90年代日本で生まれた個性豊かなエレクトロニック・ミュージックをヴァイナル・フォーマットで今に蘇らせ、世界に向けて発信するロンドンのレーベル〈SAISEI(サイセイ)〉。 日本アシッド・ハウスの先駆であるKino-Moderno(キノ・モデルノ)の既発曲3曲と未発表のリエディットを収録した『Into The Future EP』(2021年4月)を皮切りとして、孤高の電子音楽家・Suzukiski(スズキスキー)の1stのリイシュー『Thought LP』、日本テクノ黎明期の重要レーベル〈Transonic(トランソニック)〉のコンピ『SAISEI Presents Sounds Of Transonic』など刺激的なリリース活動を行い、世界中の熱心なディガーを唸らせてきた。

そんな〈SAISEI〉の主宰を務めるのは、2012年にロンドンに渡って以来、同地を拠点として活動するDJ、Junki Inoue。 ロンドンのブッキング・エージェンシー〈Toi Toi Musik(トイ・トイ・ミュージック)〉を経て現在はオランダのエージェンシーである〈Meanwhile(ミーンワイル)〉に所属し、世界各国でミニマル&ディープなエレクトロニック・ミュージックをプレイし続ける彼は、なぜ〈SAISEI〉を立ち上げたのか。 DJとしてのキャリアやロンドンでの活動、ロンドンのシーンや注目ベニューについて、そして〈SAISEI〉を設立した理由やこれからの展望について、ロンドンに住むJunki Inoueに尋ねた。

ダンスミュージックへの目覚めと、ロンドンへ渡った理由

Junki Inoue
Junki Inoue

2012年に渡英されていますが、それまでの日本でのご活動やキャリアについて教えてください。

DJを始めたのは、16歳くらいの頃です。 当時は高校生でロックがすごく好きで、学校帰りにレコード店で中古CDを漁るのが日課でした。 それを学校の友達とシェアしたり、あと、バンドやってる友達も多かったんで、バンドのライブやスタジオに顔出したり。 インディーロックがすごく好きだったのですが、その頃のインディーロックはフレンチエレクトロともつながりがあって。 その流れでダンスミュージックとも距離が近く、当時はクラブでもそういうパーティーがよく行われていましたね。 それで僕も遊びにいくだけでなく、仲間と一緒にライブハウスを借りてパーティーを始めました。

最初は現在のスタイルに行き着くまでにはどういった変遷があったのでしょうか?

さっき話した自分のクルーも18歳になる頃には、当時流行っていたmixiで作った10代のDJのコミュニティを通じて、全国から仲間が集まるようになったことで東京だけでなく地方でもパーティーをやるくらい大きくなっていました。

また、その頃から僕は、下北沢の老舗ライブハウスで毎月開催されていたインディーロック系のパーティーのレジデントDJを務めるようになりました。 テクノやダンスミュージックをよく聴くようになったのは、そこで知り合った先輩DJたちに誘われて、メタモルフォーゼやWIREといったテクノ系のフェスに遊びにいったことがきっかけです。 それでダンスミュージックのイベントに頻繁に遊びにいくようになり、レコードも買うようになりました。

なぜロンドンに行こうと思われたのでしょうか?

実はロンドン移住の前にはベルリンへの移住を考えていました。 20歳くらいからいろいろなパーティーをやってきたし、遊びにも行っていましたが、その中で一番しっくりきたのは田中フミヤさんのパーティー「CHAOS」でした。 特にそのイベントに出演していた「PERLON」というレーベルを主宰するZipのDJに衝撃を受けましたね。

また、その頃には仲間内にベルリンへの移住経験がある人も何人かいたので、ベルリンのクラブシーンの話をよく耳にしていました。 それで現地のクラブシーンを体験してみたいと思うようになり、2011年に初めてベルリンに遊びに行ったことがきっかけとなって、帰国後すぐに海外移住を決めました。 ただ、どうしても自分がベルリンに住むというイメージが湧かなくて。 でも、海外移住はしたいということで、元々UKのロックやカルチャーが好きだったし、英語も苦手ではなかったので移住先をロンドンに決めました。

ロンドンのクラブ・カルチャーを経験して感じたこと

ロンドンのクラブ・カルチャーを経験して感じたこと
@Fold London

ロンドンではどのように活動の基盤を築き上げていったのでしょうか? また、現地のクラブカルチャーを体験してどのようなことを感じましたか?

