「今日も古材が配達される予定だ。ブロードウェイ通り260番地にあった歴史ある建物の古材。1850年代のものだ」
ニューヨークのグリニッジビレッジ地区。かつてのビートニク作家たちの溜まりバーや、ボブ・ディランのアルバムジャケットで撮影された通り、老舗ジャズクラブ、年季の入った楽器屋が並ぶ。音楽が色濃く刻まれたこの地区にあるのが、ギターショップ・工房Carmine Street Guitars。伝説のホテルやニューヨーク最古のパブの古材でギターを手作りするギター職人がいる店だ。
一部をギターに。ニューヨーク最古のアイリッシュパブ
平日の朝10時。足早に職場へと向かうニューヨーカーが、Carmaine Street Guitarsの前を絶え間なく通り過ぎる。ギターがディスプレイされているショーウィンドウに気付く人すらいない。建て付けの悪い重い黒いドアをグッと押し開けると、お客が試しに弾くギターの音色とラジオから流れるジャズが混ざりあう。壁に堂々とかかったビンテージギター、ショーケースのなかで誇らしげに並ぶハンドメイドギター、フロアにせり出したギター。有名ギタリストたちのサイン入り写真。バンドのポスター。ふいに、木材の欠片がごろん。
「壁の塗装がはげて、なんだか汚らしくなっちまったから、ポスターで隠してるんだ」。アコースティックギターの弦をいじりながら、店主でギター職人のリック・ケリー(以下リック)。「この店に来ると、昔に戻ったみたいな気持ちになる。建物自体、1827年のもの。ビンテージにハンドメイドのギター。すべてのものが古い。松の木の芳しい香り、おがくずの匂いもする。他のギターストアと違うだろ?」
リックの作るギターは、全て「古材」から作られている。200年前のバーやホテル等、ニューヨークの古い建物が改装工事をする際にゴミに出す古材。それら(リックの言葉を借りると)“ニューヨークの骨”を集めて、ギターのボディへと蘇らせる。
ここ数年でリックがギターにした古材には、こんな建物からの一部も。「McSorley’s。ずっと、ここのでギターを作ってみたかったんだ」。マンハッタンのイーストビレッジ地区にある、ニューヨーク最古のアイリッシュパブだ。1854年に開店、アブラハム・リンカーンやジョン・レノンも通っていた。
McSorley’s Old Ale House
15 E 7th St, New York, NY 10003
ニューヨーク最古のアイリッシュパブ。床にはおがくずが敷かれている。自家製エールが自慢で、選択肢は、頑固にダークかライトの2つのみ。1つ頼むと、小さなグラスで2杯もってきてくれる。
ギタリストの友だちに誘われても出不精。たまに気が向けば行くかもしれない場所
1週間に1本のぺースで作る。リックのギターは、カスタム&ハンドメイドのため、安くても3,000ドル(約32万円)はする。現在、2年半先まで予約が埋まっているという。
最近手掛けたギターの中で風変わりだったのは、「スパイダーマン・ギター」。とある彫刻家からのオーダーで、蜘蛛の巣まで再現している。ハーレー・ダビッドソンのガスタンクを装飾にしたギターや、アイルランドのお祭り・聖パトリックデーのためのグリーンのギター、Electric Lady Studiosのために作ったワシの頭を彫ったギターも、スパイダーマン・ギターにも負けない存在感を放つ。「ヘンドリックスが夢に出てきて、このギターを作ってくれとのお告げがあったんだ」(リック流狂言か?)
