膨大な7インチのリリース量から、世界中のDJやコレクターから愛されるタイのレコード。米人気バンド・クルアンビンが「タイ・ファンク」をカバーするなど、コアな音楽リスナーから認知度が高い。タイ音楽のメインのジャンルは「ルークトゥン」(田舎の子、田舎者の歌の意)、「モーラム」(歌・言葉の達人の意)など、音楽性に限らない区分が特徴的。今回はそんなタイの音楽の歴史や最新事情、レコードにまつわるトピックスをご紹介。

伝統と流行が融合していくタイの音楽

日本中にタイ料理屋があるように、じわじわとコアな音楽ファンの間に浸透してきたタイ音楽。映画『バンコクナイツ』公開時には坂本慎太郎&VIDEOTAPEMUSIC、井手健介と母船がトリビュート12インチを制作。ヴィンテージのタイ・レコードを集めているDJ、ミュージシャンも増えてきた。Stillichimiya×JUU、Asuka Ando×Gapiのように国境を超えたミュージシャン同士の交流も深まっている。

米テキサス発の無国籍バンド・クルアンビン、「88rising」からのリリースで知られるPhum Viphuritのようなグローバルな活動しているアーティストの音楽も面白いが、タイ国内でも刺激たっぷりの音楽がひしめき合っている。

まず紹介したいのが鬼才プロデューサーPosneg率いる「ZQUAD Records」からリリースされたMORLAMBOI × NOT’TOY Ft.YEEPUNZ & BLACK N’ BANKの“ゴー・ガイ”だ。
タイ東北部の伝統音楽モーラムとトラップを融合させたヒップホップ。ハイブリッドなビートにはしっかりとタイの伝統楽器であるチンの音が入っている。例えば尺八の音をサンプリングしてループさせるといった具合の単純なサンプリングネタとしてではなく、トラックから作り込み、リリックやフロウにも反映させる。伝統音楽と最先端の音楽が見事に融合しているのである。

民謡とクンビア、レゲエと河内音頭といった具合に伝統音楽の要素が入っている音楽は日本ではワールドミュージックのカテゴリーで扱われることが多い。「ZQUAD Records」のファンは最先端のベースミュージックを好む若者やスケーター。全身刺青の不良からアニメ好きのナードな学生まで幅広い。タイヒップホップ・シーンで最も大きなメディアの一つ、RIN(Rap is Now)AWARDSでは最優秀クルー賞にノミネートされた正真正銘のストリート・ミュージックだ。

次に紹介したいアーティストは、タイ南部出身のシンガー・ソングライターBOYJOZZの“プロックヤーン Feat.UMA”。タイには様々な種族が住んでいる。潮州系の華僑、ラーオ族、クメール系、南のマレー系など人種も異なれば文化や音楽も異なる。BOYJOZZは南部の言葉と伝統音楽を使い、ソウルフルなポップスを制作。哀愁、どこか懐かしさを感じてしまうメロディーはきっと日本人の琴線にも触れるはずだ。

このようにタイでは若者も伝統音楽を大事にし、最先端の音楽を融合させる。そしてリスナーも単なる欧米音楽のカバーではなく、タイ人の為に制作された音楽を好む。こんな特徴は50年以上前のレコードにも刻み込まれている。

タイのレコード事情と特徴

タイは植民地になっていない国だ。タイのレコードはタイ人の為に制作された。アムステルダムの蚤の市に行くとインドネシアのレコードを見かけるし、パリに行けばアフリカ、イスラエル、アルジェリアのレコードを簡単に探すことができる。インド人はアジア各国にコミュニティがあるのでシンガポール、マレーシア、インドネシアでインドのレコードは購入可能だ。同じく中国のレコードも華僑コミニュティーがあるのでアジア各国で流通している。一方、タイのレコードはタイ国内でしか流通していなかったのでタイに行かないと買えない。タイ人向けに制作されているということはレコード・ラベルの表記はタイ語である。これを当たり前だと思ってはならない。例えばインドネシアやインドはアルファベット表記である。したがって外国人が簡単に探すことができる。だがタイは、タイ語を勉強しない限りネット検索も困難なのだ。

タイ・レコード最大の特徴はシングル文化な所である。基本的にアルバムはシングルを集めたベスト盤、コンピレーションだ。その種類は膨大で、長年タイでレコードを掘っていても次から次へと知らないレーベルに出会う。これこそタイ音楽が世界中のDJやコレクター心を掴んでやまない理由の一つである。ジャケット付きの7インチはルークトゥンや軽音楽などの富裕層向けの音楽、レゲエのジャマイカ盤のようなラベルだけのものはルークトゥンやモーラムが多い。タイに残された膨大な数の7インチを見ていると東南アジアでも比較的豊かな国だったことがわかる。日本同様、庶民がレコードを買うことができたのだ。イサーン音楽の大物プロデューサーであるドイ・インタノンは「イサーン人は娯楽に金を惜しまない」と語る。イサーン人はたとえ貧乏でも、稼いだ日給を使ってレコードを買っていたそうである。一方、ミャンマーは自国でレコードを製作できなかったのでSP盤をインドでプレスしていた。ラオスは経済的にレコードをプレスできなかった。カンボジアはクメール・ルージュでレコードは幻になってしまったし、ベトナムは内乱が絶えなかったのでレコードの種類は少ない。

