン・ヨンギュ。1990年代にはエクスペリメンタルなポップバンド、オオブ・プロジェクト(UHUHBOO PROJECT)を結成してソウル・インディー・シーン黎明期で存在感を発揮し、舞台や映画作品にも多数参加。2018年に解散したオルタナティヴ民謡グループのシンシン(SsingSsing)でも活動してきた、韓国インディー・シーンのレジェンドのひとりだ。

アジアのインディーミュージックがさらなる盛り上がりを見せるなか、イナルチが目指している地平とは? 今回はリーダーのチャン・ヨンギュ、結成以来のメンバーであるヴォーカルのアン・イホを来日時にキャッチ。韓国インディー・シーン創世記の貴重なエピソードも飛び出すインタビューをお届けしよう。

1990年代ソウルインディーシーンと、国楽との出会い

ヨンギュさんのご出身はどちらなのでしょうか?

ヨンギュ:ソウルの弘大* です。45年ぐらい弘大に住んでいまして、数年前に他の場所に移りました。

初めてのめり込んだ音楽と楽器を手にしたきっかけを教えてください。

ヨンギュ:小学生のとき、サヌリム** の童謡アルバムが出まして、それがすごく好きだったんですよ。好きすぎて同級生とカバーバンドもやっていました。鍵盤ハーモニカとタンバリン、カスタネットという編成で(笑)。あとはクイーン(Queen)も好きでしたね。中学生になってから本格的に音楽を始めたくなってギター教室に通い始めました。僕が音楽を好きなことを知った兄が両親に「ヨンギュに楽器を買ってあげてよ」と言ってくれたみたいで、それでギターを買ってもらったんですよ。

*弘大:ホンデ。古くからユースカルチャーの発信地となってきたソウルの繁華街。弘益大学の学生街でもある
**サヌリム:70年代に結成された韓国を代表するロックバンド。ヴォーカル/ギターのキム・チャンワンはソロおよび自身のバンドを率いて活動中。文中の「童謡アルバム」とは1979年から1982年にかけてリリースされた3作品『개구장이(ケグジャンイ)』『산할아버지(サナラボジ)』『이게 웬 긴 꼬리냐(イゲ ウェン キン コリニャ)』のこと。

チャン・ヨンギュ
チャン・ヨンギュ

1994年にオオブ・プロジェクトを始めた経緯を教えてください。

ヨンギュ: 当時ソウルのアンダーグラウンドな文化がちょっとしたブームになりつつあったんですよ。それを主導していたのは音楽ではなく、アートやコンテンポラリーダンスの人たちでした。中心となっていたのは(現代アーティストである)チェ・ジョンファさんのような私よりも少し上の世代。私は弘大に住んでいたので、バーやカフェで行われるそういうイベントをよく観にいってたんです。

(オオブ・プロジェクトを一緒に始めた)ペク・ヒョンジンもアンダーグラウンド・シーンのイベントによく遊びに来ていたので、そこで知り合いました。ヒョンジンは浪人中だったのでそういうイベントに入り浸っていたんですけど、そのあと弘益大学に入学したんですよ。本格的に弘大の住人になったので、一緒にオオブ・プロジェクトを始めることになりました。当時は弘大だけでなく、新村や鍾路でもアンダーグラウンドなイベントをやっていて、同時多発的にシーンが盛り上がっていたんです。

オオブ・プロジェクトの1997年作『損益分岐点』

オオブ・プロジェクトを始める際、ペク・ヒョンジンさんとはどんなことをやろうとしていたのでしょうか。

ヨンギュ: 1990年代中盤の弘大では少しずつインディーバンドが増えつつあったのですが、ライヴハウスやクラブごとに音楽性がはっきりと分かれてたんですね。私たちはアートやダンスのシーンから刺激を受けていたので、ジャンルに関する固定概念がなかったんです。その意味でも当時の弘大のインディーバンドとは出発点から違っていたと思いますね。実際、初期のオオブ・プロジェクトはライヴハウスではほとんどライヴをやっていなくて、ギャラリーやアートスペースで演奏することが多かったんです。

韓国のメディアに掲載されていたヨンギュさんのインタヴューによると、オオブ・プロジェクトの初期メンバーであるウォン・イルさんとの出会いがきっかけとなって国楽に取り組むようになったそうですね。

ヨンギュ:そうですね。そのころウォン・イルさんが弘大にレコーディング・スタジオを作ったんですよ。彼は国楽を専門的に学んだ音楽家だったので、そのスタジオは国楽の演奏家と弘大のミュージシャンの溜まり場になっていたんです。私もそこで国楽の演奏家との付き合いが始まりました。そのスタジオでは『도시락특공대(弁当特攻隊)』というコンピレーション・アルバムが録音されて、1997年にリリースされました。私やウォン・イルも参加しましたし、キム・チャンワンさんやカン・サネさん、ピピロンストッキング、ファン・ボリョンの楽曲も収録されていました。

도시락특공대(弁当特攻隊)

国楽についてはそれ以前から知識があったんでしょうか?