まず、日本と比べて人が多いと感じました。 それとサウンドシステムは正直そんなに良くないとも思いました(笑)。 あと僕が遊びに行くパーティーは、レコードでDJする人がほとんどですが、割とよく針が飛ぶ。 それとロンドンではウエアハウスパーティーも多いので停電で音が止まることも日常茶飯事なんですよ。 そういう意味ではあまり安定してプレイできる環境ではないですよ。 だから、日本にいた頃はすごく恵まれた環境でDJができていたんだなとその時に改めて実感しました。

ロンドンに移住後、現地のコミュニティに受け入れられるまでには時間がかかりましたか?

そんなに時間はかからなかったですね。 移住直後はほとんど誰も知り合いはいませんでしたが、Resident Advisorのイベント情報を頼りに自分の好きなDJが出演するパーティーをチェックしてよく1人で遊びに行ってました。 それで最後まで最前列で踊っていると、同じようにしている人は大体毎回同じなんですよ。 それですぐに顔見知りになっていくという感じでしたね。

では、現在、所属されているToi.Toi.Musikの関係者ともそういった形で知り合いになったのですか?

そうですね。 さっき話したクラブの最前列にいつもいる人のひとりが、Toi.Toi.Musikでの僕の元ブッキングマネージャーでした。 その彼女のバースデーイベントのオープニングDJを任されたことがきっかけになり、Toi.Toi.Musikに加入することになりました。 当時は今ほど英語を流暢に話せたわけではありませんが、やっぱり同じ音楽が好きな者同士だとバイブスで通じ合えるんですよ。 そういうものがあるとDJやクラブのスタッフなどそういう関係性を超えていけますし、コミュニティにもすぐに馴染んでいける。 そういう力が音楽にはあるんです。

Toi.Toi.Musik所属以降、レジデントDJとしてヨーロッパ、南米・北米、アジアなど、世界中でプレイされてきました。 その過程で、ご自身のDJスタイルに生じた変化や得た気づきなどがあれば教えてください。

DJスタイル自体は、そんなに変わっていないと思います。 でも、レコードをディグする年代だったり、国やジャンルだったりがすごく広がりました。 元々はミニマルテクノやミニマルハウスの曲をかけていましたが、今ではそれに限らず、80年代後半のアシッドハウスからそれ以降のすべてのダンスミュージックが自分のレコードディグの対象になりました。

先ほど少しお話しいただきましたが、改めて日本とロンドンのクラブシーンの大きな違いはどういうところにあると思いますか?

やっぱり人数の多さですね。 もちろんクラブの数も多いですし、クラブの規模自体が大きいので遊びにくる人の数は日本より多い。 あとはダンスミュージックレーベルの数も多いので、リリースされている音楽の数も全く違います。

それだけロンドンとは規模が違う日本ではDJだけで生計を立てていくのは難しいと思いますか?

例えば、他人と違うオリジナルなスタイルを確立していて、人気があればDJだけで生計を立てていけると思います。 ただ、ロンドンだとやっぱりDJの数自体も多いのでその分競走も激しい。 だから、ロンドンだからできるとは、一概には言えないですね。

コロナ禍を経たシーンの変化や新たな注目ベニュー

コロナ禍を経たシーンの変化や新たな注目ベニュー

コロナ禍では、日本と違い、イギリスでは長期間ロックダウンが行われました。 その間はロンドンのクラブシーンも停滞を余儀なくされたと思いますが、どんなことをして過ごされていたのでしょうか?

本当にクラブシーンがストップした感じでしたね。 僕自身も毎年行なっていた南米ツアーやほかの決まっていたギグもキャンセルになりましたし、本当に多くのDJがそんな状況に陥っていたと思います。

コロナ禍以前は、週末にギグがあったので、それに向けてレコードをチェックしたり、DJセットのことを考えたりという基本的な生活のサイクルができていました。 でも、そういう時間がなくなったことで、その時期はほとんどクラブミュージックを聴きませんでした。 でも、その代わりに元々好きだったロックだったり、90年代〜00年代のJ-POPだったり、それまで聴く余裕がなかった音楽を改めて聴く時間が持てたこと自体は良かったことですね。

特にダンスミュージック寄りのJ-POPにハマったおかげで、そういうレコードを買い集めるようになりましたが、それが励みになったおかげでロックダウンという暗い時期を乗り越えることができました。

コロナ禍を経て、ロンドンのクラブシーン、ナイトライフにはどのような変化がありましたか?

