この広い地球には、旅好きしか知らない、ならぬ、音好きしか知らないローカルな場所がある。 そこからは、その都市や街の有り様と現在地が独特なビートとともに見えてくる。
音好きたちの仕事、生活、ライフスタイルに根ざす地元スポットから、地球のもうひとつのリアルないまと歩き方を探っていこう。 今回はマレーシア、スバン・ジャヤへ。
マレーシアのセランゴール州にあるスバン・ジャヤ。 首都クアラルンプールから南西に位置するこの都市は、マレーシアを代表するラッパーZamaera(ザミーラ)の活動拠点だ。 2016年にレッドブル主催のラップサイファーコンテスト「Red Bull Blend 2016」に出場し準優勝を飾る。 出場した50人のうち、女性はZamaeraだけだった。 翌年には楽曲『Helly Kelly』でデビュー。 世界が注目する女性のラッパーの1人に。
マレーシアは国民の60パーセント以上がイスラム教徒。 女性がアーティスト活動をするうえでは、たった “一言” に制限がかかることもある。 女性で、ラッパー。 その先駆者Zamaeraに、音楽や社会に対する向き合い方とともに、スバン・ジャヤのリアルな歩き方を聞いてみる。
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Zamaeraは、生まれも育ちもスバン・ジャヤ?
生まれは同じセランゴール州にあるクランというところ。 育ちはスバン・ジャヤ。 幼少期にブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンに住んでいた時期もあるけど、人生の大半はスバン・ジャヤで過ごしてきたよ。
ブルネイですか。 マレーシアと隣接する、三重県ほどの大きさの別の国ですね。
そうそう。 広い敷地に両親と兄弟2人と大きな家で暮らした時期があって。 2003年にスバン・ジャヤに戻った。 戻ってからは、祖父母や叔父と長屋で約10人暮らし。 マレーシア人って、とても家族的で結束が強いの。
へえー。 早速、スバン・ジャヤのこと聞こうかな。 Zamaeraがよくいるところ。
まずは、家の目の前にある大きな公園「Padang Asam」は欠かせない。 ここは誰もが知っているみんなの憩いの場ってところかな。 誕生日会にも人気だし、とかサッカーの練習とか運動したりね。
家の近くに公園があるって最高。
あと「SS15地区」。 ショッピングモールやレストランが集まるところで、高校時代からよく行ってる。
ホットスポットだ。 どんな感じで過ごすの?
レストラン巡りもできるし、ただ仲間と集まって遊んだり。 ナイトライフを楽しむのもここかな。 タピオカ屋が10軒ほど並ぶ、通称「タピオカストリート」っていう通りもあるよ。
スバン・ジャヤのオススメフードは? しょっぱいやつで。
「Mamak Bistro」のトムヤム・ビーフンのフライ! 目玉焼き付き。 その名も「ミーフンゴレン・トムヤム・トゥルールマタ」。
まるで呪文のよう。 美味しそう。 音楽を聞きには、どこに行く?
いいスポットは、(スバン・ジャヤじゃないんだけど)首都クアラルンプールに集まってる。 スピークイージーのような体験をしたいなら「The First Chapeter Speakeasy」。 ハウス&テクノが好きなら「The Iron Fairies KL」。 いいDJがいるから要チェックだよ。
ライブハウスなら?
「The Bee @ Publika」や「Jao Tim」かな!選択肢は豊富だよ。 オススメしたい場所がまだまだあるから、音楽スポット絞りで別の記事をやりたいくらい(笑)
ぜひ今度やりましょう。 ちなみにいまマレーシアの若い世代はいまどんな音楽を聴くんでしょう。
若い世代の間ではポップスとヒップホップが圧倒的に人気だと思うよ。 これはあくまでも私個人の感覚と印象だから、断言はできないけどね。
前の世代とは結構違いますか。
ソーシャルメディアの存在がいまの世代の音楽消費に大きな影響をあたえているのは間違いないよね。 消費側だけでなく、アーティスト志望者も参入しやすくなったこともあるし。 ただ、そのほとんどが「ただクールでありたい」だけだったり、ただトレンドを追いかけてるように感じちゃうことばっかりだなあ。
ラッパーの数を含め、ヒップホップは育っているんでしょうか。
マレーシアでもラップバトル番組とかがはじまればねー(もっと変わってくるだろうね)。 中国や韓国、日本だとそういう番組があるでしょう。 志す人たちがクリエイティブな挑戦ができて、業界レベルで労働倫理をつくって、それを身につけていく機会もできるわけだから、羨ましい。
私自身、いろんなショーに参加するんだけれど、ステージで息が切れてしまうラッパーをはじめ、パフォーマンスレベルをあげていくことの必要性を目の当たりにすることが多くて。 曲のアウトプットだけではなくて、トレーニングができたりパフォーマンスが試せる機会、制限時間のなかでの作業や対応だったり、そういった全体をサポートするプラットフォームが育てば、もっともっと(ヒップホップは)育っていけると思う。
Zamaeraはマレーシアでいち早くラッパーとしての地位を築きはじめましたが、もとからラッパー志望?
