中古レコード店Face Recordsの歴史の幕が上がったのは1994年。 CDの登場からおよそ10年が経過し、MDも台頭してきた、音楽メディアが盛り上がりを見せた時代だった。

その事業はアメリカやヨーロッパから仕入れたレコードの通信販売から始まり、そして1996年、当時多くの名店が軒を連ねたレコードの聖地、渋谷区宇田川町に実店舗「Face Records」をオープン。 その後は下北沢に「General Record Store」を開店し、渋谷のミヤシタパーク、札幌のステラプレイス、京都の高島屋S.C.、ニューヨークのブルックリン、そして名古屋の中日ビルにも店舗を展開。 今日もレコード文化を発信し続けているのだ。

Always Listeningでは毎月、Face Recordsからのおすすめレコード情報をお届けしている。 今回は特別編として、創業からこれまでの30年を振り返って選んだ特に印象深いレコードを、エピソードと共に代表取締役社長の武井進一さんにご紹介いただく。

Face Recordsの30年、武井社長の30年

僕はもともとパンクそして、SKAとかレゲエとかR&Bや初期ソウルが好きで、SKAやレゲエはソウルやジャズのカバーが非常に沢山あって、そこから先輩のDJなどにソウルやジャズを教えてもらい、そっちの方へ深入りしていった感じなんです。

Face Recordsは今年で30年になるんですが、本当はレゲエのレコード店を開きたかったんです。 でも、同じ時期に先輩がレゲエのレコード店を開きまして、先輩とは商売敵になるのが嫌だったのでレゲエは扱わずにレコード店を開くことにしました。 だからソウルやジャズを勉強して扱うようになったんです。

この30年を振り返ってみて、これまで扱ってきたソウルやジャズのレコードを中心に特に印象深い音楽を何曲か選んでみました。

Donald Byrd「Dominoes」(1975年)

Donald Byrd「Dominoes」(1975年)

ソウルとジャズのレコード店をやってたら必ず扱うレコードがこれでしょうね。 これまで一番売ったレコードかもしれない。 一番たくさん扱ったレコードはこれか、ロイ・エアーズ(Roy Ayers)のどちらかかも。 ジャケットのセンスがいいんですよね。 アシッド・ジャズの魅力のひとつにBlue Note Recordsのジャケットへのオマージュがあります。 リード・マイルス(Reid Miles)のジャケットデザインとBlue Noteの音源、さらにそれをオマージュしたアシッドジャズに衝撃を受けました。 ジャケットデザインで使われているテキストデザインやフォントが特に好きなんです。

アメリカの音楽制作チーム、マイゼル・ブラザース(Mizell Brothers)がプロデュースしたレコードもかなり扱いました。 ドナルド・バード(Donald Byrd)のこの作品も弟のラリー・マイゼル(Larry Mizell)がプロデュースした作品です。 ボビー・ハンフリー(Bobbi Humphrey)やテイスト・オブ・ハニー(A Taste Of Honey)、ランス・アレン・グループ(The Rance Allen Group)など、ドナルド・バードの「Dominoes」、「Wind Parade」も手掛けています。

Face Recordsの商売は本当にラリー・マイゼルに助けられたと言っても過言ではないですね(笑)。 いいソウルだと思うとだいたいラリー・マイゼルのプロデュースだったりします。 ゲイリー・バーツ(Gary Bartz)のアルバム『Music Is My Sanctuary』もラリー・マイゼルですが、その中の「Music Is My Sanctuary」「Carnival De L’Esprit」はアシッドジャズが流行ったイギリス、ヨーロッパ、日本ではDJが好んでかけていました。

Roy Ayers Ubiquity「Everybody Loves The Sunshine」(1976年)

Roy Ayers Ubiquity「Everybody Loves The Sunshine」(1976年)

レアグルーヴクラシックと言っても良い1曲で、これもこれまで数えられないくらいの枚数を扱いました。 アメリカのカマラ・ハリス副大統領がワシントンD.C.のとあるレコード店を訪れて、このレコードを買う有名な動画があります。 カマラ副大統領が大好きになるくらいの名盤です。
ランプ(RAMP)というジャズ・ファンクのグループがいて、彼らもこの曲をカバーしてますが、当初はそちらのレコードの方が人気でした。

John Klemmer「Free Soul」(1969年)

John Klemmer「Free Soul」(1969年)

1991年、Argo / Cadet Recordsのコンピレーションアルバム『Free Soul – Essential Argo / Cadet Grooves Vol. 3』のタイトル曲です。 この曲がかっこいいと思っていたら、同時期に橋本徹(SUBURBIA)さんが主宰されたコンピレーションCD『Free Soul』や音楽紹介誌『Suburbia Suite』が人気を集めるようになりました。 音楽ジャンルとしても確立された ”Free Soul” というネーミングの引用元はこの曲だと思います。

当時からものすごく人気のあるレコードで、沢山扱った思い出があります。 ジョン・クレマー(John Klemmer)は白人でロックのエッセンスが入ったソウルジャズが得意で、ジャケットもサイケっぽいデザインがかっこいいし、思い出の1曲です。

Webster Lewis「EL BOBO」(1981年)

Webster Lewis「EL BOBO」(1981年)