まず、人の流れが変わりましたね。 もちろん、ずっとロンドンに残っている人もいるんですけど、やっぱりコロナ禍、そしてブレグジットもあったので、自分の国に帰ってしまった人も結構たくさんいて。 ただ、その一方では新しいパーティーやクラブもたくさんできました。

今、ロンドンの新しいベニューや注目すべき動きなどがあれば教えてもらえますか?

クラブだとFOLDですね。 まだできて5年ぐらいの割と新しいところで収容人数は大体1000人ぐらいです。 ここで僕は年に5回、レジデントを務めている「Cartulis Music」というパーティーをやらせてもらっています。 このパーティーは僕のロンドンでの中心的なコミュニティで、今最も勢いのあるパーティーの一つだと思うので、日本からもぜひ遊びにきてほしいですね。

それとパーティーに関しては、最近は出演するDJのジェンダーイクオリティを意識したラインナップを組むパーティーが増えてきた印象があります。 ただ、自分が主催するパーティーでは、そういうことももちろん意識はしますが、まずはDJの良さをラインナップを組む時の基準にしています。

あと、ロンドン近郊で開催されているHoughton Festivalも、ぜひ知ってもらいたいです。 FabricのレジデントDJであるCraig Richards(クレイグ・リチャーズ)が主催するフェスティバルで、イングランドのフェスカルチャーを体験出来る素晴らしいフェスだと思うので。

ロンドンで10年以上活動されてきましたが、その過程でシーンにはどのような変化がありましたか?

ここ10年で僕がよくプレイする、ミニマルテクノやミニマルハウスシーンは本当にガラッと変わりました。 特に2014年〜2015年あたりから90年代のアシッド・エレクトロのリバイバルが起きたことで、それまでそういう音楽をやっていた人も徐々に激しめのスタイルに移行していきました。 そのような変化を経て、さらに最近ではプログレッシブハウスやプログレッシブトランスのリバイバルといった別の潮流も生まれています。

そういったハードでダーク目な傾向がある一方で、それに抗うカウンターカルチャーのように、The Ghostをはじめとするディープハウスやパーティー特化型ハウスで大きな盛り上がりを見せるシーンも存在していているのがまた面白いところです。 同じシーンの中でも渦みたいなムーブメントがいくつか起こっていて、それが重なり合ってトルネードというか螺旋階段のように前に進んでいっているといった感覚です。

なぜ〈SAISEI〉を始動したのかーー黎明期のジャパニーズ・クラブ・ミュージックの魅力とは

〈SAISEI〉の第1弾リリース作となったKino-Moderno『Into The Future EP』

2021年にリイシュー専門レーベルの〈SAISEI〉を始動したきっかけや理由を教えてもらえますか?

きっかけはコロナ禍です。 さっき、その時期にJ-POPのレコードを買い集めていたという話をしましたが、その当時流通していたJ-POPのレコードの数はすごく少ないこともあって、半年もすると欲しいものがほとんど集まってしまうんですよ。 でも、そのくらいの時期になると僕自身もJ-POPに限らず、日本のダンスミュージックならなんでもディグするようになっていたので、今度はそういうCDを集め始めたんです。 それでレコードからCDに僕自身の興味が移っていくなかで、90年代〜2000年代の日本のダンスミュージックの多くがほとんどCDのみでリリースされていることに気がつきました。 しかもそういうCDは自主制作で海外には流通していないものがほとんどなので、こっちでは日本以上にレアモノなんですよ。

あと僕はDJではレコードしか使わないので、そういう昔の日本のクラブミュージックを自分のDJの現場でプレイしたいという想いもありました。 また、せっかくまだ海外であまり知られていない日本の素晴らしい音楽を発見したのだから、これをレコードでリリースすることも自分の使命のようにも感じたんです。 それでレーベル立ち上げを決意しました。

近年はレコードブームの影響もあり、レコードプラントの生産量が追いつかずレコードプレスが大幅に遅れることも多いという話も耳にします。 特に規模の小さいインディーレーベルは、そのしわ寄せを受けやすいと聞きますが、〈SAISEI〉でもその問題に直面することはありますか?

〈SAISEI〉に限らす、どこのレーベルでもレコードプレスの遅れ問題はあって、リリースがなかなか進まないことはあるようです。 そういったことがあるとレーベルとしては、リリースの計画を立てるのも難しくなるんですよ。 それとレコード制作には失敗も沢山あるんですよ。

レーベル設立以降、Kino-ModernoやSuzukiski、Cologne(Sugimoto Takuya)、「Transonic」コンピなど、90年代の日本のテクノ作品をリリースされています。 Inoueさんは1989年生まれとのことで、リアルタイムのリスナーではなかったと思いますが、90年代ジャパニーズテクノにはどのような魅力や特異性があると思いますか?