ヨンギュ:いや、まったく知りませんでした。当時の弘大は同じようなジャンルのバンドばかりでおもしろくないと思っていたので、新鮮な響きの楽器が何かないかなと探していたんですよ。そんなときに国楽と出会い、さまざまな伝統楽器のことを知りました。それから国楽について関心を持つようになりました。

異色の楽器編成で奏でるパンソリ、その背景

なるほど。では、イホさんはイナルチに参加する前はどういうことを学び、どのような活動をしてきたのでしょうか。

イホ:私は高校生のときにパンソリを習い始めました。パンソリには5つの演目があるんですけど、それを覚えることを目標として勉強していました。大学に進学後、イ・テウォンさんという国楽の作曲家の方が作った楽曲を演奏するチームに入りまして、歌を任されることになりました。私はそれまでパンソリ一筋だったので、パンソリ以外のものをそこで初めて歌ったんですよ。そこで歌うことのおもしろさを知りました。イ・テウォンさんの結婚式でも歌う機会があって、ヨンギュさんもその結婚式に参列していて知り合いました。

あと、自分にとっては現代舞踊家のアン・ウンミさんの舞台作品に参加したことも大きかったんです。ヨンギュさんが音楽監督を務めて、韓国の伝統声楽家5人が出演しました。そのうちのひとりとして私も参加しましたし、イ・ヒムンさん* もいました。今はHAEPAARY(ヘパリ)というグループをやってるパク・ミンヒもいましたね。その作品に参加したことで、それまで縛られていたものから解放されたんです。

*イ・ヒムン:京畿民謡歌手。シンシンのヴォーカリストとして広くその名を知られるようになり、近年もOBSGなど複数のプロジェクトで活動を展開している。

アン・イホ
アン・イホ

ヨンギュ:アン・ウンミさんの作品では5人の歌い手がいて、そのうちパンソリが3人、民謡が1人、正歌 (チョンガ)が1人という編成でした。いわば韓国の伝統声楽でもっとも有名な3つのジャンルの歌い手が揃っていたんです。当時の私はあくまでも音/音楽として3つのジャンルに触れていたんですが、作業が終わったあと、より深く国楽について考える必要を感じるようになりました。そのあとビビン(Be-Being)、シンシンというグループをやったんですが、パンソリを通して新しい表現を生み出すことは可能か、ひとりで考えるようになりました。それでイナルチを始めたんですよ。

2017年、シンシンがNPRの人気企画「Tiny Desk Concert」に出演した際の動画。アジア人として初の出演だった
韓国観光会社が2020年に制作したイナルチとアンビギュアス・ダンス・カンパニーのコラボ動画。これまでに5000万回以上再生されている

それが2019年のことですよね。バンド名は李氏朝鮮時代後期のパンソリのソリクン、李捺治(イ・ナルチ)に由来しているそうですが、なぜこのバンド名にしたのでしょうか?

ヨンギュ:バンドの名前を決めるのはいつも大変なんですよ。メンバーのあいだでもいろいろなアイデアを出してもらったんですけど、それでも決まらなくて。いろいろ調べていたら李捺治という人に行き当たりました。パンソリをやっている人なら誰でも知ってるような名前ではないですし、国楽の教科書に少し名前が乗ってるぐらいの人なんですが、名前の響きにピンときて。それでイナルチというバンド名になりました。

ヨンギュさんから見たパンソリの魅力とは何でしょうか。

ヨンギュ:なかなか言葉にするのは難しいのですが、パンソリはそもそも音楽ではなくて、物語をどうやっておもしろく伝えることができるのか、言葉を駆使する表現なんですね。そこにパンソリのおもしろさがあると思いますし、イナルチでもそこを追求したいと思っています。

韓国国立国楽院のYouTubeアカウントで公開されているパンソリのパフォーマンス動画

イナルチはダブルベースかつギターレスという変則的な編成をとっていますが、その理由を教えてください。

ヨンギュ:パンソリはソリクンとコスという2人だけで演じられるんですが、和声ではなくリズムが重要なのです。だから、イナルチを始めるときも和声的な要素は極力排除するのが理想だと感じていました。ベースにもメロディーはありますが、基本的にはリズム楽器だけで構成したいと思っていたんですよ。

イホさんはそれまでとは違うスタイルでパンソリを歌うようになったわけですが、違和感のようなものは感じませんでしたか?

イホ:最初は葛藤もあったし、難しく感じたところもありました。実際のところ、イナルチがやってるのはパンソリではありません。ただし、イナルチというバンドのなかで私がやらなくてはいけないのはパンソリだとも思っています。最初は普段やっていることとの違いを過度に意識していたんですが、ある時期からは聞こえてくる音を楽しみ、そこから出てくる自分の声に忠実にやっていけばいいんだと考えるようになりました。迷いがなくなり、楽になったんですよ。

昨日の「DEFOAMAT」でのライヴでフロントに立って歌っていたチョン・ヒョジョンさんとチェ・スインさんもパンソリを専門的に学んできたんですか?