この曲はアシッドジャズとして有名な曲ですが、アシッドジャズの由来についてお話しします。

1980年代、アシッドジャズが流行る少し前にアシッドハウス、幻覚作用を思わせるようはテクノサウンドが流行っていました。 イギリスの海賊ラジオでは同様の作用を連想させるサウンドとして、日本のジャズやフュージョンを掛けてめちゃくちゃウケていたんです。 その後、DJのノーマン・ジェイ(Norman Jay)などがイギリスのクラブシーンでジャズ・ファンクの影響を受けた音楽ジャンルを「アシッドジャズ」として広めていったんですが、そのシーンでよくかけられていたのがこの曲と日野皓正の「Merry-Go-Round」でした。

Kyoto Jazz Massiveの沖野修也さんとも「もはや、アシッドジャズとは何なのか?ということを説明出来る人が少ないね」と話したことがあります。 ジャズももともとは踊るための音楽だったんですが、モダンジャズになって座って聴く音楽になっていったんです。 アシッドジャズは踊れるジャズのリバイバルなんです。

アシッドジャズを日本で広めていったのが、東はU.F.O.(United Future Organization)であり、西は沖野さん兄弟のKyoto Jazz Massiveでした。 自分が20歳そこそこだったころ、沖野さん兄弟はKyoto Jazz Massiveで活躍していてあこがれの存在だったんです。 何年か経ってロンドンにレコードを買い付けに行くようになって、沖野好洋さんと知り合いました。

アシッドジャズは我々世代の青春なんです。 アシッドジャズが音楽のスタートだったという人は結構いると思います。

James Mason「Sweet Power of Your Embrace」(1977年)

James Mason「Sweet Power of Your Embrace」(1977年)

70年代中期~後半のフュージョン、ジャズファンクのあたりのレコードは本当に沢山扱いました。 その流れでこのジェームズ・メイソン(James Mason)と出会って衝撃を受けたんです。

ラリー・マイゼル(Larry Mizell)のプロデュース作品とか、こういうフュージョン、ジャズファンクのグルーヴィな音楽ってイギリス人は大好きなんですよ。 アシッドジャズに行くまでのロンドンのクラブシーンでかっこいいDJ達がかけていた音楽です。 イギリスの友達から聞いたり先輩から教えてもらったりして、若い人が気に入ってレコードを買っていくなどして広まりました。

90年代に70年代のソウルとかジャズファンクをイギリスの小さいコミュニティーの中で有名なDJ、ジャイルス・ピーターソン(Gilles Peterson)やボブ・ジョーンズ(Bob Jones)などが取り上げてかけていました。 そんな人たちがかっこいいと認めてかけてきた音楽がレアグルーヴと呼ばれたりしてきたんです。 とにかくこういうのはイギリス人が大好きな感じです。

このレコード、イギリス人が掘り当てて、中古市場ではかなりプレミア価格で売れたけど、その当時のアメリカではほとんど売れていませんでした。 イギリスのDJ達がみんな欲しがるようになって、レコード店が沢山仕入れるようになった結果、値段がどんどん高くなったんです。 僕はイギリス経由で、イギリス人の感性を通してアメリカのソウル、ジャズファンクを聴いてきましたね。

ジェームズ・メイソン(James Mason)がいたのがChiaroscuro Records(キアロスクーロ・レコード)というアメリカ東海岸のレーベルです。 ジャズピアニスト、メアリー・ルー・ウィリアムス(Mary Lou Williams)の『From The Heart』などもChiaroscuro Recordsから出ました。 最初は古いジャズを出していたけど途中からフュージョンを出すようになって、1976年にタリカ・ブルー(Tarika Blue)がアルバムを出して、1977年にジェームズ・メイソンが本作品を出しました。 タリカ・ブルーには日本のジャズギタリスト、川崎遼が参加しています。

これは当時から珍しいレコードで、光沢が無いジャケットがオリジナル盤。 なのでオリジナル盤は汚れたり破損しているものが多いですね。 アメリカって、東海岸で出たレコードは東海岸でしか見つからないんです。 僕は買い付けは西海岸ばかり行っていたのでイギリスから仕入れていました。 内容も素晴らしいし、プレス枚数も少なく、崇高な感じがします。 30年前、はじめてDJのMUROさんに会った時、このレコードを見せたらもう持っていて、驚いたことを思い出します。 この人は違うなと思いました。

後編に続く。

武井進一

武井進一

1994年、24歳で中古レコードの通信販売を個人でスタート。 1996年、渋谷に中古レコード店Face Records1号店をオープン。 2001年に法人化し、2016年からFTF(エフティエフ)株式会社に商号を変更。 2018年にはニューヨークに出店。 国内でも2023年以降、札幌、名古屋、京都に店舗を展開。 好きなジャンルはレゲエとジャズ。 2024年6月に創業30周年を迎えた。

Face Records

Face Records

”MUSIC GO ROUND 音楽は巡る” という指針を掲げ、国内外で集めた名盤レコードからコレクターが探しているレアアイテムまで、様々なジャンル/ラインナップをセレクトし、販売/買取展開している中古盤中心のアナログレコード専門店。 1994年に創業し、現在は東京都内に3店舗、札幌、名古屋、京都に各1店舗、ニューヨークに1店舗を展開。 廃棄レコードゼロを目指した買取サービスも行っている。

HP

Words: Shinichi Takei
Words: Takayuki Ai & May Mochizuki