その頃のジャパニーズテクノには、ほかにはないオリジナリティがすごくあると思います。 それに世界的に見てもすごくイノベーティブな音楽だったとも思います。 ただ、リリースされていたのはCD音源がほとんどでした。 しかもクラブ向けの鳴りになっていないので、DJで使いづらいんですよ。 そういうこともあって、見逃されてきたのかもしれません。

過去の遺産を未来へとつなぎ、新たな可能性を生み出していくために

〈SAISEI〉から2022年11月にリリースされたB-2Dep’t『PMA EP』

そういった問題を踏まえて、〈SAISEI〉でリイシューする音源はDJにとってプレイしやすいものになっているのでしょうか?

音質に関しては今のクラブシーンに対応できる形でリマスターしています。 それと元々2分ちょっとの短い曲でも、DJ向けにエディットして最低でも5分くらいの曲にするなど、DJ使いしやすいようにしています。 そういうところにこだわって全てのリリース作品を作っています。

〈SAISEI〉というレーベル名に込めた想いと、リイシューという活動が持つ意義についての考えも聞かせてもらえますか?

さっき話したように過去にリリースされた日本の素晴らしい音源を再生させたいという想いから”SAISEI”と名付けました。 ただ、最初は日本語ではなく英語で考えていたんです。 でも、ディストリビューターの友人に相談したら「そういうことなら日本語の “再生” のままの方がいいんじゃない?」と言われたこともあって、日本語の読み方のままにしました。

また、レーベルがこれまでにリリースしてきた音源は、ジャパニーズテクノの歴史を語る上で非常に重要な作品だと思っています。 だからこそ、そういった音源をきちんとした形でアーカイブしていくこと、そして、それを蘇らせることでみんなに知ってもらうことには大きな価値があると考えているんです。

実際に今の新しいクラブミュージックのなかにも90年代のものなど過去の音源を参考にした曲は多い。 だから、〈SAISEI〉からリリースされる過去の音源がそういった音楽のリファレンスになるということは、新しい音楽が生まれるのを後押しすることになります。 そのように過去の音楽とこれから生まれる音楽をつないでいくことにレーベルとしての意義がある。 僕自身はそう考えています。

なるほど。 〈SAISEI〉は音楽の歴史を紡ぐ役割を果たしているわけですね。 そういった意義のある活動に対して、これまでにどのような反響がありましたか?

ポジティブなフィードバックはすごくたくさん頂いています。 特に〈SAISEI〉でリリースしている音楽を全く知らなかった人たちからは、「こんな良い音楽紹介してくれてありがとう」と言われますね。 それとマニアの人たちは既に僕がリリースした音楽をチェックしているし、レコードで欲しいと思っている人たちもたくさんいたので感謝されることは多いです。 また逆にそういう人たちから自分が全く知らないもっとマニアックなものを教えてもらうこともあります。 やっぱりそういった音源を血眼になって探している人は一定数いるんですよ。

近年、日本のシティポップや環境音楽など、様々なジャンルの音楽が海外から再発見されてきましたが、ディガーでありリイシュー・レーベルのオーナーとして、このような動向をどのように捉えていますか?

すごいことだと思いますね。 まだ発見されていない日本の音楽は山ほどあるはずで、カタログごと忘れられているようなものもいっぱいあると思います。

〈SAISEI〉の活動を行う上でなんらかの影響を受けたり、参考にしたりしているレーベルはありますか?

具体的にどこかのレーベルの影響を受けて、こういった活動を始めたわけではないのですが、ライナーノーツやトラックの表記の仕方の部分で参考にしているのは、『平成の音 – 日本のCD時代のレフトフィールド・ポップ(1989-1996)』などをリリースしたオランダの〈Music From Memory(ミュージック・フロム・メモリー)〉ですね。 このレーベルはすごくプロフェッショナルで作品のディティールからレーベルのこだわりを強く感じます。

これまでに多くの過去の日本の音源が海外で再発見されてきましたが、現行の日本人アーティストの音源がより海外で発見されるためにはどういった要素が必要になると思いますか?

