ロサンゼルス在住の日本人シンガーソングライターyoheiの2ndアルバム、という触れ込みでリリースされた『Echo You Know』は、久保田麻琴をして「魅惑のハイトーンボイスと哀愁ダスティーリズム。 LAからの音のポストカード。 yohei君にビーチボーイズのプロデュースさせたい。 」と言わせ、小山田圭吾や藤原さくら、安部勇磨も絶賛の声を寄せている。 加えて、参加プレーヤーには、ネルス・クライン(Nels Cline、Wilco)、レオナルド・マルケス(Leonardo Marques)、ジェイ・ベルローズ(Jay Bellerose)が参加とある。 yoheiとは一体誰なのか。
そんなレジェンド達が注目する音楽のサブテキストとするべく、ロサンゼルスの自宅に居る彼にインタビューした。
自分が聴きたいものがなかったら作る。 日本からロサンゼルスへ。
アメリカに行かれた経緯から伺えますか?
僕は今45歳なんですけど、大学に留学という形でアメリカに来たんですね。 1997年の夏です。 そのときはウエストバージニアっていうところで2年ぐらい暮らして、学校に行って、それからテネシー州ナッシュビルに転校して、卒業してからロサンゼルスへ移ったんです。 元々僕はレコードが大好きだったんで、再発レーベルをやりたかったんですよ。 ロサンゼルスに引っ越してきたのも、Rhino Records(ライノ・レコード)でインターンシップをやる機会があったからです。 インターンシップを始めて少ししたら、働かないかと誘ってもらえたんですが、Rhino自体がワーナー・ブラザースに買収されてしまって、この仕事を始める前にクビになっちゃったんです。
すごいタイミングですね。
ええ。 元々Rhinoは結構大きな会社だったんですが、僕の印象だとかなり大事な人以外全員クビになって、3分の1以下のこじんまりした会社になった記憶があります。 それでも、ロサンゼルスに居座ってしまい、高校卒業後にアメリカに行ってそのままずっとです。 もうこっちで暮らしてる方が長いですね。
音楽活動はいつから始めたのですか?
高校の頃からギターを弾いてコピーバンドみたいなことはやっていたんですけど、基本的にはレコードを聴くのが好きだったんです。 こっちに引っ越してきて、曲を作ったりもするようになって、自分のレコードを作りたくなったんです。 自分が聴きたいのがなかったら作るか、みたいな感じなんですけど。 やっていく内に、録音とか、音楽制作全体に興味が出てきて、全部やってみたくなったんですよ。
当時からレコードはいろいろ買われてましたか?
僕がナッシュビルに引っ越したのって90年代終わりから2000年ぐらいですけど、その頃って再発CDがいっぱい出てきて、レコードを買い換える時期だったんだと思うんです。 せっかくCDで良い音で聴けるからCDに買い換えるみたいな感じで、いろんな往年のロックとかがバンバン売ってたんですよ。 本当に二束三文で売られてたんです。 でも、ここ10年ぐらいで高くなってきましたね。
いまは逆にCDが底値になって、CDを漁ってる人もいますよね。
本当にその通りで、場所があったらCDも買っときたいなと思うんです。 ボックスセットとかにある資料的なものって、なかなかネットで探してもそんなに出てこないそうですからね。
いつも冗談みたいに言うんですけど、音楽業界でお金を儲けること以外はたぶん全部やってます(笑)
普段、音楽と別の仕事をされているのですか?
音楽業界でずっと働いていて、フリーランスなんでいろんなことをやってるんです。 ミックスの仕事とか、そんな数はないですけど人のプロデュースもします。 この前のブレイク(・ミルズ)で日本に行ったり、斉藤和義さんのツアーに参加したように、楽器のお世話をする仕事でツアースタッフとして一緒に付いていくのもありますね。 人のバンドでギター弾いたり、ピアノ弾いてツアーすることもあるし、自分の演奏で行くときもあります。
プロデュースからエンジニア的なことやローディーのようなことまで、何でもこなすんですね。
いつも冗談みたいに言うんですけど、音楽業界でお金を儲けること以外はたぶん全部やってます(笑)。
(笑)。 ずっとアメリカにいる理由は何だったのでしょうか?
