角銅真実は、専門的に学んだマリンバをはじめとする打楽器を演奏し、歌を歌い、ギターを弾き、曲も書く。メジャー・デビューとなったアルバム『oar』(2020年)にそのエッセンスを聴くことができるが、彼女の作る音楽には、名付けられて、型にはめられる前に、すり抜けていく軽やかさがある。ポップスと現代音楽の両極を行き来するように、そこに現れる歌を聴いていると、いつしか呟かれた音節のリズムに惹きつけられていく。歌もアンサンブルも空間の響きも、絶妙なバランスで成り立っている音楽は、一体どこから生まれてきたのだろうか。
舞台と生演奏、多数の楽器と一人演奏
いま取り組まれている舞台(『冒険者たち〜JOURNEY TO THE WEST〜』※現在は公演終了)の音楽の話から伺えますか?
長塚圭史さん演出の舞台で音楽を作って演奏してます。
生演奏で音楽を付けているのですか?
はい。作曲と生演奏という感じです。
一人でですか? どういう編成でやられているのでしょう?
今回は私一人きりです。楽器がマリンバとギターとバンジョーと、あとホンガ、ボンゴ、革物類と、たくさんあります。あとバスドラム、いろんなゴング、おりん、ハーモニカ、ハルモニウムとか。
すごい数ですね。それをとっかえひっかえ演奏するのですか?
そうなんです。KAAT(神奈川芸術劇場)の企画ということで、神奈川県を舞台にした劇で、神奈川のいろんな場所が出てくるんです。1時間半ぐらいの作品で瞬間移動したり場面転換が多く、それを表すこともあり、気がづいたら楽器がいっぱいになってました。
生演奏で演劇に音楽を付けるのは、以前もやられたことはあるのですか?
はい。そんな数は多くないんですけど。初めてやったのが、2年前に渋谷のシアターコクーンで配信の舞台で、『プレイタイム』という作品でした。梅田哲也さんという美術家の方と舞台演出家の杉原邦夫さんという方二人での共同演出作品という、すこし特殊な形だったんですけど、その作品で音楽を担当しました。それが音楽を作る側で初めて演劇に関わった作品でしたね。その時はミュージシャンが私を入れて5人でした。
今回の公演で、新たな発見はありましたか?
演劇作品の経験が少ないんですけど、今まで関わった作品はテンションがどこか非日常的なものが多かった気がします。時代が違うものだったり、死後の世界のものだったり。一方今回の作品は神奈川県を舞台に現在と過去が交差するものではあるけれど、日常と地続きというか何げない会話だったり、普段と変わらない様な話し言葉が多くて。テンションが平熱というか。そういうふとした日常の瞬間を取り出して、稽古で眺めながら磨いていくみたいな、そういったテンションの作品は初めてだったので新鮮でした。
映画音楽など他にもいろいろやられてますが、作品に音楽を付けることは、角銅さんの活動の中でも割と大きな比重を占めているのですか?
確かに気付いたら、そうかもしれません。あんまり意識してなかったけど!
自分が生きてるこの社会でどう本当に結びついてるのかとか、結びつくって何だろうとか
ご自身の作品のことを伺わせてください。最初のアルバム『時間の上に夢が飛んでいる』を作る以前から、ソロ活動に対する気持ちはあったのですか?
ありましたね。作る1年前くらいからあって。でも、強く思ってたってよりも、誰に聴かせるでもなく、日記を書く様に音楽を作ってた。それでライヴする様になって、2回目のライヴがなぜか台湾だったんです。知り合いの旅行にくっついていって(笑)。それを、1stアルバムを出してくれたレーベル(Basic Function)の大城真さんがアーティスト・イン・レジデンスでちょうど台湾にいて、観に来てくださって。
では、そのライヴがソロ・デビューのきっかけだったんですね。
その後、日本で大城さんと再会した時に音源とか出さないのって言ってくれたんです。ちょうど、その頃「月刊角銅真実」みたいなラフな感じで宅録音源のCD-Rを作って友達に配ったりしてたのですが、改めて作品として形にしてやりたいなって思ったんです。
そのCD-Rは、1stアルバムに近い内容だったのですか?
近かったです。その頃は漫画も描いてて、長新太が好きなんですけど、漫画と音楽の区別があんまりないような感じでした(笑)。ジンを作って友達に配る感覚です。その感じは今も根本的には変わってないかもしれません。
東京藝術大学を卒業するときに、ミュージシャンとして活動していくと決めてましたか?