基本的に今はインターネットのおかげで世界中にいる音楽好きに音楽が届くチャンスがあります。 だから、本当に良い音楽であれば、絶対に誰かが見つけてくれるはずです。 そういう意味ではアーティストにとって本当に良い時代になったと思います。

では、日本のDJが今後海外で活躍していたいと思う場合、ロンドンなど海外に拠点を移す方が活動しやすくなると思いますか?

僕の場合は、やっている音楽が日本ではかなりニッチな部類なので海外の方がそういったシーンがある分、活動しやすいところはあります。 それに田中フミヤさん、dj masdaさんといった僕とスタイルが近いDJの先輩たちもすでに海外を拠点にされていることを考えると、日本ではまだそういったシーンがあまり出来上がっていないように思いますね。 とはいえ、海外でも活躍しているDJ Nobuさんがやっているハード寄りのテクノは、今日本でも勢いがありますし、それに続く若いDJも出てきている。 そんな印象があります。

ちなみに〈SAISEI〉でリイシューする音源のオリジナルアーティストには、どのようにリリースのオファーをされているのでしょうか?

実は探偵みたいな感じでSNSや昔のブログなどからご本人の連絡先を探し当てた上で、直接コンタクトをとっています。 そして、リリースの話を持ちかけると基本的にみなさん、僕と面識がなくても信頼してくれますし、リリースを快諾して頂けるのでレーベルとしてはすごくありがたいですね。

レーベルとして、DJとしてのこれからの展望

レーベルとして、DJとしてのこれからの展望

現在はリイシュー専門レーベルとして〈SAISEI〉を運営されていますが、将来的には新譜のリリースも予定されているのでしょうか?

そこは日本の古い音源に限らずオープンに考えていきたいと思っています。 ちなみに次のリリースは今までリリースした音源のリミックス作品です。 しかもそのリミックスを手がけているのは、ヨーロッパを拠点に活動していて、僕と一緒にCartulis Musicのレジデントも務めているウルグアイのプロデューサーのZ@Pなんです。 今後は元々の音源は日本のものだけど、それをリミックスした形で新譜としてリリースするものも増やしていく予定です。

今後DJとして、そしてレーベルオーナーとして、どのように活動していきたいですか?

DJとしては、今までどおり自分のスタイルを保ちつつも出演するパーティーにおける自分の役割を考え、柔軟にプレイできるDJでありたいと思っています。 またレーベルオーナーとしては、今後もレーベル運営を続けていきたいですし、ほかとは違う目線でシーンを見ながら作品をリリースしていくつもりです。

最後に多くのDJがデジタルに移行するなかでInoueさんがレコードにこだわり続ける理由を教えてもらえますか?

その理由は割とシンプルというか、普段から僕がディグする音源は、マニアックなものが多いのでレコードでしかリリースされていないものがほとんどなんです。 だからレコードでDJするしかないんですよ(笑)。 もちろんレコード店に行って買うもののなかにはSpotifyで配信されていたり、Bandcampでデジタルリリースされていたりするものもあります。 ただ、僕がDJでプレイする音源の半分以上は昔の音源ですし、そういうものはレコードしかないんですよ。

それとレコード店に通うのが習慣になっていることも理由のひとつですね。 2年ほど前にオープンしたHIDDEN SOUNDSは、近所にあることもあって毎週行っています。 あとロンドンでは老舗にあたるFLASHBACK RECORDSにも昔からよく行くお店ですね。 そのほかにもディストリビューターやレコード店を経営している友人が多いので挨拶がてら顔を出すお店もあります。 そういう意味ではレコード店は、今でもDJの数が多いロンドンでは、コミュニティのハブとして機能しています。

Junki Inoue

1989年東京生まれ。 2012年にロンドンに渡り、現在に至るまで同地を拠点にDJ活動を続ける。 ロンドンのブッキング・エージェンシー/パーティー・オーガナイザー〈Toi.Toi.Musik〉を経て現在はオランダのエージェンシーである〈Meanwhile〉に所属し、ロンドンのクラブ・シーンを中心として、世界各国でプレイを続ける。 2021年4月に、日本のハウス、テクノ・シーン黎明期に生まれた楽曲をリイシュー/リエディットするレーベル〈SAISEI〉をスタート。 これまで、Kino-Moderno『Into The Future EP』、Suzukiski『Thought LP』、B-2Dep’t『PMA EP』など5作品をリリースしている。

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Interview & Text:Jun Fukunaga
Edit:Takahiro Fujikawa
Eyecatch photo:The Lion & Lamb London

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