一旦こっちに住んでみたら住み心地が良かったんですよ。 15年ぐらい前に結婚して妻がアメリカ人でグリーンカードが出て、アメリカ国内でも仕事ができるようになったのもありますね。
ロサンゼルスにあるネットラジオのdublabとは個人的に繋がりがあって、そのコミュニティを見ていると、生活の中に自然に音楽があって、プロフェッショナルになることだけがゴールではない価値観があるように感じます。 みんな音楽やってるけど、この人どうやって食べているのだろうと思うこともあります(笑)。
すごく言ってる意味はわかります。 どうなってんだろうって思うのは僕も同じです。 人それぞれで、例えば実家が余裕がある人とかも多いし、ブレッドウィナー(breadwinner)って英語で言うんですが収入は奥さんが持ってくるという家庭も多いですし、僕もツアーの間はうちを空けることになるんで、妻とうまく共存するのも仕事の一部ではありますね。
あと、dublabはドネーション(寄付)で成り立っていますが、エンターテイメントにお金を払うというより、音楽や文化をサポートするためにお金を払うということが、なかなか日本だと浸透しづらいと感じます。
それって、やっぱりチップ文化があるんじゃないかなって思うんですよ。 レストランで食べたらチップを置くから、ミュージシャンもバーとかで演奏していたら投げ銭の小瓶を置いている。 僕もBandcampでレコードやカセット、音源データを売ったりすると、ずっと何度も同じのを買ってくれる人がいらっしゃるんですよね。 それは多分その人なりのドネーションなんだと思うんです。 大金を送ってくるわけじゃないですけど、例えば新曲を出して1ドルですって書くと、10ドルぐらい送ってくれる。 楽しんだ分を還元するみたいなのはあるのかもしれないですね。 それも多分ジャンルで違うとは思うんです。 テイラー・スウィフト(Taylor Swift)がいる世界やヒップホップでは、ビジネスのストラクチャー自体が違うと思います。
それは、アメリカにいる方がよりはっきり分かることでしょうね。
そうかもしれないですね。 僕はローディー仕事みたいなのも10年以上やって、いろんなアーティストとやってるんですけど、ヒップホップやポップ・ミュージックの世界から話が来たことは一度もないですね。 僕はインディーロックの世界の人ってところにいて、全く別社会があると思うんです。
インディーロックの世界はインディーロックの世界でちゃんと成り立つようにしていったわけですよね。
インディーロックからメジャーレーベルに行く動きが2000年代頭ぐらいにありましたよね。 それがなくなっちゃってからは、もう群雄割拠というか、なるようになるというか、みんななんとかサヴァイヴしてる感じがあります。 売れてる人たちも、ツアーするのは結構大変みたいで、今はすごい変化の時期でどんどん変わっていっている印象はありますね。
やりたいことが、それなりに自分で納得いくものができる。 こんなにいいことはないっていう感じですね。
その変化とは具体的には?
CDとか音源で稼ぐっていう習慣が終わってから、もう10年以上経って、ツアーで物販でやっていくのでしばらく回ってて、でも最近は物価の高騰があまりにひどくて、インディーの人たちでもツアーで儲けを出すのがかなり大変らしいんですね。 そこそこの中堅アーティストはツアーで稼ぐっていう風になってるけど、それも変わっていく日は近いような気はするんです。 ものすごく大きなアーティストが、資本を投入して大きなコンサートやるのにお金が集中しちゃってるイメージはあります。 僕は、ロバート・プラント(Robert Plant)とか割と年齢の行ってるアーティストと仕事することが多くて、そういう人は、ある程度、顧客が安定しているというのはありますね。
いろいろリアルに見られていますね。
儲けないっていうスタンスでやってきてるんで、儲けてる人たちのことはよく分からないです(笑)。 本当に皆んな、どうやってやってんだろうって思うし、なんとか食おうって四苦八苦している印象はすごくあります。 その点、僕は演奏や音楽を作るだけじゃなくて、ローディーとか、楽器の修理もするんで、別の収入が僕の場合はたまたまあったんです。 例えばこれが、僕がそこそこの動員があるインディーアーティストで、ツアーして、 300人、400人みたいなところで、自分でバンを運転して回るみたいなことをずっとやってたら、多分もう行き詰まってたと思うんですよ。
なるほど。
だから、僕はたまたま、こう客観的に気楽に人間観察をしてるところはあるかもしれないです。
逆に言えば、自分がやりたい音楽を本当に続けていくにはいいやり方ですよね。
その通りです。 作曲仕事とか、若い頃はあんまり自分が得意じゃないことも一生懸命やってたんですよ。 例えば、この人のこれっぽいやつを作ってくれって言われたり。 映画を作る人がオリジナル曲が高くて使えない時に使うみたいな仕事って結構あって。 ライブラリーって言うんですけど、そういう作曲仕事はやってる人がすごく多いんです。 僕も若い頃ずっとやったし、最近も何度かやっては、やっぱり向いてないなって思ってやめるっていうのを繰り返してて。 もういいですね、僕に向いてないのはわかりました。
そういう仕事をしつつ、今回のアルバム『Echo You Know』のように、自分の音楽を作っていくことは継続できたわけですね。
そうです。 その点においては僕はいま文句なしというか、やりたいことが、それなりに自分で納得いくものができてます。 時代が進んで、自宅でレコーディングできるようになったのも、僕にとっては、本当にこんなにいいことはないっていう感じですね。
作んなかったら何していいかわかんないみたいなところがあるかもしれないです。 他に趣味もないですし。
『Echo You Know』も自宅で作られたのですか?
