レコードをジャケットからゆっくり取り出して、レコードプレーヤーに乗せる。慎重に針を落とし、ジジ…ブツッという音が聞こえたあと、音楽が紡がれていく。
音楽と記憶というのはとても密接な関係にあると思う。音楽を聴いていると、思い出が蘇る。同時に、その時の感情も蘇ってくる。嬉しかったことも、悲しかったことも。
以前、デジタルネイティブ世代とレコード世代のレコードにまつわる思い出を紹介する記事を執筆した。レコードは、音楽に耳を傾けるという行為だけでは終わらない「体験」であることを再認識した。
>>デジタルネイティブ世代に聞く、アナログレコードの思い出
>>レコードと共に生きてきた世代に聞く、アナログレコードの魅力
そして、もっと具体的に曲にまつわる思い出を知りたいとも思い、レコード曲の思い出について、年代を問わずアンケートを取ることにした。
多数の思い出が寄せられたため、年代別に分けて紹介していく。
前回は60代以上の思い出を紹介した。今回は50代女性の思い出を紹介していこう。
青春時代をレコードと共に歩んできた50代が語る、レコード曲の思い出
50代となると、60代以上と同じく少年期〜青年期*の青春時代にリアルタイムでレコード曲を聴いていた世代である。
*少年期は5~14歳、青年期は15~24歳、壮年期は25~44歳、中年期は45~64歳、それ以上は高年期と定義(厚生労働省資料参照)
昔が蘇る
1973年7月10日リリース The Carpenters「Yesterday Once More」
父が好きで聴いていた曲で、自分も子どもの頃に父のレコードをかけて聴き、このアルバムで初めて洋楽に触れました。
子どもの頃、転校した先の学校に馴染めなくて学校が終わると早く家に帰って一人で過ごすことが多い子ども時代でした。父が洋楽やクラシック音楽が好きで沢山のレコードを持っていたため、それらを自分でプレーヤーにセットして聴くのが私の楽しい時間でした。子どもながらにカーペンターズのカレンの深い歌声に魅了され、意味がわからないまま英語の歌詞を真似て一緒に歌ったりしていました。
カレン・カーペンターの深く響く、包み込むような歌声と、歌詞の美しさ、メロディの美しさと全てが魅力です。父のレコードのコレクションの中で特に気に入って聴いていたのがこの「イエスタデイ・ワンス・モア」でした。
子ども時代の私はこのレコードで洋楽や英語に興味を持って、当時はインターネットも無い時代でしたから、辞書を片手に歌詞の意味を調べて勉強したりしていました。
その結果大人になって英語を仕事にするようにもなりました。子どもの頃は意味もわからず一緒に歌っていた「イエスタデイ・ワンス・モア」ですが、今その歌詞の意味が実感としてわかる大人になり、改めて良い曲だと思います。聴くたびにまさに歌詞にあるように、昨日のように子どもの頃の思い出が亡き父の記憶とともに蘇ってきて、苦労の多かった父はこの曲を聴いて何を感じていたのだろうかと考え、つい涙があふれてしまいます。
(はる)
大人びたクオリティと、同年代の親しみを与えてくれた一枚
1973年8月25日リリース フィンガー5「個人授業」
子どもの頃、初めて自分のおこづかいで買ったレコードがこれでした。
ハイトーンボーカルの晃くんは2つ年上。初めて夢中になった芸能人でした。
それまでのアイドルは自分より大人ばかりで、それはそれで好きだったけど、晃くんは同じ小学生だったので親近感がありました。
逆に、同年代ながら大人びていてかっこよかったのです。
当時の沖縄はまだアメリカで、彼らはアメリカ文化の中で育った日本人。
アメリカンポップスにも精通し耳コピで歌えているのも驚愕でした。
ジャケットが水島新司のイラストで、端っこに彼らの写真が小さく扱われてるのが不満で、人に見せるのが恥ずかしかったです。
実は「個人授業」よりB面の「恋の研究」という曲の方が気に入って、今でも時々聴きます。
晃くんのお兄ちゃん達が作った曲ですが、完成度が高く、曲の中に出てくる、男の子が一目ぼれしてしまう少女になりたいと思ったものです(笑)。
近所の友達とレコードを持ち合って家で聴いてました。当時のレコードの聴き方はそれが全てですね。