はっきり考えたりはしていませんでした。どうしようと思ってたんですかね。一方、どういうふうに社会と自分が発する音楽が結び付いていくのかっていうのはすごい考えていました。でも、ミュージシャンになろうとか、これになろう、みたいなことは具体的な事は考えてなかったです。
角銅さんが大学時代に師事された高田みどりさんに以前インタビューした際、クラシックのパーカッション奏者としてデビューしたときから、クラシック音楽、西洋音楽に違和感があったという話や、スティーヴ・ライヒなどのミニマル・ミュージックに出会い、社会の中でどう機能していくのかを考える音楽が出てきたと感じたという話を伺いました。それは、角銅さんがおしゃった「社会」と繋がる話でしょうか?
例えば、かつてはミニマル・ミュージックが一つの社会的なメッセージだったり、問いとしてその音楽が有ったと思うんですけど、今、同じことをやってもそれはこの現在の主語を伴った問いではないですよね。勿論メッセージではあると思うのですが。自分の言葉で社会に問いであったり結びついていく様な音楽や態度を模索していました。もちろん、ミニマル・ミュージックは大好きで、多くのものを学びましたし、演奏するのも大好きなんですけど、それが今、自分が生きてるこの社会でどう本当に結びついてるのかとか、結びつくって何だろうとか、考えてましたね。結構そういうことを考えてたら、学生の頃は何練習していいかわかんない。社会に向けて出したい音が何なのかもわかんないから、練習部屋で何もせずに過ごす日々もありました。みどり先生のレッスンにも、何を練習したらいいかわかりません、と練習曲もなく手ぶらで受けに行った事もありました。
その時、高田さんは何か言われるのですか?
基礎練習をやりなさい。体は大事だから音を出す体を作りなさい。もう、そんな考える前に体を動かしなさい、みたいな感じです。だから、みどり先生には私は本当に一番心配な生徒だったと思います。
高田さんが藝大の仲間とムクワジュ・アンサンブルを組んで、クラシックの世界から外に向けてアピールする音楽としてミニマル・ミュージックの可能性を選択できた時代と、角銅さんの時代との違いは当然ありますね。周りで自分と同じ考えを持ってそうな人はいなかったのですか?
大学では本当に浮いてる学生だったと思います。そういうことを話せる人はいなくて。美術の学部の友達にはそういう悩みや話をする事もありましたね。当時自分の作品を作っている美術学部の人たちが眩しく見えていました。なので美術学部の校舎の方にいることが多かったですね。今も一緒にやってる石若駿くんは私が大学4年生のときに1年生で入ってきて、練習室でレディオヘッドを弾いたりしてて、好きな音楽の話とかはしてました。そういう人は数少なかったけれど、結局、そういう人と卒業してからも一緒に音楽をやったり交流が続いてるなと思います。
では、1stアルバムを出して、これからやっていけるという確信を得られたのでしょうか?
あんまり音楽をやり続けるとか、やめるっていうはっきりとした意識がないのがないかもしれません。でも、、1stアルバムを出した時の自分の作品ができてとっても嬉しかった気持ちは今でも持続してあります。世界にお手紙が書けた様な感じです。
もっと、音楽は身近なものということですか?
そうです。すごくパーソナルなもの。この先どんなふうになっても、何かの形で音楽をやってるだろうなとも思います。話してて気づいたのですが、逆にプロフェッショナルなプレイヤーになりきれてないっていうのはもしかしてあるかもしれません。
歌うことは、ずっとやられてたのですか?
歌うのも1stアルバムくらいからです。2017年くらいでしょうか。あのアルバムでは、歌というか、歌になる前の声、という感じだと思うのですが。あのくらいから歌うようになりましたね。
角銅さんの歌は、つぶやいている響き自体が耳に心地いいです。いい意味で、言葉を意識させないというか。歌う、声を発するという部分で考えてることはあるのでしょうか?