全部自宅で、基本的にはほぼほぼ全部、演奏、エンジニアリング、ミックスまで自分でやってて、必要な時とか、たまたま一緒にやりたいなと思った人が身近にいたら、一緒に誘ってやってるっていうやり方です。
例えば、ネルス・クラインの参加は?
ネルスさんはすごい古い友達で、奥さんの本田ゆかさんはもっと古い友達なんです。 今はニューヨークに引っ越しましたが、ロサンゼルスに住んでたんで仲良くなったっていうのはあるかもしれないですね。 ツアーでロサンゼルスに帰ってきてたんで、もしよかったらうちでギター弾いてくれないって言ったら、来てくれて、 ギターぱっと弾いて、ご飯食べて帰りました(笑)。
もうそれでOKなんですね。
はい、大体そうですね。 事務所通してくれみたいなのは、ほとんど聞いたことないですね。 日本のアーティストとちょっと話をすると、 間に人が入ることが結構多くて、割とびっくりすることはあります。
普段から、日常的に音作りはやってますか?
もうずっとやってますね。
それはアルバムを作るという目的があるからではなくて?
関係ないですね。 作らなかったら何していいかわかんないみたいなところがあるかもしれないです。 他に趣味もないですし。 もうレコード聴くか、レコード作ってるか、です(笑)。
『Echo You Know』はボーカルが入ってて、その前の『instrumentals / 2022』はインストでしたよね。
ええ、インストに関しては、いわゆるアバンギャルドみたいなのが大好きなんです。 20世紀クラシックみたいなものとか、電子音楽。 ジョン・ケージ(John Cage)、モートン・サボトニック(Morton Subotnick)とか、アブストラクトなものが大好きで、それを色々作るっていうのもライフワークじゃないですけどあって、いつも作っているんです。
岡田拓郎さんに似てますね。 岡田さんも歌ものもちゃんとできるけど、アバンギャルドなギターも大好きですし。
そうなんです。 そこらへんはもうすごい気が合って、ビーチボーイズ(The Beach Boys)の話をした後に、シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)の話をする。 そこは多分僕も拓郎くんも同じ目線で見てるっていうか、全部同じぐらい楽しいって思うんです。
音を出せるところに引っ越すのが、多分一番大事だと僕は思います。
自宅で一通りの録音作業をしたいというのは昔からあったのですか?
自分で音楽作り始めた時から、自分で自宅でレコード作りたいってのがすごくありましたね。 ハナレグミの宅録のCD(『帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。 』)をたまたま買って、あ、これだったら自分もできるって思ったんですよ。 できるってちょっと失礼ですけど、自宅でこれだけの音で作れるんだったら、 もしかしたらできんじゃないかって思ったんです。 で、どうやったらできるのかって勉強して、2005年ぐらいに自宅で録音できる環境を作ってからも、できる範囲でアップグレードしていってます。
これから自宅で音作りをやろうと思っている人がいたら、何をアドバイスしますか?
音を出せるところに引っ越すのが、多分一番大事だと僕は思います。 ずっとヘッドホンでやってたら、あんまり楽しくないじゃないですか。 だから音を出せる環境に引っ越せるのであれば、そこがやっぱりいいお金の使い方なんじゃないかなって思います。
今住まわれてるところは一軒家ですか?
一軒家なんですけど、すごく小さいところなんで、庭で録ってるんです。 『Echo You Know』も全部庭です。 僕のやってる音楽は音が小さいですし、周りも静かなとこで、あんまり文句を言われたりしたこともないです。
外の環境音も入ってしまいますよね。
めちゃくちゃ入ってますね。 もう諦めました。 それはもうしょうがないと思って。
でも、そういう録音も含めて魅力になっていると思います。
それが、個性みたいになってたらいいかなと思うのはありますね。 今はお金を貯めて、ちゃんとしたスタジオで作ってもみたいです。 プロデューサーを立ててやってみたいんですよ。 人のプロデュースで自分の音楽を作ったことが一度もないんで。
委ねたいプロデューサーは具体的にいますか?