Electric Lady Studios
52 W 8th St, New York, NY 10011
Carmine Street Guitarsの近所にある、ジミ・ヘンドリックスが創立したレコーディングスタジオ。
そういえば昨日ふらっと店に来た、とさりげなく口にした名前は、ニューヨーク在住の監督ジム・ジャームッシュ。彼も、リックのギターのファン。「自分のレコードをくれてね。お返しに、この店のTシャツをあげたんだ(笑)。この店には、誰が入ってくるのか予想できないよ」
リックの顧客は、ルー・リードに、ボブ・ディラン、パティ・スミス、キース・リチャーズ、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーと、あげればキリがない。多くの有名ギタリストから愛され慕われるリックのギター。ギターだけでなく、店に入ってきた誰にでも同じ調子で接するリックの人柄も、ファンが多い理由だ。リックの手帳には、ミュージシャン友達のコンサート観賞がびっしり……かと思いきや「皆招待してくれるんだけど、行かないなぁ。夜は、疲れてどこにも行く気がしないんだ。何度誘っても僕が来ないもんだから、誘うのを諦めたらしい(笑)」
仕事帰りにパブで一杯、も、夜遊びもしない。たまに店に置いてあるウィスキーを一杯やるくらい。それでも、時々はギターの音色を聴きに行く。「ビル・カーチェンがニューヨークで演るときは、観に行くこともある。俺のギターを使ってくれているからね。Joe’s Pubなんかで演ることが多いかな」
Joe’s Pub
425 Lafayette St, New York, NY 10003
飲食をしながら生演奏を聴ける、ニューヨークの名門ライブハウス。ジャズ、ロック、ポップ等、幅広いジャンルのアーティストがステージに上がる。英国のシンガー、エイミー・ワインハウスがアメリカで初めて歌った場所。
窓際の小さな工房“リペア・ベンチ”。職人たちの店
リックの定位置は、たいてい店奥にある工房か、入り口をまたぎすぐ右横にある、小さな工房だ。「俺はここを、“リペア・ベンチ”と呼んでいる」。弦や配線材の交換やジャックのメンテナンス等、お客が持ってきたギターの修繕をその場で行う。
「朝、店に着いたら、ここにギターを持って来て、通りを眺めながら修繕するのが好きなんだ。1940年代、ケンメア通りにあったD’Angelico。多くのジャズミュージシャンたちに愛されたニューヨークのギター職人ジョン・ディアンジェリコが1932年に創業したギターメーカーで、この店にもリペア・ベンチがあってね。窓のそばにベンチ、っていうのがいいんだ。お客は自分のギターを作った男と話すことができる」
D’Angelico Guitars Showroom
141 West 28th Street, 4th Floor New York, NY 10001
D’Angelicoの名器が飾られたショールーム。予約制で訪れることができる。
リックの店の他にも、ニューヨークにはギター職人の工房や個人店がいくつかある。ギター職人友達とは、インスタグラムで繋がっているとか。「今じゃ、インスタグラムで連絡をとっているよ。インスタグラム、いいよね。写真を載せるだけで、その日何をしたか教えあうことができるから。文で説明しなくてもいいし」。リックは生涯で携帯電話を持ったことがない。なので、インスタ鑑賞はいつも店のパソコンから。「朝は1時間くらい、Eメールを確認したり、インスタグラムをチェックしている」
Carmine Street Guitars
instagram
ギター職人の朝、映画館ではポップコーン派
平日の朝、必ず行くところがある。店の通りを挟んで向かいにあるコーヒーショップ、Prodigy Coffeeだ。「朝のコーヒーは毎日ここで買う。3ドルもするんだが、ボッテガ(よろず屋)の2ドルのコーヒーは、あんまりうまくないからな」
Prodigy Coffee
33 Carmine St, New York, NY 10014
2012年創業の比較的新しいコーヒーショップ。ブルックリンの地元ロースターから仕入れた豆で淹れたコーヒーと街のベイカリーから仕入れたペイストリーが人気(リックは、チョコチップクッキーを購入)。ときおり、地元のコミュニティが集まり、詩や本の朗読会をおこなう。
工房の壁には日本語で『カーマイン・ストリート・ギター』と題名の入った映画のポスターが貼ってある。昨年、この店とリックのことを追ったドキュメンタリー映画が公開され、日本でも上映。店から歩いて5分くらいの距離にある芸術系映画館Film Forumでも、同映画が上映され、リックは「4回は観た」。
「映画館はあまり行かないけどね、Film Forumは好きだ。ヘンテコでアングラで忘れ去られたような古い映画を上映しているから。フェデリコ・フェリーニのイタリア映画や、ジム・ジャームッシュ『デッド・マン』、自転車を題材にしたフランスの変なアニメーション映画を昔に観た」。ちなみに、ポップコーンは必須。バターをかけて。「家でポップコーンを作るときはバターは使わない。電子レンジのやつじゃないよ。中華鍋で、ちゃんと作るんだ」
Film Forum
209 W Houston St, New York, NY 10014
インディーズ系やアートフィルム、外国映画、往年の名画を上映する小さな映画館。1970年に、50席の折りたたみ椅子と1台のプロジェクターでスタート(現在は500席ほどに成長)。年中無休。米国に存在する数少ない非営利の映画館として、いまも映画館好きの贔屓スポットだ。
Jean-Pierre by Mike Stern
ジャズギタリストで、顧客の1人の1曲。マイルス・デイビスが80年代にカムバックした際、ギタリストを務めており、その同曲(“Jean-Pierre”は、マイルス・デイビスの名曲)。
Rick Kelly
リック・ケリー
Photos:Kohei Kawashima
Words:HEAPS