答えになるかわかんないんですけど、打楽器を鳴らすときも、ものを振って音を鳴らすときも、響く音が体に気持ちいい。そういうのはあるかもしれないです。歌うってよりも、体が気持ちいいことを考えてるのかもしれません。自分の体だけど、ものを鳴らす時と同じような感覚はあるかもですね。
プレイヤーは絶対楽譜をこういう風に演奏する、という約束ができる人だと思うんですけど、そういう信用はもう自分に全然ないです(笑)
先程、プロフェッショナルになりきれないとおっしゃっていましたが、例えば、land & quiet(伊藤ゴロー、佐藤浩一、福盛進也によるユニット)に参加されている角銅さんの演奏を聴くと、アンサンブルの中で際立っていると感じました。
ありがとうございます。でも、やっぱり、自分はどこか成りきれないところがあると思いますよ。あんまり決めるっていうことができない人間なんです。曲もそうで、今まで録音した自分の曲も、どれも考え途中でそのままみたいなところがあって。プレイヤーは絶対楽譜をこういう風に演奏する、毎回これをやるという約束ができる人だと思うんですけど、そういう信用はもう自分に全然ないです(笑)。自分の中で、絶対という軸が持てない性質の人間だと思います。
逆に、その諦めに強さを感じますが。
いつも、どっかを考えて、どっかを忘れたりとか。今やってる劇も、まだ途中な曲があるし。ここで終わり、ここで完成っていうのがないんです。別に追求することが好きだからっていう意味でもなくて、絶対っていうのが、それをもう一回再現するっていう回路が、欠落してる。欠落っていうかわかんないですけど。そういうのができない、したくないのかできないのかが自分にわかんないんですけど、そういう意味でプレイヤーになれないのかなっていうのはあります。過去、未来と繋がっていない、今その瞬間とお話していたい、という感覚がどうしても自分のどこかに大きくあると思います。
では、自分のアルバムに入れた曲も、まだ未完成だという感覚があるのですか?
はい。あそこにあれ入れてたらよかったなとか、歌のあそこも録り直したいなとか、今聴いていても思ったりしますよ。
でも、きっちりはめてないけど、まとまっているというのが、角銅さんの音楽から感じて、ライブだとまた全然違う形になるのでは、ということも考えさせてくれますし、何度でも聴けるし、聴くたびに違う印象を持つこともあります。
ありがとうございます。そういう意味で、謎があるものって好きなんです。全部が照らされて明らかなものより、どこか照らされずに見えない部分があったり、分からない部分があるものに惹かれます。そういう部分って、自分の中で気づいたら大事にしてる気がしてて。何の話しようとしてたか忘れました(笑)。あ、絶対についての話だ。ただルーズなだけかもしれません。
角銅さんの音楽は、空間性が保たれてアブストラクトの響きもある一方で、アンサンブルも成立している。そのことはどの程度、意識されているのでしょうか?
偶然起こることが好きなんですけど、もう一方で、あらゆることが偶然だなとも思います。たとえそれが自分が決めた事であったとしても。本当に絶対こうなるっていうのはないから、偶然が起きる余白みたいなのがあるものが自分は心地がいい。その意味でそういう余白があるものは目指しているかもしれません。完成したものとか、魔法そのものを作るんじゃなくて、何か素敵なことが起こりそうな土台を準備して待ってる、みたいな。余白があれば自分がその後、また音足したりできるから、その先も考えられるっていう。
それは、即興で演奏する余地を残すというのとは少し違うニュアンスですか?
うーん、私、人の話を聞いても、その一個の言葉が気になって、会話全体を読めなくなったりすることがあって、そういうのもあるのかな。もしくは、そういう思考回路が何か出てるのかも。出てるっていうかそういう自分が心地いい音を作ってるのかも。いや違うかも? わかんない(笑)。でもアンサンブルもそういう感じ、意識しているというか、そのままであろうとしている気がします。
だんだんと角銅さんの音楽が紐解かれていくような気がします。
すごい(笑)。いろんなとこに宇宙があるじゃないですか。これも宇宙になるし、これも宇宙になる。宇宙を作らなくても、そこに何か一音あればそこから勝手に広がる、そういうのあるかもしれません。
以前、灰野敬二さんのレクチャーの相手役を務めたことがあるのですが、その時に交わした話を不意にいま思い出しました。
私、灰野さん大好き。
灰野さんからすごく影響を受けたと、おっしゃってますよね。
受けたと思います。それこそ、一時期少しお手伝いしてたことがあって、楽器のスタンド作りをお手伝いしたりしてました。あとはいろんな音楽を聴かせてもらったりして。灰野さんの音楽は全部大好きなんですけど。歌はそれこそ影響を受けてると思います。
影響を受けてるけど、全然違う出し方をしてますね。
はい。何を影響受けてるかもまだわかんないけど、いっぱいいっぱい受けてます(笑)。
角銅さんは自分のバンドは現在あるのですか?