ジョー・ヘンリー(Joe Henry)ですね。 知り合いですけど、いつかお金貯めて頼みたいというのはありますね。 あと、T・ボーン・バーネット(T Bone Burnett)も。 そういう、生音のふくよかな音でいいエンジニアで録ってみたいってのはあります。
細野さんとは結構仲良くさせてもらってて、本当の音楽好きなんだなと。
一番好きだった音楽家は誰ですか?
ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)ですね。 あと細野さん。
細野さんについて、具体的に訊かせてください。
はっぴぃえんどが大好きだったんです。 高校生の時ですね。 それから年をとって、いろんな音楽を掘っていくうちに、どこ掘っても、細野晴臣という名前が出てくる。 僕が興味あること全部にどっかで細野さんが関わっているんです。
『HOSONO HOUSE』も宅録ですしね。
そうなんですよ、それも多分どっかにあったんだと思うんです。 やってみたいっていうのが。 実は僕、細野さんとは結構仲良くさせてもらってて、アメリカにいらした時、よく一緒にご飯食べたり、遊んだりするんですけど、とにかく音楽が大好きで、 車の中で音楽聴いていても、「これ、なんかのベースなんだよね」みたいな話が出てきて、いつも音楽をこうやって聴いているんだなと思って感激しましたね。 本当の音楽好きなんだなと。
『Echo You Know』にコメントを寄せていた久保田麻琴さんとは?
若い頃から夕焼け楽団の大ファンで、Instagramで久保田さん見かけたのでメッセージ送ってみたんですよ。 そうしたら、速攻で返事が来て、多分僕と同じぐらい気楽な人で、その場で電話もかかってきました。 この前も「絶対気が合う人いるから」って突然繋げてくれて、話したこともない人と話すことになったんですが本当に気があって。 そのフットワークの軽さに感銘を受けましたし、本当に憧れましたね。 僕もこういう風に軽くなろうって思いました。
日本でライヴの予定はありますか?
『Echo You Know』を出したときに東京でレコ発をやる予定だったんですが、発売が押してしまって出来なかったんです。 だから、改めてできないかなと思っています。 あと、話そうと思って忘れていたんですが、僕がずっと使っているのが、『ATM25』というオーディオテクニカのマイクなんです。 バスドラとか録るマイクなんですけど、僕がスタジオで仕事を始めた頃に、 ヒューゴ・ニコルソン(Hugo Nicolson)っていうイギリス人のエンジニアの手伝いをしたんです。 確か『オーシャンズ13』のサントラを録ってる時でした。 彼はこのマイクだけ持ってきて、「キックはこれじゃなきゃダメなんだ」って言ってました。 彼が録ったレディオヘッド(Radiohead)の『In Rainbows』なんかも多分これです。 これだけを手持ちで来たので、じゃあ自分も使おうと思って、それ以来もうずっと20年近く愛用してるんです。
鹿野洋平
aka yohei
東京都出身 現在ロサンゼルスを拠点に活動する作曲家、プロデューサー
1979年、東京都生まれ。 ザ・ビーチボーイズに心酔する幼少期を過ごす。 中古レコード屋で未知の音楽に触れる喜びを知り、レコードをひたすら聴き続ける高校時代を送る。 卒業後単身渡米。 ウェストバージニア州、そしてテネシー州ナッシュヴィルで暮らす。 アパラチアン・マウンテンミュージック、ブルーグラス、サザンソウル、そしてカントリーとルーツミュージックを吸収し、自らの音楽の基盤を育てた。
2002年、カリフォルニア州ロサンゼルスに移住。 数多くのバンドに参加、演奏活動をする傍ら音源の制作を始めた。 当初より自身で録音、プロデュースをするスタイルで、シンガーソングライター、テープミュージック、カントリー、サイケデリック、音響、アンビエント、ベッドルームポップと様々なスタイルが縦横無尽に交錯する作品を多数制作。 RY X, Jens Kuross, Money Mark, Danielle Haim, Miles Cooper Saeton (Akron/Family), Mia Doi Todd等との活動も多い。
日本のアーティストとの交流も多く、斉藤和義、大橋トリオ、赤い靴との活動は知られている。
2013年自身のバンド、My Hawaiiを結成。 2015年には大阪のフレイク レコードからサードアルバム「mood matters」を発表し日本全国をツアーした。
近年はTom Waitsとの活動で知られるSeth Ford Young、Pharsydeのドラマー、Miles Senzakiと共に新バンドMoonie Moonieを結成し2枚のEPを発表している。
映画音楽作品としては桃井かおり監督作品「火」がある。
そして2022年、ソロアルバム「in between my ears there is a cloud and a five dollar bill」、2024年「Echo You Know」を発表。
Eyecatch photo: David Haskell
Interview & Text:Masaaki Hara
Edit & Coordination:Yuki Tamai