学生運動、クーデター、経済危機があったものの、それなりに安定していたタイでは東南アジアでレコードやカセットを生産し続けることができた数少ない国の一つなのである。こうした背景から70年代に人気だったレコード屋は現在でも細々と営業を続けている。バンコクのチャイナタウンにあるジャルンクルン通りSoi11に行けば当時の面影を見ることが可能だ。

なかでも、Cathay Recordsはレコードの制作・流通を行なっていた老舗だ。ここにはタイにプレス工場が生まれる前に、日本でプレスをしていた時代の貴重なレコードも残っている。店主も当時のままだから高齢だ。このあたりのエリアは近年MRT(地下鉄)の開通で再開発が進んでいるので残された時間はわずかかもしれない。レコード好きなら必ず足を運んでおいていただきたい場所である。

タイ レコード Soi48

パンデミックの影響はいかに

パンデミックの渦中でバンコクから人が消えた。タイを訪れる外国人観光客が激減したのである。バックパッカーの聖地カオサン通りから人が消え、アソークにある人気ショッピング・モール、ターミナル21はシャッターを閉めているテナントが多く開店休業状態だ。バンコクのホテル、飲食業界タクシー、エンターテイメントは大打撃を受けた。観光客が消えると出稼ぎ労働者達は田舎に帰った。バンコクで3Kの仕事をしているラオス人、ミャンマー人出稼ぎ労働者達も街から消えてしまった。

人がいなくなると、屋台が消えた。タイは食料品はもちろん、洋服、香水、携帯電話でも、なんでも買うことができる屋台文化の国である。そんな庶民向けの屋台では必ずと言っていいほど、音楽を流している。つまり街から音楽が消えたのだった。

屋台で商売しているタイ人が音楽を流すのに使っているのがYouTubeだ。タイは日本より携帯電話料金が圧倒的に安い。彼らはインターネットの無制限プランを使って営業中にYouTubeを垂れ流しにしていた。タイには1億回再生を超えるヒット曲がゴロゴロある。人口約7千万人のタイで、タイ語で歌われる、タイ人向けの音楽が高い再生回数を叩き出すのにはこんな音楽事情があったのだ。そんなタイ音楽もパンデミックには勝てなかった。タイ音楽の再生回数は軒並み減少。毎年ソンクラーン(タイの水かけ祭り)の季節になると人気歌手によるパーティー・チューンのリリースが恒例だが、それも無くなってしまった。友人のタイ人ラッパーに聞いてみると、アーティスト達はバズる自信のあるキラー曲はあえてリリースしていないらしい。ワクチン摂取が広まって、コロナが終息して日常が戻ってきたら、曲のリリース・ラッシュがはじまるはずだ。

一方、観光客が来なくなったバンコクのクラブでは新しい流行が生まれている。外国人観光客向けのTOP 40、EDMをプレイするDJは必要ない。そこで密かな人気となったのは80年代/90年代のディスコ世代をターゲットにしたパーティーだ。この流行で90年代バンコクにあった伝説のディスコ「THE PALACE」が限定復活した。空いているクラブを間借りしてパーティーしたのである。日本で言えば「マハラジャ」や「青山キング&クイーン」の復活といった所だろうか。これには子育ても落ち着いた、現在40〜50代のタイ人が駆けつけ大いに盛り上がった。しかも音楽は実際に90年代のバンコクで流れていたものと同じというのだから驚きだ。

それもそのはず、DJ陣全員が90年代バンコクの夜を賑やかしていた有名ディスコDJで、当時のレコードをそのままプレイするアナログ・オンリーのパーティーなのだ。タイではCD-Jが登場する2000年代頭まで、レコードでDJしていた。彼らはコレクションを手放さず残していたのだ。タイ・ポップス、TOP40の洋楽、ユーロビート、J-POP、サムチャーなど様々な音楽がプレイされる。パンデミックのおかげで90年代のバンコクにタイムスリップできるようになったのだ。客層はディスコ世代が大半を占めるが、近年のカセット、レコードなどの流行で90sカルチャーに興味を持った若者も客として遊びに来ている様子。タイに渡航できるようになったら真っ先に遊びに行きたい現場だが、観光客が入国できるようになったら終わってしまうのではないかと心配している。

タイのレコード事情
Photo by Waranont(Joe) on Unsplash

アジアの音楽と一言で言っても、アメリカ生まれの英語でラップする2世もいれば、留学組、自国で新しい音楽に挑戦している若者もいる。インターネットで世界各国の音楽に簡単にアクセスできる時代になったとしても、欧米発のものと比べたらタイ国内で活動している音楽の発信力は劣る。そういった音楽は、古い音楽でも、新しい音楽でもタイ独特のグルーヴが詰まっている。現地に出かけてカルチャーを掘れば日本では簡単にアクセスできない音楽との出会いが待っているはずだ。

Words&Photos:Soi48

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