ヨンギュ:そうです、二人ともパンソリの専門家です。

現体制で2024年11月17日に発表したライブビデオ

歴史を尊びながら親しみやすく。伝統音楽との現代的な向き合い方

ライヴを見て感じたのですが、3人が物語を語り、バックでヨンギュさんたちが支えるというイナルチのスタイルは、通常のバンドにおけるヴォーカリストとミュージシャンの関係とはだいぶ違うものですよね。

ヨンギュ:そうですね。そもそもベース2人とドラム1人で音楽を作るということ自体が通常のバンドとは違いますしね(笑)。ヴォーカリストとの関係性も含め、バンドの形については確かにすごく考えましたし、試行錯誤をしてきました。そこに一番の時間をかけたかもしれない。

イホ:普通のバンドみたいに伴奏の上に歌が乗っているようなものではないですよね。通常のバンドがローラーコースターのようなものだとすれば、イナルチはお化け屋敷みたいなものかもしれません(笑)。

新曲「Look At Me Look At Me」のオフィシャルMV

韓国ではいわゆるフュージョン国楽* と呼ばれるグループやアーティストが数多く活動していますが、そうした動きについては率直なところ、どう思いますか。

ヨンギュ:イナルチはフュージョン国楽のひとつに含まれてほしくないです(笑)。

もちろん僕も含まれているとは思っていないですよ(笑)。

ヨンギュ:それはよかったです(笑)。伝統音楽を学んだ演奏家が音楽を仕事にしようと思うと、どうしてもフュージョン国楽の方面にいってしまうんですよね。そもそもフュージョン国楽自体、明確なアイデンティティーが定義されているわけではないですし、曖昧なジャンルなんですよね。音楽的なヴィジョンやテーマがあってやっているというより、受動的にそちらに向かってしまうというか。伝統音楽自体、韓国社会のなかではそこまで尊重されていないので、ポピュラーミュージック的なものとの接点を求めるなかで、仕方なくフュージョン国楽的なものをやってる演奏家も少なくないと思います。

*フュージョン国楽:韓国の伝統楽器や伝統芸能の要素と現代のポピュラーミュージックを融合させたスタイル


その流れであえてお聞きしたいのですが、イナルチが今、パンソリという「伝統的」なモチーフに取り組む意義はどのようなところにあるのでしょうか。

ヨンギュ:自分たちとしてはパンソリの未来像を探るような大それた思いがあるわけではないんですよ。ただ、パンソリがテーマの中心にあるバンドをやっている以上、パンソリの歴史を汚すようなことはやりたくない。パンソリは韓国でも難解でとっつきにくいイメージを持たれがちなんですけど、かつては庶民のあいだで親しまれていたポピュラーな芸能でもあったわけですし、現代でも親しみやすいものを作れると思っているんです。

イホ:たとえ古典的なテーマを扱ったパンソリだとしても、普遍的なおもしろさを持ったものを作れると思うんですよ。パンソリにはそれだけの魅力がありますしね。

イナルチ

今後の活動について何か決まっていることがあれば教えてください。

ヨンギュ:結成以来のメンバーは私とイホだけで、あとは新しいメンバーとやっているんですが、まだフォーマットとして完成されていないんですよね。だからこそ、今後も活動を続けるなかでバンドの形はどんどん変わっていくと思います。ここからはシングルを続けて出していく予定で、来年中にはアルバムを出せたらいいなと考えています。

イホ:イナルチのグループチャットがあるんですけど、つい最近、その名前が「Brand new Leenalchi」になったんです(笑)。近いうちに新しいイナルチの形をお見せできるのではないかと思います。

イナルチ

イナルチ

韓国の口承伝統芸能、パンソリの詩節を歌うオルタナティブ・ポップ・バンド。ソロ・合唱・ラップ・ダンスを通して物語を伝える3人の歌い手と2人のベーシストとドラマーの6人で構成されており、バックのビートとベースは80年代のニューウェーブからインスピレーションを受けながら、様々な音楽的要素を再構築し独自のサウンドを創り上げている。現存するパンソリの5つの演目の一つ「水宮歌(スグンガ)」を題材とした1stフルアルバム『SUGUNGGA』(2020) は第18回韓国大衆音楽賞で「今年のミュージシャン賞」「ベスト・モダン・ロック・ソング賞」など3部門を受賞した。2023年現在、既存のパンソリの演目ではなく、オリジナルのストーリーに基づいた2ndアルバムのリリースを準備中。リーダーでベーシスト兼プロデューサーのチャン・ヨンギュは、オオブ・プロジェクトやシンシンといったバンドでの活動の他、韓国映画音楽の第一人者としても知られている。

Photos:Manabu Morooka
Words:Hajime Oishi
Edit:Kunihiro Miki

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