子どもが歌手としてテレビに出始めた頃だったと思います。テレビで見てレコードを買って聴いて、またテレビで見ての繰り返し。小学生がいるグループだというので、午後8時以降のテレビ出演はナマはだめで録画のみ。彼らによって児童労働法が注目されたりしました。公開録画を見に行っている子ども達がうらやましくて、家でレコードを聴いて雑誌を見るしかできない田舎暮らしが悲しくて、大人になったら東京に住むんだと決意させてくれたレコードでもあります(笑)。
(クララ)
女の子の可愛らしさが詰まっていた
1981年10月21日リリース松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」
小学生の時、仲の良かった友人の家がレコード屋さんを経営していた関係で、友人の家に遊びに行くたびに聴いていました。
当時、芸能事務所が力を入れて売り出していたアイドルの歌には、素晴らしい作詞、作曲者が用意されていることが多く、松本伊代の「センチメンタル・ジャーニー」もそういった歌の一つだと思います。松本伊代自身は、そこまでアイドルとして大成功したとはいえないですが、「伊代はまだ16だから」という強力なフレーズは、今でも語り継がれるほどのインパクトを残しました。そういったフレーズを紡ぎ出した作詞家もすごいですし、そのフレーズをイメージそのままに歌いこなす松本伊代もすごかったなと思います。
(もう50歳)
歌謡曲を卒業してふれた、マニアックな音の世界
1981年3月21日リリース 大滝詠一「A LONG VACATION」
高校生になって初めて買ってもらったLP。
伯父さんに買ってもらったあと、すぐに今度は初めての喫茶店に連れて行ってもらい、そこのマスターに頼んでかけてもらった。友達に貸し出してテープにしてもらい、あとは部屋のラジカセで、ながら勉強しながら聴いていた。
大滝ワールド初体験。アメリカの古き良き時代の、品のいいポップな世界が楽しかった。のちに松田聖子や稲垣潤一など、人気シンガーに曲を提供していることがわかり、さらに全然新人じゃないってこともわかり、日本の音楽界のマニアに触れて大人になったような気がした。アルバムジャケットも含めて、あの頃の夏を思い出させてくれるなつかしい1枚。
(KAREN)
心境の変化に勇気をくれた一枚
1983年2月23日リリース 中森明菜「1/2の神話」
私は明菜さんの大ファンで全ての曲が好きです。中でもこの曲は、明菜さんの見た目の可愛らしさからかけ離れ、かっこよさが際立っていて、イントロから曲の終わり方、歌詞、全てパーフェクトに個人的にドハマりした楽曲です。
ちょうど専門学校から社会人となる時期にこの曲が発売されました。
大人の仲間入りということもあり、周りからは「もう、大人の第一歩を踏み出すんだから」とか「社会人としてちゃんとしなさいよ」だとか、わかっているのに再三言われ続けていました。
「あぁ〜何なんだよ。大人になるとこうも違うのか。」という思いが沸々と出てくるようになり、どうしていけばよいのか模索する毎日を送っていました。
職場でも家でもプレッシャーになるようなことばかり言われ続けていて、負けじと自分なりに頑張ってはいたのですが、一杯一杯になってしまうことが度々あり、そうなった時にこの曲を聴くことが多くなり、歌詞も何となく自分の胸中にピッタリと思えました。
また最後の「いいかげんにして」というフレーズはまさしくといった感じで、思いっきりその部分を一緒に歌ってスッキリしていました。
イントロ、サビ、最後までインパクトあふれるサウンドで、自分の気持ちが爽快な風と共に走り去っていくという感じのものでした。
ちょうどその頃は歌番組が沢山あって、これから発売される曲を知ることができました。
この曲も某歌番組に明菜さんが出演されていて聴くことができ、発売日に即レコード店へ行って購入しました。
お小遣いではなく、自分で働いたお金で買って明菜さんを応援することができ、自分も力をもらった思い出の曲、レコードとなっています。
(あささん)
※2022年8月 筆者調べ
「初めて」とレコード
今回は「初めて」とセットの思い出が多かった。初めて自分で稼いだお金で買ったレコード、初めて買ってもらったレコード。「初めて」というのはとても特別なものだ。色濃く鮮明に記憶に刻まれる。
思い出を蘇らせる装置は、場所や香りなど様々である。音楽もその一つだが、人生における目次のようなものでもあると筆者は考えている。
次回は50代男性の思い出を紹介していこうと思う。
Words:K.3U