あります。あるけど毎回編成が変わります。だからバンドって言っていいのか、わかんないんですけど。
角銅さんの音楽は、個人の音楽でもないし、バンドありきの音楽とも違う。その背後に緩い共同体のようなものがあって、そこから作られた音楽にも感じますが、そう思われることはありますか?
思います。何より目の前の偶然だったり環境みたいなものと一番は共同体であるというか、音楽をやりたいとは思っています。
今まで一緒に演奏し、作ってきた方たちは、自然に繋がったのでしょうか?
みんな自然に繋がった人達です。ドラムの光永渉さんはceroからですし、ギターを弾いてくれてる古川麦さんはceroでも一緒で大学の先輩でもあります。YouTubeで演奏を見てメールして一緒に演奏した人もいるし。そういう風に、ふわっと繋がっていってる人達ですね。
全然知らない場所に行って、その土地で出会った人と音楽作ってみたいなとかも思いますね。
そうした繋がりに、この時代、世代特有のものはあると感じますか?
どうなんでしょう。いつの時代でも、何かしらそうありたいと思っているとは思いますが、自分が打楽器というか、いろんなものを演奏してるっていうのは影響してる気がします。いろいろ演奏してる楽器の延長線上に、周りのいろんなミュージシャンがいる様な。でも、時代もあるのかな。インターネットの恩恵もあると思います。全然知らない場所に行って、その土地で出会った人と音楽作ってみたいなとかも思いますね。
以前、ロサンゼルスのdublabのダスティン・ウォングの番組に出られていましたね。海外との繋がりも増えているのですか?
ダスティンはまだ彼が日本に住んでた時に対バンでライヴをやって、一緒に遊んだり、引っ越したロサンゼルスにも行きました。他に、Instagramで知り合って今イギリスのラッパーの人やアルゼンチンのミュージシャンと曲を作ったりやりとりをしています。2018年にポーランドのアーティストのKarolina Bregułaの映画作品に音楽で参加した時もとても刺激的でした。
海外にアプローチしたいという気持ちはありますか?
すごいあります。いつも、世界のどこまでも、聴いてくださいと思いながら作ってリリースしています。
リスナーとしての角銅さんのことを少し伺えますか?
いまは無くなっちゃったんですけど、高円寺にSmall MusicっていうレンタルCDショップがあって、あそこが大好きで、あそこで知った音楽で自分が構成されている部分は大きいです。CD借りてた時って、ポップの文章だけを頼りに選んだりとか、知らない国の知らない人の音楽だったりとか、そういった発見をする聴き方が大好きでした。だから、自分の音楽もそういうところでたまたま見つけられて聴くみたいなふうになったらいいなって思います。
1stの『時間の上に夢が飛んでいる』も、2ndの『Ya Chaika』もレコードで再発となりましたね。レコードに対するこだわりはあるのでしょうか?
はい。レコードで音楽を聴くのが好きで、あとジャケットがデカイのも好きです。
今もレコードで買いますか?
買います。でも、一番レコードで好きなのは、旅に行って、全然知らない人のレコードをジャケットだけで選ぶのがすごい好きです。Spotify、Apple Musicとかに入ってない音楽がいっぱいあるじゃないですか。何より、そういう出会い方が好きです。フォークロアとか、子供向けの音楽とかも好きです。
3rdアルバム『oar』はメジャーからのリリースでしたが、自分の中で何か変化や発見はありましたか?
あったかな? あんまり変わんないかな、変わんないです。いや、すごいあったけど、何だったか忘れました(笑)。
力んだりはしなかったですか?
全然しなかったですね。しないようにしていた部分もあるとは思います。ただ、歌っていう音楽の形式がその時気になってたから、それをテーマにやった、という感じです。おっきなスタジオでいっぱい楽器を使って録音できてすごい楽しかったです。
次の作品は考えてるのですか?
考えてます。全然実現するかわかんないんですけど、南米の方に行って作りたいなとも思っていて。アルゼンチンは一度行ったことがあって、アルゼンチンでは目に見えないものの価値みたいなものを信じている人に出会う確率がすごく高くて、コミュニケーションの中に感銘を受けることが多かったです。社会的な背景も勿論あるとは思うのですが。最近、ラテンアメリカ文学も気になって読んでいます。それこそ謎がとても多くて。南米の音楽もですが、そういった文学作品の背景もとても興味があります。そういうことを頭の片隅に考えながら、少しづつ作ってます。
Words: 原 雅明 / Masaaki Hara
Photo: Aya Tarumi