実は、最初はシンガーを目指してたんだ。 ジャズクラブで歌うイメージも持っていたから、まさか自分がラップするなんて。
なにがきっかけでラッパーに転向したんでしょう。
私が、使命に近い感覚で持っている目標のひとつは「ストーリーテラーであること」。 ヒップホップという素晴らしい世界に出会って、そこにある“生っぽさ”っていうのかな、リアルな部分に強く惹かれた。 人から批判されるかもしれない自分の人生の醜い部分にも正直に触れて、軌跡として表現する。
17歳でヒップホップを聴きはじめて、入り口としての90年代の音楽に触れた時点で、自分が持っていた夢と共鳴するのがわかった。 ラップは、ストーリーテリングのための器だって。
そうだったんだ。 最初に聴いたのは?
2pac Shakur(2パック)、Lauryn Hill(ローリン・ヒル)、The Roots(ザ・ルーツ)、Erykah Badu(エリカ・バドゥ)、とか…..
デビュー当時、マレーシアでは女性のラッパーはいまよりずっと少なかった。 いまと比べてのやりにくさだったり、苦悩は?
男性優位の業界で女性であることは “ただそれだけで存在が際立つ” という点では、アドバンテージ。 だけど大事なのはそこで実力があるということを証明すること。 だから、練習と努力は性別に関係なく必要。
『Oh Raya』のMVには実際の家族が出演していますね。 ラッパーとして活動することに、家族からの反対はあった?
ありがたいことに、私の家族は活動初期からとても協力してくれてる。 ラッパーという職業はマレーシアではほとんど認知されていないけれど、やめさせようなんてただの一度もなくて。 私に、私自身を疑わせたことが一度もない。 社会的な規範に屈せずに人生を切り開いていくために、これがどれだけ心強いことか…ねえ、ここで言わせて。 家族のみんな、愛してる!
とても素敵な家族ですね。 社会規範の話がでましたが、やはり女性がラッパーであることに対しての見方はどうなのでしょう。 イスラム教徒が多いマレーシアでは、衣装にも注意が要りそうです。
マレーシアでは、外見に関して女性も自由に自己表現していいことには、一応なっている。
一応。
「したければしていいけれども(何かあっても知りません)」というところ、実際には。 テレビ出演にはドレスコードがあったりするし…。 信じられないことに、海外からきたアーティストにも適用される。
そのドレスコードとはどんなもの?
「女性出演者は胸の上の部分から膝まで肌を出してはならず、卑猥な服装や、薬物関連の画像やメッセージを含むものは不可」。 私はヒップホップアーティストだから、こうしたドレスコード以外のいろんな服装にトライしてるけどね。
こういった規則があると、人前にでるアーティストや、ましてラッパーになろうという女性は増えていかないんじゃ?
女性のラッパーの割合は業界の10~15パーセント程度ということになってる。 でもね、アングラシーンを含めたら女性のラッパー志望者はもっと多いと思う。
マレーシアにおいて、女性がラッパーとして活動することへの認知は段々と変わってきてはいる。
うん、いくつかの点では間違いなく変わった。 ラップだけでなく女性が多様な職業に就くことがより広く受け入れられはじめたとは思う。 ただ、停滞の風潮としてあるのが女性のラッパーを比較して貶めようとするところ。 「女のラップは、Nicki Minaj(ニッキー・ミナージュ)やCardi B(カーディ・B)の真似事だ」とか。 私自身のSNSだけじゃなくて、他のラッパーたちのところにも似たような書き込みが多くて。
ああ、女性同士を競わせて敵対させる…。
女性たちがみんなであがっていくことをサポートするんじゃなくて、女性同士を互いに競わせようとする。 クリエイティブシーンだけでなく、どこにも共通してある。 ある種の根強い社会的な強迫観念みたいのものだよね。 これを変えていくのは、まだまだこれから。
Zamaera/ザミーラ
マレーシアのセランゴール州にあるスバン・ジャヤ出身のフィメールラッパー。 2016年にレッドブル主催のラップサイファーコンテストにおいて準優勝。 翌年『Helly Kelly』でデビュー、世界のヒップホップシーンで注目されている。
現在はFENDIやGUCCIのキャンペーンに起用されるなど、ファッションアイコンとしても知られている。
All Images:Zamaera
Words:HEAPS and Ayumi Sugiura